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二十五話 レイ

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 「……はぁ」

 うろうろ、うろうろ。黒短髪長身の男子は落ち着き無く治療室の中を彷徨く。
 首元には白銀のチョーカー。青の瞳には憂いを浮かべ、また一つ溜め息を吐いては、ベッドの上の少女へ言葉を投げ掛ける。

 「早く起きろよ、ばか……」

 常に苦しげに上下する、華奢な女体の下腹部。
 そこに刻まれた妖しげな紋様は、病衣越しでも分かる程に、未だ煌々と赤く輝いている。

 何でだよ……。

 美丈夫は俯き、その小さな手を取って包み、握った。

 何で、ボクだけが起きてるんだよ……それも、お前の身体で……!



 かの一件により、事態は混迷を極めた。
 犠牲者約十数名。人的被害の殆どは邪法の生贄による物で多くは無かったものの、少なからず名も無き魔術の才ある者達が犠牲になったのは国にとっても痛手であり、大きな反響があったという。

 尚玄霧は朱馬の後ろ盾の下、当事件に関する情報のほぼ全てを掌握、制御し、伏魔以蔵の失態と失踪という一点だけを国上層で取り沙汰す事に成功。
 戦兵派側の権力に空いた一時の大きな空白の下椅子の奪い合いが起き、権力者達の盤上は大いに荒れた。

 その間、対岸の生誕派は躍進。大局を握るかに思われた。
 が、一件の中心人物達が無事では済まなかった事から、大元の問題は先送りにはされなかった。

 玄霧領内にて、帰還した種子と母胎は数日昏睡の後、種子のみが先んじて意識を取り戻す。

 「にいさま……!」
 『とおさま、にいさまがお目覚めになられました……!』
 「っ、チハヤッ……!」
 「……ぁ?」

 なん、だ……?
 
 「……? どうしたんだ……?」
 『にい、さま……?』

 それはなんと種子の肉体で目覚めた、母胎側の意識であった。
 専門家弟のハルキ曰く、原因は母胎側の刻印術式の誤作動。幾重にも編まれた複雑怪奇な状況故、詳しい原理は特定不能との事。
 程なく親族は気付き、体外的な対策を講じたものの、やはり主たる人物を欠いては事は進まず。全体を通じて二の足を踏む事を余儀無くされた。
 
 「っ、本当に、申し訳御座いません、玄霧名代っ……ボクは、ボクなんかがっ」
 「いいんだ、大丈夫、大丈夫だ。落ち着いて────」

 

 そうして数日経ち、現在。
 チハヤとして暫し過ごした少女は、葛藤していた。

 熱感に苛まれない筋肉質で硬質な感触。久しく無かった股下の存在の安心感。高い目線。低く落ち着いた声音。
 逞しい男子の肉体は、穢され尽くした少女の物とは異なり健全そのもので、一切の鈍重さ無く動く。
 精神に課せられた手脚の不自由は解けない為万全とまではいかないものの、圧倒的に快適で、喜ばしく思わずにはいられなかった。

 しかしながら、それは罪悪感の上に成り立つ物。そして何より、無二の理解者を失ってまで手に入れる物では無い。
 やがて純粋に、目覚めを願う様になっていた。
 語り掛ける程に強く、強く。

 「起きろってばっ……!」
 「……んだっ」
 「っ⁉︎」

 少女の重そうな瞼が徐に開き、掠れた高い声音が微かに漏れた。
 低い男声が期待に弾み、大柄な身は前にのめる。

 「チハヤっ、おまえ、だよなっ……?」
 「ああっ……っ、これはっ、はぁっ、なるほどっ……」
 「成る程ってなんだよっ! しっ、心配させやがって」

 彼の意識は、目の前でコロコロと表情を変える有り得べからざる己の姿を捉えた。
 所作の端々から滲み出る、素行の悪さと妙な愛嬌。気恥ずかしく、直視に耐えず直ぐに視線を逸らす。
 しかし更には尋常では無い淫熱に爛れた柔い身の重怠さと、慣れない甲高い声が己の喉を通る様を実感し、それを一言の深刻な感想に纏めた。

 「っ、キツいな……色々な意味で……」
 「どういう事だよぉっ⁉︎」

 閑話を挟みつつ、二人は情報を共有し精査する。

 「そうか、やはり影武者の線が濃いか……」
 「ああ、鑑識の結果は案の定別人だったよ」

 早晩判明した事だった。用心深いかの怪物は、今も何処かで生きている。
 されど、収穫が全く無い訳では無い。

 「とはいえ当分、表には出て来れまい……」
 「証拠はしっかり握らせてもらったからな」

 彼に雇われ手を貸していた主力女衆、ハルノミヤ。重要参考人のキクチ。そして、国家指名手配犯ヘルゼン。
 チハヤの獅子奮迅の活躍により、三名の確保に成功。内ハルノミヤが尋問に応じて此方側の陣営に下り、玄霧は伏魔並びにその系列にいざとなれば切れる手札を手に入れた。

 「あの、お前と少なからず因縁があるとかいう女衆は……」
 「一命を取り留めたよ、しぶとい奴ばかりだよな全く」
 「どうする、つもりだ?」
 「別にどうもしない。ケジメは、つけたつもりだ」

 伝文のみの謝罪に、彼女がどう思ったか。
 知る必要も無いだろう。これ以上の不幸な交わりは、お互いの為にならない。

 「……そうか」

 少女は心の底から敬意を表し、感謝を述べる。

 「お前のお陰だ。本当に有難う」
 「礼は良い。このザマだからな……」
 「それでもだよ。というかボクに損がないだろうがこんなの、救われてしかいないし……」

 礼をしてもし切れない。一生掛かっても返せない程の恩が出来てしまった。
 対等で有りたいと言っていたのに、情けない限りだ。
 自覚し、俯きながら尋ねる。

 「なあこれ、どうやったら元に戻ると思う?」
 「……ふっ、なんだ? 戻りたいのか……?」
 「戻りたい訳じゃ無い、お前を戻したいんだよばか……でないとお前の家族に、顔向け出来ない」

 伏し目な様子を見て、チハヤは揶揄った微笑みを止めて言う。

 「はぁっ、そうだな……お前のこの、下腹部の刻印に集まった魔力が一度切れれば、戻るんじゃないか?」
 「んな当たり前の事考えてない筈無いだろ! 一体、それにいつまで掛かると思ってんだよ……!」

 解除手段の分からない常態術式は供給魔力を断つ。
 余りに単純で明快な手だ。それが非生物触媒の上であるならば。

 「お前と俺を合わせた魔力供給で作動した術式だ……下手をすると、解ける頃にはお前はもうこの世に居ないかもしれんな」
 「笑えねえよ……」

 術式として成立した物には入り口があっても出口は無い。解析し、口を作らなければ動力たる魔力の排出すら不可能である。
 故に解析不能術式は供給がある場合は絶ち、無い場合はそのまま放置する。物の場合はそれで良い。
 しかし生物の場合は十割型当人が供給源であり、断つという事はつまり、暫しの仮死状態に入る措置の実行を意味する。

 今回の場合、現実的な手段とは言い難かった。

 「一応実行した魔術は術式共有の筈だよな? ……ったく、何で解析不能のゲテモノを共有なんか……」
 「っぁ、くっ……」

 少女が思慮を巡らせた途端、チハヤが俄かに苦しみの声を上げた。
 「っ! どうした⁉︎」と心を寄せたのも束の間。横たわる小さな身体のその股下、清潔なオムツの中に暖かな濡れ染みが広がっていく。

 原因は常に苛む熱感と、会話と思考に気を取られていた事。膀胱の切迫に、気付かなかった。
 事前のケアに救われているとはいえ、彼は今は愛らしきその顔貌を恥辱と絶望に歪め嘆く。

 「…………世話人を、呼んで来てくれっ……」



 一先ず、彼の意識が戻ったという朗報は内外問わず好意的に拡散。
 家族は無事を喜び合い、国は最優の魔術師の生存に安堵した。

 しかしながら情勢が大きく変化する事は無く、両人に求められる物も、その猶予も変わらない。
 更には奇妙な事態が、二人の間に俄かに波乱を呼ぶ。
 
 「はぁっ……んっ、ぅっ、っ…………!」
 「……おい」

 更に三日後。蒸し暑い夜。
 チハヤとして執務を熟した少女が身支度を終えて寝室へ向かうと、ベッドの上、淫らな肢体を持て余し、自らの手で擦り回し耽溺する者の姿があった。

 「ぁっ、っ、ぐっ……」

 少女の視点では彼が目覚めた日以来の逢瀬である。
 時間と機会が合わず、暫く姿を見なかったかと思えば急にこれだ。
 驚愕し、少しばかり声を荒げずにはいられなかった。

 「おいっての!」
 「っ…………!」

 気付いた紅の瞳が見開かれた後、バツが悪そうに逸らされる。
 鈴の音の如き女声は暫し言葉に詰まって、それから開き直り、可能な限り低く抑えた声で静かに発した。

 「……分かるだろう?」
 「ああ、そりゃ、まあな」

 自分と違い、彼は両手足が自由に動く。抗い切れなければ、当然こうなってしまうだろう。
 赤みを帯びだ絹肌の嫋やかな曲線。香る、甘い女の媚臭。
 変わり果てた元の己の姿が酷く艶やかに映り、肉体の男の部分が反応する。

 「っ、悪い……ちがうんだ……本当に、悪かった……」

 対し彼は反省し、散々な今日一日を反芻しながら俯く。

 酷いハプニングだが、これも少女への理解を深める機会。そう思い、彼はカゾノとシスイに頼み込んで、相手の気付かぬ所で敢えて同様の一日をなぞろうとしていたのだ。
 しかし結果は散々どころか悲惨であった。少し動くだけで芳しい匂いが鼻腔を擽り、擦れた箇所が甘く痺れ、如何わしい気分にさせられる。薬や装具に頼っても使用人としての仕事はおろか、歩行すら困難だった。

 ────アイツは、こんな中で正気をっ……!

 「っはぁっ、っ……!」
 「チ、あ、ええと、チハヤ様っ⁉︎」
 「カゾノっ……! 頼むっ、誰にも、見られない場所をっ……!」

 用を足す事も、シャワーもままならず。淫欲に負けて、自慰を覚えて。
 殆ど一日中、肉欲に溺れてしまった。

 ギブアップのつもりで、詫びるつもりで自室に帰った。
 それでまたこの始末。彼は自分が恥ずかしくて、堪らず謝りながらも、言い訳がましく口走ってしまう。

 「本当に、まさか、ここまでとはっ……⁉︎」

 雄々しき身体が吸い込まれる様にして華奢な女体に向かい、覆い被さった。

 「うおっ⁉︎」
 「っ……はぁっ、やっぱダメか。上手く動かない」
 「お前っ、今何しようとしてるっ……⁉︎」
 「そりゃ、いつもの仕返し」

 動作手段そのものを欠落した精神は、やはり自由に動かす事ままならない。
 愛撫を行おうとしても未学習の動作に首輪は反応してくれず、相手の無い竿を弄ろうとしてしまう。
 手は使えない。なら、どうするか。

 「待てっ、其方は良いだろうが、しかし此方はっ……!」
 「ふんっ、いつもボクが味わってる屈辱を、この機会に味わえっ!」

 代わりとして口が使われ、乳汁でシミの出来た寝巻きの胸元、乳房の先を甘く食み、快感を与えた。
 その刹那。

 『はんっ!』

 男女の声が重なって、部屋に木霊した。
 
 「はっ……あ?」
 「……っ?」

 二人、特に少女側は当惑する。
 確かに今、チハヤの身体に精神を置いている筈。
 それなのに、乳房を舐った瞬間に同じ場所を舐られたかの様な感触がして、跳ねる程の快感に襲われた。

 「……言えた事じゃないが、何故俺の身体で、変な声を」
 「ち、ちちちげーし! このっ」

 もう一度。確かめる様に口を付ける。
 すると『んっ、っ……?』と先程同様、反応が被った。

 「っは、なんだよ、これっ……?」
 「……口の中が、甘い?」
 「おまっ、まさか……」

 感覚が繋がっている。
 双方の頭脳は、ほぼ同時にその結論に至った。

 「条件は何だ? 触れ合ってる事、なのか?」
 「はぁっ……恐らくは、そうだろう……」
 「くっ、やばっ……!」

 男体は狂おしき淫熱の切迫を感じ、その身をベッドの上で転がして距離を取る。
 最中、「こうなる気はしていた」と、少女の声でチハヤは呟き、離れ行く背の裾を掴んだ。

 「術は常に起動しているんだ……はぁっ、ならばあの時と近い状況を再現すれば、或いは……」
 「お前っ、分かってたんだなっ、コンニャロー……!」
 「ああ。この俺が、自分で行った術を全く把握していない、なんて訳が、ないだろう……?」

 細い腕が伸びて、大柄な肩を捕らえた。
 極小なれど的確な力で引いて、倒して、ベッドに背を付けさせる。
 仰向けになった、今は自分の物では無い身体。彼はその上に、ひょいと跨った。

 「んなっ⁉︎」
 「実を言えば……あの時行った術式共有。わざと必要な範囲以上に行った」
 「何でっ」
 「理解したかったからだ、お前を」

 はぁ、はぁという互いの吐息が同調して、より速く、昂まっていく。

 「っ、分かったっ、その身体のせいで、おかしくなってんだなっ、なあっ」
 「何故逃げようとする? 其方から先に歩み寄った癖に」

 少女の身体は相手の服を捲り上げ、鍛え上げられた分厚い胸板に倒れ込んだ。

 「俺はもう、隠していないぞ」

 汗ばんだ肌と肌、鼓動まで重なり、景色が揺らぐ。
 周囲の音が遠ざかり、真っ白になり、二人が発する音だけが響く。
 触れ合った箇所が熱く蕩けて、一つになる。剥き出しの感情が交差する。

 「どうにも、好いているんだ。堪らない程に」
 「やっ、やめろっ……」
 「伝わっているだろう? 言葉以上に」
 「分かったっ、分かった、からぁっ」
 「元男だからどうとかでは無い。お前だけなんだ。俺と対等に並び立てる者は」
 「っ……ばかやろっ……」

 互いの孤独の輪郭をなぞり、互いに知った。
 両者の穴は、共に埋め合えると。
 心同士が溶け合って、そして。愛と呼ぶに相応しい姿を象った。



 翌朝。カーテンから差し込む祝福の如き光の膜の下。

 「んっ……」
 「っ……ふっ」
 
 深く重怠くも、それ以上に心地良い疲労感の中、二人は元の身体で目覚めた。

 「何を笑って……ぁっ、元に、戻ってぅっ……!」

 唇が改めて重なる。互いが別の存在であるとはっきり分かった状態での、初めてのキス。
 不快感も抵抗感も無い。微睡みのまま舌を絡め、昨晩の感覚を呼び起こさんと求め合うそれが、互いの身体に残る激しい愛の痕跡を浮き彫りにしていく。
 双方頭がはっきりする程に徐々に羞恥が込み上げ、時を同じくして慌ててちゅはっと離れた。

 「っ、おまっ、お前なぁ~っ……!」
 「くっ……何だ、これはっ……!」
 「お前がやったんだろがっ!」
 「いや、これはお前が……って、そこを論っても仕方ないだろう」
 「っ~~~~……! ぁ~~~~……!」

 少女の羞恥の悶絶が木霊す。
 刺激にふやけ、微かに痛む各局部もさる事ながら身体中、特に首筋と胸の横辺りに大量に残ったキスマークがむず痒くて、堪らず身を転がしくねらせる。

 「……ふっ、ははっ」

 チハヤもまた、同様に残る赤みの刺激に全身の皮膚が裏返るかの如き掻痒を覚えつつも、その様を見て笑い、目の前で転がる肢体を後ろからそっと抱き寄せた。

 「ふぁっ、っ……なんだよっ、この、恥知らずっ……!」
 「そうだなっ、俺達は恥知らずだ」
 「んっ、ボクを含むんじゃっ……んんっ、待てっ、そのっ、やさしく腹を抱くのやめろっ……!」

 この時、二人は感じていたのかもしれない。
 下腹部に感じる、新たな命の予感を。

 「なんかっ、へんになるっ……!
 「ああ、なってしまえ存分に。大好きなんだろう? これが」
 「こっ、このサディストめっ……!」

 そうして一頻り乳繰り合い、ただ肌を重ね合って、落ち着いた頃。

 「……なあこれ、シャワーどうする? 浴びたくなってきたんだけど」

 少女は、その身のベタつきが流石に気になり始めてしまい、彼に苦言を呈した。
 臭いも少し落ち着きや情欲を齎す限度を超え始めている。予定だってある。いつまでも抱き合っている訳にはいかない。
 が、そこには問題が。

 「そうだな、魔法が効いているとはいえ夏場だ。少しキツくなってきた。行こうか」
 「色ボケしてポンコツになったのかぁお前っ、このキスマークだらけのどう隠すんだって言ってんだよ」

 かくも余裕が奪われていたとは。二人はその点に関してあまり考慮していなかった。
 一応チハヤは思い付き、ベッドの下やクローゼットを漁り始める。

 「ああ、それならハルキから没収した透明化迷彩膜が…………ってあれ、何処にしまったか……」

 その様にはいつものキレが微塵も感じられなかった。

 「おいおいしっかりしてくれよ……」
 「まあ仕方ない。タオルを巻いて……」
 「バレバレじゃねえかっ!」
 「何故だ? 跡が見られなければ良いだろう? それに行為に及んだ事は寧ろアピールした方が」
 「ボケなのか冗談なのか分からないけどお前のそういうとこ嫌いっ!」
 「そ、そうか……」

 オマケに叱責を受けると、美丈夫が弟君そっくりの仔犬の様な表情に。
 前々からその気配はあったが、よもや、チハヤが心を許すとはこういう事なのか。
 嬉しいやら、残念なのやら。

 「ガチ凹みもやめろっ! 面倒臭いなぁ……」
 「…………」
 「あーもう言い過ぎた悪かったから、頼むから、元気と知性を取り戻してくれ」
 「……なら、名前で呼んでくれ」
 「本当にどうしたお前」
 「お前でなくチハヤと呼んでくれ。俺も……何と呼べばいい?」
 「聞くなよ……はぁ」

 少女は仕方ないなと一つ吐息を吐いて、暫し瞳を揺らした後、憑き物が落ちたかの如くふわりと、優しくはにかんだ。

 「レイ、でいいよ」
 
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