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2巻
2-15
しおりを挟む「システィル。もうすぐ大人になるんだろ? お前が本心から俺のことを憎いと思うなら、俺はそれを受け入れるよ。もう二度と会わないようにする。でも……もし、そうじゃないなら、ちゃんと自分で考えるんだ」
黙り込んだシスティルが鼻をすする。
床に涙の跡がパタパタと散る。
「……ランディが、ね。☆1の兄貴がいるなら、もう会わないって」
ランディは俺とシスティルの幼馴染だ。
俺より一つ年上で、村でも有望視されている農家の長男。
そして、システィルの恋人だった。
妹は、肩を震わせながら、たどたどしく続ける。
「それで、司祭様に……相談したの。そしたら、家族の罪は、あなたの罪です、って……。でも、私……お兄ちゃんとは血、繋がってないのにって、おかしいって! そう……思っちゃって! ごめんなさい!」
その司祭とやらは、頭に藁でも詰まってるのか!
まだ『降臨の儀』も終わっていない多感な時期の、しかも傷ついた子供を追い詰めるなんて、聖職者としてどうかしてる。
「お金は、司祭様が……血が繋がっていないなら、お布施すれば……助けてあげられるかもしれないって……言うから……。金貨十枚あれば……」
「十枚? ずいぶんな大金だし……だいたい、持って行った三枚じゃ足りないじゃないか?」
妹はしゃくりあげながら答える。
「金貨三枚と……私の純潔を捧げれば、なんとかするって……」
「よし、殺そう」
前言撤回。
司祭が神の使いだと言うならば、この瞬間から……神は俺の敵だ。
◆
「落ち着いて、アストル」
「そうよ、ちょっと落ち着きなさいよ!」
部屋を飛び出した俺の形相に驚いて、ユユとミントが必死に宥めにかかる。
だが、これが落ち着いていられるか。
システィルは、なんとか逃げ出して一線を越えてはいなかった。
だからといって、司祭とやらの蛮行を許せるはずがない。
結果的に一線を越えなかっただけだ。
大好きな神の御許に、俺がいち早くお届けしてやる。
「まぁ、どうしたの? アストル」
一階のリビングで朝食の準備を終えた母が俺に問う。
「今から教会を焼く。大丈夫、すぐ戻ってくる」
「あらまぁ、いけないわアストル。そんなことしちゃだめよ」
「俺をダシにしてシスティルを抱こうなんてヤツは……生きている必要がない人間だ」
「……詳しく、話しなさい」
システィルから聞いた話を、母に過不足なく話した。
母の顔には普段の笑みが浮かんだままだが、冷え冷えとした殺気じみた気配だけが、静かに凄みを増している。
「☆1が原因で起きたことだ。ケジメは俺がつけさせる。最低でも、今後二人が俺のことでとやかくされない程度に、徹底的にやる」
「とてもステキな提案だわ」
母と二人で笑いあう俺を見て、ミントとユユは顔を青くしている。
二人とも、家族団欒の光景で顔色を悪くすることはないじゃないか。
「待って……お兄ちゃん!」
着替えたシスティルが二階から駆け下りてくる。
「教会に行っちゃだめだよ!」
「システィル。司祭はおかしい。神聖な『降臨の儀』を盾にして成人前の子供を抱こうなんて、腐敗が過ぎる」
「わかってる……わかってるから! もう司祭様には会わないし、お金は成人したら頑張って働いて返す。だから、やめて。☆1が教会で暴れたりしたら、間違いなく処刑されちゃうのよ!?」
そうなる前にさっさと逃げるとも。
「そう。アストル、落ち着いて。……ファラムさんも」
ユユが、俺の手をぎゅっと握る。
「お姉ちゃんと一緒に、教会の様子を、見てくる。ユユ達は今、アストルの従者だから」
「なるほどね……さっきの一件に関して、従者として抗議に行く体裁をとれば、司祭と話せるわね! さすがユユだわ」
姉妹だけでは危険じゃないだろうか。
未成年をかどわかして抱こうってヤツだし。
「アストル、高等文書の書式、書ける?」
高等文書は、通常とやや文法が異なる貴族同士のやり取りによく使われる文書方式だ。
愚かにも迷宮貴族を目指していた俺は、書ける。
頷いてみせると、ユユが羊皮紙と羽ペンを俺に差し出した。
「抗議文、書いて。中身は任せるけど……遠回しに書いてね? 貴族のお抱えらしく」
「それじゃあ司祭を殺れない」
……いや、手紙に発動式の魔法紋でも刻んでやるか?
専門外だが、あれも魔法だ。やってやれないこともないだろう。
「司祭は殺しちゃだめだよ。ちゃんと、教会所属を解かれてからじゃ、ないと。……大丈夫、ユユ達は、経験ある」
「えぇ、アタシ達、生臭司祭の処分は経験があるわ。どうしてもって言うなら、司祭じゃなくなってからにしなさい、アストル。教会に所属したままだと、さすがにあちらさんにも体面があるから、後の面倒が大きくなるわ」
筋が通ってるし、自信もありそうだ。
ミントについては梟熊の一件があるので、心底信用できるかはやや怪しいところだが。
「わかった。任せる。……手紙を書けばいいんだな?」
俺は羽ペンをインクに浸し、手早く走らせる。
突然のお目汚しを失礼いたします。
エインズワース・オズ・ラクウェイン付き魔術師のアストルと申します。
この度はラクウェイン侯爵の保護下にある当家に対しまして、大層失礼な言動を見せていただいたばかりか、恐喝めいた行動までしていただき、大変ありがとうございます。
そのようにお気にかけていただいて、心の底から侮蔑の意を感じることができて、光栄に思います。
この件に関しまして、我が主たるラクウェイン侯爵家にすぐさま報告する必要を感じております。
きっと、司祭様の素晴らしいご指導については、即座に王都エルメリアに座される教皇のお耳に届くことでしょう。
あなた様の躍進を、心からお慶び申し上げます。
取り急ぎ、かような粗筆でお知らせすることをお許しください。
エインズワース・オズ・ラクウェイン付き魔術師 〝魔導師〟アストル
貴族ほど上手くはないが、そこそこのできに仕上がった。
貴族というのは普段からこういう迂遠なやり取りをしているのだという。
迷宮貴族になろうと考えていた自分が言うのもなんだが、こんなやり取りをしていて頭が痛くならないのだろうか。
「読めないことはないけど……何を伝えたいのかわからないし、文章の並びが変……?」
手紙を一読したシスティルが首を捻っている。
なに、字が読めるだけでも大したものだ。
「侯爵家の知り合いによくも失礼な態度と恐喝をしてくれたな。お前の考えはよくわかった。すぐに主のラクウェイン家に報告して、教皇様へ直接抗議する。お前の司祭としての生活はここで終わりだ……と書いてある」
「とってもわかりやすい! どうしてそう書かないの?」
「これが高等文書って呼ばれる、貴族様の暗号みたいなものだからだよ」
「お兄ちゃんはどうして書けるの? 貴族になったの?」
「貴族になるために勉強したんだよ」
「「そうなの?」」
今度はユユとミントが驚きの声を上げた。
これは失言だったかもしれない。
理由を語れば、ミレニアのことを出さねばならなくなる。
「これなら、本当にエインズのお付きになってもやっていけるわね」
「勘弁してくれ……」
そうはいっても、今まさにそのラクウェイン家の威光を借りてるわけなので、いよいよもってエインズ様には頭が上がらない。
それにエインズに請われたら、きっと俺は二つ返事で引き受けてしまうだろう。
俺が腐らず、投げださず、故郷に帰ってこられたのは、間違いなく彼がいろいろな後押しをしてくれたおかげなのだから。
俺は、垂らした蝋に印章を押し付けて手紙に封をすると、それをユユに手渡した。
「じゃあ、ユユ、ミント頼むよ。俺は念のため、この家を防備する魔法の付与でもしておくから」
「ん、まかせて」
「伊達に五つ☆背負ってないわよ? 絶対に直接司祭に届けるから!」
頼もしい返事とともに出かけていく二人の背中を、俺は家族と一緒に見送った。
◆
「ただいまー」
「ただいま」
ユユとミントは昼食前に帰ってきた。
表情は明るく、何か問題があったようには見えない。
「どうだった?」
「青い顔して焦ってたわよ? 歳はエインズと同じくらいかしら。冴えない小太りのおっさんだったわ」
「高等文書も、あまり……上手く読めていないみたい」
高等文書を読み慣れていないということは、貴族の保護下にあったり、聖職貴族と深い縁があったりするわけではなさそうだ。
――つまり、権力者からの保護は受けていないのだろうと推測できる。
「これで当分悪さはしないんじゃない?」
「何かやらかすようなら、本当に頭の中身を検査する必要が出てくるな」
「二人とも、お疲れ様。朝食はまだだったでしょう? お昼と一緒に食べてしまおうと思って待ってたのよ」
母が姉妹に椅子をすすめた。
今は亡き義父の作った丈夫な椅子で、領都だとこのタイプの椅子は結構なお値段がする。
一息ついて、家族三人と姉妹でテーブルを囲む。
ようやく、俺が求めていた帰郷の風景が再現された瞬間だった。
「このパン美味しい! 干しブドウがいっぱい入ってるわ!」
「このスープ、とても美味しい、です」
「それは、お兄ちゃんが作ったの。村の名物料理なんです」
「ねえ、アストル、あのもじゃもじゃは? 母さんもあれが欲しいわ」
騒がしくも温かな食卓。俺が望んでいた通りの心安まる時間だ。
母やユユ達が楽しそうに話す声を聞いていると、自然と涙が頬を伝っていた。
「アストル……? 大丈夫?」
「まぁ、この子ったら。涙もろいのは変わらないのね?」
フフフと小さく笑う母の声が、ユユがそっと握ってくれた手が、俺の涙腺を緩ませる。
改めて帰ってきて良かったと感じ、心が温かくなる。
涙を流す俺を見て、システィルはしばしバツの悪そうな顔をしていたが、やがて昔のように小さく笑ってくれた。
何もかも元通りとはいかないが、失った――あるいは失いかけていた何かを取り戻すことができた……そんな気がした。
……しかし、心温まる時間を邪魔する無粋な音が聞こえて、俺はうんざりした気持ちで振り返った。
窓に石を投げた音だろう。
あいにく、もうそこら中を強化済みなので、石を投げたくらいで窓ガラスを割ることはできないが。
もう家自体がちょっとした魔法道具のようになっている。魔法式の維持に使用している魔石の力が尽きるまでは、そんじょそこらの簡易砦よりも丈夫なはずだ。
窓の外にいるのは、見知った老婆だ。
仲が良いわけではなかったが、窓に石を投げるなんて。
「出てこい! できそこない!」
「制裁だ! 天罰だ!」
よく見ると、数人の村人達が家を取り囲んでいる。
いったいなんの制裁で天罰が下るっていうんだ?
「司祭様……」
システィルが少し怯えた目で、その視線を向けた先に……白い司祭服を着た豚――ではなく、男性の姿があった。
あいつが噂の司祭様か。
肥えた体を揺らしながら、少し怯えの見え隠れする表情で、集まった住民達に何やら指示を与えている。
住民の一人が松明を窓に向かって投擲した。
石と同様、弾き返すので問題ないが、その行動にはあからさまな害意が見て取れた。
木造の家に松明を投げればどうなるかなんて、文字通り火を見るよりも明らかだ。
「どういうことなの!? あの司祭!」
ミントが立ち上がって叫ぶ。
「どうもこうも、証拠ごと消すつもりじゃないか?」
「あらまあ、この子ったら意外と冷静なのね、私の息子はもう少し可愛げがあったはずなんだけど」
「ダンジョンでは焦ると死ぬからね」
家は魔法の力でかなり強固にしてある。
破砕槌なんかを持ってこられるとまずいが、そうでもなければ簡単に突破できる強度じゃないはずだ。
「これは……私達を殺そうとしてるのよね?」
母は笑顔を張り付けたまま俺に問う。
俺は頷いて母に答え、思案を巡らせる。
「――さて、どうするか。このまま籠城も可能だし、今なら外に集まっている人数も多くない……突破もできるか」
「ん。でも、脱出できないほどの騒ぎになると……よくない、かも」
ユユの言う通りだ。
油を撒かれたりするとさすがに耐えきれない可能性はあるし、やっきになった連中が丸太で突っ込んでくることも考えられる。
今なら脱出できるし、人数的には俺とミントで制圧できる数だ。
死傷者は出るだろうが、こうなってしまえば正当防衛と割り切ろう。
「危険になる前に脱出しよう。ローミル方面の街道へ出るルートへ向かう」
「任せるわ! 向かってくる者は斬り捨てるけど、いいわね?」
俺の故郷の人間を殺す、とミントは宣言した。
殺意をもって降りかかる火の粉は払わねばならない。
それは、冒険者として生きる上では当然の行動で、権利だ。
「母さん、システィル……危険になる前にここを出る。でも、俺と一緒に行かないって選択肢もある。今……決めてくれ」
「あら、母さんは行くわよ? システィルは自分で決めなさい」
「私も、行く。……行っていい? お兄ちゃん」
「いいとも。安心してくれ! 領都でもローミルでも、クシーニでも……好きなところに行く自由を俺が準備してやる」
二人に家を用意する……俺の目標って、それだったしな。
故郷に帰ってきたし、原点回帰だ。
「じゃあ、二人は急いで荷物をまとめて。ユユ、ミント……俺達は戦闘の準備だ」
「了解!」
母と妹は大事なものを鞄に詰めはじめる。
慣れ親しんだ家を失うのは俺も悲しいが、旅立ちの瞬間はいつだって突然やってくるものだ。
「よし……プランを立てるぞ。まず、俺とユユでフルにみんなに強化を付与する。外に出たら、ユユは母さんとシスティルをサポートしてくれ。俺とミントで道を開く」
俺の言葉に反応したのは、ユユでもミントでも、ましてやシスティルでもなかった。
「あら、母さんのことは気にしなくても大丈夫よ?」
母は、いつも通りの超然とした態度でにっこり微笑んだ。
「えっ?」
思わず聞き返してしまったが、母はなんの不安も感じていないような口ぶりで俺達に言い聞かせる。
「だから、母さんは、自分のことは自分でなんとかするから、大丈夫よ?」
俺や姉妹は冒険者だ。
レベルだってそれなりに高いから、一般人である村人が武装したところで取り囲まれでもしなければ問題ない。
しかし、母と妹はそうはいかない。
投石一つで大怪我に繋がるし、松明で打たれれば火傷も負う。
「あら、言ってなかったかしら? 母さん、元冒険者なのよ?」
「え……? ええッ? 聞いてない!」
「ちゃんと言ったわよ? 冒険者なんて危ないからって」
二年前のあの日。
バーグナー冒険者予備学校へ行くと宣言した時、俺はいくつかの重要な話を聞き逃していたらしい。
「……よいしょっ」
母は腰につけているポーチから得物を引き出した。
いつもつけてるアレ……魔法の鞄だったのか!
引き抜かれた棒状の物体は、槍にも剣にも見える奇妙な武器だった。
長剣を二つくっつけたような形をしている。
「ツ、双剣槍……? 使ってる人、初めて見たわ」
ミントの反応に気を良くしたのか、母は慣れた様子で双剣槍をブンブンと振り回してみせる。
「母さん、これで昔はブイブイ言わせてたのよー?」
……実に堂に入った姿だ。
ちらりと妹を見たが、やっぱり驚いていた。
気を取り直して冒険装束をお互い手伝いながら身につけ、頷き合う。
ちなみに、母もかなり高価そうな装備を一式身につけていて準備万端の様子だ。
どう見ても駆け出し冒険者の装備じゃないぞ、これは……
ひとまず驚きを抑え、気を引き締めて事態に臨む。
ここからはかなりの強行突破をすることになるだろう。
そして、人を殺める覚悟をする。
あいにく、俺は手加減をしてこの窮地を脱せるほど戦闘に熟練した人間じゃない。
攻撃されれば、敵と断じて村人――隣人を斬り捨てねばならない。
「……よし。じゃあ、システィルを守りながら街道方面に避難だ」
「アストル、確認よ。邪魔なら斬るわ」
「わかってる」
真剣な顔で問うミントにそう答えて、俺も腰の魔法の小剣を確認する。
「システィル、いいな?」
「うん。頑張って走る」
リュックを背負ったシスティルが頷く。
応援ありがとうございます!
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