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第42話、太古の泉にて巫女は祓(はらえ)の儀をとりおこなう
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いったん社務所に寄った惠簾が、小さな壺を持ってきた。右手に神剣・雲斬、左手に夕露の手をにぎった俺は、惠簾の手の中をのぞきながら、
「なにが入ってるんだ? つるぎを清める術をかけた粉とか?」
「こちらは聖水とお清めの塩に、お酢を少々まぜたものでございますわよ」
そんな会話をしながら歩くうち、森の雰囲気が変わってきた。木々はうっそうとしげり、静寂の中に時おり鳥の声が響く。
「水の音がきこえるー」
ようやく目が覚めてきたらしい夕露がきょろきょろとする。
「夕露さん耳いいですね! この森の奥に小さな滝と湧き水があるんですのよ。何千年も尽きることなく水があふれているので『太古の泉』と呼ばれております」
惠簾が観光案内してくれる。
「この泉で毎日、禊をおこなっていた巫女はいつまでも若く美しい姿を保っていたという言い伝えがありますわ。小瓶に湧き水を詰めて社務所で売っておりますから、ご興味のある方はお帰りの際のぞいてくださいまし」
観光地らしく、うさんくさい土産物まであるのかよ。
「それ売れてんの?」
気軽に聞いたら、がっくりと肩を落としてしまった。「それがちっとも。最近、天才魔道医がすごく高価な老化を止める魔法薬を売り出したせいで、偽物ではたちうちできず――」
偽物って認めちまったよ……
「樹葵に水龍王のうろことか目玉とか移植したあの天才魔道医?」
と、玲萌がたずねる。「樹葵にも『不老の術』かけたって言ってたものね」
「「えぇっ!?」」
俺と惠簾の声が重なった。
「なんで樹葵まで驚いてんのよ。あの女がうっかり白状したとき、きみもいたじゃない」
そういえばそうだったかも。
「あの女が取り乱してたから、俺も気が動転してよく覚えてねえんだ」
「そうよね――」
言い訳したら、なぜか玲萌を怒らせてしまった。
「――樹葵の初恋の女だもんね」
ぷいっと俺から顔をそむける。
「わたくしも衝撃ですわ!」
こちらは惠簾。「橘さま、本当はおいくつなんですの?」
「あと二ヶ月で十七だが」
「ああっ 兄と同い年になるなんて!」
さっきの筋肉質な兄貴だろうか。
惠簾は聖水の入った壺を胸に抱きながら大きく首を振る。「せっかく理想のかわいい弟だと思っていましたのに!」
まあ俺も姉しかいないから、下にきょうだい欲しい気持ちは分かるんだが―― 惠簾、俺のこと龍神さまとか呼んでおきながら本音がもれてるぞ。
ふと顔を上げると重なる木々の向こうに、滝がしぶきをあげて落ちるのが見える。
「お、あの滝のあたりが『太古の泉』か!」
「はい。その横に建っているのが奥の院です」
奥の院っていうか、これ――
俺は沈黙した。本殿よりさらに古びた、くずれそうなほこらがのぞいている。その前に建つ鳥居もすっかり苔むしていた。滝から立ちのぼる霧のせいでつねに湿っているからだろう。
「では『祓の儀』の準備をいたします」
惠簾は小さな池の前まで来ると帯をといた。
「えっ まさか水浴び!?」
思わず声をあげる俺。断じて下心からではない! この季節に寒そうだと思ったのだ。
「滝に近づくと濡れますから襦袢になるんですよ。儀式はつるぎの持ち主となる者がおこなうのが理想ですから、最後だけ橘さまにも水に入っていただきます」
「わかった」
うなずく俺。まさか女の子の前で寒そうとか言えねえ。
「うい~っ」
と声をあげてのびをしているのは夕露。「空気がおいしーっ」
確かに森のにおいと滝の水蒸気が満ちたこの空間は、心の底が洗われるように気持ちが良い。
惠簾は鞘から抜いた神剣を片手に、ぞうりを池のはたに並べて素足で水に入って行った。
「ぜってぇ水つめてぇよな。惠簾は修行してるから慣れてんのかな」
こっそり玲萌に耳打ちする。が、なにが気に食わないのか、玲萌は俺に背を向けると少し離れた岩の上に腰を下ろした。
「橘さま」
泉に足首までつかった惠簾がこちらを向く。「儀式の前に、お心の滞りは解消しておいてくださいましね」
意味深に、にっこりとほほ笑んだ。玲萌とぎくしゃくしてること、見透かされてる……? もしや胸の奥にざわざわしたものを残したままだと、神剣の使い手になれないのだろうか。俺は早足に玲萌のもとへいそぐと、となりに座った。横目で見ると、きれいな鼻をつんと上に向けた玲萌の横顔。取り付く島もないが美人さんである。
「怒らしちまったんなら言ってくんねえ。俺ぁにぶいからよく分かんねえんだ」
小さな滝をみつめながら、ひとりごとのようにつぶやく。
「怒っちゃいないわ。あたしが勝手に悲しんでるだけよ。樹葵の心には、いまもあの女がいるんだなと思って」
その声は明らかに怒っていると思うのだが、玲萌らしく分析的な答えが返ってきた。
「心にはいねえよ。記憶になら残ってるけどな。まだ五ヶ月くれぇしか経ってねえんだ。あの女の病的な束縛から、玲萌が俺を連れ出してくれてから。五ヶ月やそこらじゃあ記憶は消えねえだろ?」
理屈っぽい玲萌にあわせて、理論で攻めてみる。
「そうね」
と、その横顔が少しだけ笑った。
「俺はあの女と出会ったときまだガキだったからな。精神的に不安定な年上の女に惹かれちまったのさ」
こんな人とつきあえるのは自分だけ、という特別意識も手伝って。
玲萌は遠くをみつめたまま、
「しかも相手は、世間で天才って騒がれた魔道医さんだもんね」
と言った声がずいぶんやわらかくなっている。
「ああ。いまから思えば、何から何まで命令されたり自由を奪われたりして、自分の心も疲弊してんのに、『俺は必要とされてる。こいつには俺がいなきゃ』ってぇ承認欲求が満たされるから、抜け出せなかったんだな」
もうしばらく恋愛はこりごりだ。健康的な美少女たちに囲まれて、自由に平和な毎日を楽しんでいたい。
「樹葵の目がさめてよかった!」
突然、玲萌が俺の外套の中に飛び込んでくると腕に抱きついた。白いうろこの並んだ二の腕に頬をすり寄せて上目づかいにみつめてくる。さっきまでプンプンしてたのに、こんどは甘えてくるのか。ま、かわいいからいっか。
「あんたのおかげだよ」
ちょっと首をかたむけて、こめかみを玲萌の頭にくっつけると、彼女はくすぐったそうに笑った。
「なにが入ってるんだ? つるぎを清める術をかけた粉とか?」
「こちらは聖水とお清めの塩に、お酢を少々まぜたものでございますわよ」
そんな会話をしながら歩くうち、森の雰囲気が変わってきた。木々はうっそうとしげり、静寂の中に時おり鳥の声が響く。
「水の音がきこえるー」
ようやく目が覚めてきたらしい夕露がきょろきょろとする。
「夕露さん耳いいですね! この森の奥に小さな滝と湧き水があるんですのよ。何千年も尽きることなく水があふれているので『太古の泉』と呼ばれております」
惠簾が観光案内してくれる。
「この泉で毎日、禊をおこなっていた巫女はいつまでも若く美しい姿を保っていたという言い伝えがありますわ。小瓶に湧き水を詰めて社務所で売っておりますから、ご興味のある方はお帰りの際のぞいてくださいまし」
観光地らしく、うさんくさい土産物まであるのかよ。
「それ売れてんの?」
気軽に聞いたら、がっくりと肩を落としてしまった。「それがちっとも。最近、天才魔道医がすごく高価な老化を止める魔法薬を売り出したせいで、偽物ではたちうちできず――」
偽物って認めちまったよ……
「樹葵に水龍王のうろことか目玉とか移植したあの天才魔道医?」
と、玲萌がたずねる。「樹葵にも『不老の術』かけたって言ってたものね」
「「えぇっ!?」」
俺と惠簾の声が重なった。
「なんで樹葵まで驚いてんのよ。あの女がうっかり白状したとき、きみもいたじゃない」
そういえばそうだったかも。
「あの女が取り乱してたから、俺も気が動転してよく覚えてねえんだ」
「そうよね――」
言い訳したら、なぜか玲萌を怒らせてしまった。
「――樹葵の初恋の女だもんね」
ぷいっと俺から顔をそむける。
「わたくしも衝撃ですわ!」
こちらは惠簾。「橘さま、本当はおいくつなんですの?」
「あと二ヶ月で十七だが」
「ああっ 兄と同い年になるなんて!」
さっきの筋肉質な兄貴だろうか。
惠簾は聖水の入った壺を胸に抱きながら大きく首を振る。「せっかく理想のかわいい弟だと思っていましたのに!」
まあ俺も姉しかいないから、下にきょうだい欲しい気持ちは分かるんだが―― 惠簾、俺のこと龍神さまとか呼んでおきながら本音がもれてるぞ。
ふと顔を上げると重なる木々の向こうに、滝がしぶきをあげて落ちるのが見える。
「お、あの滝のあたりが『太古の泉』か!」
「はい。その横に建っているのが奥の院です」
奥の院っていうか、これ――
俺は沈黙した。本殿よりさらに古びた、くずれそうなほこらがのぞいている。その前に建つ鳥居もすっかり苔むしていた。滝から立ちのぼる霧のせいでつねに湿っているからだろう。
「では『祓の儀』の準備をいたします」
惠簾は小さな池の前まで来ると帯をといた。
「えっ まさか水浴び!?」
思わず声をあげる俺。断じて下心からではない! この季節に寒そうだと思ったのだ。
「滝に近づくと濡れますから襦袢になるんですよ。儀式はつるぎの持ち主となる者がおこなうのが理想ですから、最後だけ橘さまにも水に入っていただきます」
「わかった」
うなずく俺。まさか女の子の前で寒そうとか言えねえ。
「うい~っ」
と声をあげてのびをしているのは夕露。「空気がおいしーっ」
確かに森のにおいと滝の水蒸気が満ちたこの空間は、心の底が洗われるように気持ちが良い。
惠簾は鞘から抜いた神剣を片手に、ぞうりを池のはたに並べて素足で水に入って行った。
「ぜってぇ水つめてぇよな。惠簾は修行してるから慣れてんのかな」
こっそり玲萌に耳打ちする。が、なにが気に食わないのか、玲萌は俺に背を向けると少し離れた岩の上に腰を下ろした。
「橘さま」
泉に足首までつかった惠簾がこちらを向く。「儀式の前に、お心の滞りは解消しておいてくださいましね」
意味深に、にっこりとほほ笑んだ。玲萌とぎくしゃくしてること、見透かされてる……? もしや胸の奥にざわざわしたものを残したままだと、神剣の使い手になれないのだろうか。俺は早足に玲萌のもとへいそぐと、となりに座った。横目で見ると、きれいな鼻をつんと上に向けた玲萌の横顔。取り付く島もないが美人さんである。
「怒らしちまったんなら言ってくんねえ。俺ぁにぶいからよく分かんねえんだ」
小さな滝をみつめながら、ひとりごとのようにつぶやく。
「怒っちゃいないわ。あたしが勝手に悲しんでるだけよ。樹葵の心には、いまもあの女がいるんだなと思って」
その声は明らかに怒っていると思うのだが、玲萌らしく分析的な答えが返ってきた。
「心にはいねえよ。記憶になら残ってるけどな。まだ五ヶ月くれぇしか経ってねえんだ。あの女の病的な束縛から、玲萌が俺を連れ出してくれてから。五ヶ月やそこらじゃあ記憶は消えねえだろ?」
理屈っぽい玲萌にあわせて、理論で攻めてみる。
「そうね」
と、その横顔が少しだけ笑った。
「俺はあの女と出会ったときまだガキだったからな。精神的に不安定な年上の女に惹かれちまったのさ」
こんな人とつきあえるのは自分だけ、という特別意識も手伝って。
玲萌は遠くをみつめたまま、
「しかも相手は、世間で天才って騒がれた魔道医さんだもんね」
と言った声がずいぶんやわらかくなっている。
「ああ。いまから思えば、何から何まで命令されたり自由を奪われたりして、自分の心も疲弊してんのに、『俺は必要とされてる。こいつには俺がいなきゃ』ってぇ承認欲求が満たされるから、抜け出せなかったんだな」
もうしばらく恋愛はこりごりだ。健康的な美少女たちに囲まれて、自由に平和な毎日を楽しんでいたい。
「樹葵の目がさめてよかった!」
突然、玲萌が俺の外套の中に飛び込んでくると腕に抱きついた。白いうろこの並んだ二の腕に頬をすり寄せて上目づかいにみつめてくる。さっきまでプンプンしてたのに、こんどは甘えてくるのか。ま、かわいいからいっか。
「あんたのおかげだよ」
ちょっと首をかたむけて、こめかみを玲萌の頭にくっつけると、彼女はくすぐったそうに笑った。
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