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2巻
2-16
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ユユと二人で全員にありったけの強化魔法と防御魔法をかけた後、扉に手を触れた。
ドアノブを乱暴に引っ張る音が聞こえる。
向こう側にはすでにこの扉を開けようと躍起になっている者が何人かいるようだ。
「開放と同時に、目の前のヤツを叩く」
「了解」
ミントの短い返事に殺気が滲んでいる。
珍しいな。
「……行くぞ」
扉を勢いよく開け放つ。
そのため、扉を開けようとしていた二人の村人は尻餅をついて倒れ込むことになった。
そこへ、ミントと俺が蹴りを叩きこむ。
まぁ、初回サービスだ……これくらいじゃ死なないだろ。
「出てきたぞ! 殺せ!」
目を血走らせて叫ぶ見知った顔の村人。
その後方で、件の司祭が薄く顔を歪ませるのが見えた。
「あら、デックさん。私を殺すの?」
「アンタの息子がいけねぇんだ! 司祭様を脅迫して殺そうとするなぞ、とても許されるこっちゃねぇ!」
なるほど、そういう筋書きになっているのか。
「そんなつもりないんだけど……」
「☆1は黙ってろ! 言葉を聞くだけで魂が汚れる!」
デックは松明で殴りかかってくる。
しかし、その松明は俺に触れることなく、ポトリと地面に落下した。
……彼の手首から先を伴って。
母が玩具のように軽々と双剣槍を回転させている。
「他人に殺意を向けるのならば、自分も死ぬ覚悟をしなさいな?」
冷たく澄んだ殺意が周囲を席巻する。
「うわ……うわあああぁぁぁぁ! おれの! おれの手が!」
俺ならくっつけてあげられるんだが。
さすがに今はその気になれないな。
「ひ、怯んではいけません! 邪悪なる☆1を生み出したあの者達を生かしておけば、いずれ村全体が腐ってしまいますぞ!」
俺達からかなり距離をとった場所で、肥えた司祭が声を張り上げている。
「……ただし! 娘達は生かして捕らえるように! 教会で手厚く矯正すれば、正道へと戻ることができる可能性がありますぞ!」
まだ言うか!
しかも、ユユやミントまでどうにかしようっていうなら、もう容赦できないぞ。
……あいつは、今ここで確実に仕留めるべきだな。
周囲の村人達の数が徐々に増えてくる。村の半数とはいかないが、かなりの多さだ。
「今、道を開けて家に帰れば……死ぬことも痛い目に遭うこともないわよ!」
ミントが警告しながら大剣を構える。
集まった村人達は怯んだ様子は見せるが、退く気はなさそうだ。
「☆1がいるとわかれば、伯爵様に目を付けられる……」
「司祭様を脅すなんて、とんでもねぇ悪人だ」
「信仰に従えば、おら達も良い暮らしができるんだ」
口々に放たれるのは、妄信と無能が織り交ざった言葉の数々。
とてもではないが、純朴などという見方はできない。
「あらまぁ、みなさん……殉教をお望みなのね?」
高速回転する双剣槍の切っ先から火花が散っている。
やがて切っ先は炎を纏うようになって白く輝きはじめた。
まるで母が頭上に天輪を出現させているかのように見える。
「Ĝiestas flamo. Brulanta ĉielo kaj bruligi lateron estas brulligno!(其は炎である。天を焦がし、地を焼く薪である!)」
滑らかな魔法言語の発音。
ブレのない魔法式の構築。
笑顔のまま放たれたそれは、数本の太い火柱となって母の周囲に顕現した。
「では、どうぞいらっしゃってくださいな? 〝業火の魔女〟が皆様の殉教をお手伝いして差し上げます」
◆
冒険者の界隈には、『伝説的な』という枕詞がつく人物が幾人か存在する。
俺も冒険者を志す者の一人として、彼らの名をいくつか聞いていた。
たとえば、〝英雄〟グランゾル子爵。
いくつもの迷宮攻略で成果を出した迷宮貴族である彼は、俺の憧れだ。
誰も彼もが、高い☆を持つ能力者達。
一騎当千の英傑達である。
教本には、成功者としての彼らが紹介されているページもあるほどだ。
まさかその中に、自分の母親がいるとは予想外中の予想外だった。
俺の中では、うっかりが過ぎるお茶目な母……というイメージしかないのだが。
〝業火の魔女〟ファルメリア。
南方の国『バラート』に新星のごとく現れた女性冒険者で、炎系の魔法を扱うことに関して特別なスキルを持っている――教本にはそう書かれていた気がする。
ひどく短気で、キレたら手が付けられない、とも。
「〝業火の魔女〟……アストルのお母さんが?」
大剣で村人を威嚇していたミントが、唖然とした顔で振り返る。
「あらあら、間違っちゃった。今は〝魔導師の母〟って名乗らないといけないわね?」
問題はそこじゃないと思うんだ、母さん。
「司祭様? 後ろに隠れていないで出てきなさいな? お話をしましょう?」
「あ、悪魔め! 見よ、あの者達は暴力でもって私達の信仰と生活を脅かす者だ!」
滑らかに回る口だが、よくもまぁこれだけの人数をけしかけてこちらの生活を脅かしておいて、そんな台詞が出てくるものだ。
しかし『信仰』に目覚めてしまった者達は、思い思いの得物を持って、一層の殺意を滲ませる。
あの揺らめく火柱を見てまだ立ち向かう勇気があるなんて、なかなか見上げたものだ。
「あらあら……それについては言い訳できないわ。この炎で焼き尽くした戦場は一つや二つではないものね……」
〝業火の魔女〟の功績の多くは、冒険者としてよりも戦争傭兵としての側面が強い。
『マールデン砦の戦闘』と呼ばれる戦いにおいて〝彼女は砦ごと敵兵を全て焼き払った〟と記述されている。
そんな魔法は戦術級魔法以外にないと思うのだが……少なくとも、個人運用できる魔法じゃないよな。
「や、やはり魔女だった! 悪魔の使いめ! ☆1などという神の敵を生み出した罪は重いぞ!」
「……ッ!!」
豚司祭のこの発言を、俺は看過することができなかった。
俺の☆の数を母の責任にするなど、本当に度し難い。
俺をここまで愛情深く育て、☆1とわかった今も変わらず受け入れてくれる母が……どうして責められる必要がある!
気がつくと、足元の石を拾い上げ、怒りにまかせて〈必中投石〉を発動していた。
破壊力を増した石礫が、矢もかくやという速度で直撃して豚司祭の右肩を吹き飛ばす。
盛大に肩がなくなったので、腕も落ちてしまったが。
「うが……ああああああああああ」
「取り消せ……!」
俺は魔法の小剣を抜き、司祭に向かって歩く。
「し、司祭様をお守りしろ」
「悪魔の子め!」
俺に粗末な小剣を振りながら襲い掛かってきた二人の村人に、無詠唱で〈魔法の矢〉を飛ばして膝をへし折る。
悲鳴を上げて地面を転がる村人を踏み越えて、俺は歩く。
「取り消せ」
「だま、黙れ……お前が、☆1が悪魔の子だということは、変わらな――」
豚司祭は最後まで言葉を紡ぐことができなかった。
足元から噴き上がった火柱が、彼の良く回る口が動き終える前に炭に変えてしまったからだ。
「もう、アストル。怒りで人を殺めてはダメよ?」
母が優しく諭すように口にした言葉が、背後から聞こえる。
「戦場で生きて、殺して、勝つためには、怒りに呑まれてはダメ。意思を持って、心穏やかに殺しなさい。それが蹂躙というものよ?」
母は笑顔のまま双剣槍を振るって、半ば炭化した元豚司祭の首を勢いよく叩き落とした。
焼け焦げた首が、背後に迫る暴徒達の前にころりと転がる。
「し、司祭様が殺された!」
「ど、どうすれば……!」
「なんてことを」
一瞬にして、周囲に動揺が広がる。
そうだ。後衛の俺が前に出てどうする。
冷静に状況判断するのが俺の強みで、仕事だったはずだ。
「ユユ、ミント! このタイミングで離れる! システィルを頼む」
「了解!」
状況に呑まれて動きを止めていた二人が、ピクリと反応して行動を開始した。
「母さん、俺達も行こう」
「そうね。一番の癌は処理したし、あとは村長さんがなんとかするでしょ」
そう笑うと、母は即座に撤退を開始した。
手際の良い退路確保と、敵対集団からの手慣れた撤退は、さすがとしか言いようがない。
「☆1と魔女が逃げるぞ!」
「司祭様の仇を討て!」
「恐れるな! 俺達には神様がついている!」
「殺せ! 殺せ!」
怒号とともに村人達が追いかけてくる。
狂信者どもめ。
自分もあの司祭のようになりたいのか!?
正気とは程遠いな……!
仕方ない、死なない程度に少しばかり苦しんで反省するといい。
俺は立ち止まり、魔導書を取り出す。
目標の魔法を想起すると、パラパラとひとりでにページがめくれ、ある魔法が記載されたページが開かれた。
――〈陰鬱な風〉。
ネガティブな精神汚染を撒き散らす禁呪。
どうせ悪魔の子だなんだと思われているのだ。
今更、こんなド田舎で禁呪の一つや二つ発動しても、評価はそう変わるまい。
「Via soleco, zorgoj, suferoj. Klarigi! Vundita! Doloro! Doloro! Doloro!」
素早く魔法を完成させて、周囲に仄暗い魔力を広げていく。
魔力をごっそり持っていかれたが、この人数を非殺傷で足止めするなら、有効な魔法だ。
広がる汚染された精神波の影響を受けて、次々と精神に異常をきたしていく村人達。
茫然自失となる者、あるいは小さな悲鳴を上げながらうずくまる者など、反応は様々だが、その効果のほどはダンジョンの奥で保証付きである。
何せ、心を持たないはずのアンデッドの精神すら汚染する魔法だ。
しばらく苦しむだろうが、殺されなかっただけマシだと思ってもらおう。
苦悶の声を背に受けながら、俺は歩いて立ち去る。
俺が育った村はたった二年ですっかり変わってしまっていた。
何もかもを清算して、俺はこの村を忘れよう。
母と妹を連れて、純朴で愚かで……腐ってしまったこの場所を後にしよう。
「ただいま。さようなら……もう、戻ることはないだろうけど、今までありがとう」
小さくそう告げて、頭を下げて……俺は自分の心に少し残った寂しさに決着をつけた。
■エピローグ 星空の下
俺達は今、東スレクト村と南スレクト村の中間部、小さな池があるキャンプ地で野営中である。
魔法で強化していたとはいえ、システィルにはずいぶん無理をさせて長い距離を歩かせてしまった。
とはいえ、ここまで距離を稼げたのは、俺達が村を脱出してからしばらくして事態に気がついたビジリが、馬車で追いかけてきてくれたおかげだ。
「いやはや、えらい目に遭いましたね?」
ビジリが苦笑いを浮かべながら焚火に枝を放り込んだ。
「まさか自分の故郷に☆1断罪派の司祭が赴任しているとは思いませんでしたよ」
その言葉に、ふむ……とビジリが目を細める。
「その、大変言いにくいことですけど……彼は司祭ではありませんよ? 『カーツ』の構成員ではありますけどね」
ビジリはさらりととんでもない情報をもたらした。
「司祭じゃない?」
「ええ、彼は司祭じゃありません。少なくとも、大神殿に登録された正式な司祭ではないですね」
「どうしてわかるの?」
ミントが興味津々といった様子で尋ねる。
ユユは少し眠たいのか、俺にもたれかかってうつらうつらとしている。
「彼の司祭服の装飾の一部が正規のものではなかったことと、中指に指輪をしていたことです。神殿所属の正規司祭は絶対に中指に指輪をしませんので」
それは俺も知らなかった。
「代わりに、隠してはいましたが、左腕に『カーツ』の構成員を示す刺青が入っていました。それに、彼は【詐欺】のスキル持ちです。商売柄、私はああいった手合いを避ける手段を持っているんですよ」
人心を惑わせる【詐欺】や【恫喝】のスキルは、精神系魔法同様に危険視されるスキルだ。
村人の様子があまりにも尖っていると思ったが、そういう背景もあったのか。
「あらまぁ……ビジリさんたら、いろいろお詳しいのね?」
笑顔と穏やかな言葉に、やや剣呑な雰囲気を滲ませる母。
警戒するのは当たり前か。
その気配を感じ取ったのか、ビジリは降参とばかりに肩を竦めて告げる。
「私は元司祭ですからね」
「え」
思わず変な声が出てしまった。
「あいにく、肌に合っていなかったのでやめてしまいましたが。この旅暮らしの生活が私には合っているようです」
柔らかな物腰や広い視点……改めて見ると、司祭だと言われても納得できる点がいくつかある。
「しかし……こんなところにまで『カーツ』の活動範囲が拡大しているとは驚きですね。商売人としても元神殿関係者としても、由々しき事態だと思います」
一つ良い点があるとすれば、あのエセ司祭が単なる過激組織の一員で、本物の司祭ではなかったということか。
怒りと流れに任せて命を奪ってしまったので、どう神殿の目をごまかそうかと考えていたのだ。
そういう事情なら、村人が問い合わせたところで〝そんなヤツいません〟ってことになるだろうし、正気に戻れば、村のみんなもそれなりに省みることもあるだろう。
「ビジリさんは良かったんですか? 冬至祭までは滞在するって言ってたのに」
「あの様子では、商売にはならないでしょう。それなら、皆さんと一緒にローミルまで行った方が安価で安全だし、儲かります。上手くすれば、ローミルの冬至祭に間に合うでしょうしね」
打算であることを隠さないところが、逆に信用に足る。
それに、旅慣れていないシスティルを馬車に乗せて移動できるのは、俺達にとっても都合が良い。
予想外に母が健脚だったことは、今は考えないでおこう。
「じゃあ、南スレクトには寄らないんですか?」
「早めに離れた方が良いでしょうし、この際ですから冬至祭に間に合うように、素通りしましょう」
ビジリの気遣いを感じると同時に、少し安堵する。
南スレクトも俺の故郷同様に大層な田舎である。
この一帯に『カーツ』の手が迫っているなら、簡単に落ちてしまっているだろう。
補給をしたら、さっさと先を急ぐのが望ましいと俺も考えていたのだ。
「お兄ちゃん、ちょっと眠くなってきたかも……」
システィルが目をこすっている。
「テントを立ててあるから、もう寝るといい」
テントは、大人が四人入っても充分に横になれる大きさのものを選んである。
ビジリには悪いが、テントは女性陣に使ってもらうとしよう。
「ユユ、システィルと一緒にテントで寝るといい」
「ん。ありがと」
ユユは素直に頷いて、システィルとともにテントに入っていく。
「ミントも母さんも、寝ていいからね」
「アタシが寝たら見張りはどうするのよ」
「俺が一晩やるよ。明日の日中は馬車の上で荷物になってるけどな」
「あらまぁ、アストルったら。なに? ミントちゃんにいいとこ見せちゃうの?」
母さん、黙っててほしい。
伝説級冒険者が同行しているのに危険な街道など、そうそうない。
そもそも、さっきから恐ろしい雰囲気が駄々洩れで、小動物すら寄ってこないじゃないか。
普通、この辺りで火をたくと『火鼠』が寄って来るものなんだけど。
「いいから、ほら……母さんも」
「あらやだ、反抗期かしら……フフフ」
ニコニコと笑いながら、母もテントへと入っていく。
「ビジリさんは申し訳ないですけど……」
「馬車の番もありますし、お気になさらず」
立ち上がるビジリに、毛布とマントを差し出す。
「魔法で強化してあります。寒さは充分に凌げると思いますよ」
「以前の宿での会話は……冗談ではなかったんですね……!」
毛布を羽織ったビジリの顔が、驚きの表情へと変化していく。
「驚いたでしょ!? アストルは凄いのよ?」
何故お前が得意になるんだ、ミント。
「ミントも早く寝ろ」
「え、やだー。もうちょっと一緒にいようよー」
結局俺は根負けして、ミントに付き合って薄い果実酒を一本開けることになった。
たまには恋人とよく似た顔の姉と飲む酒も悪くない。
……そんな風に思いながら、俺は爆ぜる焚火の音を吸い込んでいく、冷えた満天の星空を見上げた。
ドアノブを乱暴に引っ張る音が聞こえる。
向こう側にはすでにこの扉を開けようと躍起になっている者が何人かいるようだ。
「開放と同時に、目の前のヤツを叩く」
「了解」
ミントの短い返事に殺気が滲んでいる。
珍しいな。
「……行くぞ」
扉を勢いよく開け放つ。
そのため、扉を開けようとしていた二人の村人は尻餅をついて倒れ込むことになった。
そこへ、ミントと俺が蹴りを叩きこむ。
まぁ、初回サービスだ……これくらいじゃ死なないだろ。
「出てきたぞ! 殺せ!」
目を血走らせて叫ぶ見知った顔の村人。
その後方で、件の司祭が薄く顔を歪ませるのが見えた。
「あら、デックさん。私を殺すの?」
「アンタの息子がいけねぇんだ! 司祭様を脅迫して殺そうとするなぞ、とても許されるこっちゃねぇ!」
なるほど、そういう筋書きになっているのか。
「そんなつもりないんだけど……」
「☆1は黙ってろ! 言葉を聞くだけで魂が汚れる!」
デックは松明で殴りかかってくる。
しかし、その松明は俺に触れることなく、ポトリと地面に落下した。
……彼の手首から先を伴って。
母が玩具のように軽々と双剣槍を回転させている。
「他人に殺意を向けるのならば、自分も死ぬ覚悟をしなさいな?」
冷たく澄んだ殺意が周囲を席巻する。
「うわ……うわあああぁぁぁぁ! おれの! おれの手が!」
俺ならくっつけてあげられるんだが。
さすがに今はその気になれないな。
「ひ、怯んではいけません! 邪悪なる☆1を生み出したあの者達を生かしておけば、いずれ村全体が腐ってしまいますぞ!」
俺達からかなり距離をとった場所で、肥えた司祭が声を張り上げている。
「……ただし! 娘達は生かして捕らえるように! 教会で手厚く矯正すれば、正道へと戻ることができる可能性がありますぞ!」
まだ言うか!
しかも、ユユやミントまでどうにかしようっていうなら、もう容赦できないぞ。
……あいつは、今ここで確実に仕留めるべきだな。
周囲の村人達の数が徐々に増えてくる。村の半数とはいかないが、かなりの多さだ。
「今、道を開けて家に帰れば……死ぬことも痛い目に遭うこともないわよ!」
ミントが警告しながら大剣を構える。
集まった村人達は怯んだ様子は見せるが、退く気はなさそうだ。
「☆1がいるとわかれば、伯爵様に目を付けられる……」
「司祭様を脅すなんて、とんでもねぇ悪人だ」
「信仰に従えば、おら達も良い暮らしができるんだ」
口々に放たれるのは、妄信と無能が織り交ざった言葉の数々。
とてもではないが、純朴などという見方はできない。
「あらまぁ、みなさん……殉教をお望みなのね?」
高速回転する双剣槍の切っ先から火花が散っている。
やがて切っ先は炎を纏うようになって白く輝きはじめた。
まるで母が頭上に天輪を出現させているかのように見える。
「Ĝiestas flamo. Brulanta ĉielo kaj bruligi lateron estas brulligno!(其は炎である。天を焦がし、地を焼く薪である!)」
滑らかな魔法言語の発音。
ブレのない魔法式の構築。
笑顔のまま放たれたそれは、数本の太い火柱となって母の周囲に顕現した。
「では、どうぞいらっしゃってくださいな? 〝業火の魔女〟が皆様の殉教をお手伝いして差し上げます」
◆
冒険者の界隈には、『伝説的な』という枕詞がつく人物が幾人か存在する。
俺も冒険者を志す者の一人として、彼らの名をいくつか聞いていた。
たとえば、〝英雄〟グランゾル子爵。
いくつもの迷宮攻略で成果を出した迷宮貴族である彼は、俺の憧れだ。
誰も彼もが、高い☆を持つ能力者達。
一騎当千の英傑達である。
教本には、成功者としての彼らが紹介されているページもあるほどだ。
まさかその中に、自分の母親がいるとは予想外中の予想外だった。
俺の中では、うっかりが過ぎるお茶目な母……というイメージしかないのだが。
〝業火の魔女〟ファルメリア。
南方の国『バラート』に新星のごとく現れた女性冒険者で、炎系の魔法を扱うことに関して特別なスキルを持っている――教本にはそう書かれていた気がする。
ひどく短気で、キレたら手が付けられない、とも。
「〝業火の魔女〟……アストルのお母さんが?」
大剣で村人を威嚇していたミントが、唖然とした顔で振り返る。
「あらあら、間違っちゃった。今は〝魔導師の母〟って名乗らないといけないわね?」
問題はそこじゃないと思うんだ、母さん。
「司祭様? 後ろに隠れていないで出てきなさいな? お話をしましょう?」
「あ、悪魔め! 見よ、あの者達は暴力でもって私達の信仰と生活を脅かす者だ!」
滑らかに回る口だが、よくもまぁこれだけの人数をけしかけてこちらの生活を脅かしておいて、そんな台詞が出てくるものだ。
しかし『信仰』に目覚めてしまった者達は、思い思いの得物を持って、一層の殺意を滲ませる。
あの揺らめく火柱を見てまだ立ち向かう勇気があるなんて、なかなか見上げたものだ。
「あらあら……それについては言い訳できないわ。この炎で焼き尽くした戦場は一つや二つではないものね……」
〝業火の魔女〟の功績の多くは、冒険者としてよりも戦争傭兵としての側面が強い。
『マールデン砦の戦闘』と呼ばれる戦いにおいて〝彼女は砦ごと敵兵を全て焼き払った〟と記述されている。
そんな魔法は戦術級魔法以外にないと思うのだが……少なくとも、個人運用できる魔法じゃないよな。
「や、やはり魔女だった! 悪魔の使いめ! ☆1などという神の敵を生み出した罪は重いぞ!」
「……ッ!!」
豚司祭のこの発言を、俺は看過することができなかった。
俺の☆の数を母の責任にするなど、本当に度し難い。
俺をここまで愛情深く育て、☆1とわかった今も変わらず受け入れてくれる母が……どうして責められる必要がある!
気がつくと、足元の石を拾い上げ、怒りにまかせて〈必中投石〉を発動していた。
破壊力を増した石礫が、矢もかくやという速度で直撃して豚司祭の右肩を吹き飛ばす。
盛大に肩がなくなったので、腕も落ちてしまったが。
「うが……ああああああああああ」
「取り消せ……!」
俺は魔法の小剣を抜き、司祭に向かって歩く。
「し、司祭様をお守りしろ」
「悪魔の子め!」
俺に粗末な小剣を振りながら襲い掛かってきた二人の村人に、無詠唱で〈魔法の矢〉を飛ばして膝をへし折る。
悲鳴を上げて地面を転がる村人を踏み越えて、俺は歩く。
「取り消せ」
「だま、黙れ……お前が、☆1が悪魔の子だということは、変わらな――」
豚司祭は最後まで言葉を紡ぐことができなかった。
足元から噴き上がった火柱が、彼の良く回る口が動き終える前に炭に変えてしまったからだ。
「もう、アストル。怒りで人を殺めてはダメよ?」
母が優しく諭すように口にした言葉が、背後から聞こえる。
「戦場で生きて、殺して、勝つためには、怒りに呑まれてはダメ。意思を持って、心穏やかに殺しなさい。それが蹂躙というものよ?」
母は笑顔のまま双剣槍を振るって、半ば炭化した元豚司祭の首を勢いよく叩き落とした。
焼け焦げた首が、背後に迫る暴徒達の前にころりと転がる。
「し、司祭様が殺された!」
「ど、どうすれば……!」
「なんてことを」
一瞬にして、周囲に動揺が広がる。
そうだ。後衛の俺が前に出てどうする。
冷静に状況判断するのが俺の強みで、仕事だったはずだ。
「ユユ、ミント! このタイミングで離れる! システィルを頼む」
「了解!」
状況に呑まれて動きを止めていた二人が、ピクリと反応して行動を開始した。
「母さん、俺達も行こう」
「そうね。一番の癌は処理したし、あとは村長さんがなんとかするでしょ」
そう笑うと、母は即座に撤退を開始した。
手際の良い退路確保と、敵対集団からの手慣れた撤退は、さすがとしか言いようがない。
「☆1と魔女が逃げるぞ!」
「司祭様の仇を討て!」
「恐れるな! 俺達には神様がついている!」
「殺せ! 殺せ!」
怒号とともに村人達が追いかけてくる。
狂信者どもめ。
自分もあの司祭のようになりたいのか!?
正気とは程遠いな……!
仕方ない、死なない程度に少しばかり苦しんで反省するといい。
俺は立ち止まり、魔導書を取り出す。
目標の魔法を想起すると、パラパラとひとりでにページがめくれ、ある魔法が記載されたページが開かれた。
――〈陰鬱な風〉。
ネガティブな精神汚染を撒き散らす禁呪。
どうせ悪魔の子だなんだと思われているのだ。
今更、こんなド田舎で禁呪の一つや二つ発動しても、評価はそう変わるまい。
「Via soleco, zorgoj, suferoj. Klarigi! Vundita! Doloro! Doloro! Doloro!」
素早く魔法を完成させて、周囲に仄暗い魔力を広げていく。
魔力をごっそり持っていかれたが、この人数を非殺傷で足止めするなら、有効な魔法だ。
広がる汚染された精神波の影響を受けて、次々と精神に異常をきたしていく村人達。
茫然自失となる者、あるいは小さな悲鳴を上げながらうずくまる者など、反応は様々だが、その効果のほどはダンジョンの奥で保証付きである。
何せ、心を持たないはずのアンデッドの精神すら汚染する魔法だ。
しばらく苦しむだろうが、殺されなかっただけマシだと思ってもらおう。
苦悶の声を背に受けながら、俺は歩いて立ち去る。
俺が育った村はたった二年ですっかり変わってしまっていた。
何もかもを清算して、俺はこの村を忘れよう。
母と妹を連れて、純朴で愚かで……腐ってしまったこの場所を後にしよう。
「ただいま。さようなら……もう、戻ることはないだろうけど、今までありがとう」
小さくそう告げて、頭を下げて……俺は自分の心に少し残った寂しさに決着をつけた。
■エピローグ 星空の下
俺達は今、東スレクト村と南スレクト村の中間部、小さな池があるキャンプ地で野営中である。
魔法で強化していたとはいえ、システィルにはずいぶん無理をさせて長い距離を歩かせてしまった。
とはいえ、ここまで距離を稼げたのは、俺達が村を脱出してからしばらくして事態に気がついたビジリが、馬車で追いかけてきてくれたおかげだ。
「いやはや、えらい目に遭いましたね?」
ビジリが苦笑いを浮かべながら焚火に枝を放り込んだ。
「まさか自分の故郷に☆1断罪派の司祭が赴任しているとは思いませんでしたよ」
その言葉に、ふむ……とビジリが目を細める。
「その、大変言いにくいことですけど……彼は司祭ではありませんよ? 『カーツ』の構成員ではありますけどね」
ビジリはさらりととんでもない情報をもたらした。
「司祭じゃない?」
「ええ、彼は司祭じゃありません。少なくとも、大神殿に登録された正式な司祭ではないですね」
「どうしてわかるの?」
ミントが興味津々といった様子で尋ねる。
ユユは少し眠たいのか、俺にもたれかかってうつらうつらとしている。
「彼の司祭服の装飾の一部が正規のものではなかったことと、中指に指輪をしていたことです。神殿所属の正規司祭は絶対に中指に指輪をしませんので」
それは俺も知らなかった。
「代わりに、隠してはいましたが、左腕に『カーツ』の構成員を示す刺青が入っていました。それに、彼は【詐欺】のスキル持ちです。商売柄、私はああいった手合いを避ける手段を持っているんですよ」
人心を惑わせる【詐欺】や【恫喝】のスキルは、精神系魔法同様に危険視されるスキルだ。
村人の様子があまりにも尖っていると思ったが、そういう背景もあったのか。
「あらまぁ……ビジリさんたら、いろいろお詳しいのね?」
笑顔と穏やかな言葉に、やや剣呑な雰囲気を滲ませる母。
警戒するのは当たり前か。
その気配を感じ取ったのか、ビジリは降参とばかりに肩を竦めて告げる。
「私は元司祭ですからね」
「え」
思わず変な声が出てしまった。
「あいにく、肌に合っていなかったのでやめてしまいましたが。この旅暮らしの生活が私には合っているようです」
柔らかな物腰や広い視点……改めて見ると、司祭だと言われても納得できる点がいくつかある。
「しかし……こんなところにまで『カーツ』の活動範囲が拡大しているとは驚きですね。商売人としても元神殿関係者としても、由々しき事態だと思います」
一つ良い点があるとすれば、あのエセ司祭が単なる過激組織の一員で、本物の司祭ではなかったということか。
怒りと流れに任せて命を奪ってしまったので、どう神殿の目をごまかそうかと考えていたのだ。
そういう事情なら、村人が問い合わせたところで〝そんなヤツいません〟ってことになるだろうし、正気に戻れば、村のみんなもそれなりに省みることもあるだろう。
「ビジリさんは良かったんですか? 冬至祭までは滞在するって言ってたのに」
「あの様子では、商売にはならないでしょう。それなら、皆さんと一緒にローミルまで行った方が安価で安全だし、儲かります。上手くすれば、ローミルの冬至祭に間に合うでしょうしね」
打算であることを隠さないところが、逆に信用に足る。
それに、旅慣れていないシスティルを馬車に乗せて移動できるのは、俺達にとっても都合が良い。
予想外に母が健脚だったことは、今は考えないでおこう。
「じゃあ、南スレクトには寄らないんですか?」
「早めに離れた方が良いでしょうし、この際ですから冬至祭に間に合うように、素通りしましょう」
ビジリの気遣いを感じると同時に、少し安堵する。
南スレクトも俺の故郷同様に大層な田舎である。
この一帯に『カーツ』の手が迫っているなら、簡単に落ちてしまっているだろう。
補給をしたら、さっさと先を急ぐのが望ましいと俺も考えていたのだ。
「お兄ちゃん、ちょっと眠くなってきたかも……」
システィルが目をこすっている。
「テントを立ててあるから、もう寝るといい」
テントは、大人が四人入っても充分に横になれる大きさのものを選んである。
ビジリには悪いが、テントは女性陣に使ってもらうとしよう。
「ユユ、システィルと一緒にテントで寝るといい」
「ん。ありがと」
ユユは素直に頷いて、システィルとともにテントに入っていく。
「ミントも母さんも、寝ていいからね」
「アタシが寝たら見張りはどうするのよ」
「俺が一晩やるよ。明日の日中は馬車の上で荷物になってるけどな」
「あらまぁ、アストルったら。なに? ミントちゃんにいいとこ見せちゃうの?」
母さん、黙っててほしい。
伝説級冒険者が同行しているのに危険な街道など、そうそうない。
そもそも、さっきから恐ろしい雰囲気が駄々洩れで、小動物すら寄ってこないじゃないか。
普通、この辺りで火をたくと『火鼠』が寄って来るものなんだけど。
「いいから、ほら……母さんも」
「あらやだ、反抗期かしら……フフフ」
ニコニコと笑いながら、母もテントへと入っていく。
「ビジリさんは申し訳ないですけど……」
「馬車の番もありますし、お気になさらず」
立ち上がるビジリに、毛布とマントを差し出す。
「魔法で強化してあります。寒さは充分に凌げると思いますよ」
「以前の宿での会話は……冗談ではなかったんですね……!」
毛布を羽織ったビジリの顔が、驚きの表情へと変化していく。
「驚いたでしょ!? アストルは凄いのよ?」
何故お前が得意になるんだ、ミント。
「ミントも早く寝ろ」
「え、やだー。もうちょっと一緒にいようよー」
結局俺は根負けして、ミントに付き合って薄い果実酒を一本開けることになった。
たまには恋人とよく似た顔の姉と飲む酒も悪くない。
……そんな風に思いながら、俺は爆ぜる焚火の音を吸い込んでいく、冷えた満天の星空を見上げた。
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