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第八章 別れと再会(十九歳)

073 いつだって、別れは突然訪れる2

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『死ぬな、生きろ』

 そんな不穏な言葉と共に私を残し、グールの群れに飛び込んで行った父。

(やだ、やだ、やだ、やだ)

 ドレスを赤く染める母の青白い顔と共に、浮かんでは消え、こみ上げてくる嫌な予感。

「父さん!!」

 私は叫ぶ。

 砂埃すなぼこりを巻きあげ、かすんでいた視界が徐々に晴れてくる。同時に、遠くで魔法がぶつかり合う音が聞こえてきた。

「良かった」

 まだちゃんと生きている。

 きっと父はこの場を支配する、厄介そうなフードの男と戦っているのだろう。

「父さん、母さん、お願い。私を残して死なないで」

 私は泣きそうになる気持ちをグッと堪え、震える手で杖を握り締めた。

「グォォォォォォォ」

 グールは、悲鳴とも怒号ともつかない、獣のような雄叫びをあげた。その声を耳にし、私はハッと我に返る。今ここで私が諦めれば、間違いなく敵の思うツボ。一家揃って命を絶つ事になるかも知れない。

(そんなのダメ)

 私は覚悟を決め、迫り来るグールの大群を睨みつける。

「ぐぉぉぉぉ」
「うぉぉぉぉ」

 周囲の空気が震えるほど、力強い雄たけびをあげたグール達は、一心不乱な状態のまま、私の方に向かってきた。鋭い牙をむき出しにし、目を血走らせたグールは、まるで闇に潜む魔物のようだ。

(もはや、人間だなんて、私は思わないから!!)

「エアーカッター!」

 私は必死に魔法を唱え、迫り来るグールを切り刻む。

「ウィンド・ストーム!」

 さらに風の渦を発生させ、グールを次々と巻き込み、その身を切り刻んでいく。

「ギャァア」

 悲鳴をあげながら、グール達が吹き飛び、赤黒い血が辺りに飛び散る。ピチャリと私の顔に振ってきたグールの生暖かい血を拭いながら、私は目の前の魔物を睨みつけた。

「食ウ」
「グルルルル」
「血を……」
「エサ、オレノモノ」

 思ったよりグールの数が多いようだ。

「キリがないわね」

 普段ならば、こんなに手こずる事はない。何かがおかしいと、私は辺りを見回す。すると、父がグール達と戦う場所近く。地面に描かれた魔法陣から、新たにグールが産み出されているのを発見する。

「あれが原因か」

 死霊魔法の事はよくわからない。しかし状況からすると、フードの男が死霊魔法を操り、死者の世界からグールを呼び覚ましているのかも知れない。

 既にその可能性に気付いているらしき父が、術者らしきフードの男と戦っている。

 しかし、父もまた、延々と襲い来るグールを相手しながらのせいか、苦戦しているようだ。

(このままじゃ父さんも、私も魔力が尽きてしまう)

 何とかしなければと、私は焦燥感しょうそうかんに駆られながらも、懸命にグールに向かって魔法を放つ。しかし杖を一振りする度、魔力も気力も体力も、確実に奪われていくのを感じた。

 とその時。

 グチャリ、グチャリと嫌な音がして、私は背後を振り返る。すると地面に横たわる母を数人のグールが取り囲み、今まさに母を捕食し始めていた。

「母さん!やめて、やめなさいよッ!!」

 私は咄嗟に、母を食べているグールに杖の先を向ける。しかし、母の姿は黒だかりとなるグールにより、見るも無惨にこの世から消え去る。

 残されたのは満足げな顔で、口元を拭うグール。それから、踏みつけられ、地面に散らばる、赤く染まるポピーだけ。

 あり得ない光景に、私の全身が震え出す。

「そんな……」

 全身を絶望感が、ただ、ただ、襲う。そして、次に私の中に浮かぶのはグールへの怒り。

(グールなんか。グールなんかいなければ)

 私の心にたった一つ、譲れない憎しみの感情が、どこからともなく込み上げる。

『グールなんかいなければいいんだ』

 強い憎しみ、それから怒りを同時に感じた瞬間、私の体の中を一筋の魔力が駆け巡る。

「グール、なん、か」

 ギルバートを殺した時と同じ。おどろおどとした魔力の塊が私の中に込み上げる。

「消えろぉぉぉぉ!!」

 叫びながら杖を天に向ける。すると得体の知れぬ魔力が私の杖を伝い、地面にキラキラと輝く魔法陣が出来上がる。

「グールは、いてはならぬ存在よ」

 私の発した声と共に、展開された魔法陣からまぶしい光が発せられた。そして、魔法陣から飛び出した光は、襲い来るグール達を次々と飲み込み、消し去っていく。

「グゥゥゥゥゥ」
「ギャァァァァ」

 断末魔の叫びをあげたグール達は跡形も無く消滅した。

「や、やった……」

 全身をどっと疲れが襲い、安堵する気持ちと共に立ち尽くす私。しかしすぐに、死霊魔法の存在と父の事を思い出す。

「魔法陣を消さないと」

 私は今なおグールを生み続ける魔法陣を何とかせねばと、父に加勢するために、地面を蹴り飛ばす。

 その時、父が見た事もない大きな杖を召喚した。そして魔法陣めがけ、その杖の先をしっかりと打ち立てた姿が、私の視界に映り込む。

 黒光りする魔法陣は、父が突き立てた杖の先から飛び出す光により、みるみる浄化されていく。

「さすが、父さん!」

 これで終わると、私の頬が緩みかけた時。暗闇の中からフードを目深に被った男が突然現れる。そして躊躇する事なく、父の背にキラリと光る剣先を突き立てた。

「やめて!!」

 私は精一杯叫ぶ。しかし父はなす術なく地面に倒れ込む。そんな父の背中に、とどめとばかり、謎の男の刃が再度深く突き刺さる。

「そんな……父さん、父さん!父さん!!!」

 私は込み上げる涙を堪え、父の元へと走る。しかし無情にも男は、倒れた父の上に馬乗りとなり、父の首元に噛みついた。

「ウインドカッター!!」

 私は叫び、男に風の刃を向けて放つ。捕食する事に集中していたせいか、男は私の魔法を避けきれず、横に大きく吹き飛んだ。

「くっ」

 霊廟れいびょうの壁に背中を打ち付けた男は、うめき声をあげるとその場で動かなくなった。

(今のうちに父さんを)

 救出せねばと、地面に横たわる父に浮遊呪文をかける。

「フロー」

 しかし父の体は私の呪文を弾くよう、虹色の光に包まれた。そして忽然こつぜんと、その場から消滅してしまった。

「え……」

 私は確かに浮遊魔法をかけたつもりだ。けれど父がその場から消えた。

(まさか、消滅魔法をかけたとか?)

 しかしそんな魔法を私は覚えていないし、そもそもそんな魔法の呪文は知らない。
 私は戸惑い、父を探そうと辺りを見回す。

「俺の餌……横取り……するな」

 低く唸るような声が聞こえ、私は先程吹き飛ばした男がいる場所に顔を戻す。すると霊廟の壁を背にした男は、その場でよろよろとしながらも立ち上がる。

 フードのせいで顔はよくわからない。けれど憎悪のこもる赤い瞳がしっかりと私を見据えているのはわかる。どうやら、消滅した父の捜索は、後回しにした方が良さそうだ。

 私は両親を傷つけた男に向かって口を開く。

「私の家族を傷付けたお前を、絶対に許さない」

 怒りをあらわにし、こちらにのそりのそりと歩み寄る男をにらみつける。

「……俺の餌」

 男はかすれた声で呟く。

「父さんと母さんのかたきは私が取る」

 私は杖を握りしめ、呪文を唱えた。

「ウィンドカッター」

 私が放った風の刃が、一直線に男へと向かっていく。

(当たれ)

 私は祈りながら、放った魔法の軌道を見つめる。

「俺の餌、横取り、許さない……」

 何かに囚われたように、こちらに真っすぐ向かってくる男。

 男は私の放った風の刃をひらりと避けると、そのまま私に向かって突進してきた。

(早い)

 その動きに、私は一瞬怯む。

(でも負けない)

「アースウォール!」

 私が呪文を唱えると同時に、地面が隆起りゅうきし、土の壁が私を守るように全面に出現する。
 しかし、まるで天から降ってきた悪魔のように、黒ずくめの男はひらりと私の作った壁を乗り越えてきた。

 私の目の前に着地した瞬間。はらりと男のフードが背に落ちる。

 その姿を目の当たりにし、私は固まる。

「え」

 鼓動が激しく脈打つ。

「なんで?」
「俺の餌、だ」

 忘れかけた、けれどどこか懐かしい声が、私の記憶を呼び覚ます。

「……ルーカス」

 私がその名をつぶやくのと同時に、ルーカスは顔を歪め、私に飛び掛かってきた。私は地面に呆気なく押し倒され、背中に鈍い痛みを覚える。

「痛っ」
「俺の、餌……」

 ルーカスが私の肩を地面に力強く押し付けた。

「わ、わたしは、ルシア……」

 できれば正気に戻ってほしいと、震える声で何とか名乗る。すると狙い通り、ルーカスの瞳が一瞬揺らぐ。

「ル、シア?違う、ルシアは、死んだ。だから、ルシアは、俺が、食べた」

 掠れた声で、意味不明きわまりない言葉を吐き出すルーカス。

「ルシアは俺が、たべたんだ」

 まるで自分に言い聞かせるように言葉を吐き出したルーカスは、ゆっくりとフードを被り直す。

「人は食べる、もの」

 フードを被った途端、何のスイッチがはいったのか。聞いた事がないくらい低い声で、ルーカスはささやくように私に告げた。

「食べないで、私はルシ――」

 最後まで言い終わらないうちに、ルーカスは私の首に両手をかけた。

「うぐっ」
「俺は、食べる」

 首を絞められ、息苦しさにあえぐ。

「ルー、カス……」

 必死にルーカスの腕を掴み抵抗するも、全く歯が立たない。

「グゥゥゥゥゥゥ」

 獣のような声をあげ、私をむさぼろうと大きな口を開けるルーカス。

「くっ、そ」

(文句の一つも言わずに死んでたまるか)

 怒りが息苦しさを上回る。私は抵抗しようと、力の限り手を伸ばす。必死に伸ばす、私の手をルーカスが片手で掴む。

(あ……)

 私を掴んだルーカスの左手の薬指。そこには、私と揃いの金色の指輪がはめられている。
 こんなピンチな状況なのに、ルーカスが指輪をまだはめている。その事を素直に嬉しいと感じる自分に気付き、そしてそんな情けない自分にイラつく。

「ルー、カス、やめ……て」

 薄れゆく意識の中、私は自分を掴む、彼の手に最後の抵抗とばかり、魔力を流し込む。

「うっ……ル……シア」

 私を食べようとしていたルーカスの動きがピタリと停止する。

「さっきから、そう、名乗って、る」

 何とか言葉を吐き出すと、ルーカスの手が私の首元から遠のく。

「ゲホッ、ゴホ」

 私は咳込みながら、必死に空気を吸い込む。

「君は……」

 ルーカスは探るようにじっと私を見つめた。私も真っ直ぐ彼を見つめ返す。

 以前とは違い、冷酷そうな雰囲気を醸し出し、少し大人びたように思えるルーカス。その瞳は鋭く、どこか悲しげで深い影が差しているように見えた。いつも何となく決まらない感じだった黒髪は、スタイリッシュに整えられ、以前より引き締まった彼の身体。

 色々と変わったところはあるけれど。

「指輪、まだしてたんだ。ま、私もだけど」

 私はルーカスの左手にハマる金色の指輪に手を伸ばし、自嘲的じちょうてきに呟く。

「ルシア……」

 彼はもう一度私の名前を呼ぶと、私の手を強く握り返してきた。

 その瞬間、かつてしていたように、私とルーカスの間にお互いの魔力が自然と流れ込み、溶け合う。

「君は」

 ルーカスが私の体の上に崩れ落ちてきた。そして私の体に抱きつくようにして、小刻みに体を震わせる。

「ルシア、ルシア、ルシア……」

 苦しそうに、悲しげな声で私の名を連呼するルーカス。

「何が、あったの?」

 戸惑いつつも、私は問いかける。するとルーカスは私の問いには答えず、私の肩口に顔を埋めた。

「会いたかった」

 そう囁き、私の体をぎゅっと抱きしめる。

「ずっと俺が食べたんだと」

 馴染みある「僕」ではなく「俺」呼びなルーカスに寂しさを感じつつ。

「私は美味しいから、簡単には食べられるわけないじゃない」

 口を尖らせた私は、そっと彼の背に腕を回す。

「……ルシア、だ」

 ルーカスは確かめるように呟くと、顔を上げ再度私の顔を見つめた。

 言いたい事はたくさんあるし、込み上げる恨みのような気持ちも抱えている。けれど、今この瞬間だけはルーカスと再会出来た喜びが私の中で勝った。

「心配させないでよ」

 ずっと言いたかった言葉をルーカスに笑顔で告げる。するとルーカスは涙をめた目を細め、私を再び強く抱きしめたのであった。
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