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2巻
2-5
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地下十階層までは周囲はレンガ積の光景だったのに対し、地下十一階層は幻想的な青い光に包まれた不可思議な景色が広がっている。
所々に水晶のような物が浮遊していて、うっすらと青い光を発しているのだ。
決して快適な明るさとは言えないが、周囲は薄ぼんやりと照らされており、視界を確保するには問題なさそうだ。
資料によると、地下十一階層から先は魔物の傾向がランダムで、予想が立てにくいらしい。
となれば、チヨの持ち帰る情報をもとに、上手く対処をしていく必要がある。
実力で及ばないのであれば、俺は知識と工夫でパーティの役に立たなければ。
「アストル、緊張しすぎないで。地下十五階層までは、ユユ達も下りたことがある」
「そうよ。チヨさんもいるし、アストルもいるし……大丈夫よ」
俺の表情から緊張を読み取ったのか、姉妹が声をかけてくれた。
「程よい緊張は構わぬが、硬くなるでないぞ? なに、チヨであればすぐに階段を見つけてくれよう」
「左様でございます。階段までのルートを確認しましたが、階段前に魔物の群れがいます」
いつの間にか戻ってきたチヨが、レンジュウロウの言葉を継ぐ。
「どんなヤツでした?」
「人型で体毛の濃い……猿に似た生物でした。やや広めの部屋に六匹。わたくし一人では排除困難とみて、引き返してまいりました」
さすがチヨさん。
正確な状況判断だ。
動物系か亜人系……猿だとしたら、殺人猿かそのあたりだろうか。
「とりあえず、そこまで行こうぜ」
「ご案内します」
チヨを先頭に、パーティは地下十一階層を進む。
迷宮を構成する建材の質が変わったせいか、妙に足音が反響している。
俺はそのことが気になり、前を行くエインズ達を呼び止めた。
「みんな、ちょっと待ってくれ。これじゃ気づかれる」
特に鎧を着た前衛陣は、動くたびに大きな音がするのでまずい。
「……〈こそこそ移動〉」
ミント、エインズ、レンジュウロウの三人に、動作音を消す魔法をかける。
斥候用に作った魔法だが、当のチヨは足音どころか姿まで薄くできる凄腕なので、これまで出番がなかった。
「おお、すごーい! 音が全然しない……さては夜這い専用魔法?」
「ミント、人聞きの悪いことを言わないでくれ」
「便利すぎるだろ。アストル、引退したらオレの家で顧問魔術師やらねぇか?」
「遠慮しておくよ」
おいおい、ラクウェイン侯爵家付きの魔術師が☆1じゃ、格好がつかないだろうに。
「あの角を曲がった先です」
チヨが先の様子を窺いながら小声で警告を発した。
「距離は?」
「十メートルほど」
なら、魔法で先制だな。
「まず、俺が魔法で何匹か眠らせるから、各個撃破でいこう」
「了解いたしました。わたくしは前線に出ます」
『忍者』であるチヨの戦闘力は高い。
任せても大丈夫だろう。
「ユユも〈目隠し〉で援護する」
「アタシはいつも通り、ぶった切るわ!」
「前線でのカバーとサポートはオレがやる。ミントを暴れさせよう」
「ワシも前に出よう」
作戦は決まった。
――数分後。
魔物達の死骸をその場に残して、俺達は階段を急いで下った。
◆
「さて、そうあっさりとはいかねぇみてぇだな……!」
エインズのぼやきに小さく頷いて、俺は周囲に目を配る。
俺達の行手を阻んでいるのは、目玉悪魔と呼ばれる浮遊する目玉のような中位悪魔が二体と、その眷属……スライム状の体に無数の目玉を内包する百目汚泥が八体。
チヨが先行警戒をミスったわけではない。
いくら念入りに先行警戒を行ったとしても、防ぎようのない遭遇というのはある。
ほとんど音も立てないこいつらが、扉の先――しかも天井付近にへばりついていることがわかる斥候など、いやしないだろう。
「魔法に注意してくれ! ……Levi la reziston de magio. Celi pli ol unu. Ekspansiiĝu la gamon!」
俺は注意を促しながら範囲化した〈抗魔Ⅰ〉を詠唱する。
魔法式を大幅に弄る必要があるので、無詠唱というわけにはいかないが、個別にかけていくよりもずっと早い。
【反響魔法】で同じ魔法を重ねて、魔法抵抗力をさらに上昇させる。
文献には、目玉悪魔は魔法能力の高い悪魔だと書いてあった。
無論、一メートルほどもある体での体当たりも脅威ではあるが、ランクⅢの魔法を使うこともあるというから、その対策も必要だ。
「数が多いわね!」
「ミント、エインズ! 目玉悪魔を叩いてくれ! 百目汚泥は俺が抑える!」
俺は後方から状況を俯瞰して、指示を飛ばしていく。
目玉悪魔の呪いで、濁った水が疑似的な生命を持ったのが百目汚泥だ。
下位悪魔の一種で、それほど強力でもないはず。
「ユユ、二人の援護を。レンジュウロウさんはいつも通りに!」
「ん! わかった」
「うむ、任された」
迫りくる百目汚泥を〈閃光〉で牽制する。
あれだけたくさん目玉があるんだから、さぞ眩しかったのだろう、怯んで身を震わせている。
「お手伝いいたします」
チヨが放った〈雷遁の術〉が、動きを止めた百目汚泥を貫く。
それを俺は【反響魔法】で再発動。右側に迫っていた百目汚泥達はドロリと溶けて消えた。
目玉悪魔に向けて斬りかかるミントを視界にとらえて、〈迅速Ⅰ〉を飛ばす。
これでミントの制圧力が増すはずだ。
目玉悪魔に魔法を使われると、被害が大きくなる可能性が高い。
常に攻撃を加えて、魔法詠唱を阻害してもらわなくてはならない。
そのことがわかっているエインズは、細かく戦闘位置を変えながら、盾による体当たりや懐に仕込んだ投げナイフを使って攻撃を絶やさず、器用に立ち回っている。
さすがに二つ名を持つベテランは戦い方が違う。
主である目玉悪魔を防衛するためか、こちらに向かっていた百目汚泥がくるりと方向転換する。
「させない、よ」
ユユが投擲した凍結瓶が床に割れて広がり、百目汚泥の動きを止める。
素が水なだけに、効果は抜群だ。
「ナイスだ、ユユ! チヨさん、今です!」
「承知しております」
すでに印を結び終えていたチヨの〈氷遁の術〉が、百目汚泥に降り注ぐ。
完全に凍り付いた百目汚泥に接近した俺は、小剣『オーティア』でそれらを切り払ってトドメを刺した。
……目玉悪魔はどうだ?
「てぇえいッ!」
ミントの唐竹割りのような一撃が、目玉悪魔の体を半ばまで切り裂く。
口がどこにあるかはわからないが、魔物は名状しがたい叫び声をあげながら、床をのたうち回った。
「……これで、終いだ!」
エインズが渾身の斬撃を目玉悪魔に浴びせてトドメを刺した。
もう一匹の目玉悪魔は……すでに真っ二つだ。
いつの間にかレンジュウロウが切り伏せていたらしい。
「びっくりさせやがって。消耗、どのくらいだ?」
エインズが剣を鞘にしまいながら、パーティメンバーの状況を確認する。
視線が俺に向けられたので、軽く手を振って応じる。
「大丈夫だ、ほとんどない」
「わたくしも損耗なしです。先行警戒に行ってまいります」
チヨはそう言うと、するりと姿を消してしまった。
「凍結瓶一個使ったくらい」
「援護、助かったわ、ユユ」
「……アストルと勉強したから」
ユユは好奇心旺盛で、実に色々な知識を吸収していた。
特に魔物学や薬草学、魔法薬学には興味があったようで、クシーニの町に滞在していた時に俺から学んだことが今回のダンジョン攻略にも活かされている。
「アタシもアストルにいろいろ教えてもらおうかしら」
「お姉ちゃんは、飽きっぽいし、向いてないと思う」
「ユユったら、姉に対してひどくない?」
そんなやり取りをする姉妹を見ながら、俺は目玉悪魔の核を取り出す作業をはじめた。
眼球の中央部に核があるはずだが……レンジュウロウの仕留めたヤツはダメだ。
完全に真っ二つになっている。
ミントが叩き落とした方は無事だった。
仕事の正確さも善し悪しだな。
「何をしておるのだ?」
「目玉悪魔の核を採取しておこうと思って。魔法道具の材料になるので、高く売れます」
「ほう、なんでもよく知っておるのう。ところでアストルよ……チヨが戻って来るまでの間に、ちと試してみてほしいんじゃが」
そう言って、レンジュウロウが俺に握らせたのは……
『ダンジョンコア』だ。
「お主なら、『成就』の魔法式を解析できるのではないか?」
「それは……どうでしょう。興味はありますけど」
実際、下層からの脱出の際に『ダンジョンコア』による『成就』の現象を解析してやろうと思ってはいたが。
「今ここでやってみたらどうじゃ?」
レンジュウロウの意外な提案に、俺は思わず息を呑んだ。
「……今、ですか?」
「そう、今じゃ」
手の平に載っている深紅の『ダンジョンコア』をまじまじと見つめる。
願いを叶える、万能の魔法道具。
これに何を願う?
「……っと、待ってください! これ、共有財産ですよね?」
「いや、これはワシの私物じゃよ。ワシがパーティから買い取った。町に戻ったら確認するといい。分配金がギルド預金に振り込まれておるはずじゃ」
買った?
『ダンジョンコア』を?
いったいこれがいくらすると思っているんだ!
「代わりに、願いの内容をワシが決めさせてもらっていいかの?」
レンジュロウは返事も聞かずに俺の肩にポンと手を載せる。
「☆の改変を願ってみてくれんか」
「過去に試した人がいたでしょう? でも、小迷宮のコアじゃダメだったと聞きましたよ」
『ダンジョンコア』を手に入れた者が☆の増加を願うことはままある。
しかし、小迷宮程度の『ダンジョンコア』では実現不可能だというのは常識だ。
「じゃが、☆1でそれを手にした者はおらん」
レンジュウロウが真剣な眼差しで俺を見る。
確かに、古今東西、☆1の人間が『ダンジョンコア』を手に入れたという話は聞いたことがない。
しかし、そんな不確かな根拠にすがっていいのだろうか?
何より、これはレンジュウロウが大枚をはたいて手に入れた私物なのだ。
俺なんかが使って良いはずがない。
「……アストルよ、これは投資と実験じゃ。ワシ自身、結果に興味がある。構わぬからやってみてくれんか」
そう促され、俺は生唾を呑み込みながら『ダンジョンコア』を握りしめる。
その様子を、エインズ、ユユ、ミントがじっと固唾を呑んで見ている。
「……わかりました」
――俺は願う。
「俺の☆を増やしてくれ!」
握りしめた『ダンジョンコア』がわずかに温かくなる。
しかし、それ以上何も起こらず、熱は徐々に冷えていった。
「……ダメみたいだ。発動した様子はない」
『ダンジョンコア』による『成就』の魔法式も見えなかった。
「ううむ……。では、もう少し曖昧に願ってみてはどうじゃろうか?」
レンジュウロウが腕組みしながら唸り声を上げる。
「曖昧に?」
「そうさな……もっと強くなりたいとか、限界を超えたいとか」
「わかりました。やってみます」
再度『ダンジョンコア』を握りしめ、俺は願う。
「俺をもっと強くしてくれ……!」
そう、〝強く〟だ。
一人で、みんなを……ミレニアを助けられるくらいに。
深層にたどり着けるだけの強さを!
『ダンジョンコア』を握りしめた右手から、赤い閃光が漏れ出し、周囲に高濃度の魔力が満ちはじめる。
魔法使いではないエインズやミントすらも、それを認識できるほどに濃く。
見たこともない魔法式が多重かつ立体的に次々と展開されていくのが視える。
これは……すごいな。どうなっているのか、さっぱりわからない。
現象に理解が及ばないが、わかったこともある。
これは魔法道具ではなく、どちらかと言うと魔法の巻物に近いということだ。
……であれば、魔法道具よりも、ずっと魔法に近い。
上手くすれば【反響魔法】で再現できるかもしれない。
そう考えた瞬間、膨大に展開された魔法式が、赤い光を伴って霧散する。
右手を開くと、握っていた『ダンジョンコア』は灰色の石ころへと変わっていた。
「願いが叶った……のか?」
実感はない。
だが、『ダンジョンコア』がその力を失ったのであれば、何かしらの形で俺の願いが叶えられたということだ。
「どうだ、何か変化があるか?」
「ちょっと待ってください」
展開された魔法式をいくつか思い出して、記憶に刻み付けていく。
三百にも及ぶ不安定な多重立体魔法式。
そのいくつかだけでも記憶に留めておけば、いずれ解析に役立ちそうだと、俺は必死に記憶を手繰り寄せた。
整理がついたところで、最後に展開された魔法式を【反響魔法】で再現する。
発動した〝それ〟は、特になんの効果も示さなかった。
「……〈希望〉? この魔法が、願望器の正体の一部か」
魔導書に新たに追加されたページ見て首を捻っていると、レンジュウロウが俺の肩を叩いた。
「どうじゃ、再現できそうか?」
「……無理、ですね。触覚を刺激するレベルの魔力の放出と、それに投影することで機能する、極めて不安定で不定形な多重立体魔法式……これ、たぶん伝説の『全知録』へアクセスしていますね。うっかり試せば脳が焼き切れて即死です」
――『全知録』。
記録、知識、歴史、概念、魔法……全ての知が集約された『神々の書庫』。
【予知】や【予見】、あるいはそれに準ずるユニークスキルを持つ者達は、ごくごく小さな穴でそこを覗いていると言われている。
それですら、かなり危険なのだが。
その危険さ溢れる『神々の書庫』の扉を盛大に開け放って、〝叶えたいこと〟への最短ルートを検索……結果に至るまでの行程をなんらかの魔法事象によって圧縮完遂させ、即座に結果を顕現させるのが『ダンジョンコア』という願望器の力だろう……と俺は仮説を立てた。
現状、確認できた魔法式のいくつかは固定や継続に関するもの。
それしかわからないし、その構成や要素は意味不明だ。
そもそも、起動した魔法式が別の魔法式を壊して、破壊した後の魔法式の破片がさらに別の魔法式を再構築するというバカげたプロセスを取っていた。
建物を勢いよく破壊したら、別の建物が建った……みたいな、乱暴で無作為で、それでいて奇跡的に計算しつくされた不合理な魔法式。
まさに神の所業としか言いようがない。
こんなものを再現しようとすれば、頭が破裂して飛び散ること請け合いだ。
そもそも、再現した〈希望〉の魔法すら、魔導書の記述ではⅧランク魔法相当という、聞いたこともないランクの魔法に分類されている。
使おうとしたら、詠唱が半分も終わらないうちに魔力枯渇で倒れてしまうに違いない。
「再現不能か……残念無念。ではアストル、これを」
そう言ってレンジュウロウが差し出した魔法の巻物を受け取り、開く。
ギルドで販売している『レベル確認スクロール』だ。
ギルドで調べてもらえばタダなので、今まで買ったことはなかったのだが、まさかこんな形で使うとは思わなかった。
「確認」
キーワードを唱えて、魔法の巻物を発動する。
そこに浮かび上がった情報を見て、俺はもちろん、それを覗き込んだ全員が目を見開いた。
アストル
人族、十五歳、『アルカナ:魔術師/☆』
レベル65
【魔法強化:C+】
【魔法薬作成:C+】
【反響魔法:A+】
レベル65……!?
☆の数は変わっていない。
しかし、本来☆1ならば50で頭打ちのはずのレベルが、☆2の上限60を超えて、65に達しているという、おかしな状態だ。
スキルも、ランクこそ上がらなかったが、それぞれCからC+、AからA+へと強化されている。
「これは……!? うむ……!」
レンジュウロウが目を輝かせて満足げに頷く。
「アストルに、レベル追い抜かれた……!」
「ユユも……」
ミントとユユは呆然として顔を見合わせた。
「☆2と☆3の中間か……。こんなことってあり得るのかよ」
エインズの呟きに、レンジュウロウが首を横に振って答える。
「いいや、普通ではあり得ぬ。む……チヨが戻ってきたようじゃ。これについての話は、帰ってからじゃの。今は進むとしよう」
結果の焼き付いた魔法の巻物を懐にしまい込むと、レンジュウロウは機嫌良さげにガシガシと俺の肩を叩いた。
「どうかされたのですか?」
チヨが不思議そうな顔で俺達を見る。
「良いことがあった。帰ったらお祝いをするから、安全第一で進もうぜ」
「……? 承知いたしました。階段までのルートは確保済みです」
エインズの言葉に首を捻りながらも、チヨが事もなげに報告する。
『迷路』の影響で地図すら存在しない『エルメリア王の迷宮』の中層を、単独でルート確保できる斥候なんて、そういやしない。
ハイレベル冒険者のなんと人外じみたことか。
俺は自分の身に起こった不可思議な出来事をすっかり忘れ、彼女の鮮やかな手並みにため息を漏らした。
「こちらへ」
地下十三階層へと下りた俺達は、チヨに案内されて粛々と攻略を進めた。
経験積みや発掘品の回収が目的ではないため、ルートは最短を選択し、的確かつ適正に進行していく。
やはり、魔物との遭遇は何度かあったものの、チヨの先行警戒のおかげで大きな危機もなく、これを掃討することができた。
所々に水晶のような物が浮遊していて、うっすらと青い光を発しているのだ。
決して快適な明るさとは言えないが、周囲は薄ぼんやりと照らされており、視界を確保するには問題なさそうだ。
資料によると、地下十一階層から先は魔物の傾向がランダムで、予想が立てにくいらしい。
となれば、チヨの持ち帰る情報をもとに、上手く対処をしていく必要がある。
実力で及ばないのであれば、俺は知識と工夫でパーティの役に立たなければ。
「アストル、緊張しすぎないで。地下十五階層までは、ユユ達も下りたことがある」
「そうよ。チヨさんもいるし、アストルもいるし……大丈夫よ」
俺の表情から緊張を読み取ったのか、姉妹が声をかけてくれた。
「程よい緊張は構わぬが、硬くなるでないぞ? なに、チヨであればすぐに階段を見つけてくれよう」
「左様でございます。階段までのルートを確認しましたが、階段前に魔物の群れがいます」
いつの間にか戻ってきたチヨが、レンジュウロウの言葉を継ぐ。
「どんなヤツでした?」
「人型で体毛の濃い……猿に似た生物でした。やや広めの部屋に六匹。わたくし一人では排除困難とみて、引き返してまいりました」
さすがチヨさん。
正確な状況判断だ。
動物系か亜人系……猿だとしたら、殺人猿かそのあたりだろうか。
「とりあえず、そこまで行こうぜ」
「ご案内します」
チヨを先頭に、パーティは地下十一階層を進む。
迷宮を構成する建材の質が変わったせいか、妙に足音が反響している。
俺はそのことが気になり、前を行くエインズ達を呼び止めた。
「みんな、ちょっと待ってくれ。これじゃ気づかれる」
特に鎧を着た前衛陣は、動くたびに大きな音がするのでまずい。
「……〈こそこそ移動〉」
ミント、エインズ、レンジュウロウの三人に、動作音を消す魔法をかける。
斥候用に作った魔法だが、当のチヨは足音どころか姿まで薄くできる凄腕なので、これまで出番がなかった。
「おお、すごーい! 音が全然しない……さては夜這い専用魔法?」
「ミント、人聞きの悪いことを言わないでくれ」
「便利すぎるだろ。アストル、引退したらオレの家で顧問魔術師やらねぇか?」
「遠慮しておくよ」
おいおい、ラクウェイン侯爵家付きの魔術師が☆1じゃ、格好がつかないだろうに。
「あの角を曲がった先です」
チヨが先の様子を窺いながら小声で警告を発した。
「距離は?」
「十メートルほど」
なら、魔法で先制だな。
「まず、俺が魔法で何匹か眠らせるから、各個撃破でいこう」
「了解いたしました。わたくしは前線に出ます」
『忍者』であるチヨの戦闘力は高い。
任せても大丈夫だろう。
「ユユも〈目隠し〉で援護する」
「アタシはいつも通り、ぶった切るわ!」
「前線でのカバーとサポートはオレがやる。ミントを暴れさせよう」
「ワシも前に出よう」
作戦は決まった。
――数分後。
魔物達の死骸をその場に残して、俺達は階段を急いで下った。
◆
「さて、そうあっさりとはいかねぇみてぇだな……!」
エインズのぼやきに小さく頷いて、俺は周囲に目を配る。
俺達の行手を阻んでいるのは、目玉悪魔と呼ばれる浮遊する目玉のような中位悪魔が二体と、その眷属……スライム状の体に無数の目玉を内包する百目汚泥が八体。
チヨが先行警戒をミスったわけではない。
いくら念入りに先行警戒を行ったとしても、防ぎようのない遭遇というのはある。
ほとんど音も立てないこいつらが、扉の先――しかも天井付近にへばりついていることがわかる斥候など、いやしないだろう。
「魔法に注意してくれ! ……Levi la reziston de magio. Celi pli ol unu. Ekspansiiĝu la gamon!」
俺は注意を促しながら範囲化した〈抗魔Ⅰ〉を詠唱する。
魔法式を大幅に弄る必要があるので、無詠唱というわけにはいかないが、個別にかけていくよりもずっと早い。
【反響魔法】で同じ魔法を重ねて、魔法抵抗力をさらに上昇させる。
文献には、目玉悪魔は魔法能力の高い悪魔だと書いてあった。
無論、一メートルほどもある体での体当たりも脅威ではあるが、ランクⅢの魔法を使うこともあるというから、その対策も必要だ。
「数が多いわね!」
「ミント、エインズ! 目玉悪魔を叩いてくれ! 百目汚泥は俺が抑える!」
俺は後方から状況を俯瞰して、指示を飛ばしていく。
目玉悪魔の呪いで、濁った水が疑似的な生命を持ったのが百目汚泥だ。
下位悪魔の一種で、それほど強力でもないはず。
「ユユ、二人の援護を。レンジュウロウさんはいつも通りに!」
「ん! わかった」
「うむ、任された」
迫りくる百目汚泥を〈閃光〉で牽制する。
あれだけたくさん目玉があるんだから、さぞ眩しかったのだろう、怯んで身を震わせている。
「お手伝いいたします」
チヨが放った〈雷遁の術〉が、動きを止めた百目汚泥を貫く。
それを俺は【反響魔法】で再発動。右側に迫っていた百目汚泥達はドロリと溶けて消えた。
目玉悪魔に向けて斬りかかるミントを視界にとらえて、〈迅速Ⅰ〉を飛ばす。
これでミントの制圧力が増すはずだ。
目玉悪魔に魔法を使われると、被害が大きくなる可能性が高い。
常に攻撃を加えて、魔法詠唱を阻害してもらわなくてはならない。
そのことがわかっているエインズは、細かく戦闘位置を変えながら、盾による体当たりや懐に仕込んだ投げナイフを使って攻撃を絶やさず、器用に立ち回っている。
さすがに二つ名を持つベテランは戦い方が違う。
主である目玉悪魔を防衛するためか、こちらに向かっていた百目汚泥がくるりと方向転換する。
「させない、よ」
ユユが投擲した凍結瓶が床に割れて広がり、百目汚泥の動きを止める。
素が水なだけに、効果は抜群だ。
「ナイスだ、ユユ! チヨさん、今です!」
「承知しております」
すでに印を結び終えていたチヨの〈氷遁の術〉が、百目汚泥に降り注ぐ。
完全に凍り付いた百目汚泥に接近した俺は、小剣『オーティア』でそれらを切り払ってトドメを刺した。
……目玉悪魔はどうだ?
「てぇえいッ!」
ミントの唐竹割りのような一撃が、目玉悪魔の体を半ばまで切り裂く。
口がどこにあるかはわからないが、魔物は名状しがたい叫び声をあげながら、床をのたうち回った。
「……これで、終いだ!」
エインズが渾身の斬撃を目玉悪魔に浴びせてトドメを刺した。
もう一匹の目玉悪魔は……すでに真っ二つだ。
いつの間にかレンジュウロウが切り伏せていたらしい。
「びっくりさせやがって。消耗、どのくらいだ?」
エインズが剣を鞘にしまいながら、パーティメンバーの状況を確認する。
視線が俺に向けられたので、軽く手を振って応じる。
「大丈夫だ、ほとんどない」
「わたくしも損耗なしです。先行警戒に行ってまいります」
チヨはそう言うと、するりと姿を消してしまった。
「凍結瓶一個使ったくらい」
「援護、助かったわ、ユユ」
「……アストルと勉強したから」
ユユは好奇心旺盛で、実に色々な知識を吸収していた。
特に魔物学や薬草学、魔法薬学には興味があったようで、クシーニの町に滞在していた時に俺から学んだことが今回のダンジョン攻略にも活かされている。
「アタシもアストルにいろいろ教えてもらおうかしら」
「お姉ちゃんは、飽きっぽいし、向いてないと思う」
「ユユったら、姉に対してひどくない?」
そんなやり取りをする姉妹を見ながら、俺は目玉悪魔の核を取り出す作業をはじめた。
眼球の中央部に核があるはずだが……レンジュウロウの仕留めたヤツはダメだ。
完全に真っ二つになっている。
ミントが叩き落とした方は無事だった。
仕事の正確さも善し悪しだな。
「何をしておるのだ?」
「目玉悪魔の核を採取しておこうと思って。魔法道具の材料になるので、高く売れます」
「ほう、なんでもよく知っておるのう。ところでアストルよ……チヨが戻って来るまでの間に、ちと試してみてほしいんじゃが」
そう言って、レンジュウロウが俺に握らせたのは……
『ダンジョンコア』だ。
「お主なら、『成就』の魔法式を解析できるのではないか?」
「それは……どうでしょう。興味はありますけど」
実際、下層からの脱出の際に『ダンジョンコア』による『成就』の現象を解析してやろうと思ってはいたが。
「今ここでやってみたらどうじゃ?」
レンジュウロウの意外な提案に、俺は思わず息を呑んだ。
「……今、ですか?」
「そう、今じゃ」
手の平に載っている深紅の『ダンジョンコア』をまじまじと見つめる。
願いを叶える、万能の魔法道具。
これに何を願う?
「……っと、待ってください! これ、共有財産ですよね?」
「いや、これはワシの私物じゃよ。ワシがパーティから買い取った。町に戻ったら確認するといい。分配金がギルド預金に振り込まれておるはずじゃ」
買った?
『ダンジョンコア』を?
いったいこれがいくらすると思っているんだ!
「代わりに、願いの内容をワシが決めさせてもらっていいかの?」
レンジュロウは返事も聞かずに俺の肩にポンと手を載せる。
「☆の改変を願ってみてくれんか」
「過去に試した人がいたでしょう? でも、小迷宮のコアじゃダメだったと聞きましたよ」
『ダンジョンコア』を手に入れた者が☆の増加を願うことはままある。
しかし、小迷宮程度の『ダンジョンコア』では実現不可能だというのは常識だ。
「じゃが、☆1でそれを手にした者はおらん」
レンジュウロウが真剣な眼差しで俺を見る。
確かに、古今東西、☆1の人間が『ダンジョンコア』を手に入れたという話は聞いたことがない。
しかし、そんな不確かな根拠にすがっていいのだろうか?
何より、これはレンジュウロウが大枚をはたいて手に入れた私物なのだ。
俺なんかが使って良いはずがない。
「……アストルよ、これは投資と実験じゃ。ワシ自身、結果に興味がある。構わぬからやってみてくれんか」
そう促され、俺は生唾を呑み込みながら『ダンジョンコア』を握りしめる。
その様子を、エインズ、ユユ、ミントがじっと固唾を呑んで見ている。
「……わかりました」
――俺は願う。
「俺の☆を増やしてくれ!」
握りしめた『ダンジョンコア』がわずかに温かくなる。
しかし、それ以上何も起こらず、熱は徐々に冷えていった。
「……ダメみたいだ。発動した様子はない」
『ダンジョンコア』による『成就』の魔法式も見えなかった。
「ううむ……。では、もう少し曖昧に願ってみてはどうじゃろうか?」
レンジュウロウが腕組みしながら唸り声を上げる。
「曖昧に?」
「そうさな……もっと強くなりたいとか、限界を超えたいとか」
「わかりました。やってみます」
再度『ダンジョンコア』を握りしめ、俺は願う。
「俺をもっと強くしてくれ……!」
そう、〝強く〟だ。
一人で、みんなを……ミレニアを助けられるくらいに。
深層にたどり着けるだけの強さを!
『ダンジョンコア』を握りしめた右手から、赤い閃光が漏れ出し、周囲に高濃度の魔力が満ちはじめる。
魔法使いではないエインズやミントすらも、それを認識できるほどに濃く。
見たこともない魔法式が多重かつ立体的に次々と展開されていくのが視える。
これは……すごいな。どうなっているのか、さっぱりわからない。
現象に理解が及ばないが、わかったこともある。
これは魔法道具ではなく、どちらかと言うと魔法の巻物に近いということだ。
……であれば、魔法道具よりも、ずっと魔法に近い。
上手くすれば【反響魔法】で再現できるかもしれない。
そう考えた瞬間、膨大に展開された魔法式が、赤い光を伴って霧散する。
右手を開くと、握っていた『ダンジョンコア』は灰色の石ころへと変わっていた。
「願いが叶った……のか?」
実感はない。
だが、『ダンジョンコア』がその力を失ったのであれば、何かしらの形で俺の願いが叶えられたということだ。
「どうだ、何か変化があるか?」
「ちょっと待ってください」
展開された魔法式をいくつか思い出して、記憶に刻み付けていく。
三百にも及ぶ不安定な多重立体魔法式。
そのいくつかだけでも記憶に留めておけば、いずれ解析に役立ちそうだと、俺は必死に記憶を手繰り寄せた。
整理がついたところで、最後に展開された魔法式を【反響魔法】で再現する。
発動した〝それ〟は、特になんの効果も示さなかった。
「……〈希望〉? この魔法が、願望器の正体の一部か」
魔導書に新たに追加されたページ見て首を捻っていると、レンジュウロウが俺の肩を叩いた。
「どうじゃ、再現できそうか?」
「……無理、ですね。触覚を刺激するレベルの魔力の放出と、それに投影することで機能する、極めて不安定で不定形な多重立体魔法式……これ、たぶん伝説の『全知録』へアクセスしていますね。うっかり試せば脳が焼き切れて即死です」
――『全知録』。
記録、知識、歴史、概念、魔法……全ての知が集約された『神々の書庫』。
【予知】や【予見】、あるいはそれに準ずるユニークスキルを持つ者達は、ごくごく小さな穴でそこを覗いていると言われている。
それですら、かなり危険なのだが。
その危険さ溢れる『神々の書庫』の扉を盛大に開け放って、〝叶えたいこと〟への最短ルートを検索……結果に至るまでの行程をなんらかの魔法事象によって圧縮完遂させ、即座に結果を顕現させるのが『ダンジョンコア』という願望器の力だろう……と俺は仮説を立てた。
現状、確認できた魔法式のいくつかは固定や継続に関するもの。
それしかわからないし、その構成や要素は意味不明だ。
そもそも、起動した魔法式が別の魔法式を壊して、破壊した後の魔法式の破片がさらに別の魔法式を再構築するというバカげたプロセスを取っていた。
建物を勢いよく破壊したら、別の建物が建った……みたいな、乱暴で無作為で、それでいて奇跡的に計算しつくされた不合理な魔法式。
まさに神の所業としか言いようがない。
こんなものを再現しようとすれば、頭が破裂して飛び散ること請け合いだ。
そもそも、再現した〈希望〉の魔法すら、魔導書の記述ではⅧランク魔法相当という、聞いたこともないランクの魔法に分類されている。
使おうとしたら、詠唱が半分も終わらないうちに魔力枯渇で倒れてしまうに違いない。
「再現不能か……残念無念。ではアストル、これを」
そう言ってレンジュウロウが差し出した魔法の巻物を受け取り、開く。
ギルドで販売している『レベル確認スクロール』だ。
ギルドで調べてもらえばタダなので、今まで買ったことはなかったのだが、まさかこんな形で使うとは思わなかった。
「確認」
キーワードを唱えて、魔法の巻物を発動する。
そこに浮かび上がった情報を見て、俺はもちろん、それを覗き込んだ全員が目を見開いた。
アストル
人族、十五歳、『アルカナ:魔術師/☆』
レベル65
【魔法強化:C+】
【魔法薬作成:C+】
【反響魔法:A+】
レベル65……!?
☆の数は変わっていない。
しかし、本来☆1ならば50で頭打ちのはずのレベルが、☆2の上限60を超えて、65に達しているという、おかしな状態だ。
スキルも、ランクこそ上がらなかったが、それぞれCからC+、AからA+へと強化されている。
「これは……!? うむ……!」
レンジュウロウが目を輝かせて満足げに頷く。
「アストルに、レベル追い抜かれた……!」
「ユユも……」
ミントとユユは呆然として顔を見合わせた。
「☆2と☆3の中間か……。こんなことってあり得るのかよ」
エインズの呟きに、レンジュウロウが首を横に振って答える。
「いいや、普通ではあり得ぬ。む……チヨが戻ってきたようじゃ。これについての話は、帰ってからじゃの。今は進むとしよう」
結果の焼き付いた魔法の巻物を懐にしまい込むと、レンジュウロウは機嫌良さげにガシガシと俺の肩を叩いた。
「どうかされたのですか?」
チヨが不思議そうな顔で俺達を見る。
「良いことがあった。帰ったらお祝いをするから、安全第一で進もうぜ」
「……? 承知いたしました。階段までのルートは確保済みです」
エインズの言葉に首を捻りながらも、チヨが事もなげに報告する。
『迷路』の影響で地図すら存在しない『エルメリア王の迷宮』の中層を、単独でルート確保できる斥候なんて、そういやしない。
ハイレベル冒険者のなんと人外じみたことか。
俺は自分の身に起こった不可思議な出来事をすっかり忘れ、彼女の鮮やかな手並みにため息を漏らした。
「こちらへ」
地下十三階層へと下りた俺達は、チヨに案内されて粛々と攻略を進めた。
経験積みや発掘品の回収が目的ではないため、ルートは最短を選択し、的確かつ適正に進行していく。
やはり、魔物との遭遇は何度かあったものの、チヨの先行警戒のおかげで大きな危機もなく、これを掃討することができた。
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