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ジキタリスの花
〖第9話〗
しおりを挟む「相模………」
いつの間にか、先輩からは『相模くん』から『相模』と呼ばれるようになっていた。その時、何だかとても嬉しかった。何度も何度も呼んで欲しいと思った。なのに、今は苦しいだけで、嬉しくない。
先輩は、荷物をまとめ帰ろうとする僕の手を握り、裏庭に行く。腕を引く強さが、何を示すのか解らなかった
先輩は、暑さに負けてとうに枯れたジキタリスのようにクシャリとなったような僕を心配そうに見つめる。花を食べたいと思った。薬になるなら、この苦しさも治まるんじゃないかと思った。
「……先輩、聞きましたよね」
暫くの沈黙のあと、
「……ああ」
先輩は小さく言った。僕の顔が悲しみに歪む。
「……先輩には、知って…知って欲しくなかった!あんな扱いを受けてるなんて、知られたくなかった!」
そう言い、何を思ったか自分でも良く解らなかったけれど、先輩の胸の辺りを両手で叩きながら堰をきったように、僕は初めて声をあげて泣いた。ただ涙が溢れた。先輩は僕を抱き竦め、僕の背中をさすってくれた。僕は脱力し、先輩の胸に顔を埋めた。
僕は初めて『泣くこと』を知った。先輩の胸は広くてひんやりしていて、香水みたいな、いい匂いがした。僕は、先輩にとって何だろう、と思った。きっと可哀想な捨て犬のようなものだ。それでもいい。しゃくりあげるのはまだ止まないが、何とか泣き止んだ。
「治まった?具合、大丈夫?」
具合が悪いわけじゃないのは先輩も僕も解っていた。
「大丈夫です。すみません、急に泣いたりして。恥ずかしいですね」
「相模には、泣くところがなかったんだね。泣きたくなったら俺のところにおいで。ほら、おいで。もう独りで泣かないで欲しい」
先輩は優しい。欲しかった場所までくれる。僕は、先輩にしがみつき、また泣いた。さっきとは意味が違う涙だった。
帰る場所を見つけたように、静かに泣いた。さっきよりずっと強く背中に回された先輩の手はいつもと違い、暖かかった。涙を流すよりも、背中の手の暖かさが心地よいと思った時に、僕が先輩に抱く感情の名前が解った。
パールのように光る入道雲が出ていた。僕は初めて空を見た気がした。
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