掟破りのキサ

田原更

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四章:脱走のあとで

15話

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「違います……私にそんな大それた力はありません。私はただの娘です。この傷は、病の苦しみから逃れようとしてつけたものです」

 キサは必死になって嘘をついた。

「お前の病は、目が緑色になる病ではなかったのか?」

 それはアイサがとっさについた嘘だった。

「三代揃って、嘘つきどもめ。文字を知らぬと言う、でたらめな病を作り出す、そうして私を騙そうとしたのだろう。その場で斬って捨ててもよかったのだぞ」

 男はそう言って、キサの顎をくいっと持ち上げた。キサの首の傷跡やその下をまじまじと見ているようだ。

「やめて……見ないで……」

 キサは懇願した。こんな屈辱は生まれて初めてだった。もしかしたら、腕をひねられたとき以上に辛いかもしれない。男はキサの顎から手を離した。

「お前はそう簡単には口を割らないだろうな。私に似た匂いがする。拷問にかけても構わんが、身体が弱いのは本当だろう。こんなに華奢な身体をして。口を割る前に死んでしまいかねん」

 男はにやりと笑った。私はこんな人を、美しいと勘違いしたのだ。なんと愚かだったのだろう。キサは心底ぞっとした。

「まあ、よい。お前以外にも知っている者はいるだろう。これからお前は私とともに村へ行くのだ。お前を人質にとって、村人に迫ろう。お前は村長の可愛い孫娘なのだ。言うことを聞かねば、この場で孫娘の手足を切り取ると言えば、正気ではいられまい」

「そんなことを……そんなことをしても、無駄です!」

「ほお?」

 男は何かを期待しているような顔をした。負けまいと、キサは唇に力を込めた。

「私を人質にしても無駄です。たとえ、村の皆の前で、私の手足を切り取ったとしても、誰も、あなたの言うことなど聞きません。掟を破った者は、もう風の民ではありません。風の民は、なによりも掟を大切にするのです!

 疑うのなら、今ここで私の右腕を切り取って、村へ持っていけばいい! 私の右の中指には、ほくろがあるの。それを見れば、家族ならすぐに私の腕だとわかるわ。だけど、家族の誰も悲しんだりしない! 私は家族から捨てられる覚悟を決めて、村から出てきたのです!」

 キサは息巻いた。胸がどきどきと高鳴った。こんな恐ろしいことは口にするだけでも嫌だった。いえ、それは今までの私のこと。たった一人で神と戦うと決めた今、恐れてはいけないのだわ、キサはそう思った。

 男は目を丸くして、やがて拍手をした。

「よく、それだけのことを言った。お前の度胸には感服した。ならば、やり方を変える」

「……どうするつもりですか」

 キサは男をきっとにらんだ。

「これからお前は私の客人として、ここで暮らしてもらう。ゆっくりと、話を聞こうではないか。どんなに気丈でも、お前は所詮、ただの娘なのだ。いずれ折れる。それを証明してやる」

 男の言葉に、キサは首を振った。

「お願いです。私をここから出してください。私は何も知らないのです。あなたの力になどなれぬ、ただの娘でございます」

「たとえお前が、滅びの神を呼べる者ではなかったとしても、十分だ。お前が知りうるすべてを知ってから、次の手を考えるだけだ。私は気が長いのだ。なにしろ、三年間、屈辱と暴力に耐えた男だからな」

 にやりと笑う男を見て、キサは息が苦しくなってきた。

「お前に一つ忠告しておく。逃げ出そうなどと思うな。お前は一人で生きることなどできぬ。麓のことなど、何一つ知らないに等しいのだから。たとえ逃げ出したとしても、他の男に捕まり、暴力の餌食になるだけだ」

 男はまた、軽蔑したような眼差しをした。キサは、無知で無力な自分が心底嫌になった。

 男は呼び鈴を鳴らした。すぐに、一人の女が部屋にやってきた。

「この娘は私の客人だ。部屋に案内してやれ。支度をさせたら、またこの部屋に連れてこい」

「かしこまりました」

 女は男にうやうやしく礼をした。キサを「お嬢さま」と呼び、別の部屋に連れていった。その部屋では女がキサを着替えさせようとした。キサは面食らった。

「やめてください。自分一人でできます」

「まあまあ、お嬢さま。お嬢さまの身の回りのお世話をするのが、わたくしの仕事でございますから……」

 キサは、麓の人間は風の民とは随分違うなと思った。女が着せてくれた服は、随分ひらひらとしていた。

(恥ずかしい……)

 キサは頬を赤らめた。


 キサは再び男がいる部屋に連れていかれた。男は椅子の向きを机と反対側に変えて、四角い形のものに目を通していた。

(何かしら……)

 キサは疑問に思った。男はキサの目線に気づいた。

「これは本だ。見たことはないのか?」

 キサは何も答えなかった。

「まあ、見たことはあるまい。お前たちは文字を使っていないのだからな」

 男は意地悪く笑った。嫌味を言われて、キサはむっとした。

「ならば、これも見たことはあるまい」

 男は机に向き直り、何か書くような動作をしてから立ち上がった。続いてキサに薄い切れ端を手渡した。何か文字のようなものが書かれていた。

「これは紙という。文字を書き留めるために使うものだ。お前はここに書かれた文字を読めるのではないか?」

 キサは紙に書かれた文字のようなものに目を通した。その文字は、風の民の文字を簡素化したようなものだった。

(ええと、ダ、ネ……ル? ルは、こんな綴り方をしないけれど……? 意味は、よい、鳥の神、足? 不思議な言葉ね)

「これは、このアバンド大陸で広く使われている文字、いわゆるアバンド文字だ。私たちとお前たちが使っている言葉を、そのまま文字にしたものだ。しかしお前たちはアバンド文字を知るまい……お前たちの村に、アバンド文字を使った形跡はまるでなかったと、調べがついている」

 キサは自分の思いを顔に出さないように注意した。キサは、意外だと思っていた。知らない、見たことのないはずの文字なのに、何故か、なんとなく、読むことができたからだ。

「だが、読めるのだろう? はっきりとはわからなくても。そこには、ダネルと書いてある。それは私の名前だ。『判断』という意を示す」

(どういうこと? 意味が全く違うわ)

 キサは動揺を顔に出さないように注意した。しかし、それはうまくいかなかったようだ。

「お前たちはこの文字に、全く違う意味を持っているようだな。お前たちと私たちでは、文字の捉え方が違うのだろう。私たちにとって、文字は音を表わす記号に過ぎないが、お前たちは二つの文字を組み合わせ、そこに意味を持たせているようだ」

 男は、どこかうっとりしたような表情をした。その顔は恐ろしかったが、やはりその銅色の髪と青い目に、キサは引きつけられるような思いがした。

(だめよ……)

 キサはその思いをかき消した。

「私はお前たちの文字を『落書き』と一笑に付したが、実際、そのときは宝を見つけた気分になったものだ。お前たちの文字とアバンド文字はそっくりだ。その形をたどれば……私にだって、お前たちの文字を『読む』ことはできる」

 そう言うと、男は、キサから紙を取り上げ、机に向き直ってまた何かを書いた。そこにははっきりと、ダネルと書いてあった。キサたち風の民の文字だった。ルだけは中途半端な綴りだが。

「これも、ダネルだ。しかしその意味は……私にはわからない」

 そう言うと、ダネルはキサの肩に両手を置いた。

「お前たちの文字は、その意味がわからなければ全く無価値だ。だから私は落書きと言ったのだ。お前に教えてもらおうか。その意味を」

 ダネルはキサの肩を力強く握りしめた。だんだん、痛みを感じるようになってきた。キサは痛みをこらえて、ダネルをにらみつけた。

「そう簡単に話してはくれないか。まあ、今日のところは、お前がアバンド文字を読めそうだとわかっただけでもよい。もう、部屋へ戻るといい」

 そう言うとダネルは、キサを世話する女を呼び出した。キサはあてがわれた部屋に戻された。キサは長いため息をついて、寝台にどっと倒れ伏した。

 初日は水も食事も摂らなかった。自白作用のある薬や食べ物でも入っていたら困ると思ったからだ。二日目も食事は摂らなかった。三日目には食事を摂った。食事を摂らずに緩慢と死に向かうのも、自殺と変わらないと思ったからだ。麓の食事は豪華だった。しかし、おいしいとは思わなかった。

 キサはダネルに何を聞かれても何も答えなかった。女たちがあれこれ世話を焼いてくれたが、気を許さないようにした。キサは、この三年間、ずっと家にこもっていたから、他人を拒絶するのは辛くもなんともないと思っていた。

 しかし、鏡に映る自分は日に日に輝きを失っていった。朗らかな母親と過ごしていたあの日々では、家に一人でも、確かに笑っていたはずなのに、今のキサは笑うことがない。まるで悪霊のようだ。

(カ・モ・バージュ……)

 もう、アイサすら、キサのことを美しいなどとは思わないだろう。キサは目を伏せた。
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