ほどけるくらい、愛して

上原緒弥

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本編

中編(01)

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 週末、花の金曜日。
 珍しく横槍もなく仕事が終わり、定時に仕事を終えた彩瑛は、久しぶりに買い物でもしようかと自宅の最寄り駅をいくつか過ぎた、複合の駅ビルの入った大きな駅へと寄り道をした。
 まだしばらくは夏服を手放せない時期ではあるけれど、夏のボーナスを支給された会社はすでに多い。そのため、どこのショップでもセールの張り紙が貼られていた。
 彩瑛の会社でもすでに支給されていて、それもあって会社帰りにわざわざここまでやってきたのだ。
 ウィンドウショッピングを楽しみながら、よく着るブランドのショップを覗く。試着して気に入った服をいくつか買って、ついでに新しいパンプスも一足買う。
 物欲が満たされると、今度はお腹の虫が鳴き始めて時間を確認すれば、八時になろうとするところだった。飲食店街で食事をすることも考えたが、予想以上に体は疲弊している。
 少しだけ悩んで、地下にある色々なお店の総菜屋が立ち並ぶフロアで何かを買って帰ることにした。週末ぐらい、奮発していいものを食べても罰は当たらないだろう。
 デミグラスソースとトマトソースが掛かったオムライスに、海鮮がたくさん入ったサラダを買って、彩瑛は帰路に着く電車へと乗り込んだ。
 一息吐いてスマホを開く。買い物している間に届いていたメールマガジンを流し読みしていると、レンタルショップから今週リリースされた作品のお知らせが届いていた。その中に彩瑛が見そびれていた作品があり、帰りに寄っていこうと決める。
 自宅の最寄り駅に着き、電車を降りると、冷房の入った車内とは反対に熱い風が肌を撫でた。
 少しだけ遠回りをしてレンタルショップに寄り、目当ての洋画とそれ以外に気になっていた洋画とアニメを一作ずつ借りて、ほくほくしながら彩瑛は今は一人暮らしをしているアパートへと向かう。

 ──明日は仕事休みだし、今夜は夜更かししよっと!

 今は力を入れているゲームアプリも、イベントが落ち着いている。そろそろ限定イベントが始まるころだろうが、まだアナウンスはない。
 今夜と明日は映画を見て、適度に食べて飲んで、涼しい部屋でまったり過ごそう。

 ──にしても、あっつい……

 歩いているだけでも日差しが降り注ぎ、汗が噴き出してくる。日中ほどではないにしても、夏真っ盛りのこの時期は夜も暑い。
 こんなときは、何か冷たいものでも飲みたくなってくる。今の時期だと、きっとビールが美味しい。
 頭にそれが浮かんだときにちょうど目の前にコンビニが見え、彩瑛は気付いたら立ち寄っていた。普段気まぐれに買うものよりも少しだけ高いビールとチューハイをひと缶ずつと桃を使った新商品のカップデザートを買う。
 コンビニを出たときに見えた、煌々と輝くまん丸な満月に一瞬だけ目を細め、彩瑛は満たされた気持ちでアパートを目指す。
 肩に通勤鞄とブランドのロゴの入ったショップバッグを掛け、片手にオムライスとお総菜の入った紙袋を握り締める。欲しいものは買えたし、あとは涼しい部屋で借りた映画を見ながらビールとチューハイで夜更かしするだけだ。翌日は土曜日なので、寝坊の心配はしなくていい。最高に贅沢な金曜日だ。
 そんなことを考えながら歩いていると、視界に彩瑛の借りているアパートが見えてくる。三階建ての三階角部屋が、今の彼女の城だ。
 階段を上って、自分の部屋を目指す。かつん、と履いているパンプスのヒールの音が響いた。荷物を抱えているので、意外に三階まで上るのは辛い。
 上りきって角を曲がると、頭を上げる。

 ──え?

 そして自分の部屋の前にいる男性の姿に、彩瑛は足を止めた。
 壁に背を預ける、背の高い細身な体。四肢は長く、身に付けているスーツがとても似合っている。
 夜空に輝く煌々とした月をじっと見つめるその姿は、ひどく美しかった。

 ──でもあの人、どこかで……

 彼の姿に既視感を感じ、彩瑛は思わずその人を凝視した。
 だが凝視したその視線に気付かれてしまい、不意に彼の視線がこちらを見る。闇の中でも輝いているように見える漆黒の髪、前髪は片目を隠していて、隠れていない方の目だけが彩瑛を見つめていた。

「──サエ」

 夜の闇の中に、彼の呼んだ名前だけが静かに響く。
 どこか気怠げな印象を受ける声は、あの世界で彩瑛が一番好きな声だった。
 そんなはずはない。彼──ギルベルトがこの国に、この世界にいるわけがない。
 そう頭では考えているのに、体が思ったように動かない。疑問符ばかりが頭に浮かんで、どう行動するべきか判断しかねてしまう。
 そうこうしているうちに、彼は預けていた壁から背中を離していた。静かに足音を立てて、こちらに近付いてくる。
 逃げなければとようやく動けるようになった体で踵を返そうとしたけれど、伸びてきた手に腕を掴まれて阻まれてしまった。

「なんで、ここに……」
「僕は魔術師だよ。術と名の付くものは、すべて僕の研究対象だ。──それが例え、世界を越える転移術であっても」

 さらりと言われた言葉に彩瑛は呆然とする。
 確かに優秀な魔術師であるギルベルトなら、世界を越える術を作り上げることもできるだろう。
 ──だが、この人はどうして彩瑛が異なる世界から来た人間だと知っていたのか。言っていないはずなのに。
 働かせてもらっていた食堂の女将は事情を知っているが、あの人は口が固かった。例えギルベルトにだって、話すことはないはずだ。

「サエの質問には答えたから、次は僕の番だよ。──どうして約束破って、勝手に帰ってきたの」

 真っ直ぐに向けられた言葉に、彩瑛はびくりと肩を震わせる。
 声が出なくなって、思わず視線を逸らす。
 ギルベルトは視線を逸らした彩瑛を見下ろしていたが、階下から届いた賑やかな声に表情を歪めると、彼女の持っていた紙袋を取り、代わりにその手をぎゅっと握った。逃げられないように、しっかりと繋いで。

「外でする話じゃない。……サエの部屋、入れてくれる?」
「っへ、部屋、汚いですし」
「いい、気にしない」

 彩瑛が視線だけを上げると、一瞬だけ視線が合う。それからすぐにギルベルトは視線を逸らすように前を向いてしまった。
 どうしてこの世界に来たのか。彩瑛に何の用なのか。聞きたいことは湯水のように溢れてくるけれど、部屋の前まで連れてこられて扉を開けるように促されれば、彩瑛は言われるがままになるしかなかった。
 掴まれていない方の手で鞄を漁り、マスコットの付いた鍵を鍵穴に差し込む。扉が開くと、ギルベルトは彩瑛を先に押し込むように部屋に入れた。
 彩瑛の頭の中に、どうしよう、どうしようと頭の中で同じ言葉ばかりが繰り返される。先ほどまでの浮かれていた気持ちはすっかり沈んでしまった。
 それどころか、嫌な考えばかりが頭に浮かんでくる。嘘を吐いて約束を反故にしたのは事実だ。しかもギルベルトはあの世界では貴族という身分にある。最悪、不敬罪等の罪に当たる可能性もあったことに気付き、背中に嫌な汗が流れる。
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