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くすぐられるのを恐れたワタシ
しおりを挟む夜の道場。
皆が眠りについたあと、ひとつだけ灯の残る間があった。
蝋燭の光が静かに揺れ、心の揺らぎをそのまま映している。
その中心に横たわるのは、菜々だった。
四肢は静かに結ばれ、肌にはなめらかな修行着が沿う。
その絹が、彼女の呼吸とともに胸に寄り添い、汗ばむ首筋に優しく触れた。
「師範……私も、まだ届いていなかったのですね……」
菜々の瞳は、伏せられたまま潤んでいた。
修行を導く立場でありながら、どこかで「くすぐられること」を恐れていた自分に、ようやく気づいたのだ。
それは指導者としての威厳ではなかった。
ただ、己の“奥底”をさらけ出すことの怖れ――
笑ってしまう無様さ、涙をこらえきれない心のざわめき、
そのすべてを、彼女は避けてきた。
けれど、もう……逃げない。
「お願いします……私を……導いて……」
──その声に応じて、三人の弟子が現れた。
月乃、静流、そして紗英。皆、菜々のもとで修行を積んできた者たちだった。
月乃が、そっと菜々の足首を撫でる。
絹の上から、指先でそよ風のように。
「最初は、目を閉じて。自分が笑いたくなる、その一瞬に気づいてください」
菜々は、身を震わせた。
「ん……くすぐっ……ふっ……」
静流が、菜々の両脇に手を添えた。
指先ではなく、掌全体を使って、くすぐるのではなく包み込むように撫でていく。
「笑っていいんです、菜々さま。声を出して、あなたの呼吸とともに、心を吐き出してください」
「うふっ……くふっ、ふ、っふふふ……っ、ふぁっ、あっ、だめっ、だめ……くふふふっ……!」
菜々の身体が震える。
笑いが止まらない。けれどそれは、乱れではなかった。
笑いが、感覚とともに、彼女の身体をほどいていく。
緊張、羞恥、見せたくなかった弱さ──
それらすべてが、くすぐったさという甘やかな浄化で、昇華されていった。
紗英が、そっと首筋へと指を添えた。
「ここは……菜々様の弱点ですよね」
「っひ……や、ああ、くすぐった……だめ、っあっ、あはっ、あはははははっ!」
声があふれる。涙が滲む。
それでも菜々は、意識を手放さなかった。
彼女は今、笑いながらも、どこまでも透明な意識の中にいた。
自分の笑い声が、やがて風の音のように聴こえ、
くすぐられている肉体が、宇宙の波に漂う舟のように感じられていく。
「私は……笑ってる……でも、いま、一番……静か……」
目を開くと、涙でにじんだ視界に、蝋燭の火がひとつ、揺れていた。
それは、彼女の魂の火だった。
弟子たちは静かにくすぐる手を止め、絹衣を直してあげる。
菜々は、まだ笑いの余韻を残しながら、微笑んだ。
「ありがとう……私、ようやくここに来られた気がするの」
そして心の中で、ひとことだけ呟いた。
――“くすぐったさ”は、私の敵ではなかった。
それは、私の中にある“最も無垢な部分”。
触れてほしかった。赦してほしかった。
やっと、笑える自分を、好きになれた――。
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