黒将軍と蒼薔薇の庭〖データが飛んだので改稿です。読み切り〗

カシューナッツ

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黒将軍と蒼薔薇の庭

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    蒼の国と緋の国で激しく戦いが行われていたとき、私は緋の国の夜襲で村が焼き討ちに遇い、孤児になった所を、蒼の国の大将軍ジルベルト様の軍勢に助けられました。

    もう、行くところも、生きる意味をも見失う私でしたが、蒼の国の負傷兵への配給や、年若なので周りの方々の『まかない』を作るお手伝いをしていました。自分の料理で誰かが笑顔になることは、そのときの私の生き甲斐でした。だから、偶然ジルベルト様の屋敷の料理長に料理の腕を見込まれて、ジルベルト様の屋敷に引き取って貰ったことは、とても幸運なことでした。与えられた仕事は城で働くひとのご飯を作ることです。

 所謂『まかない』です。それに雑用や、調理助手です。そして、ジルベルト様の食後のデザートを作る大役を任されました。デザートを作ることは私は一番好きなことでした。食事の最後の甘い一時の贅沢です。

    そのときは、丁度、蒼の国と緋の国が休戦調停を結び、束の間の平和が訪れていました。

    その頃の蒼の国の孤児院は酷いものだと噂には聞いていたから、私はとても運が良かった。優しい仲間。暖かいベッド。けれど、アップルパイを作ると、たまに思い出してしまうのです。昔から私は家族の皆に言われていました。

『本当にイルは料理が上手ね』
『アップルパイなんてお店が出せるわ』
『イルのお菓子はひとを幸せにするなあ』
    
 家族のことを思いだすたびに、お屋敷の抜け道の奥の、森の中。珍しい蒼い薔薇が咲く美しい庭に来ていました。私はここで蒼い薔薇を初めて見ました。ここは、少し湿度があって、薔薇の匂いが立ち込める、神秘的な、触れてはいけない、踏み込んではいけない禁足地のようでした。

『おかあさん、おとうさん、天国は良いところ?おばあちゃん、きっと天使様が胸の病気を治してくれるよ』
 
 そんなことを願いながら、蒼い薔薇に触れます。願いは真実なのに、独りになったという現実は、私をひどく切なくさせるのです。

「みんなに会いたい……。おかあさん……おばあちゃん」

 庭をつつむ甘い匂いが涙を誘います。私は人目も憚らず泣きました。今思えば戦火に全てを失い独りになって泣くのは初めてでした。一日を生きることに精一杯で、こんな風に泣くなんて出来なかった。

「……どうしてこんな所に子供がいる?」
 
 厳しい声に泣き濡れた顔で振り向きました。見目麗しい、長い黒髪のオニキスのような瞳をした……黒将軍。蒼の国『聖女』エリアラ様の言わずと知れた忠臣、ジルベルト様。蒼薔薇の飾りをつけた黒毛の馬を引き、私を見据えています。

「どうして私の庭を勝手に歩いている。ここは私だけの庭だ」

「………も、申し訳ありません、ジルベルト様。わ、私は、イルと言います。屋敷で『まかない』を作らせてもらっています。ジルベルト様にお出ししているのは、甘いものだけですが……どうか、どうか、此処においてください。お願いします………」

「……アップルパイもお前が作っているのか?」
    
 私は小さく頷きました。アップルパイは私の一番の得意のデザートです。俯いているとジルベルト様は、私の頭を撫で、

「………お前の作るデザートは私の楽しみだ。お前にこの庭で泣く権利をやろう。泣き止んだら屋敷に戻れ」

     振り返ると、切なそうに蒼い薔薇を眺めるジルベルト様がいます。私の胸も苦しくなるような、そんな瞳をしていました。
───────────────
「………今日のメニューは?」

「ストレートティーとアップルパイです」
    
 最初は『子供相手にままごとだな』ジルベルト様は苦笑し言われました。けれど、段々とジルベルト様はまるく微笑んでくれるようになりました。私は毎日一人分の紅茶とデザート──アップルパイを用意し、毎日、蒼い薔薇の庭へ通いました。最初は一週間に一度会えれば良かった。逢えない日は肩を落とし、独りでティータイムを過ごしました。
    
 逢えた日は、ジルベルト様に紅茶を淹れます。少しでも楽しんで頂けたら。ティータイムの度にジルベルト様は花の話を良くしてくださいました。ジルベルト様は薔薇が好きで、中でも此処しか咲かない蒼い薔薇は大切にしていると仰っていました。

「この薔薇は四季咲きの薔薇だからな。いつも私を慰めてくれる」

 私を見るジルベルト様の瞳に影が射した気がしました。私は知らないふりをしました。自分の胸が突かれたように痛んだことも。私は謎の痛みを抱え、毎日のティータイムをジルベルト様とこの秘密の蒼薔薇の庭で過ごします。

「……お前のような子供が働かなければならない世の中とはな。学校へ行き、学びたいことはなかったのか?」

「料理です。だから、私はジルベルト様に会って救われました。毎日ジルベルト様が食べる様子を見て好き嫌いを判断して、栄養があって美味しいものを、と考えます」

「ありがとう。諭い子だな」

    髪を撫でてくれる大きな白い冷たい手。不意にザァッと音をたて薔薇の庭に風が吹きました。
 
 揺れる蒼い薔薇。薄暗い森を、光が裂くように明るく照らしました。私の金の髪がきらきら光を反射します。薄紫の瞳には光は眩しい。ジルベルト様はマントで私を覆い抱きしめ『風が収まるまで──暫くこのままで』と仰りました。
    
 胸が苦しい。ジルベルト様の香水の匂い。抱きしめる腕の体温。湿度……。風が収まると何事もなかったように、無表情を装いながらジルベルト様は、マントを翻し「すまなかった」とだけ言いました。
    
 今日のジルベルト様は変です。いつものように私を見て笑ってくれません。
    
 俯きがちに、早くこの時間が──私といる時間が過ぎればいい、と言わんばかりの気まずい面持ちで、無言で、ジルベルト様はいつも通りの綺麗な所作で紅茶をお飲みになります。
    
 今日は自慢のアップルパイです。ジルベルト様はシナモンがお好きなので少々多めにいれたのに──いつもなら、気づいてくれるのに──何も言わず今日は黙々とアップルパイをお食べになります。

 私は偶々余ったアップルパイを今日に限って持ってきていました。涙目になりながら口に押し込みました。味なんかしません。

「イル?」

「美味しくないなら美味しくないと仰って下さい。もう、作りませんから!」

    食べ終わった食器類をバスケットに手早く、乱雑に戻していきます。

「イル?言いたいことがあるなら言え。どうした、急に。お前らしくない」

    ジルベルト様は私の手首を掴み、私を見つめました。私もジルベルト様を見つめます。私の右目から一筋涙が頬を伝いました。空いた左手で涙を拭いました。何一つジルベルト様は解ってらっしゃらない。

「らしくないのは、ジルベルト様です。私はこの蒼い薔薇の庭でジルベルト様に会うのが楽しみでした。毎日お菓子を作る時間は何より好きだったのに……手を離してください。何も言わないで下さい………お願いです」


『どうしてあんな風に抱きしめたりなさったんですか?』


    その言葉を必死で飲み込みました。声が潤むのを必死で耐えます。ジルベルト様は、手を離してはくれません。

「イル。聴いてくれ………君の髪と瞳の色が………あの方と同じだった。あの方は『禁忌の人』だ。アップルパイ、シナモンがきいていて美味しかった。また、頼みたい」

「……下賤の私には触れて良いということですか。そうですよね。私はただの孤児です。親もいない、まともな教育も受けていない……でも、自尊心くらいはあるんです……アップルパイは見習いのルークにレシピを書いてあげました。今後はルークに頼んで下さい………私は……『私自身』はどうでも良かったんですね。ここにジルベルト様と過ごす時間を楽しみに来ていた私は馬鹿みたいです。本当に、馬鹿みたい……ジルベルト様が見ているのは私じゃなかったのに……」

「イル……すまない……」

 力なく、ジルベルト様は私の手を離しました。

 この方のこういうところが好きでした。優しくて、不器用で、あまりに一途にエリアラ様を想うこの方が好きでした。けれど、あまりにも残酷です。今の言葉で、ジルベルト様は全てを肯定したのです。ジルベルト様が見ているのは私じゃなかった。楽しいティータイムも私である必要はなかった。

「私はイルです!エリアラ様じゃない!アップルパイなんて、もう二度と作らない!」

    私は泣きながら叫ぶようにジルベルト様に言いました。そしてバスケットを持って蒼い薔薇の庭から兎のように立ち去りました。

    私は、その日を境に蒼い薔薇の庭へは行かなくなりました。そして思いました。恋をしていたんだと。あの胸が痛んだあの日から。見えないひとに嫉妬をして。長い黒髪の、黒い瞳。優しくて、美しいあの方。私の初めての恋を、恋の終わりという形をもって気づかせたジルベルト様に。

    料理の手順が頭に入りません。デザートも味がしません。使えないコックなんて、追い出されるのは時間の問題です。私は新入りのルークにレシピを渡し、部屋で休んでいました。

    案の定、ある夜、執事様からジルベルト様の書斎に呼ばれました。

    執事様は重いドアを開け、私が入るとドアを閉めました。ジルベルト様は窓を見ています。窓に私は映っていても、私からはジルベルト様の表情は読めません。

「私は待っていた。ずっとあの日から蒼い薔薇の庭で。毎日、君を待った。なのに、君は来ない。ディナーの後のデザートも、君の味じゃない。似ているが、違う。私はエリアラ様を、勿論敬愛しているが、君のことはそれとは違ったかたちで想っている。こんな年の離れた私が、ずっと君を探している。君について料理長に執事に訊かせたら『そっとしておいて欲しい』と。君は皆に愛されているんだね。あの庭の時間は私も楽しみにしていた。近くへ、おいで」

    私はジルベルト様の傍に歩み寄りました。

「イル。君を抱きしめて、いいか?」
    
 私は頷きました。暖かい、広い胸に顔を埋めます。柑橘のような甘い香水の香り。

「君からは甘いお菓子のような香りがする。口づけをしたら、林檎の味はするのか?」

「わ、解りません」

「試してみようか………」
    
 ジルベルト様はそっと右手で私の頬をくるみ口づけました。生まれてはじめての深い口づけです。私はただうっとりしてしまいジルベルト様のされるがままでした。

「焼き菓子と林檎の味がするな」
    
 口唇を離したジルベルト様は言いました。私はただ与えられる初めての感覚に夢中になりました。はしたなくも、もう一度と口づけをねだるように見つめました。

「口づけは、初めての………はずだな。しかも年頃の少年が……すまない。嫌だったろう」

「嫌だなんて、そんな………」
    
私はジルベルト様が愛しいと、瞳で訴えました。ジルベルト様は私を抱き寄せ仰いました。

「イル……愛しい、イル……」
    
 何度も繰り返し口づけると、身体が火照ります。書斎の隣は寝室です

「来るかい?」
    
 ジルベルト様の柔らかな声。そして差し伸べられた手を私は掴みました。寝室の扉を後ろ手に閉め、口唇や吐息。言葉を重ねます。

「ずっと……お慕いしていました、ジルベルト様」
    
 ジルベルト様は柔らかく微笑みました。

「私も、愛しているよ。ずっと、君を」

「ジルベルトさ……」

「二人の時は『ジル』でいい。亡き母と父しか呼んだことはない。無論エリアラ様も知らない」

「ジル……?」

「ああ、イル………」

    私は何度も『ジル』と呼びました。重ねる口唇に、呼吸が早まります。ジルベルト様が身体に触れ、指を絡めます。声も絡み、ジル様の長い黒髪も私の金色の髪に、身体に絡みつきます。心は?絡みあって離れられなくなればいいのに。情事の後、微睡む私の頬をジルベルト様は、優しい顔をしてずっと撫でてくれました。
    
 それから毎日、私は一生懸命デザートを作りました。周りの先輩のシェフからはたくさんの料理を教えてもらいました。いつの間にか時は過ぎ、ジルベルト様のお抱えです。周りの皆からは、称賛と『頑張れよ』の声。調理場のひと達は皆いいひとです。男気があって、優しい。私の部屋は調理場直結の休憩部屋です。狭くて落ち着きます。ジルベルト様が食べたいものをすぐ作って差し上げられる。
    
 料理を運んで、下げるのも役目です。一通り食べり、食器を下げるときにジルベルト様は、私の耳元で、そっと、

「今日はイルも食べたい」
    
 と、仰います。夜も更けた頃、ジルベルト様に私は『食べられ』ます。
    
 そんなある日、緋の国が休戦調停を破り、国境付近の聖女エリアラ様の陣営になだれ込みました。ジルベルト様はエリアラ様を救出するため、軍を出しました。何とか間に合いジルベルト様はエリアラ様を救出し、転戦に長じエリアラ様と共に緋の国を攻略していきました。
    
 そして緋の国の王都に迫る白百合峠の戦い。聖女エリアラ様は賄賂で寝返った将校達の慰み者にされ、緋の国に捕らえられてしまいました。
    
 ジルベルト様はエリアラ様を助けるため、敵や賄賂で自国を裏切った味方の将軍を捕らえました。そして蒼の国王に、人質の交換を提案要請をしました。しかし、薄情にも蒼の国王は無視し、蒼の国の旗印、聖女エリアラ様は緋の国で、罪人として刑場の露と消えました──。
    
 この悲報を聴いた屋敷の者達は、悲しみにくれつつ荷物をまとめ出ていきました。聖女エリアラ様亡き今、ジルベルト様は自害をするだろうと言う噂が流れたからです。私は言いました。

「きっと帰ってくる。待っていてくれと将軍は言いました!」
    
 出陣の前日、将軍は私をお召しになりました。けれど、翌日、部屋には誰もいませんでした。いつもなら、私の金の髪を梳きながら『おはよう。いい夢は見れたか?』などと甘い言葉を吹きかけて頬に口づけてくれるのに。ただ、テーブル走り書きの手紙がありました。


『敵の急襲で国境へ行く。エリアラ様の陣が危ない。次の戦は長くなる。誰にもお前を傷つけさせたりしない。一生、君を守り、愛することを誓う。いつか、きっと帰ってくる。だから待っていてくれ。愛している。イル、君だけだ。君の恋人──ジルより』


    手紙を握りしめ、私は泣いて暮らしました。屋敷にただ独り残り、毎日少しのお菓子を作りました。レシピの研究です。ジルベルト様に新しく美味しいお菓子を食べてほしかった。

 あとはジルベルト様の使われる部屋の掃除。庭の手入れ。早く、帰ってきて欲しい。傷ついた心を少しでも癒すことが出来たなら。あの方の悲しみの受け皿になれたなら──ですが、今或るのは想いだけ。あの方に会いたいと想う気持ちと、この蒼い薔薇が見せる、かつての二人の眩しい影だけ。

    毎日繰り返される三時のティータイム。蒼い薔薇の手入れをして、草をむしって。布を敷いて、サクサクのアップルパイはシナモンが効いています。

「ジルベルト様。会いたい………」

「……イ………イル?」
    
 振り向くと、黒髪の長い髪、オニキスのような瞳。連戦を戦い抜いた傷だらけの鎧。

「………ただいま……イル………」

「ジルベルト様。ずっと、ずっと、お待ち申しあげておりました……ずっと、信じて。帰ってくると……信じて……」
    
 言葉の途中で抱き竦められました。温かい。生きておられた、無事に帰ってこられた。腕を解かれた私はジルベルト様のお顔に触れました。涙が溢れてもう顔など解らないくらいです。

「夢じゃありませんよね?夢なんかじゃ、ありませんよね?ジルベルト様。ずっと、お待ちしておりました」

「イル。これからここは昔通り私の領地で、私が領主だ」

「屋敷の皆を集めましょう。幸せに暮らしましょう」

「そうだな。それは、アップルパイか?」

「はい。丁度三切れあります。お好きでしょう?疲れには甘いものがいいのですよ」
    
 そう言い私がバスケットを渡すのに手を伸ばすと、ジルベルト様が驚いた顔をしました。

「こんなに、こんなに痩せ細って…!!」

「そう、ですか?いいんです。ジルベルト様にもう一度会いたいと、それだけを願って生きてきました。ジルベルト様こそ、長旅でお疲れなのですから。食べて………」

「いらない!イル、君が食べろ!こんな……骨と皮だけじゃないか!」

「いらない、ですか。………『ご結婚おめでとうございます』と言うのが、遅れたのがお気に召しませんでしたか」

「どうして……そんな、ただのアップルパイじゃないか!何でそんなに意地を張る!」

「死ぬ前にもう一度『イル』と貴方の声で私の名前を聞きたかった。それに、ただのアップルパイじゃありません。アップルパイは、私の、綺麗な想い出なんです」

「イル!死ぬだなんて言うな!」

「自分の死くらい解ります。それに──もう私にはあのころの輝きはありません。奥さまにも解るように、レシピは全部書いてあります。…お暇を……下さいませ。ジルベルト様にも、こうして再び会うことが出来ました。私には充分です」

「出ていくというのか、こんな今にも………倒れて死んでしまいそうな身体で!」
 
 私はふふっと笑って言いました。

「ジルベルト様と奥様は仲が良いと有名だとか。お子さまは三歳になられたと聞きました。悋気に身を焦がしながら笑うふりなどしたくありません」
    
 私は力無く笑いました。

「なら……何故待っていた?屋敷を守り、庭の手入れをし、こんなに痩せ細って。どうして、どうしてだ!」

「………もう一度、もう一度で良かった。会いたくて……貴方に会いたかったんです。恋とは不可解な感情ですね。捨てられた身だとは、ずっと前から解っていました。惨めでも、無様だとも解っているんです。それでも、貴方に、会いたかった……。だから、最期のアップルパイです。なのに、いらないなんて……酷いひとです。貴方はいつでも酷い。いつの間にか私を抱いた後、微睡む私の頬を撫でながら必ず『愛している、エリアラ』と仰っていましたね……私は、貴方の中で私ですらなかった……」

「イル………」

    ジルベルト様が泣きそうな顔をなさっていました。そんな顔をなさらないで下さい。卑怯です。全てを許して差し上げたくなります。それに、最期くらい『私』だけを見て欲しい。エリアラ様でもなく、昔の輝きの中の私でもなく、今の、ただの痩せ細ったみずぼらしい私を。

「さよなら、ジル……愛していました。たとえ貴方が誰を愛していても、私は確かに貴方を愛していました……ああ、やっと言えた………」

 ああ、思い残すことなく死ねる。視界が暗くなっていきます。私は確かにあの方を愛していました。憎しみなんかありません。蒼い薔薇の庭でのティータイム。罪の林檎に禁断の庭。

「私のお墓はこの蒼い薔薇の庭に」

「しっかりしろ、イル!」

「ジル……さよなら。私は、ずっとあなたを──」
    
 風が吹きます。ジルベルト様は私を抱きしめて下さいました。愛しい者を守るような、私を愛しているような。今更どうして?それほど私はは可哀相ですか?

「アップルパイ、二人で食べよう?君の淹れる紅茶は逸品だ。まだ伝えてないことがたくさんある。話したいことも、たくさんある!だから、イル、駄目だ!私が悪かった。お願いだ!」


『──ジル……愛していました。待っているだけで私は幸せだったんです』


    私はそう言うと、一瞬にして、碧いジルベルト様にかつて戴いた金色の髪を飾るリボンと、一握り程の白い砂、そして薔薇の花びらを残して、ジルベルト様の目の前で消え失せました。どうしてもジルベルト様に伝えたかった言葉を告げることも薔薇が助けてくれました。蒼い薔薇の魔法でしょうか。

「イル、イル……許してくれ!!」
    
 ジルベルト様、泣かないで下さい。私と貴方は、この世で結ばれる運命ではなかったのです。どんなに想っても、どんなに愛したとしても、ときに何かがそれを阻む。ずっと貴方を愛しています。叶うならもう一度出逢いたい。私はいつかの夢を見ます。叶うことを願いながら蒼薔薇の花びらと風に乗り旅をします。
    
────────────

 ジルベルト様には幸せになって欲しい。ただ、その幸せ中に私がいないのは、淋しいですが。私は、あの方の微笑った顔が好きでした。
    
 風に乗り、朽ちた常世の身体と私は別れ、私は消え去り、蒼い薔薇の花びらと旅をします。空を飛び、色々な都市に行きました。
    
 最後の旅の果てはあの蒼い薔薇の庭に戻ります。仲睦まじいジルベルト様のご家族の様子を喜べる程、私は出来た人間ではありません。そう思い『行きたくない』と、私は蒼い花びらに目配せしますが、蒼い花びらは急に黙りこみました。
    
 庭を見ると、埃まみれのマントを着て、白髪交じりの艶もない長い髪の腰の曲がった老人が、いつも私がジルベルト様に淹れていた銘柄の一番小さな特別仕様の紅茶の缶にあの碧色のリボンを掛け、缶に向かって話しかけています。所々、錆びてしまっている缶。たまに老人は愛しそうに、それを撫で目を細めます。

「ほら、紅茶を淹れるのも上手くなったろう?もう自分でアップルパイが焼ける。あの頃私も若かった。君は私を……許してくれるか?」
    
『都合が良い話だ』と呟き、老人は自嘲しました。

「私は、君を傷つけた。裏切った。許してくれとは言えない。けれど、愛しているんだ。愛していたんだ。イル……」

    私は、自然と頬に涙が伝う感覚を覚えました。

「もう、いい。苦しい記憶だけの繰り返し苦しむ貴方を見るのは、私はつらい」

    不思議とジルベルト様は私の姿を探します。声など聞こえるはずはないのに。

「イル?居るのか?迎えにきて、くれたんだな。今、行く。すぐに、傍に行くから」

 そう言い、短剣を懐から取り出し、躊躇いもなく頸にあてた瞬間、ジルベルト様は、衣服を残し、一握の砂になり、消え失せました。

「やっと、会えた、会いたかった。イル……」

「ジル………」

    ジルベルト様は、私をくるむように抱きしめ、身体を震わせ泣きました。

「もう、君を独りにしない。傷つけたりしない。すまなかった、イル、すまなかった」

    私はジルベルト様の背中にそろそろと手を回しジルベルト様の胸に顔を埋めました。

「これからは、ずっと一緒です」

    上を見ると、艶やかな長い黒髪の在りし日のジルベルト様です。ジルベルト様は、私の顔を真っ正面から見ようとはしません。

「ジルベルト様、私はどんな姿ですか?目を背けたくなる程の不器量ですか?」

「朝露をたたえた、大輪の蒼い薔薇のようだよ。すまない。あまりにも美しくて。真っ直ぐ見れなかった」

    ジルベルト様は頬を悲しみの名残で濡らしながら、私にまるく、照れくさそうに微笑みました。

「イル、私のアップルパイの試食をしてくれ」

「では、私に口づけを」

    ジルベルト様は、優しく私に口づけました。私は笑って、

「まだまだ、シナモンが足りません」

    あの頃のように、確かに笑ったはずなのに、私の紫色の瞳からは、涙が溢れました。

「おいで、イル」

    ジルベルト様は私を力を込め抱き締めました。ジルベルト様を憎んだ時もありました。情事の後、エリアラと呼ばれたときは心の中の灯火が消えたような気がしました。
    
 忘れられたら。いっそ忘れられたらどんなに楽になれるか。秘密の蒼薔薇の庭で育てた、抱いてはいけない禁忌の想い。
    
 それでも、私は憶えています。貴方を。貴方と過ごした日々を。この庭で、蒼い薔薇に囲まれてのティータイムを。

「ジル、ジル……会いたかった。あなたを………ずっとあなたを……」

    
──愛していました。いえ、愛しています──


 忘れたくても貴方の温もりが、眼差しが、声が、全てがそれを許さない。

「イル、愛している。ずっと君だけだ。誓うよ」

    感情が溢れて、私はジルベルト様にしがみつき、咽ぶように泣きました。ジルベルト様と私しかいない、美しい、蒼い薔薇の庭で。

 嘘か本当か解りませんが、恋を叶える伝説のように私のアップルパイのレシピがこの地方に残っているそうです。
 
 罪の林檎が導き出すアップルパイは、何故か不思議と、甘酸っぱい初恋の味がします。


─────────【FIN】
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