あなたを追いかけて【完結】

カシューナッツ

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第1章

カルガモ親子②

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 家に帰れば穏やかな時間がある。学校は好きじゃないけれど、我慢して出席さえしてればいい。

 陰口は聴かないふり。つらくなったらトイレで泣けばいい。 

 学年が上がり暫くし、秋彦に最近、初めて学校で祥介以外に話すようになった人が出来た。

 同じ図書委員の後輩で、谷崎と言う。
 谷崎の名前は『潤一郎』。
 金髪でピアスが似合う文豪だ。 

 谷崎は真っ直ぐで、正直だ。ダメなものはダメと、きちんと言ってくれる。そして、厳しくて、優しいひとだ。後輩なのに、頼もしい。

  谷崎と親しく話すようになったきっかけは無理に先輩に押しつけられた、新しく入った本に透明なシールカバーを貼る仕事を遅くまで独りでやっていたとき。

  何も言わず向かい側の席に座り手伝ってくれた。街灯が灯り始め、宵闇が窓の外を濃紺にする。
 ガランとした広い図書室は、あまり大きくない秋彦の声を響かせる。
 気づけば谷崎と二人きりだった。 

「ごめんね、遅くまでつきあわせて。ありがとう、谷崎くん。もう少しだね」

 と困ったように手元を動かしながら笑って言うと、 

「いつも支倉先輩ばっか面倒な仕事してるの見るの嫌だっただけっす。
 いつも独りで残って仕事して。
 嫌なことは、嫌だってはっきり言ったほうがいいですよ?
 三年のあいつ、先輩にばっかりいっつも面倒押しつけて」 

「………そうだね。でも僕、小心者だから。あの先輩怖くって。ついね」

  そう言い秋彦は頭をかいて困ったように笑った。
 自分の弱い場所には、踏みいって欲しくない。だから自分を卑下して苦笑いに変える。秋彦はいつもそうしてきた。
 自分の意見を通して不快な思いをするなら、苦笑いをして曖昧に頷く方がいい。 確かに嫌なものは嫌だ。
 でも、怖い。それがもとで目をつけられたりしたら………秋彦の、長年の経験が嫌なことばかり考えさせる。
 誰かに頼りたいけど、頼れるひとはいない。

 独りでいい。
 独りがいい。
 僕には祥介がいる、それでいい。
 そう思ってきた。

「小心者で怖がりだったら俺と話してないっすよ。自分で言うのもなんですけど、こんな金髪ピアス野郎と。
 他人ともめるのが怖いんですか?
 嫌なことでも自分が我慢すればいいって。不満飲み込んで、笑っていればいいって。意見を言うのと、喧嘩すんのは違いますよ?はっきり自分の意思を他人に伝えたことあります?」

 シールカバーを貼る手を止め谷崎はじっと秋彦を見つめた。
 下を向いて、秋彦はふふっと小さく自嘲した。谷崎が言うことは全部本当だった。
 意思を他人に伝えたことなんてない。
 昔から、『嫌だ』と言えば、喧嘩どころではないものがついてきた。
 だから『嫌だ』の代わりに手を握りしめ、作り笑いを浮かべて頷くしかなかった。


 言い返すことが許される人種と、
 許されない人種はいる。
 そして、自分は後者だ。

 そう、秋彦は痛いほど解っていた。
 その度に祥介を巻き込んでしまってきた。 何で手伝ってくれたとはいえ、こんなことを言われなければならないのだろう。
 それも下級生に。

 そんなに自分はいつもおどおどしているのだろうか。
 初めて話す後輩に瞬時に自分の本質を見抜かれた気がした。
 惨めだな、そう思った。 

「………ないよ。でも谷崎くんそれ以上言わないで。つらいんだ。本当のこと言われるのって………つらいんだよ。
 それに、谷崎くんは『嫌だ』と言っても机を蹴られたり、大声で悪口を言われたことはないでしょう?
 意見を言うことを許される人間と、言ったら言ったことを後悔するような目にあう人間と、二通りいるんだよ………」


 秋彦は、消え入るような声で絞るように言うのが精一杯だった。ただ、怖かった。怒鳴られるんじゃないか、
 叩かれるんじゃないか。 

「ご、ごめん。今の無し、ごめんね、僕なんかが偉そうに生意気なこと言って」

  「何で先輩が謝るんですか?謝るのは俺の方です。土足で先輩に向かって、立ち入ったこと訊くような真似してすみませんでした。でも、俺には思ったこと、
 今みたいに話して欲しいです。
 ちゃんと言って欲しいです。感情を殺さないで下さい。さっきは先輩のビンタくらう覚悟で言いました。すみません」

  「謝らないでいいよ。でも、ビンタ覚悟だなんて。僕がそんなこと出来ないことくらい、本当は解っているでしょう?」

 谷崎のひたむきさに、秋彦は苦笑しながらも、ついポロリと本音が出た。

「すみません。俺、嘘つきました。訂正します。『嫌われる覚悟』です。
 でも、訊いてみたかったんです。
 訊かなきゃ解らないじゃないですか。ずっと先輩と話してみたかったんですよ」

 少しふくれた、さっきとはうって変わった谷崎の子供のような表情に、秋彦は微笑みながら作業を続ける。
 何故だろう。心が軽い。
 不思議に谷崎と話すうちに壁のような警戒心が解けていく。
 つい、笑みがこぼれた。

「ありがとう。確かに、そうかもしれないね。話さなければ解らないよね。でも………どうして?」 

 僕なんかに話しかけたの?と言う言葉を含め、秋彦は見上げるように谷崎を見つめた。他人と目を合わせるなんて普段は出来ないはずなのに、
 谷崎と視線を合わせても、
 何故だろう、怖くない。
 嘘がないからだ。
 二重の整った谷崎の目元が綺麗だなと思った。日本人離れした顔だち。金色の髪がライオンのたてがみみたいだ。

  「先輩のこと、真面目で仕事が丁寧で、速くて、ずっと凄いなって思ってました。小さなことにも手抜きしないし、
 誤魔化さないし。
 でも、いつも、独りで抱え込んで、困ったように笑ってばっかりで、
 寂しそうな感じがして………こういう言い方、変な気がするんですけど、先輩が、気になるんです。
 良かったら、友達みたいに接してほしいです。ダメですか?
 今日は沢山失礼なこと言って、すみませんでした」 

 そう言い谷崎は頭を下げた。秋彦は、

「頭をあげて」

 と必死に言った。他人にそんなことを言われたのは生まれて初めてだった。謝られることなんて、初めてだった。

 ほんの小さな作業を見てくれていた。
 自分を認めてくれるひとがいた。
 学校では空気のような存在なのに、誰も気にとめるひとなどいないのに、
 谷崎は『気になる』と言ってくれた。

 それに、初めて誰かに、感情を伝えることが出来た感じがした。
 話したくないことを初めて誰かに話せた。

 秋彦は泣きそうになった。 
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