標識上のユートピア

三章

六十二話

    精一杯頑張ってきたつもりだった。
無駄だった。全ては無駄だった。
頭が痛い。自分が誰だかも分からない。
赤いパーカー。俺を殺すために来たのだろう。
　
悪いのは俺じゃない。
　
 彼女が死んだのは、俺のせいじゃない。いくら訴えても、ヤツには届かない。
自分自身が支離滅裂だ。
腹の中で何かが蠢いている。耳元で誰かが囁く。「やれ」と。
止めてくれ。どんなに赦しを乞うても伝わらない。
自分が生きた半生が頭をよぎる。妻を愛した。息子を愛した。やがて愛は憎悪へと姿を変え、自分にとりついた。
最後に憎んだのは、自分自身だった。
その経緯を鮮明に思い出すと、ようやく頭がクリアになっていくのが分かった。　
久しく自分が誰だかを忘れていた。
俺は、柿市憲吾だ。
　　　　　　
　
　
　
　
　
　雨が降っているわけでもないのに、ポケットの中はひどく蒸れている。
病院へと歩み寄る。
得体の知れぬ高揚感が、火の粉のように舞い上がった。