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第13章 死闘
第235話 汚染(1)
しおりを挟む「何やってんだ!」
将の鋭い声に、大悟の喉を固唾が落ちていくのが見えた。
しかし、大悟はそれを腹の底まで落としてしまうと、落ち着いて注射器をケースに入れ、左腕の緊縛を解いた。
テレビからの賑やかな笑い声に、将の怒号が重なった。
「何やってんだよ!」
将はソファの大悟の近くまで床を踏みしだくように近寄り、見下ろした。
「これは、何だよ!何してんだ!」
将は、破かれた空の小袋をつまみあげて振った。
将の怒髪天をつく勢いに、大悟はそっぽを向いて、ハッとため息をついた……笑ったように見えた。
「バレたか」
「バレたって……、お前、どういうつもりなんだよ!」
思わず将は、大悟の胸倉を掴んだ。
「おい、大悟!」
そのまま、激しくゆする。大悟の痩せた体は、伸びた髪は、ゆさゆさと揺れた。
「ドラッグはやらねえ、ってお前が言ったんじゃんよー!」
それは中学のときに大悟が言っていたことだった。
どんなに犯罪に手を染めても、ドラッグだけは自分の体には入れない。
……おそらく、借金漬けの父やその取立てから、その匂いを身近に感じていた大悟の決意だったのだろう。
それが、どうして。
将は、シャブを大悟の体から、はたきだすがごとく、大悟を揺さぶり続けた。
そんな二人を嘲笑うように、テレビから笑い声が漏れ聞こえてくる。
雨音は、テレビに負けじ、といっそう強くなった。
「やめろよ」
とうとう大悟は、将の腕を振り解いた。
「どこで、手に入れたんだ。前原のダチか?無理やり打たれたのか?」
将はソファの前にひざまずいて大悟の顔をのぞきこんだ。
その顔は、痩せている上に、目のしたにはまるでアイシャドウを施したようなクマがくっきりと浮き出ていた。
そのくせ、瞼や唇などはどことなく腫れぼったい。浮腫んでいるのだろう。
でも……この期におよんでも、まだ将は大悟のことを信じたかった。
自分で進んでシャブを打つようになったと思いたくなかった。
「なあっ!大悟!」
大悟は、自分の肩に手を置いて必死の形相の将を冷静に見つめていた。
大悟は、つい先週見てしまった、将が出演したドラマを思い出していた。
テレビドラマに出演していた将より、苦悩にゆがんだまま大悟の答えを待つその目は大きく見えた。
整った顔をゆがめて、それでも自分を信じたい将。
「どうして、こんな……シャブなんか」
大悟は耐えられなくて、思わず将から目をそらした。そのとたん
「瑞樹を立ち直らせようとしていたのは、お前だろっ!」
と将は叫んだ。
大悟は、その名前に、奥歯をきつく噛み締めた。
その力は頭蓋骨をも緊張させ、目の奥にこびりついた瑞樹の最期が蘇った。
瑞樹の結末。
細かい粒になった瑞樹がくっついた自分の顔が脳裏に浮かんだとたん大悟はつぶやいた。
「もう……俺はダメだな」
今度は将が固唾を飲み込む。
「ダメじゃないだろぉっ!大悟!」
いったんひるんだ将は、ひるんだ間の分、大声で叫んだ。
「何いってんだよ!今からでもやめろよ、こんな薬」
将は、注射器のケースを取り上げるとフローリングの床に叩きつけた。
そして、そこにあった雑誌を載せて、素足で踏みつけた。
ボリッという鈍い音がして注射器は粉砕されたらしい。
将が注射器を壊すのを、大悟は放心したように、しかしすこしホッとしたような顔で見つめていた。
「他に薬は、ないのか」
将はなおも、雑誌に置いた足に力を込めながら、大悟を睨むように振り返った。
「ない。……今ので最後」
「本当だな」
大悟は、将の足元をみたまま、うなづいた。
将はしゃがむと、踏んでいた雑誌をどけた。
注射器はプラスチックのケースと一緒に粉々になっていた。針だけが元の形を留めていた。
将はその針をつまみあげると、さも憎憎しげに両端をつまんだ指先に力を込める。
細い針は、ぐにゃ、と直角に曲がった。
「いいか。絶対に、やめろよ」
将はそれを持ってキッチンに行きながら、大悟を振り返った。
大悟はまだ粉々になった注射器を見ていた。
将はキッチンの燃えないゴミ入れから空き缶を取り出すとその中に曲がった針をポイッと突っ込んだ。
そしてほうきを探したが、見つからないので、将は雑誌を破るとその中に注射器の大きめの破片を素手で拾って乗せた。
大悟はその間ずっと不動のままだった。
「……てっ」
大悟はハッとした。薄い注射器の破片がふいに将の指を傷つけたらしい。
人差し指に赤い血が滲んでいた。
「大丈夫か」
大悟は思わず将のほうへと上体を起こした。
「大丈夫だよ。こんなの」
将は血の出た人差し指をぺロッと舐めると、雑誌をやぶいてそれをほうき代わりにして残りの破片を紙の上に追いやった。
破片をあらかた紙に包んでしまうと、将は立ち上がった。
こうやって見下ろすと、大悟は本当に痩せてしまったことがあらわになる。
「瑞樹だって……お前がこんな風になって、哀しむぞ」
瑞樹、の名前を舌に乗せるとき、あいかわらず将の胸はチリリと罪悪感に痛んだ。
だけど、大悟のために、少しでも効果のあるフレーズを探した結果、将はそれを声にしなくてはならなかった。
だが大悟は俯いて黙ったままだ。
「……西嶋さんだって、心配してんだろ」
大悟はうなだれた。
そしてかすかな声を絞り出す。
「やめ……られると思うか」
「やめるんだよ」
将は破片を包んだ紙を床に置くと、再び大悟の肩に手を置いた。
「やめるんだ」
大悟の目からは、涙がこぼれていた。
涙をこぼすその目は、まだ、生きている。
「いいか、絶対に、もうやるなよ。どんなにつらくても……我慢しろよ」
大悟は涙をこぼしながら、歯を食いしばっていた。
「瑞樹の……二の舞にはなるな」
大悟は歯を食いしばったまま、深く頷いた。閉じた瞼から涙がほとばしり出て顎へと伝った。
将は、黙って立ち上がり、玄関わきのクロゼットから掃除機を持ってくると、残った破片を吸い取った。
その騒音に雨の音も、テレビの笑い声も、聞こえなくなった。
将は、大悟の決意を信じていた。
だから、大悟を見守るべく、かつ監視すべく、しばらくは『おうち』から仕事へ通うことにした。
だが……このときの大悟の正気は、薬による安定がもたらしたものである、ということを。
すでに大悟は薬なしでは、正気を保てないほど汚染されていることを。
……将は知らなかった。
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