【R18】君は僕の太陽、月のように君次第な僕(R18表現ありVer.)

茶山ぴよ

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第17章 クリスマスの夜、二人

第314話 ケーキ

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「それはそうと、将さま。弟の養子になっている島大悟さまの件ですが……」

大悟の名前を聞いたとたん、将は掴みかからんばかりの勢いで西嶋に詰め寄った。

「大悟がどうしたっ!……退院したのか!」

「はい。経過が順調だそうで、年末にあわせて退院するそうです」

ひどい薬物依存症になっていた大悟は、入院した矯正病院の専門的なケアでなんとか依存症を脱出することに成功したらしい。

「弟夫妻は、12月に入って何度か面会に行ったそうですが、元気だったそうです」

「そうか……」

それを聞いて、将は力が抜けた。

――大悟が立ち直った。

嬉しいはずなのに、会いたいはずなのに……将の心はどこかで躊躇していた。

『俺を裏切るのか、将』

その叫びは思い出すたびにリフレインを繰り返し、なかなか消えようとはしない。

大悟は、自分を許すだろうか……。

突き詰めれば、将の中の大悟に対する罪悪感が……大悟に会うことを避けるように仕向けているのだ。

結局将は、西嶋に大悟のその後のことも教えてくれるように頼むしかなかった。

 
 

「今日は数学的思考を使った課題と、医療倫理に関する論評に考察を加える課題をやろう。まずは数学的思考のほうね」

岸田は柔らかな口調でそういうと、将に問題を渡した。

岸田のマンションは、庶民的な慎ましい3LDKだった。

将の父の康三のように書斎を持っているようでもなく、蔵書は家中の各所に置かれた本棚に散逸していた。

将は客間兼用の和室(ここにも壁に沿って本棚が並んでいる)に通され、個人指導を受けていた。

閉じた襖の向こうからは、岸田の妻と娘が見ているらしきテレビの音が聞こえている。

政治学が専門の岸田だから、数学的思考の課題は彼がつくったものではない。

彼の友人である数学博士にわざわざ想定課題をつくってもらったのだ。

どうしても解き方が分からない場合の突破口は紙面に用意して岸田が持っている。

しかし必要なく論文が書けた場合は、岸田が課題をつくった友人に渡して添削してもらうことになっている。

将は、論文に並んで数学に強い。

学校に来なかった去年まではやっと中学2年程度の学力だったのが、芸能界に入る直前までにほぼ追いついて学校ではトップになっていた。

芸能界入りしてまた学力は下がったものの、本気で勉強をはじめてすぐに文系の履修範囲を理解してしまった。

11月からは、理系範囲の数3を始め、北海道ロケまでの間にひととおり終わっていた。

ひとたび教科書を理解すれば、かなりの難問でも解けるところが将の強みだった。

だが、解き方がひらめくまでの時間にムラがある。

そのつど解き方を一から考えるよりは多くの問題を解いてある程度脳の中にパターン化しておいたほうが効率がいい。

……だから将は1日最低1題は数学の難問を解くことにしている。

しかし、今ここでやっている、後期試験を予想した数学的思考の論述課題は、厳密に数学ではない。

数学を利用して何かを実証するという課題だが、将は実例になっている数式に何かをひらめけばこの手の問題は軽いように思えた。

現に、今与えられた課題も、少し考えるとすらすらと鉛筆を動かし始めていた。

将が問題に掛かっている間、岸田は自分の仕事をするべく資料などを読んで出来上がりを待つわけだが、その資料がたけなわに入ろうというところで

「出来ました」

と声がかかった。

「もう?まだ制限時間まで15分余ってるよ。再考察しなくて大丈夫?」

「はい」

「へえ。冴えてるね……。どれ」

鉛筆で書かれた解答用紙は、あまり消しゴムで消した形跡もなく、きれいな字で書かれた数式とその解説で埋め尽くされていた。

だが、専門が違う岸田にはいまいちわかりにくいせいか、すぐに立ち上がると、襖を開けた。

襖の向こうのダイニングでテレビを見ていた岸田の妻の裕子と娘の香奈が一斉にこちらを振り返る。目が合った将は、頭をぺこんと下げた。

岸田は、キッチンのカウンターに置かれたファクシミリで、将の解答をどこかに送っている……友人の数学博士に送っているのだろう。

「あ、そうだ。将くん、メールアドレス、訊いていい?」

岸田はいったん、将を振り返ると『これに書いて』と将にアドレスを書かせた。

送り終わった岸田は

「解説は、今年中にメールの方に送ってもらうから。早くもらいたいだろ」

と笑った。つまり、論文に対する添削を迅速にするために、インターネットを使うということだ。

納得して頷いた将は……あることを思いついて、思わず顔がゆるむ。

それを誤解した岸田が

「よほど、今の課題は自信があったらしいな」

と微笑んだ。

「いや、そんなわけじゃ」

そのとき、下を向いた将の腹から、派手な音が和室からリビング中に響き渡った。

しまった、と将は腹を押さえる。

朝食がゆっくりめだったので、昼食を食べずにここに来てしまった。

そのせいか、腹の虫が今ごろになって猛烈に抗議を始めたらしい。

「あらあら」

岸田の妻・裕子が笑いながら

「あなた、一息いれましょうよ」

と促したので、ちょうど3時ということもあり、おやつにすることになった。

 
 

「これ、うまいですね」

将は、紅茶と一緒に出されたパウンドケーキをぱくついた。

厚めに切られたそれを将はあっという間にたいらげてしまった。

裕子は「まだありますから、どうぞ」と将におかわりを勧めると

「……香奈、切ってきて」

と娘の香奈に命じた。香奈は素直に頷くとキッチンに入った。

「これは、香奈が作ったんですよ」

裕子は、微笑んだ。

「えっ。本当に?」

将は驚いて、カウンターキッチンの中にいる香奈を見た。香奈は将と目が合うと、すぐに視線をケーキの方に落とした。

先日スキー場でも思ったが、長い睫のあたりなど、この娘はときどき聡を思わせるところがある。将は微笑ましく香奈を見つめた。

そして、そのケーキはお世辞抜きでとても美味しかったのだ。

バターと卵の自然な香りから手作りっぽい味だと思ったが、まさか小学校5年生の少女が作ったとは……。

「クリスマスに将お兄ちゃんが来るからって、昨日一生懸命作ったんだもんな」

岸田助教授の言葉に、香奈は将をチラッと見てそっぽを向いた。

「そんなんじゃないもん。お客さんが来るからだもん」

「ウソつけ。最近いつも、『今日は将お兄ちゃんに会ったの?』って訊くくせに」

父の茶化した言葉に、香奈はとうとうプーッと脹れた。

「もー!おとうさん!」

そういいながらも、香奈は将のお代わりの皿をカウンターにやや乱暴に置くと、ダイニングを素通りしてテレビの前に座り込んだ。

「あれ、香奈、お父さんの分は?」

と岸田が甘い声でねだっても

「知らないもん」

とゲームを始める。

将はどう反応していいかわからなくて、ゲームに向かう香奈の横顔と、新しいケーキをかわるがわるに見た。

「もう、あなたったら……」

裕子が苦笑した。そして将には助け舟を出す。

「本当に、遠慮なくどうぞ。香奈はふんわりつくるためにって一生懸命バターを泡立てたんですよ」

それで将はようやく

「香奈ちゃん、どうもありがとう。すごく美味しいよ」

と香奈の横顔に声をかけることができた。

香奈はブスッとした顔を崩さなかったが、その頬にはほんのりと赤みが差していた。

岸田は笑いながら紅茶のカップを傾けていたが

「将くん、どうだい。東大に晴れて合格したら、今度は将くんが香奈の家庭教師をしてくれないか?」

といきなり切り出した。

「あら、いい考えね」

裕子が紅茶のお代わりを淹れながら同意した。

ゲームをする香奈の背中がぴくんと反応した。

香奈は来年6年生で、有名中学を受験することになっている。

岸田が将の大学受験に協力している代わりに、今度は将が岸田の娘・香奈の中学受験に協力してほしいということだ。

「はい。喜んで」

もともと不良時代、何食わぬ顔をして小学生の家庭教師をしていた将である。異存はない。

「そんなのムリに決まってるし」

意外な声が割って入った。香奈本人だった。

「なんで」

岸田は不思議そうな顔でコントローラーを両手で持ったままの娘をみやった。

「だって、将お兄ちゃんは、大学合格したらまた俳優に戻るんでしょう」

「そうなのかい?」

岸田も裕子も将の顔をのぞきこむようにした。

合格の後のことは……聡と結婚することしか、頭になかった将である。

自分でも政治家のあととりとして俳優業はすっぱりと辞めてしまうのか、それとも続けるべきなのか自分でもわからない。

とにかく合格しないと。

聡との結婚を許されないと。

将の未来は白紙のままなのだ……。

「まだ、わかりませんけど……なんとか、時間をつくるようにします」

苦し紛れにそう答えるしかなかった。
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