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09、階段だらけの「時と絆の部屋」
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「望みの海」の水面がゆらめいて、見慣れた家の中が映った。仕事から帰ってきたお母さんが、買い物袋をテーブルに置いた。
「遅くなってごめんね。お父さんから電話あった?」
夕樹はテレビに目を向けたまま、まだ、と答える。
「美紗は二階?」
と、お母さんは天井を目で指した。
「美紗は帰ってこないよ」
夕樹はようやくテレビに背を向け、
「悪い子になって、悪い人の国に行っちゃったんだから」
雲の上で美紗は憮然とする。
お母さんは、
「なに言ってるの?」
と疲れた顔をした。
「あんたたち、またケンカ?」
「違う」
夕樹はまじめな顔で首を振った。
「美紗はほんとにいなくなっちゃったんだよ。いろんな人に、気が済むまで仕返しして。十二年間ぶんを今日一日でだよ。だからもう帰って来たくても帰って来られないよ。みんな美紗のこと嫌いになったし、怒ってるもん」
美紗は腕にあごを乗せて、冷めた目で弟の頭を見下ろしている。
(あたしは、みんな嫌いだったし怒ってたんだもん。だからそれを教えてやっただけ)
「なにがあったの?」
と眉をひそめるお母さんに、
「みんなの大切なものを壊したの。みんな美紗には、二度と返ってきて欲しくないと思ってるよ」
「夕樹も?」
夕樹はうつむいた。
「夕樹も、二度と美紗の顔が見たくないの?」
「ぼくは」
と、目をそらして、
「ほかの人とは立場が違うから」
大人ぶった口調で呟く。
「そうだよね」
と、お母さんは笑おうとした。
「夕樹はやさしい子だもんね」
「べつに」
ついとそっぽを向く。
「ぼくは、美紗が怒ってるのも泣いてるのも知ってたから。今さらびっくりしないし、嫌いになるなら、もうなってるし」
いつも通りの生意気な口調で、お母さんを見上げた夕樹の顔が、雲の上の美紗からも見えた。弟は淋しそうだった。あんな顔、見たことない。
「ぼくは生まれたときから美紗を知ってるんだもん。家族だから」
変なの、と美紗は呟いた。
(あたしは今日もあいつを泣かせたのに。あいつはいつも、あたしを嫌ってるのに)
六月の夜みたいな気分になってきた。やまない雨をひとりでずっと眺めているような、こんな気分は好きじゃない。美紗はふわりと雲の上に立ち上がると部屋を出た。
毛足の長いじゅうたんを踏んで、暗い廊下を奥へ進む。鍵のかかっている扉もあれば、かかっていない扉もある。そのうちのひとつを押して足を踏み入れると、そこは思いがけず広いホールのようになっていた。
だが不思議なことに、壁にも床にも天井にも、色も形も様々な階段がついている。それぞれの階段の先には、かがまなければ通れない小さな扉がついているのが見える。上ったり下りたり重なる階段の向こうは、かすんで見えないほど遠い。
美紗は手近なひとつを駆け上がった。膝をついて、正面の木の扉をのぞきこむ。取っ手の代わりに獅子の顔がついていた。
「指を見せてごらん、お嬢さん」
急に話しかけられて、美紗は息を呑んだ。取っ手の獅子が、もごもごと口を動かしていたから間違いない、こいつが喋ったのだ。獅子の前に人差し指を持ってゆくと、
「ああ、あんたは違うね。ほかへ行きな」
と追い返された。
「この扉の向こうにはなにがあるの?」
「ここは、お嬢さんには関係のない場所さ」
美紗は気を悪くして階段を下り、下りたところにあったほかの階段を下りた。その下にあったのは赤い扉、ここの獅子も指を見せろと言う。
「ああ、あんたはここへは入れないよ。ほかをあたりな」
「この部屋の扉の中には、正解があるの?」
美紗は果てしなく広いホールを見回す。
「当然だ」
「その向こうにはなにがあるの?」
「あんたの『時』と『絆』だよ。だがどちらも忘れたものだ」
美紗はちょっと考えてから、
「『忘却のメロディ』を聴いたから?」
獅子のドアノブがぐっと下に引っ込んだ。うなずいたのだろう。
「あたしは最高のメロディを聴いたことがあったんだ」
「その瞬間あんたはすべてを知り、理解した。だが次の瞬間には、みな忘れちまった」
獅子はそれ以上教えてくれなかった。美紗は礼を言って、その扉を離れた。
次の扉は鉄製で、柱の中の螺旋階段をのぼった先にあった。そこの獅子は、あきらめるよう促した。
「お嬢さん。この広い部屋の中に、いくつ扉があると思っている」
そう言われると、自分の扉をみつけずにはいられない。
美紗はホールを走り回り、手当たり次第階段を上り、下り、獅子に指を見せた。八番目、九番目、と数えていたのに、途中から次の扉がいくつめだか分からなくなってしまった。
息も荒く、今度上るのは石段だ。石には真っ赤な絵の具で太陽の絵が描いてある。この階段は今まで上ったどの階段よりも気に入った。上りきった先の、布張りの扉も素敵だ。要領を覚えた美紗は、ドアノブの獅子にすぐ指を見せた。
「ようこそ。お前の指を我が輩の口に」
「遅くなってごめんね。お父さんから電話あった?」
夕樹はテレビに目を向けたまま、まだ、と答える。
「美紗は二階?」
と、お母さんは天井を目で指した。
「美紗は帰ってこないよ」
夕樹はようやくテレビに背を向け、
「悪い子になって、悪い人の国に行っちゃったんだから」
雲の上で美紗は憮然とする。
お母さんは、
「なに言ってるの?」
と疲れた顔をした。
「あんたたち、またケンカ?」
「違う」
夕樹はまじめな顔で首を振った。
「美紗はほんとにいなくなっちゃったんだよ。いろんな人に、気が済むまで仕返しして。十二年間ぶんを今日一日でだよ。だからもう帰って来たくても帰って来られないよ。みんな美紗のこと嫌いになったし、怒ってるもん」
美紗は腕にあごを乗せて、冷めた目で弟の頭を見下ろしている。
(あたしは、みんな嫌いだったし怒ってたんだもん。だからそれを教えてやっただけ)
「なにがあったの?」
と眉をひそめるお母さんに、
「みんなの大切なものを壊したの。みんな美紗には、二度と返ってきて欲しくないと思ってるよ」
「夕樹も?」
夕樹はうつむいた。
「夕樹も、二度と美紗の顔が見たくないの?」
「ぼくは」
と、目をそらして、
「ほかの人とは立場が違うから」
大人ぶった口調で呟く。
「そうだよね」
と、お母さんは笑おうとした。
「夕樹はやさしい子だもんね」
「べつに」
ついとそっぽを向く。
「ぼくは、美紗が怒ってるのも泣いてるのも知ってたから。今さらびっくりしないし、嫌いになるなら、もうなってるし」
いつも通りの生意気な口調で、お母さんを見上げた夕樹の顔が、雲の上の美紗からも見えた。弟は淋しそうだった。あんな顔、見たことない。
「ぼくは生まれたときから美紗を知ってるんだもん。家族だから」
変なの、と美紗は呟いた。
(あたしは今日もあいつを泣かせたのに。あいつはいつも、あたしを嫌ってるのに)
六月の夜みたいな気分になってきた。やまない雨をひとりでずっと眺めているような、こんな気分は好きじゃない。美紗はふわりと雲の上に立ち上がると部屋を出た。
毛足の長いじゅうたんを踏んで、暗い廊下を奥へ進む。鍵のかかっている扉もあれば、かかっていない扉もある。そのうちのひとつを押して足を踏み入れると、そこは思いがけず広いホールのようになっていた。
だが不思議なことに、壁にも床にも天井にも、色も形も様々な階段がついている。それぞれの階段の先には、かがまなければ通れない小さな扉がついているのが見える。上ったり下りたり重なる階段の向こうは、かすんで見えないほど遠い。
美紗は手近なひとつを駆け上がった。膝をついて、正面の木の扉をのぞきこむ。取っ手の代わりに獅子の顔がついていた。
「指を見せてごらん、お嬢さん」
急に話しかけられて、美紗は息を呑んだ。取っ手の獅子が、もごもごと口を動かしていたから間違いない、こいつが喋ったのだ。獅子の前に人差し指を持ってゆくと、
「ああ、あんたは違うね。ほかへ行きな」
と追い返された。
「この扉の向こうにはなにがあるの?」
「ここは、お嬢さんには関係のない場所さ」
美紗は気を悪くして階段を下り、下りたところにあったほかの階段を下りた。その下にあったのは赤い扉、ここの獅子も指を見せろと言う。
「ああ、あんたはここへは入れないよ。ほかをあたりな」
「この部屋の扉の中には、正解があるの?」
美紗は果てしなく広いホールを見回す。
「当然だ」
「その向こうにはなにがあるの?」
「あんたの『時』と『絆』だよ。だがどちらも忘れたものだ」
美紗はちょっと考えてから、
「『忘却のメロディ』を聴いたから?」
獅子のドアノブがぐっと下に引っ込んだ。うなずいたのだろう。
「あたしは最高のメロディを聴いたことがあったんだ」
「その瞬間あんたはすべてを知り、理解した。だが次の瞬間には、みな忘れちまった」
獅子はそれ以上教えてくれなかった。美紗は礼を言って、その扉を離れた。
次の扉は鉄製で、柱の中の螺旋階段をのぼった先にあった。そこの獅子は、あきらめるよう促した。
「お嬢さん。この広い部屋の中に、いくつ扉があると思っている」
そう言われると、自分の扉をみつけずにはいられない。
美紗はホールを走り回り、手当たり次第階段を上り、下り、獅子に指を見せた。八番目、九番目、と数えていたのに、途中から次の扉がいくつめだか分からなくなってしまった。
息も荒く、今度上るのは石段だ。石には真っ赤な絵の具で太陽の絵が描いてある。この階段は今まで上ったどの階段よりも気に入った。上りきった先の、布張りの扉も素敵だ。要領を覚えた美紗は、ドアノブの獅子にすぐ指を見せた。
「ようこそ。お前の指を我が輩の口に」
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