【R18】君は僕の太陽、月のように君次第な僕(R18表現ありVer.)

茶山ぴよ

文字の大きさ
298 / 427
第16章 運命

第292話 不安(1)

しおりを挟む

「東大に、現役で」

聡は目を丸く見開いた。その白い喉に固唾が落ちていくのが将にも見えた。

昼食を実家で食べて、そのあと巌の墓に寄ってきた将が、聡の部屋を訪れることができたのは、午後も遅い時間だった。

雨はあいかわらず降り続いている。

「うん。とにかく東大に現役で入れば、結婚していいってさ」

将は聡の体を気遣って、自らキッチンに立つと、ハーブティを淹れている。

ティーバッグをガラスのポットに落とすがごとく、何でもないことだ、という風を漂わせてそれを繰り返した。

が、聡は絶句してしまった。

レモンの甘い香りが漂うお茶を将はマグカップに注いでローテーブルに運ぶと

「で、とりあえず、赤本買ってきた。2回もチャンスがあるんだな、東大って……それとコレ」

と紙袋を破いて分厚い本の朱色の表紙と一緒に出した『ママとパパの、はじめての赤ちゃんブック』と書かれた本を聡に嬉しそうに顔の前にかざした。

しかし、かざした本に、いっこうに聡からの手が伸びてこなくて、将は本の陰から顔をおそるおそる出すと聡のようすをうかがう。

将にむけられた聡の瞳はこれ以上ないほど悲壮感が漂っていた。

「無理よ……。今から東大なんて。そんな」

「だーいじょうぶだよ。俺がめちゃくちゃ頭いいの知ってるだろ」

本をテーブルに置きながら胸を張った将に、聡は俯いた頭を横に振った。

「あ、ひどい。ひどいなあ、担任なのに、否定した」

将はハーブティの入ったマグカップを手に取ると湯気の向こうでおどけて笑う。

だけど聡は、そんな将を見ようともせずに、その顔が見えないほど俯ききってしまっていた。

将はマグカップをテーブルの上に置くと、聡の傍らに寄り添った。

「……アキラ?」

「……」

聡に返事はない。

「アーキラ。大丈夫だから」

将は聡の肩に手をまわすと、顔をのぞきこんだ。

聡は泣いてはいなかった。ただ無表情に近いその顔には……絶望の文字だけがあった。

「アキラ、心配するなよ。俺、数学も国語も本当は得意だっしー。歴史もヒージーじこみだし。ちょっと覚え直せばバッチリ。

まあ、英語はちょっと……アレだけど。そこはアキラ教えて?……ね?」

「だめよ……」

ほとんど吐息だけのようなその言葉は、雨音に混じって将にはよく聴き取れなかった。

「やっぱりだめなのよ」

やっと聞こえたのは低い声だった。

「アキラ?」

「許されるはずがない」

「いや、だから」

東大に入れば、と続けようとした将は、言葉を飲み込んだ。下を向いていた聡が急に将を振り返ったから。

「ダメなのよ。教え子の子供を妊娠する担任なんて。常識じゃ考えられない!」

苦しげに聡は叫んだあと、再び吐息のような声に戻る。

「……あたしだって、そんな女、非常識だって思うもの。お父様は……できないことをわざわざ押し付けて……本当は反対してるのよ。わかるわ」

「アキラ」

「9歳も年上の担任教師と結婚なんて、ありえないし。お父様がかわいそう」

聡は、将を見ていなかった。ただ辛そうに……その辛さは自分のことより、将の父の立場を慮っているようにさえ見えるほどだった。

「アキラ。それは違う」

将は聡の両肩を掴んで、聡の視界に無理やり割り込もうと試みる。

「オヤジは俺たちのことは反対していない。本当だ」

「うそ」

聡は将のほうを見ようともしない。低い……冷静とも思えるような短い返事を返すのみだ。

「本当だよ。最初俺は、オヤジにアキラと結婚したい、ってだけ言ったんだ。

そしたら、大学を卒業したら先生とでも誰とでも好きな人と結婚すればいい、って」

聡は下を向くばかりだった。

「オヤジは、ただ早すぎるって言っただけで……。だけど、それも東大に入れば許すって」

聡の黒目は将を避けるように斜め下の床に注がれている。

「なあ。アキラ」

将は聡の肩を軽くゆすった。

だけど視線は微動だにしない。

「アキラ、俺頑張るからさ」

返事はない。聡の視線は床にべったりと貼りついたようだ。

「ね?」

「無理よ」

冷淡と思えるような口調だった。

「なんで」

聡は無理だ、という理由のかわりに

「あたし、自信ない」

と答えた。

「東大受けるのは俺だぜ?アキラは、お腹の子供のことだけ考えればいいから」

「それが」

聡の視線が将に戻った。

「自信がないの。あたし、子供なんか産めない……恐い!」

将にすがりつく瞳がみるみるうちに潤んでいく。そしてそれはついに溢れ出した。

「アキラ」

将は思わず聡を抱きしめた。聡も細い腕を将の体に巻きつけてくる。

「将、あたしダメなの。恐い、恐いの」

聡は将の胸で泣きじゃくった。

……こんなに弱弱しく、感情を剥き出しにした聡を……将は初めて見た。

感受性が豊かで泣き虫だけど、大人の女性として芯は強かったはずの聡。

そんな彼女が……思いがけない局面に対峙して、その恐怖のあまり泣いている。

「こんなの、早すぎる……」

「アキラ」

将はとまどいながらも、聡を受け止めた。

聡の体は、この2日のうちにまたいっそうか細くなった気がした。

思えば、昨日。

食べるたびに吐いてしまう、と書かれたメールを将は受け取っていた。

それからして、そもそもおかしかった。

ふだんの聡なら、将を心配させるようなことなど決してメールに書かない。

だけど、今の聡は、体を襲う異変が不安でたまらないのだ。

その不安に耐えられなかった聡は、思わずそれを素直に将に送信してしまったのだろう。

それほどまでに……聡は、今自分の体と人生を襲う不安に恐れおののいているのだ。

「アキラ……」

胸の中の聡はとても小さく見えた。

将はむせび泣く聡の背中を優しく叩きながら、どうしたら聡の不安を取り除けるか考える。

「アキラ。……ごめんな」

将は謝ってみた。聡の体におこった異変は将の責任だと思ったから。

だが聡は、肩を震わせながらも、首を横に振る。

「将が……わるいんじゃない」

そういうと、いっそう全身を激しく震わせた。

将は、聡の髪を撫でながら、自分の無力さに天井を仰いだ。

聡を幸せにしたいのに。

聡を守りたいのに。

将の子供を宿した不安に押しつぶされかけている聡。

――どうすればいい。

将は深く……ため息を吐いた。

ため息は、将の瞳にも涙を連れてきた。

それをこぼさないよう、将は瞼を閉じると、再び聡の肩とそれにかかる髪に自分の顔を深くうずめた。

甘い香り。すでに離れることのできない愛する人の……。

「ねえ、あきら」

やがて、将は聡の髪に優しく語りかけた。まるで子供に語りかけるような声音。

「子供……、あきらめる……?」
しおりを挟む
感想 81

あなたにおすすめの小説

お兄ちゃんはお兄ちゃんだけど、お兄ちゃんなのにお兄ちゃんじゃない!?

すずなり。
恋愛
幼いころ、母に施設に預けられた鈴(すず)。 お母さん「病気を治して迎えにくるから待ってて?」 その母は・・迎えにくることは無かった。 代わりに迎えに来た『父』と『兄』。 私の引き取り先は『本当の家』だった。 お父さん「鈴の家だよ?」 鈴「私・・一緒に暮らしていいんでしょうか・・。」 新しい家で始まる生活。 でも私は・・・お母さんの病気の遺伝子を受け継いでる・・・。 鈴「うぁ・・・・。」 兄「鈴!?」 倒れることが多くなっていく日々・・・。 そんな中でも『恋』は私の都合なんて考えてくれない。 『もう・・妹にみれない・・・。』 『お兄ちゃん・・・。』 「お前のこと、施設にいたころから好きだった・・・!」 「ーーーーっ!」 ※本編には病名や治療法、薬などいろいろ出てきますが、全て想像の世界のお話です。現実世界とは一切関係ありません。 ※コメントや感想などは受け付けることはできません。メンタルが薄氷なもので・・・すみません。 ※孤児、脱字などチェックはしてますが漏れもあります。ご容赦ください。 ※表現不足なども重々承知しております。日々精進してまいりますので温かく見ていただけたら幸いです。(それはもう『へぇー・・』ぐらいに。)

【完結】退職を伝えたら、無愛想な上司に囲われました〜逃げられると思ったのが間違いでした〜

来栖れいな
恋愛
逃げたかったのは、 疲れきった日々と、叶うはずのない憧れ――のはずだった。 無愛想で冷静な上司・東條崇雅。 その背中に、ただ静かに憧れを抱きながら、 仕事の重圧と、自分の想いの行き場に限界を感じて、私は退職を申し出た。 けれど―― そこから、彼の態度は変わり始めた。 苦手な仕事から外され、 負担を減らされ、 静かに、けれど確実に囲い込まれていく私。 「辞めるのは認めない」 そんな言葉すらないのに、 無言の圧力と、不器用な優しさが、私を縛りつけていく。 これは愛? それともただの執着? じれじれと、甘く、不器用に。 二人の距離は、静かに、でも確かに近づいていく――。 無愛想な上司に、心ごと囲い込まれる、じれじれ溺愛・執着オフィスラブ。 ※この物語はフィクションです。 登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。

巨乳すぎる新入社員が社内で〇〇されちゃった件

ナッツアーモンド
恋愛
中高生の時から巨乳すぎることがコンプレックスで悩んでいる、相模S子。新入社員として入った会社でS子を待ち受ける運命とは....。

エリート警察官の溺愛は甘く切ない

日下奈緒
恋愛
親が警察官の紗良は、30歳にもなって独身なんてと親に責められる。 両親の勧めで、警察官とお見合いする事になったのだが、それは跡継ぎを産んで欲しいという、政略結婚で⁉

あまやかしても、いいですか?

藤川巴/智江千佳子
恋愛
結婚相手は会社の王子様。 「俺ね、ダメなんだ」 「あーもう、キスしたい」 「それこそだめです」  甘々(しすぎる)男子×冷静(に見えるだけ)女子の 契約結婚生活とはこれいかに。

腹黒上司が実は激甘だった件について。

あさの紅茶
恋愛
私の上司、坪内さん。 彼はヤバいです。 サラサラヘアに甘いマスクで笑った顔はまさに王子様。 まわりからキャーキャー言われてるけど、仕事中の彼は腹黒悪魔だよ。 本当に厳しいんだから。 ことごとく女子を振って泣かせてきたくせに、ここにきて何故か私のことを好きだと言う。 マジで? 意味不明なんだけど。 めっちゃ意地悪なのに、かいま見える優しさにいつしか胸がぎゅっとなってしまうようになった。 素直に甘えたいとさえ思った。 だけど、私はその想いに応えられないよ。 どうしたらいいかわからない…。 ********** この作品は、他のサイトにも掲載しています。

JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――

のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」 高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。 そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。 でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。 昼間は生徒会長、夜は…ご主人様? しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。 「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」 手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。 なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。 怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。 だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって―― 「…ほんとは、ずっと前から、私…」 ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。 恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。

灰かぶりの姉

吉野 那生
恋愛
父の死後、母が連れてきたのは優しそうな男性と可愛い女の子だった。 「今日からあなたのお父さんと妹だよ」 そう言われたあの日から…。 * * * 『ソツのない彼氏とスキのない彼女』のスピンオフ。 国枝 那月×野口 航平の過去編です。

処理中です...