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第2章
第30話 辛い
しおりを挟む白峰さんの姿が見えなくなってから、俺はその場からしばらく動くことが出来なかった。
なぜ、引き留めなかったのか。
それよりも先ず、なぜ俺はまだ告白もしていないのに振られてしまったのか。
そんなことがグルグルグルグルと頭の中を駆け巡りながら、ただ呆然と立ち尽くす。
涙は出ていないのに、身体が震えてきて、悔しさと切なさに押し殺されそうになる。
――俺は人生で2度目の、失恋をした。
1度目は幼馴染の想いに気付けず、2度目は訳も分からぬまま、何もできずにただ失った。
これ以上は踏み込んでくれるなと、釘を刺されてしまった。
こんなの、どうすれば良かったんだよ。確かにデートも碌にエスコート出来ないダメな男だったけれど、白峰さんはそれでも楽しいと言ってくれていたじゃないか。
あれはやっぱり、嘘だったのかよ。
俺に気を遣ってくれていただけだったのかよ。
もう……何も考えたくない。
今日は帰って眠ろう。
このままだと、やるせなさから誰かに八つ当たりをしてしまいそうだったから。
――家に帰ると、もう夜の9時を回っていたというのに、遥香が出迎えてくれた。
「おかえり~、ライブどーだった?」
「ああ、よかったよ……」
「そうじゃなくて、あたしが聞きたいのは夜空とはどうだったって意味なんだけど?」
それは今、一番聞かれたくない質問だ。
「ごめん、ちょっと1人にしておいてくれ……」
「え……夜空と、なんかあったの……?」
心配そうに見つめる遥香の顔が、余計に俺の心を抉った。
「頼む……」
そう吐き捨てて遥香に背を向けると、俺は自分の部屋へ直行した。
部屋の灯りもつけず、頭まで布団にくるまって、思考を無にする。
それでもやっぱり、一瞬でも気を抜けば白峰さんの笑顔が脳裏に浮かぶ。考えたくなくても、頭が勝手に映像を映し出してしまう。
とうとう我慢していた涙が溢れそうになったその時だった。なんの前触れもなく、部屋の扉がガチャリと開く音がした。
「奏向……」
呼ぶ声と共に、カチッと部屋の電気を点けられたのが、布団越しでも明暗の変化で伝わる。
掛け布団から顔の半分だけ出すと、幼馴染が不安そうにこちらを見つめていた。
「頼むよ……今は1人にさせてくれ……」
「イヤ……」
「なんでだよ……たまには俺の言うことも聞いてくれよ……」
遥香はベッドに近付くと、傍で腰を下ろした。
「なんで1人になりたいの?」
「それは……いま誰かと会うと、八つ当たりしそうになる。普通でいられる自信がない……」
「じゃあ気にしなくていいよ。あたしには、八つ当たりしてもいいから……普通じゃなくても、もし酷いこと言われても、絶対に奏向を嫌いになんて、なってあげないから」
「俺が嫌なんだよ……それに、泣き顔とか見られたくねーし……」
「それも大丈夫だよ? 奏向の泣き顔なら、きっと奏向ママの次にたくさん、あたしが見てるから……」
「だからそれは、ガキの頃の話だろうが……」
多分俺は、既に泣いていた。
「じゃあさ、今は……子供になっちゃいなよ。今日だけはいじめたりしないから……あたしと奏向の……2人だけの秘密にしてあげるから……だから、おいで……?」
遥香は両手を広げると、今だけは到底メスガキとは思えない、母親のように慈愛に満ちた表情を見せた。
それでも俺は、まだ意地を張る。
「平気だって……一晩寝れば元気になる……」
「もう、嘘つかんでいいとよ……? 奏向には、いつでもあたしがおるけん……」
そう言って、遥香は覆い被さるように俺の頭を抱きしめた。
温かくて、安心して、つい本音と涙が、ボロボロと漏れ出る。
「辛い……」
「うん……」
「どうしていいか、わからん……」
「うん……」
俺が嗚咽混じりに何を言っても、遥香はただ肯定し、包み込むように頭を撫でてくれた。そのおかげで気持ちを吐き出せた俺は、数分で平静を取り戻せた。
「ありがとう。だいぶ楽になったから、もう大丈夫だ……」
「もうちょっと泣いてても良かったのに……」
遥香はそう溢しながら、もの寂しさを感じたように体を離した。
「こんなことをお前にさせちまうなんて、やっぱ俺は男としてダメダメだな……」
「あたしが勝手に来ちゃったんだから気にしなくていいよ。ほっとけなかったし……」
「俺……白峰さんに……振られた……」
「そっか……」
遥香は下を向いてしまった。
「もう2人では、会いたくないって……」
「そっか……」
「悔しいのに、何も言えなかった……」
「そっか……」
「ごめん、こんなこと遥香に相談するのは間違ってるよな……」
遥香は「ううん……」と首を振ると、ポツリと呟く。
「たぶんそれ、あたしのせいやけん……」
「今なんて?」
「なんでもない……そうだ。あたしね、奏向ママとご飯作って待ってたんだよ? 一緒に食べよ?」
「今日家に残ったのはその為か……」
「うん。だから奏向の嫌がることはしないって言ったでしょ?」
「遥香……お前、ホントいい奴だな……」
「それは、どうだろね……」
「どういう意味だ?」
「ううん……肉じゃが作ったんだけど、味付けミスっちゃって、ちょっとしょっぱいんだけど、いっぱい泣いたし丁度よかったかもね?」
その後、遅めの食卓についた俺は遥香の作ってくれた晩飯をご飯を3杯もおかわりして、満腹になるまで味わった。
その肉じゃがは確かに、やけに塩辛かった。
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