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二十四話 救合
しおりを挟む幸せな夢を見た。
チハヤの腕の中、ただ共に語らう夢を。
話す内容は取り留めが無くて。
魔法の事だったり、家族の事だったり、兎に角何でも無い話をしていた。
そこに居るボクは、何でもない、最初から普通に生まれた、普通の女の子で────
ぶちり。千切り取られる様な痛みと、抉られる様な快感で、朦朧とした現実が交差する。
「おおぉ、馬鹿な事したねぇ」
「はやくしなさい! ──で、主様の元へ────」
「あぁ──わかったよぉ、人使い荒────」
聴き覚えのある口調。白衣の背から伸びる機構腕に掴まれ、乱暴に揺られる景色。
直ぐに薄れて、消えて。元の幸せに戻る。
「どうしたんだ?」
「? 何でもない、けど……」
「けど?」
違う。こんな幸せは存在しない。
ボクは罪に塗れた男だ。
勝つ為に人を蹴落として来た。
こんな、無垢な幸せを享受出来る人間じゃない。
人間、人間かどうかも怪しい。人を好き勝手に上書きして、操ってきたんだ。
我は、ボクはきっと────
何処かの屋敷の、幅の広い廊下で。
魔力で浮遊する、献上品用の装飾が施された荷車の上。その柔和な肢体を鉄のベルトの様な物で乱雑に縛り上げられた白銀髪の少女が意識の無いまま揺られ、運ばれていく。
その横を歩くは黒髪長身の女。黒の瞳の奥、狂気の光を爛々と揺らし、主人の下へと急く。
やったぞ、やった。
結論として、彼女はあまりに呆気なく手に入れてしまった。親の仇を、自由の鍵を。
出来る事は全て行った。媚び諂い、身に余る権限を得て、全てを総動員した。
その結果引き寄せた幸福だ。文句はあるまい。そう信じ込み、双眸を完全に曇らせていた。
耳元の通信機器から次々報告が舞い込む。中には女の独断専行を書き下ろす声もある。
その声音は一切彼女には届かない。
脳裏に浮かぶは、失われし令嬢時代の満ち足りた幸福ばかり。
胸に抱くは、裏切り者の汚名を着せられ、無念に終わった父の思いと、自身が被った不幸への際限無い怒り。
これで、終わる。報われる。
目的の扉の前に立ち、押し開く。
出迎えるは、相も変わらぬ湿度の高い淫臭。
侍る女達に囲われ、垂れ幕の向こうに鎮座する巨漢のシルエット。
「おや、来ましたか」
「お目通り願います、フクマ様」
女は懐から極小端末を取り出すと長身を折り畳み、頭を垂れる。
巨漢はベッドの上で座したまま問う。
「ふむ、それは?」
「はい。此方、ご所望の物で御座います」
下げた頭が、相手を伺う様に微かに上がる。刹那、不可視の速度で飛んだ魔力の圧が彼女を扉の遥か後方へ吹き飛ばした。
異物を吐き出した伏魔殿の口は微かな血痕を残して閉まり、その主人は静かに憤る。
「まさかそこまで成し遂げるとは思いませんでしたよ」
所望していた物はただ一つ、台頭著しい玄霧が企んでいるとされる計画の情報のみだった。
それを捨て駒に過ぎなかった彼女が届け、あろう事か時期尚早で不相応な土産まで寄越すとは。
裏で蠢く、かの蛇女の存在を感じずにはいられず、彼は苦虫を噛み潰す。
「お喜びで無いのですか……?」
侍る女の一人がふくよかな尊顔を見上げ問うた。
彼はそれを一瞥し、鼻で笑う。
「駒の勝手な行動が齎した物ですぞ? 手放しに喜べた物ではありませんな」
万事順調に事が運べば、労せず合法的に手に入る筈の切り札。
それが、思いもよらぬ一手で転がり込んでしまった。短絡的に考えればこれ以上無い幸運と呼べなくも無いが、常に万全を期し、確実に物事を進めていく性分の彼に見える視点は別。
「それもあろう事かこれ見よがしに献上するとは……早く抱えておけば良いという物では無いのです。まったく、一気に難しくなりましたぞ」
苛立ちを隠さず、擦り寄る侍女を「どけ」と足蹴にしてベッドから降り、天幕の向こうからローブに包まれた全身像を露わにすると、荷台の上の少女の元へ歩み寄った。
至近距離、値踏みする様に睨め付け、白色の指輪がめり込んだ太い指で弛んだ自身の顎を弄りながら思案する。
「一度こうなってしまった以上、勝負に出る他ありませんかねぇ……」
その時、苦しげな吐息と共に少女の紅の瞳が徐に開かれ、彼とかち合った。
柔軟で小さな薄紅の唇から言葉が絞り上げられる寸前、首元の輪が光り、喉を締める。
「かっ、ぁっ……!」と顰められる童顔。ふくよかな顔面は、それを見ても顔色一つ変わらない。
「はてさて、どうするべきか……お伺いしたい所ですな、ドクター」
裸体に巻き付いた拘束具の丸い箇所から『おやぁお気付きでしたかぁ』と気の抜けた女声が発せられ、続けて下卑た意見が述べられる。
『状況は概ね把握されてらっしゃると思いますしぃ、今ワタクシが述べられる事でしたら、“どうぞ、時間の許す限りお楽しみ下さい”としか』
「おや、良いんですかな?」
『此方手が離せなくて、暫くは施術に入れませんしねぇ……』
「そうですか」
『あ、少しばかり注意点が、ぅっ、ちょっ、本気でキツいのでまた後でぇ! 宜しくお願いしますぅ!』
末尾は少々慌ただしく切れた。
同時に首締めが解かれ、少女は咳き込む。
「っはっ、ぁ゛はっ、ぇ゛ほっ」
「さて、積もる話はありますが……今はレイ、でしたかな?」
男はその乱れた白銀の前髪を払い撫で、頬に手を添え言う。
「随分と美しく成長なされましたなぁ。文字通り、見違えましたぞ」
なんなんだここはっ……こいつはっ……!
不快感に耐え兼ね、少女は相手に唾を吐き、「クソくらえ……!」と口走った。
刹那、下腹部が発光し、その身は強制的な絶頂に晒される。
「ぁっ、ふぐっ、ぅ゛っ、っ゛っ……!」
「ほほっ、口の悪さは相変わらずの様ですがな」
歯を食い縛り、相手を睨め付け必死に堪えているが、身体は痙縮し、股座からは小水が漏れ出て荷台に水溜りを作っていく。
ただ、そうなる事が分かっていながらも、悪態は止まらない。
「くそっ……くそっ、ぉ゛っ、っ゛! んっ、ぉぉ゛ぉっ!」
「ペナルティを押してまで言う事ですかなそれは」
「っ、だまれっ、さわるなっ……きもちわるいっ……!」
咽せ返る様な催淫香の香り。自身を性の対象として見る卑しい視線と手付き。集まる侍女達の興味と嫉妬が混濁した衆目。
激しい屈辱と嫌悪を前に、こうでもしていないと気が狂ってしまいそうで。少女はひたすら震える身を機械的絶頂で誤魔化し、潤んだ瞳で睨み返す他無かった。
「ほっほっほっ、いやしかし面白い。生意気な態度も、ここまで印象が変わりますか」
「男だってしってるだろっ! この好色じじぃっ、っぐっ……!」
なぞる様な指先の動き一つで、キツく締め上げていた拘束が解かれる。
露わになったのは、くっきりと浮かんだ圧迫による鬱血と刻まれた淫紋の痛々しい華奢な裸体。
鬱血の方は目に見えて異常な速度で消え失せど、間も無く力無く倒れ、男の太い腕の中に落ちた。
「否定は出来ませんな。男色も嗜んでいる身の上故、性別に関しては特段の問題ではありませんが……」
軽々抱き上げられ、あっという間にベッドの方へ運ばれる。俄かに反り返って抵抗するも、まるで意に介されず。
シーツの上に投げ出され、柔い喉笛から「ひぁっ」と甲高い声音が上がり、豊かな乳房は揺れて先から乳白色の汁を滴らせた。
香る小水混じりの芳醇な雌臭。二回り以上小さな女体の上、巨漢は体躯相応の反り勃ち脈打つ巨根を、ずっしりと重い玉袋ごと乗せて見せ付ける。
「こうして面と向かうまでは全くそそられ無かった自分が今、これ程までに昂っている」
「ぅ、ぁっ……」
「味見せずに壊すには惜しいと、そう思ってしまいました。気が変わりましたよ」
脂肪の多い上半身の肉塊が覆い被さった。
太指は濡れそぼった秘部に這わされ、空いた広い掌は乳房を丸々包み、大きな舌が薄紅の唇の中へ滑り込もうとする。
「っ、ん゛っ⁉︎」
脳天を貫く様な快楽電流に細腰は仰け反った。
しかし、唇は硬く結ばれ、侵入を許さない。
いやだいやだいやだっ! やめろおおぉっ!
「ん゛っ、んんっ、んんん゛っ……!」
硬く閉ざされた花弁を解さんと、卑猥な責めは暫し繰り返される。
陰唇から蜜が溢れ、陰核は痼り、淫らな水音が激しくなっていく。
が、紅の瞳をギュッと瞑り、少女は健気に耐え続ける。
ちがうっ! ぜんぜんちがうっ! あいつとぜんぜんっ!
かの御曹子の愛撫。意図せずそれと比べていた。
感触が違う。欲望塗れの手付き。快感に狂えど、彼の時とは違い身体は操を明け渡す事を拒む。
嫌悪感が違う。清潔さに欠け、生理的に受け付けられない。彼の時は内に向いていた拒絶心が、ひたすら醜い相手に向けられる。
幸福感が違う。認めたく無いが、彼に触れられると悦び、満たされていた物が、今は寧ろゴリゴリと削られている。
だからっ、ちがうからっ、かんじるなっ……かんじるなよおおぉっ!
「ん゛んんんっんん゛んんんっ!」
迎えてしまった絶頂も噛み殺し、食い縛った。
一時唇への蹂躙は止み、脂ぎった顔面は離れていく。
「っ、うーむ、下の口は従順ですが、上は頑なですねぇ……」
と、そこへ唐突に「お手伝いさせて下さいご主人様……!」と、正気を欠いた女声か割り込んだ。
同じ様な声が、続け様に周りから一つ二つと上がる。
「おやおや」
気付けば、ベッドは荒い吐息の侍女達に囲われ、女肉の囲炉裏が出来上がっていた。
膨れ上がった淫熱は、「仕方ありませんねぇ、上だけなら構いませんよ」という主人の許諾によって一気に燃え上がる。
「んまっ、だっ゛、ぅ゛ううぅっ!」
危険性を知る当人の制止など気にも留めず、最前列の三、四人が蜜に群がる昆虫の如く女体に集り、競う様に二つの乳房を奪い合い、その乳汁を舐り始めた。
うそっ、だめっ、だめだってっ……!
強い刺激に少女が身を強張らせたのも束の間。体液を接種した女達の表情は、ほんの数秒で一層狂乱の度合いを増す。
猛り狂い、興奮し、鼻血を垂らしたかと思えば、退行し、赤子の如く振る舞い始め、尚も少女の柔肌をしゃぶり続ける。
懸念された魔力酔いの症状だ。
それも急性かつ激甚的。奇跡が無い限り、彼女らの人格は今ここで完全に破綻したと言えよう。
「ドクターの忠告しようとしていたのはこれでしょうかねぇ」
「おまっ、なん゛っ、れっ……」
「何故って、貴方が意地を張った結果ですよ」
男は一頻りその様子を観察し、「まあ、問題ありませんな」と呟くと、払い除ける様な手の動きで女達を次々ベッドの外へ吹き飛ばし昏倒させ、今度は己が乳を舐る。
「ぅ゛っ、あ゛あぁっ……!」
「じゅっ、ちゅっ……っ、おぉっ、何と芳醇なっ……じゅちゅちゅっ」
「ふざけっ、っ、く、そっ……っ゛っ! っっ~~~~!」
「っ、こんな噴き出しても飲み切れませんぞっ……」
そしてある程度飲んだ後は、「ふぅ。美味い。力が張る。漲る……」と口元を拭った後、さておきと両手で乱暴に両乳を掴み、宣った。
「今のは良い例だ。貴方が意地を張る度、誰かが犠牲になる。当たり前の事です。まさか、ご理解でない?」
「ぃっ、ぁ゛っ、っっ!」
言ってのけた。とんでもない理屈を。人を人として扱わない振る舞いを以て、堂々と。
それを通して、少女の首を締めんとする。
「責任重大ですよねぇ? 玄霧も、この国の民も。貴方が従順に振る舞うか否かで、運命が決まるのですから」
「ぁ゛っ、ぅ゛ぅっ……!」
邪悪な尊顔が微笑んだ。
小さなうさぎの心は萎縮する。思わされる。これはもう、張り合える相手では無いと、頬に涙を伝わせ、身を震わせてしまう。
「お分かり頂けた様で何よりです。そんなに震えて、可哀想に。逃げたい気持ちも分かりますよ、ほほっ」
こわいっ……? どうしてっ……?
自分が貶められる事ならば、どれだけの物でも堪えられる。それは今も昔も同じつもりだった。
しかし、怖い。かの暖かさを知った心身が素直に反応する。
これ以上穢されてしまったら、見限られてしまうかもしれない。
そもそも、感じる事すらも、触れ合う事すらも出来なくなってしまうかもしれない。
みっともなく思ってしまう。失いたくないと。
……だめ、だっ。
ただそれ以上に、かの心ある者達に危害が及ぶ事が堪らなく怖くて。
脅かされる利己と利他。その双方に押し潰されていく。
知らなかった類の恐怖を知り、少女は絶望する。
“やはり、内面まで軟弱に成り果てたか”
脳裏に浮かんだのは、またしてもいつかの彼の言葉。
最早否定しようが無かった。
「今度は、受け入れてくれますよね?」
小さな身体を破壊しかねない、圧倒的な暴圧が女陰に当てがわれ、頭を一飲みしてしまいそうな程大きく見える口元が目と鼻の先まで迫る。
慣れた手付き、口振りは常套手段である事の証。周囲の女達も、恐らくは。
もう分かったっ……もう十分、分かったからっ……。
これは己の報いだ。ならば甘んじて受けなければ。
念じて、割り切ろうとする。胸が張り裂けそうだ。
自分が痛いだけ。耐えられる。問題無い。問題、ない。
いやだっ……。
冷徹な自己暗示は、どう足掻いても憶えた心の熱に溶かされる。
もう、いやだっ……。
堪え切れない。感情が溢れる。
瞼を強く瞑り、心の内、少女は初めてはっきりと、一人の人間に助けを求めた。
おまえのせいで、もうむりなんだっ……だからっ、たすけて……たすけてよチハヤっ……!
刹那、大量の魔力が下腹部に集まり、淫紋が発光する。
「むっ、何ですか」
が、男の掌に触れられると、直ぐに霧散。
同時に絶頂反応に襲われ、少女は声にならない悲鳴を上げた。
「そういえば、感情の昂りに伴う暴発があるとか何とか言っていましたね」
そう、だよな……だめ、だよな……。
諦観の帷が降りていった、その時。入り口の扉がぶち破られ、轟音と衝撃波が伏魔殿を駆け抜けた。
「っ……! なんですっ……⁉︎」
インテリアや布の類が豪風に舞う中、落ち着きに満ちていたふくよかな顔面が風圧と動揺で崩れる。
ただ巨躯は倒れず、その場で片膝を立て一つ踏ん張ると、その身に緑色の魔力の光を纏い身構えた。
風が静まる。
尚も大気を震わす、圧倒的な圧力。
何奴という彼の分かり切った疑問も、瞬く間に吹き飛ぶ。
(想定より一時間お早い……抜かった上、ツキも無かった……直前の暴発未遂で、感知が遅れた)
激しく揺らぐ景色のその向こう。床から数段上の宙空で佇む、長身男子の影有り。
その身から立ち昇るは、青の焔。合わせて黒の短髪が、身に纏う破れたワイシャツが、スーツのズボンが逆立ち、青い双眸が力強く輝いている。
玄霧千隼。その人の、荒々しい参上であった。
「ほっほっほ、お待ちしていました」
巨漢は余裕を繕い、彼を見据える。
視線の先、いつの間に奪い去ったのか、その両腕には姫抱の形で少女が抱かれていた。
(ハルノミヤ、ドクターの報告は……ありません、か)
「一瞬何方か分かりませんでしたよ。随分と野生味溢れるご登場でっ」
言葉を投げ掛けた途端、魔力の圧が飛び、重い身体が達磨の如く後方へ転がされる。
「口を開くなこの汚物が」という殺意の籠った一言。それだけで、肥満体は潰れる様な圧を味わう。
「っ……これまた一段とっ……」
最中、彼の腕の中。少女は目を開け、瞬きながら「おまえ、なのか……?」と美丈夫に問いかける。
返事は返らない。代わりに今一度強く抱き締められた。
「っ、いたっ、くるしいっ……!」と声を上げると、今度は多分に籠った怒りを泥濘の中に沈めたかの様な、低く静かな声が返る。
「少し我慢していろ。すぐ終わる」
「ばかっ、おまえっ、なんでっ……!」
二人の会話は、部屋床から湧き出す大規模な緑光によって遮られた。
「あっ……⁉︎」
「青い、甘い、拙い、ですねぇっ……!」
チハヤの青い光が、一瞬にしてそれに飲み込まれる。
涼しい表情は変わらない。が、浮遊していた長身は少しずつ地に沈んでいく。
「っ……」
「おいっ、チハヤっ、こらっ……!」
それに反比例して、地に伏せっていた巨漢は起き上がり、言葉は威勢を取り戻す。
「ふぅ……もう少し聡い者だと思っていましたが、まさか単身乗り込んで来るとは思いませんでしたぞ」
緑光の元は、周囲に転がる侍女達からだった。
微かに上がる呻き声と共に、彼女らの身はどんどん痩せ細っていく。
「邪法か……属性は、風化と腐食か? っ、何処までも、醜悪なっ……」
「奥の手です。飛び込んで来たから使ったまで。卑怯とは言わせませんぞぉ」
光の集約はより高まり、彼の逞しい肉体がミシミシと音を立て始めた。
いよいよ「ぐぅっ……!」と苦悶の声が上がる。が、少女を抱く腕は強く、その身を離さない。
「おいばかっ、はなせっ……! カッコつけといて、これはないぞっ……マジメにたたかえっ……!」
「っ……ダメだ、今離せば、お前が潰れる」
「んなのどうでもっ、っ!」
より密着され、女声は言葉を失う。
重なる、速くて荒々しい鼓動。体温が熱い。こんな時なのに浮ついて、上気してしまう。
「ふぅ……ほほっ、チハヤ君。それどころでは無いでしょう? このまま後一押しすれば、君の脊椎の方が侵されて、ポッキリいきますぞ?」
そんな心胆を、悪戯で冷酷な一言が寒からしめる。
「そのまま次は魔力経絡を、そして次は精神を……侵し腐らせて差し上げます。一息に、一瞬で」
出力が上がる。空気が、チハヤの奥歯が軋む。
「どうですかな? 降参すれば、精神の自由は保障致しますが」
「ぬかせっ……」
「チハヤっ……!」
彼は名前を呼ぶ少女の耳元へ、「静かにしてろ……」と囁いた。
(まだだ……深く、もっと深くっ……!)
(おまえっ、んっ、まさかっ……!)
「そうですか……残念です」
巨漢はその拳を握る。
パキンッ! パシッ、ピシッ!
何か不快な音がして、チハヤの逞しい身体から力感が失われ、だらんと少女を下敷きに床に落ちた。
呆気ない結末。ふぅっと一つ息を吐いて、男は脂ぎった額を拭う。
「はぁ、嘆かわしいですなぁ。かつての両雄が、このザマとは」
緑光が失せた、その刹那。寄り添う二人を中心にして、爆発的な魔力の波動が生じた。
立ち上がる、青と紅の焔の渦。混ざり合い、溶けて、七色の白光の柱となり辺りを照らす。
「んなっ⁉︎」
閉じた糸目が驚愕に見開かれる中、少女を胸に抱き、「はぁっ、はぁっ」と荒く息を吐きながら、チハヤは立ち上がった。
異様な光景。密着する両者の呼吸の感覚と質はまるで同様であり、単一の生命の様。
双方瞳はとろんと蕩け、その色まで混ざり合い、薄紅とも瑠璃色とも見える眼で何処か遠くを見つめている。
「成る程、術式共有、ですか……?」
それは文字通り深く繋がり合った者同士が、その身の魔力と術を共有する術である。
それなら身体機能回復の説明は付く。少女の刻印は現在肉体変性の大部分を終え、大半が身体機能の維持回復に過剰に回されている状態だ。共有してしまえば、その恩恵にあやかる事が出来る。
が、これ程の相乗は有り得ない。魔力が、存在の次元がまるで異なってしまっている。
本質的な違いを肌で感じ、巨漢は当惑しながら後退りしていく。
「はぁっ、はぁっ、っ、くっ……」
事実、チハヤと少女の意識は共有どころか混合していた。
感覚に境目が無く、女体が抱える淫熱も、男体に張る肉体の力強さも。困惑も、昂りも。双方の肉体は同様に感じ、反応してしまっていた。
それは所謂、交合時に味わう体感の遥かその先の物であった。故に一歩も動けない。何もかも満たされた充足感の中、微かに痙攣を繰り返してしまう。
「ほっ、まあ、そうですよねぇ? 苦しいでしょう? 刻印の共有など、苦しくて動けないでしょうチハヤ君!」
男は気付いて、ニヤリと笑った。
正対したままゆっくり側面へ回り、捨て台詞を吐く。
「口惜しいですが、仕方ありません。今日の所はこれにて」
『逃す訳、無いだろっ』
二人の敵意が揃ってかち合い、彼へ向いた。
刹那、膨大な魔力が指向性を持ち、一気に集約。
純粋な圧を受け、「お゛っ」という断末魔を最期に、巨漢は一瞬にして丸く潰れ、ただの肉塊へと成り果てた。
直後、後方より駆け付ける足音。「チハヤ様!」と呼ぶ声達。
張り詰めた緊張の糸が解ける。二人の意識は、ふっと暗闇に落ちた。
応援ありがとうございます!
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