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2巻
2-1
しおりを挟む■プロローグ
「まだ、わたくし達には早いのではないでしょうか?」
豪奢な調度品が並ぶ校長室で、私は目の前の父──バーグナー伯爵──に苦言を呈する。
その言葉が気に入らなかったのだろう、父は眉根を寄せて、あからさまにため息をついた。
ため息をつきたいのはこちらの方なのですけど。
「ミレニア……冒険者予備学校第三期メンバーの代表たるお前がそんな弱気でどうする。お前はいずれこのバーグナー公式調査団を率いていくべき人間なのだぞ」
やはり父は現実がよくわかっていないようだ。
市井の多くの冒険者達がこぞって中階層に赴くからといって、自分達のようなまだ駆け出しともいうべき経験の浅い人間が『エルメリア王の迷宮』中階層に挑むのはリスクが高すぎる。
ダンジョンというロケーションを、侮りすぎているとしか思えない。
「わたくし達第三期メンバーは、まだダンジョンに潜って一ヵ月ほどの素人です。冒険者ギルドに依頼して、先導者をつけてもらってはどうでしょうか?」
「バーグナー所有のダンジョンに群がる食い詰め者達など信用できるか。いいか、ミレニア……この事業は高貴なる仕事なのだ。あのような犯罪者じみた連中より先んじてダンジョンを攻略し、この町の平和と、栄光を手にせねばならない」
いい加減、私も子供ではないので、そのような綺麗事じみた言葉に騙されはしない。
そもそも、私の魔法の師であった〝彼〟を学校から追い出した時点で、父のことを信用してはいけないと悟った。
最近、薄々は感じていたのだ。
父という人間の薄っぺらさを。
父が言う〝栄光〟とやらを本当に掴みたいのであれば、冒険者を雇い、町全体を巻き込んで、もっとなりふり構わずにやる必要がある。
それこそ、この世界で人間の価値の基準とされる『アルカナ』の☆の数など関係なく、真に有用な人材を起用して、ダンジョン攻略の計画を練るべきだ。
私がこの計画の主導者なら、もっと上手くやる自信がある。
そう思えるのは彼……アストルから教わった多くの知識によるところが大きい。
彼は熱っぽく、それでいて理性的にダンジョン攻略についてよく語っていた。
彼の計画は時に現実的で、時に夢想的であったが、どれも様々な資料や情報に裏付けされたものだった。
現場に一度も姿を見せず、この快適な校長室からメンバーに罵詈雑言を吐き散らすだけの父とは違う。
彼が指揮できる立場にあれば……いや、そうでなくとも、私のそばにいてくれれば、どれほど心強かったか。
「とにかく、メンバーを選抜して三パーティ編成し、第十五階層までの進行訓練を実施だ。今週中に準備して、来週より実地にて訓練を開始するように」
「お父様、それでは準備期間が短すぎます。せめて来週いっぱいはいただきませんと……」
「口答えしている暇があったら、手と足を動かしたらどうだ? ☆1なんぞのことを嗅ぎまわっているよりも、しっかりと仕事をしてリッチモンド王子の気を引けるように精進しろ」
吐き気をもよおす提案だ。
あの好色を隠せない小太りの第三王子の気を引く気になど、とてもではないがなれない。
……本当に、本当に失敗したと、心から悔いている。
あの時、何もかもを放り出して彼の手を握るべきだったのだ。
一番辛いのは彼のはずなのに、私は躊躇してしまった。
☆1の彼といることに、不安を感じてしまった。
そんな自分が、まだ彼のことを好きだと言っても迷惑になるだけかもしれない。
それに、彼はもう、新たな仲間を見つけていた。
エインズワース・オズ・ラクウェインという冒険者が、抜け目なく彼の才能を見抜いたのだ。
他人行儀に私に接するアストルも嫌だったし、私以外の誰かに彼の才能を見抜かれたことも悔しい。
少しばかり関わればわかることなのだ。
……彼という人間の特殊性は。
あれほど魔法に精通した人間は王都にもそういない。
そもそも、聞いたことも見たこともないような魔法を〝作って〟しまえる人間が、何故☆1などという判定を受けたのかと、二十二神教会を疑いすらした。
ハッキリ言って、彼はダンジョン攻略に欠かせない人材だ。
「何をぼうっとしておるのだ」
「……人選について考えていました。お父様、やはりアストルは有用な人材です。調査団に呼び戻すべきです」
「またその話か。公的機関に☆3未満が在籍できないのは、エルメリアの法だ」
「みなし☆3という特例があるではないですか……!」
「あれは特別なスキルを持った☆2を公的に使うためのものであって、☆1などに適用できるものではない」
「法律を調べました。☆1でも適用できるはずです」
食い下がる私に対して、父がとった行動は実に幼稚だった。
机の上のインク壺を私に向かって投げつけた父は、大声で叫ぶ。
「うるさい! お前は黙って言うことを聞いておればいいのだ! ☆1なんぞと関わるから節度がわからなくなる! 行け! やるべきこともできぬお前に、意見する資格なぞない!」
「……失礼します」
私も自重が足りない。
無駄だとわかっていて熱くなってしまった。
髪についたインクはきっときれいには落ちないだろうから、切ってしまおう。
「はぁ……」
扉を閉めた私は、ためにため込んだ息を吐き出す。
このところ、ため息ばかりついている気がする。
「や、お嬢。どうしたんですか」
ふと見ると、赤い髪の男がこちらに軽く手を上げて挨拶していた。
──リック・カーマイン。
アストルの元同室者で、彼の数少ない理解者の一人。
父に言わせれば、私と同類の歪んだ価値観を持つ人間、ということになる。
「リックさん。ごきげんよう」
「えらく落ち込んだ様子ですけど、また何か?」
小さく頷くと、リックは苦笑して手招きしてくる。
周囲の者が私から距離をとる中、アストルと関係が深いリックが何かと世話を焼いてくれるのは正直助かる。
他の調査団員や予備学校生にとって、私は雇い主であり伯爵の令嬢であり、何より監視の目だと思われている節があるのだ。
実際、父は実質的な調査団の舵取りを私に投げているのだから、責任者として是正すべきところは目を光らせなければならないのだが……こうも距離を取られてしまっては、今後、共に冒険する者同士の仲間意識が育たない。
そんな中、こうして気軽に接してくれるリックという人材は貴重だ。
「ここじゃなんですし、落ち着けるところに行きましょう。俺で良かったら相談に乗りますから」
「そう……そうね。お願いしますわ」
カフェテリアへと移動した私達は、オープンテラスの端のテーブル席へ腰かけた。
お茶の時間ということもあって人は多いが、私に声をかけてくる人間はいない。
これが現状。私の人間関係を表わしていると言える。
「――それで、どうしたんです?」
「ええ、次の実地研修なんですが、中階層……第十五階層への到達調査と言い渡されました」
「そりゃまた急なことですね」
さすがにリックも驚いているようだ。
「えぇ、父は焦っているみたいです。ダンジョン相手に焦りは禁物だというのに」
「アストルの口癖ですね」
「ええ、彼がいてくれれば……もっと」
そこまで言って、私は言葉を止める。
アストルのことばかりを考えている自分に嫌気が差す。
「お嬢、アストルについては今は置いておきましょう。あいつはあれで図太いヤツです……この先もきっとやっていける。それよりも、中階層となるとさすがに俺達も命を覚悟する場面が出てきます」
「ええ、父は三パーティと指定しました。現状、十五階層に到達できそうな力量を持つ者が十八人もいるかどうか……」
第三期メンバーは、ダンジョンに足を踏み入れてまだ一ヵ月ほどの素人冒険者だ。
一応、名のある冒険者などを引き抜いて指導役としてつけてはいるが、状況は芳しくない。
すでに何人か死者も出ているし、怪我人なんてしょっちゅうだ。
冒険者の経験に裏付けされた定石のほとんどを父が毛嫌いするために、各専門職の配置も足りていない。
地図職人や荷物持ち、何より斥候の育成が急務だというのに、父は戦闘能力だけを重視した編成を強要してくる。
魔物との戦闘など、ダンジョンの障害の一つにすぎない。
人間の持つありとあらゆる知識と技術を駆使して、それがうまく噛み合った時にダンジョン攻略が成されるのだということを、彼は全く理解していないのだ。
「リックさん、申し訳ないんですけど……あなたはわたくしのパーティへ編成します」
「構いませんよ。残り四人は? いつもの俺のパーティメンバーでいいですか?」
「はい、頼みます。あと二つのパーティはゴッグさんと、ジリアンさんのパーティにしましょう……って、ああ……」
そこまで言って、ゴッグのパーティが先日解散したことを思い出した。
頭の痛い問題だ。
☆4を笠に着て乱暴狼藉を繰り返す問題児のゴッグとパーティを組みたがる人間は少ない。
ただでさえ粗雑なリーダーワークで支障が出やすい彼のパーティは、先日二人の死者と三人の重傷者を出して解散したのだ。
彼だけが軽傷で逃げ帰ってきた。
☆は多いかもしれないが、彼にはリーダーとしての気質も、資質も、知識も、人望も足りていない。
「ルッドのパーティにまかせて、現場判断で帰らせるのはどうですか? 三パーティ全て到達せよ……って指示ではないですよね」
なるほど、さすがアストルの悪友といったところか。
「二つのパーティを十階層までの前衛に配置……わたくし達は余力を持って十五階層に下り、適度に調査して戻れば指示を達成したことにはなりますわね」
私の表情が和らいだのを見てか、リックが人好きのする笑みを浮かべた。
「いい表情です、お嬢。今度、アストルに謝るんでしょう? 世間話ついでにダンジョンの話をしてやれば、きっと食いつきますよ」
父の圧力のせいで、アストルのいるパーティは領都を離れてしまった。
リックが冒険者ギルドで集めてきた話によると、彼らは南の国境にあるクシーニへと向かったらしい。
そのことも含めて、アストルが帰ってきたら謝ろうと思う。
そして、正直に気持ちを伝えて、何があってもそばにいると告げよう。
私には彼が必要だった。
だが、彼が助けを必要としている時に、私は彼を支えることができなかった。
(だから今度は、失敗しない……!)
父がなんと言おうとも、周りになんと言われようとも、私は今度こそアストルの手を握らねばならない。
彼がいなければ、『エルメリア王の迷宮』攻略など、私にとって意味がない。
「では、リックさんの案でいきます。あなたに相談して正解でしたわ」
「お安い御用ですよ。じゃあ俺もメンバーに伝えてきます」
そう言って席を立つリックに、小さく頭を下げる。
彼は少しはにかんだ笑みを見せて立ち去った。
しばらくその場に残り、冷めた茶を嗜んでいると、同じテーブルに腰を下ろした者がいた。
「ミレニア様、俺の出番はなしですかい? 中階層なんだろ?」
「どこから聞いていたか知りませんが、もうメンバーは決めてしまいました。ゴッグさんは待機です」
「オイオイ! 俺は☆4の『戦車』なんだぜ? 俺を連れていかないでどうするってんだ?」
同年代とはいえ、目上の者にまともな敬語も使えず、輪を乱すだけの☆4など、ダンジョンではいない方がマシだ。
「……あなたは前回の演習で大きな損害を出したことを、もう少し反省してください」
「はぁッ? あれはあいつらが無能で弱かっただけだろ? 実際、俺は無事に戻ってきたじゃねぇか」
生き残った者からの聞き取りで、ゴッグが逃走時に仲間を囮に使ったことはわかっている。
それでもなお不問とするのは、父が〝緊急的な行動であれば仕方ないだろう〟などとのたまったためだ。
父にとって、戦闘に寄ったスキル構成の☆4であるゴッグはお気に入りの人間だ。
☆3を五人犠牲にしてでも、☆4のゴッグを手元に残すだろう。
愚かすぎてため息しか出ない。
「では、三日以内にメンバーを集めてください。それで判断しますわ」
「それを調整するのが、あんたの仕事だろうが!」
「こちらの調整はもう済んでいると言っているのです。どうしてもと言うなら、第四パーティとして同行を許可いたしますわ」
私の言葉に血管を浮き上がらせて赤くなるゴッグ。この程度で冷静さを失うリーダーなど、危険以外の何ものでもない。
「チッ」
ゴッグは椅子を乱暴に蹴り倒して去っていった。
ああは言ったが、彼について行きたいと思う第三期メンバーはいないだろう。
ゴッグに従っていた取り巻きは、前回彼が犠牲にしてしまったのだから。
(ああ、本当に調査団は問題だらけね……)
わずかに痛む頭を押さえて、席を立つ。
何はともあれ、準備が必要だ。
急いで侍女のオリーブを走らせて、冒険者ギルドの地図屋から地図を買い付けないと。
斥候がいないのだから、せめて地図は正確なものが必要だ。
それを元にして、第十階層までの攻略方法を練る必要がある。
「アストルがいてくれればよかったのだけど……」
小さく呟いた言葉が、風に流されて消えた。
■遭難者
「お、見えてきたぞ」
冒険者にして元貴族などという変わった肩書を持つ男――エインズが、馬車の御者台の隙間から前方を指さす。
その先には色とりどりの屋根に彩られた領都ガデスが、秋晴れの陽光を受けて鮮やかに主張していた。
なんだか、ずいぶん久しぶりな気がする。
たった一ヵ月程度しか離れていなかったのに、妙に懐かしい。
二年ほど帰っていない故郷を目にしたら、もっと懐かしい気持ちになるんだろうか?
俺――アストルは、ついこの間まで、この領都ガデスの『バーグナー冒険者予備学校』に通っていたのだ。
ところが、儀式で☆1の『アルカナ』を宿したことで、そんな生活は一変した。
☆5まである『アルカナ』の中で最低ランクの☆1は、世間で真っ当な人間として扱われない。
冒険者予備学校を追い出され、ダンジョンの調査団配属の夢を絶たれた俺は、日銭を稼ぐために冒険者ギルドで治癒魔法使いとして細々と生計を立てていた。
そんな中、俺の力を買ってパーティに誘ってくれたのがエインズ達だ。
「あのカラフルな街並みを見ると、帰ってきたーって感じがするわねー」
「美しい町なのですね、ガデスは」
魔物の襲撃に備えて完全鎧を着込んだ女剣士のミントが、隣に座る東方風の装束に身を包んだ斥候のチヨと、とりとめのない話をしている。
狼人の『侍』、レンジュウロウの娘であり、斥候としても優れた技能を持つ彼女は、領都への帰還を機に、俺達のパーティに正式加入することになった。
「あれ、チヨさんは領都に来るの、はじめてなの?」
「はい、今から楽しみです」
「じゃあ、美味しいスイーツのお店を教えておかなくっちゃね!」
元々、エインズ達のパーティは『エルメリア王の迷宮』の攻略を目指していたが、冒険者としては駆け出しである俺の実績不足――実際は俺が☆1だからだろう――を理由に探索許可が下りず、攻略は中断を余儀なくされてしまった。
そこで、有無を言わさぬ『実績』を作るために計画されたのが、今回の『サルヴァン古代都市遺跡群』への遠征だ。
……結局俺達は、三つの小迷宮を攻略して、それぞれから『ダンジョンコア』を手に入れた。
『ダンジョンコア』は、人の願いを実現する『願望器』であり、小さな物でもその価値は計り知れない。
それを三つも手に入れたのだから、非常に大きな成果と言っていい。
☆1であるという不安はつきまとうものの、この成果があれば、ダンジョンの管理局も俺が『エルメリア王の迷宮』に挑むことをそう簡単に拒めないはずだ。
道中聞こえてきた噂によると、『エルメリア王の迷宮』の攻略は遅々として進んでいないらしい。
もうミレニアやリック達は攻略に実戦投入されているんだろうか。
あまり無理をしていないといいが……
妙に心がざわついて、俺は冒険者予備学校時代の友人達の顔を思い浮かべた。
「アストル? どうか、した?」
隣に座るユユが、俺の顔を下から覗き込む。
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