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第2章
第45話 幼馴染と進みたい
しおりを挟む幼馴染の女の子――このフレーズを耳にして、俺が一番最初に思い浮かべる相手は、何をやらせても完璧で、俺の自己肯定感を下げ続けた元凶の、黒川遥香。
傲慢で、高飛車で、憎たらしいメスガキで……ずっと、そう思っていた。
――いや、思い込んでいた。
遥香とのこれまでを冷静になって振り返れば、なんでアイツの気持ちに今の今まで気付かなかったのか不思議なくらいだと、自分でも思う。
遥香を敵視し過ぎて、好きだったのに勝手に諦めて、悲観して、アイツのことをよく見ようともしていないだけだったんだ。
いつかアイツをわからせたいと本気で思っていたが、どうやら最後にわからされてしまったのは、俺の方だったみたいだ。
それだけじゃない。
今なら、もっともっと、俺の知らない遥香を知りたいとすら思っている。
そして、遥香に釣り合う男になりたいとも――。
そう思わせてくれたのは、嵐のように現れて、嵐のように去っていった転校生――白峰さんの影響が大きい。
俺は彼女に出会って、沢山のことを教わった。中でも一番は、何事にも果敢に挑戦していく姿勢だろう。
俺に決定的に足りていなかった向上心。彼女は去り際に、それを俺の内側に植え付けていったんだ。
だから俺は、今までサボりっぱなしだった自分磨きとやらを、遅ればせながらも取り組んでいこうと思う。
そうでないと、次に白峰さんと会う時、更に成長した彼女を前にした俺は、また卑屈になってしまいそうだと思ったから――。
***
2学期が始まってから――つまり白峰さんが転校してから、1週間が過ぎた。
隣を向いても誰とも目が合わないことに対する違和感は、まだ拭いきれていない。
そして誰とも目が合わない代わりに、窓から空を見上げる時間が増えた。
気を遣っているのか、あれから遥香と持田は休み時間にも俺に絡みにこなくなった。
でも俺にとって、その気遣いは有り難かった。
しばらく1人になって、目標を定める時間が欲しいと思っていたから。
――それが決まったら、2人に謝ろう。
まぁ、そう思ってから早くも1週間が過ぎてしまったのだけれど……。
今まで特に何もやってこなかった俺が、すぐに何かを見つけられる筈もなく、時間だけが刻々と過ぎていく。
その中で得たことと言えば、何かを本気で考えていると時間の流れが恐ろしく早いということを知れたくらいのもので……。
今日も答えを出せぬまま帰宅すると、珍しく俺よりも早く母の靴が玄関に並んでいた。
リビングに入ると、ソファに座りコーヒーを片手にひと息ついている。
「こんな時間に珍しいな」
「あらおかえり、予約がキャンセルになったから早上がりしたのよ」
「そっか……」
「あんた最近元気ないけど、もしかして遥香ちゃんとなんかあった?」
「別に……」
「ホント可愛くないなぁ。誰に似たのかしら」
「どっちかと言うと母さん似だろうな」
悪態を吐く俺にため息を漏らす母。
「別に茶化したりしないから、なんかあんだったら言ってみなさい? 私こう見えてけっこう人生経験豊富よ?」
「じゃあ一応聞くけど、目標ってどうやって見つければいいと思う?」
「そうねぇ……私があんたくらいの歳の頃は、まだ将来の夢も決まってなかったし、恋愛のことしか考えてなかったかな。好きな人の好きなことを調べまくって、どうやってアプローチしようか作戦練ったりなんかしてさ」
「そういうのじゃなくて、もっと将来的なことを聞きたいんだけど……」
「目先のことに本気になれない奴が、将来の夢が見つかった時に本気になんかなれんの?」
――母の言葉が、ひどく刺さった。
「……」
「ひとつひとつの悩みに逃げずに真摯に向き合ってたら、その内やりたいことなんてすぐに見つかるわよ。目標がないから頑張れないってのは単なる言い訳。悩みのない人間なんて、母さんの知る限り1人だっていないんだから」
「そうか……ありがと母さん、俺ちょっと行ってくる!」
「はいよ、行ってらっしゃい……」
――家を飛び出して向かった先は、遥香の家だった。
家の前で電話をすると、部屋のカーテンが開き驚いた顔の遥香がこちらを覗いていた。
「今から少し、話せるか?」
『うん、いいけど……今、降りるね』
電話越しに聞いた声が、少し懐かしく思える。
帰宅したばかりだったのか、まだ制服姿の遥香と中学校時代の通学路だった人気のない路地を歩いていた。
夕焼けが街を染める中、この道を2人で歩くのはいつぶりだろう。
思い立ってすぐに飛び出してしまったから言いたいことの整理がまだついておらず、しばらくぎこちない無言の時間が続くと、遥香は不安げに尋ねた。
「ねぇ、話しって何……?」
俺は深く息を吸って、覚悟を決める。
「遥香……お前、夢ってあるか?」
「何回も言ってるじゃん。奏向のお嫁さんだけど?」
「もっと詳しく、具体的に!」
「な、なにどしたの……そんな食い気味に……」
「いいから頼む!」
「えっと……住む家はお互いの実家の近くがいいのと、毎日なるべく早く真っ直ぐ家に帰ってきて欲しいし、子供は4人くらい欲しいし……休みの日には家族みんなでおでかけしたいし……年に1回は旅行とかしたい……かな」
緊張しているのか、それとも恥じらっているのか、遠慮がちで虚ろな目をしていた。
「それって結構金がかかりそうだな。あと休みが多そうな仕事じゃないと駄目か……」
「べ、別に全部が叶わなくったって、我慢できそうなとこは我慢するけど……」
「いや、全部しよう」
「え……」
「俺、今から勉強頑張っていい大学に入る。それで休みも多くて安定した仕事に就くから、そしたら全部叶えられるだろ?」
「奏向……?」
「俺はずっとお前に追いつきたいって思ってた。でも本当にしたかったのはそうじゃないって気付いたんだ。俺は、遥香と、一緒に進んでいきたい」
「それって……」
「遥香が好きだ。だから、これから先も俺とずっと一緒にいて欲しい」
「……あたしの夢ばっかでいいの……? 奏向のしたいことは……?」
震えた声でそう溢した遥香の碧く美しい瞳から大粒の涙が溢れ出しているのを見て、永らく悩んでいた答えがようやっと見つかった気がした。
「俺の夢は、遥香を幸せにすることだって、今わかった」
涙を袖で拭った遥香は鼻声で言う。
「じゃあ、証拠みせて……」
「証拠って、どうすれば……」
「あの時泣いて頼んでもしてくんなかったこと、今度は奏向からしてよ……」
以前に俺の前で初めて涙を流した遥香の顔が、鮮明に思い出された。
「また泣いてるな、お前……」
「今日のは嬉し泣きだもん……縋ってないもん……」
俺は堪らず、初めて自分の意思で遥香を抱きしめていた。
小さくて華奢な身体は、少し力を込めただけでいとも簡単に折れてしまいそうで、愛おしさが増す――。
肩を掴んで顔を見つめると、遥香がおもむろに瞼を下ろし、一気に緊張が押し寄せた。
うるさい心臓の音に包まれながら交わした人生3度目のキスは、あまりの緊張で味など気にする余裕もなかった。
ただ、唇を離した後から押し寄せてくる感じたことのない幸福感と、遥香のクシャクシャで笑ったような泣き顔が、強く印象的だった。
10年以上に渡り膠着状態だった幼馴染との関係が、今日やっと、動き出した。
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