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第57話、混浴露天風呂は誘惑だらけ

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「なるほどな……」

 湯気の立ちのぼる天然温泉の前で、俺は手ぬぐい片手につぶやいた。玲萌レモの言った通り一応わかれてはいるが、本質的には混浴状態である。

 脱衣所は小さな小屋で、男女それぞれの入り口があった。残念――じゃなかった。ほっとしつつ玲萌レモとわかれた俺は、着物をかごに放り込んで外へ出た。

さみぃなちきしょー」

 などとぼやきながら竹垣のついたてに沿って歩くとお待ちかね、露天風呂のお出ましだ。

樹葵ジュキくーん!」

 湯気の向こう――やや離れた湯の中で、先に到着した夕露ユーロが手を振っている。「そこにある大きな石、分かるでしょ? そっからこっちが女湯だから~!」

 さすが所有者の娘、しっかり解説してくれる。湯の中にでーんと鎮座する岩が男女の湯をへだてているのだが、お互い見えるし行き来可能というゆるいもの。こんなガキばっかしの風呂で、変な疑いをかけられちゃあたまんねえ。俺はなるべく女湯から離れたところで、にごり湯に足の先をつける。

「あちっ」 

 冷えた足にはかなり熱い。向こうから、夕露ユーロ惠簾エレンがふざけて湯をかけあいながらキャーキャー声をあげるのが聞こえてくるから、慣れればちょうどいい温度なのだろう。

「ちょっと夕露ユーロさん! 顔はねらわないで! 髪ぬらしたくないんだから」

「無理だよぉ、お湯は重力に逆らう性質があるんだから」

「そんなの聞いたことありません!」

「水はあたたまると軽くなるんだよ?」

 頭がいいんだか悪いんだか分からねえボケをかます夕露ユーロ

 俺はゆっくりと肩まで湯にしずんで、透明なツノの先だけ出してほっこりする。

「あったけぇ……」

 体の芯からじんわりとほぐれていくようだ。

「あれ? 海が見えるのか」

 寄せては返す波音のするほうへ目をやると、紅葉した木々の枝が重なる向こうに青い海原うなばらがのぞいている。玲萌レモと手をつないで空から見下ろしたとき、海岸沿いの露天風呂だったもんな。

「たまにはいいなあ、こういうのも」

 海に近いはしのほうまで移動して、天然の岩が並んだへりに両腕を乗せる。ふだんは寮の浴場で芋を洗うようだから、ゆっくり浸かるひまもないのだ。

夕露ユーロさん、ちゃんと隠さないとたちばなさまから見えますよっ」

 などと惠簾エレンが言っているのが聞こえる。友達のなんか気まずくて見らんねーよ。

惠簾エレンちゃんだって襦袢じゅばん着ていい気になってるけど、桃色のがぽちっぽちって両方ともけてるよ?」

「きゃーっ、夕露ユーロさんたら嫌ぁっ!」

 うるせえなあ、あいつら。この距離じゃあ見えやしねぇんだから、こっちの想像力をかきたてるよーな会話はつつしんでほしいもんだ。波の音聞きながら静かに浸かりてぇのに、ムスコが元気になっちまう。

 俺と一緒に到着した玲萌レモはまだやってこない。そういえば夕露ユーロの言ってた親戚のおねえさんってなぁ―― と思い出したとき、

「はぁ、一糸いっしまとわぬ樹葵ジュキちゃん、たまらないにゃあ」

 と、聞き覚えのあるしゃべり方。「銀髪からしたたる水滴、そっとまぶたをおろして潮風を感じる、白くて長いまつ毛が印象的な目元、いい湯に癒されてまどろむ横顔がかわいいのニャ」

 熱い湯に漬かっているのに、俺は反射的に身震いした。

「なんであんたがここに――」

 岩のうしろからゆらりと現れたその姿に、俺は思わず沈んだ声を出した。猫の耳のように結い上げた髪のあいだに手ぬぐいをおいて、すべるように近付いてくる。男女の湯をへだてる仕切りの岩などおかまいなしだ。

樹葵ジュキちゃん、なんでそんな嫌そうにゃの?」

 もっちりとした白い肩をにごり湯から出した奈楠ナナンさんの両眼は、獲物をねらう猫そのもの。

「せっかく念願の、二人でお風呂なのに」

 おっしゃる通り、こんなきれいなおねえさんと裸のつきあいなんて、魔道学院じゅうの男が鼻血出して喜びそうだ。そういう意味じゃ念願と言っても差し支えないはずなんだが、いかんせん奈楠ナナンさん、圧がすごいんだよ。

樹葵ジュキちゃんは年の離れた弟って妄想してたけど――」

 してたのかよ。

「考えてみたら奈楠ナナンさん、十二、三歳の子供がいてもおかしくにゃい歳なんだよにゃあ」

 俺は十六だっつーの。――てか奈楠ナナンさん、この見た目で三十付近アラサーなのか!?

「もはや樹葵ジュキちゃんみたいな子が欲しいニャ!」

 ざばんっ!

「うわぁっ」

 最後の一歩でいきなり飛んで抱きついてきた。まじで野生の獣かなんかか、この人は。

「は、離してくれよ……」

 もちもちとした弾力のある腕に抱きすくめられて、俺は弱々しい声を出す。

「おいで~、樹葵ジュキちゃん。母乳ミルクの時間ニャー」

「ぐほうっ」

 豊かな胸に顔を押し付けられて、変な声が出る俺。

樹葵ジュキちゃんの舌って蛇ちゃんみたいで魅力的なのにゃ。その舌でなめられるとこ毎晩想像してたニャ~~」

「毎晩て」

 ドン引きする俺。

「毎晩寝る前ニャ。親代わりに育ててきた歳の離れた弟が、白蛇をまつった神社で禁忌きんきおかし、呪いを受けて白蛇に乗り移られてしまうのにゃ。人間の姿に戻るには姉と一つになるしかないっ! という物語ニャ」

 なんでだよ。人に戻る方法、破綻はたんしてるだろ。

「さあさ、樹葵ジュキちゃん――」

 湯の中で奈楠ナナンさんは、片手で自分の乳房を支えているようだ。いまにも水面から乳首が顔をのぞかせそうで、俺の視線は吸いつけられたように動かせなくなる。

 奈楠ナナンさんが耳元でささやいた。「吸い付いてほしいのにゃ……」

「えっ奈楠ナナンさん、お乳出るんですか」

「出ないニャ!」

 自分から問題セクハラ発言したくせに怒り出す。「奈楠ナナンさん現実ではまだ子供なんか産んでないニャ! そもそも古文書が恋人の奈楠ナナンさんにそんな相手いないニャ!」

「あれ? 女の人って出産しないと母乳出ないんだっけ?」

「なんにも知らないんだにゃあ、樹葵ジュキちゃんは」

 あきれた顔されてムっとする俺。そんな自分に関係もねぇ、興味もねえこたぁ知らねーよ。

「かわいいにゃあ。奈楠ナナンさんが樹葵ジュキちゃんの子供産んであげようかにゃあ?」

 乳白色のにごり湯のせいで湯に沈んだ部分は見えないが、あたたまってきたのか胸の谷間が紅潮している。

「にゃんにも心配することはないニャ。手取り足取りおねえさんがやさしく手ほどきしてあげるから、樹葵ジュキちゃんはすべてゆだねてればいいニャ」

 そう言って奈楠ナナンさんが湯の中、俺の腰に腕を伸ばしたとき――

 カコーン!

「ごふうっ!」

 飛んできた何かが奈楠ナナンさんの横っ面に見事激突クリーンヒットした!

「ぶくぶくぶく……」

 奈楠ナナンさんは水面に泡を残して湯の中に沈んでいったのだった。
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