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創世の灯 メルブレイズ
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1
魔界の東側には天水峡と呼ばれる、魔界には似つかわしくはない清浄な地域が広がっている。
天水峡の最も高く最も清浄な場所、それは水神アクアードの居城である水神宮であった。
すべてが透明なクリスタルのごとく不純物のない鉱石で築かれたその宮は魔界随一の美しさを誇る。
天水峡は、アクアードの力である「聖」と「水」に護られており、かつて天界の神殿であったと云われる魔王神殿すら及ばぬ聖域である。
しかしそれは、天界の遺構ではなく、魔族が築いたものであった。
かつて神と魔は戦った。神は光、魔は闇、と人間界では伝えられる。だが、闇であるはずの魔族が天界に勝る聖域を創り出せるのだ。
その矛盾は、城主である水神アクアード一流の皮肉であると云えた。
そこに住まうものは水神アクアードとその弟妹であった。
活力の炎をつかさどる火神ムスペラード、大地の水をつかさどる泥神ファーヴニルである。
もっとも、ファーヴニルは清浄すぎる水神宮の居心地が悪いらしくアクアマリンレイクに居を移している。
したがって、今水神宮に住まうのはアクアードと、ムスペラード(兄を慕ってムスペラードとしているが、本名はムスペラディアという)だけであった。
「兄さま。強い力を持ったものが天水峡に入りました」
天水峡の絶景を見渡すバルコニーで、兄と向かい合って座りお茶を楽しんでいたムスペラードはわずかな違和感に声を上げた。
腰まで伸びた髪は兄と同じで水のようにさらさらだが、その色は緋色。兄と同じ細面だがその表情は穏やかで優しく、睫毛の長い赤い瞳は柔和で、乳白色の滑らかな肌は疵一つなく美しい。体は女性の理想を体現するような丸みのある曲線を描いていた。
その体を包むのは兄と同じ波が砕けるような真珠とレースで飾られた薄絹のようなローブだった。
兄が冷泉の清水であるならば、ムスペラードは暖かな湯水のような印象を与えた。
「ノールだろう」
鏡合わせのように座った兄、水神アクアードは視線を上げずにつぶやいた。
流れる水のようなさらさらの長髪に、妹と同じ赤い瞳。だが受ける印象はまるで違う。
酷薄とさえいえる瞳のその赤は血のようで、アクアードの雪白の肌を否が応でも引き立てる。ムスペラードと同じローブを纏ったその体は一切の無駄がなく均整がとれた美術品のようだった。細くとも、何条にも鋼をより合わせたようなその肉体は魔界最強の一角と云われるに何の不思議もない。
「騎士魔王様・・・? それにしては・・・」
ムスペラードは違和感の方へ目を向ける。
ムスペラードの魔眼には距離は問題にならぬ。凛とした少年とじゃれつく翼もつ少女、そして美しい青年が見えた。
「その少年が、ノールなのだ」
カップに口をつけアクアードは組んでいた足を組み替えた。
アクアードとムスペラードは本来コインの裏表の様なもので、魔力も身体能力も全く同じだけの能力を持つ。
しかしながら実戦で武技を鍛え、常に智謀を巡らせてきたアクアードと、アクアードの掌中の珠として宮の中で守られ大切にされてきたムスペラードでは現在の実力には天地の差があった。
やはり分からないのか、ムスペラードは可愛らしく小首をかしげた。
「ムスペル。お前ももう少し力の使い方を覚えねばならないな」
アクアードは手を伸ばしその細い指先で、ムスペラードの顎を少し上げた。
アクアードと視線があい、ムスペラードの頬がほのかに染まる。
「あの、兄さま。私、騎士魔王様をお迎えに・・・」
「無用だよ」
アクアードの指はムスペラードの顎から唇に移っていたが、かわいらしい舌先をなぞって、そっと放した。
「北の騎士魔王に手を貸すほど僭越ではないつもりだ」
ムスペラードは打たれた様に兄の眼を見た。いつも一緒にいるはずのムスペラードでさえあまり見たことのない顔。
騎士魔王に何があったのかムスペラードには分からないが、これだけは分かる。
兄は、騎士魔王の現状を苦境だとも思っていない。
「・・・信用してらっしゃるのですね」
ムスペラードの言葉にアクアードは笑った。そのまま、妹の頬に口づけた。
「さて、な。 お前にもそのうちわかるさ。手出し無用だぞ」
アクアードは初めてノールの方へ目を向けた。その眼は柔らかな笑みをたたえていた。
天水峡の半ば。どこまでも風光明媚な天水峡には何か所も石造りの橋がある。
その橋は川をせき止める堰でもあり、豊富な水量を誇る川を渡るために欠かせぬ路でもある。
一際大きな橋を渡るとき、水神宮が見えた。
ノールたちがいる橋からは遥か離れているが、岩壁が重なり塔となり、その隙間から清水が噴水のように噴き出し、陽光に反射した清水は虹を生じ幾重にも架かっている。その岩壁の頂上に光を浴びて燦燦と水神宮が輝いている。
「騎士魔王様。お城が見えますね」
あまりに美しい光景を見て弾んだ声でフォルネアが云った。
「あれは、水神アクアードの水神宮だ」
「あ・・・」
フォルネアは何かを思い出したように声を上げた。だが、ノールは興味なさそうに歩き出した。
「寄りはせんぞ」
「どうしてです?」
フォルネアは前屈みになってノールの眼をのぞき込んだ。自然、衣服からこぼれた二つのふくらみがノールの眼に入る。
「互いに話すことも無かろうよ」
フォルネアは前屈みのまま右に左に小首をかしげながらまじまじとノールの眼を見た。
先に目を外したのは、なんとノールだった。
「この先には、神魔大戦で刀聖と呼ばれた漢がいる。奴に会いに行く」
「ごまかさなくてもいいじゃないですかっ。 え~い! ましゅまろっ!」
フォルネアはにんまり笑いながらノールに抱き着いたが、いつもなら行き過ぎた態度には叱るラフアスも黙って見ていた。
アクアードとノールは反りこそ合わないが、言葉の要らぬ仲だ。それがわかるからだろう。
ノールはくっついたままのフォルネアを引きずりながら天水峡のさらに奥に進んだ。
その表情はどこか柔らかく見えた。
2
天水峡の奥地。風光明媚な天水峡もその奥地には荒れた土地もある。
水は豊富だが、むき出しの岩肌が広がる荒れ地にその庵はあった。
薄汚れた土壁に、枯れ草で編んだ屋根、窓には木の雨樋がかかっている。裏手には川が流れており、裏口付近からは火を焚いているのか細い煙が上がっている。
「ここが、目的地だ」
ノールはいうや庵に踏み込んだ。
「空焔。いるか」
庵の奥では、一人の老魔族が正座で本を読んでいた。
鋭い眼光に深く刻まれたしわ。髪は総髪で、後頭部で髷に結わえている。
稽古着のような胴衣と袴、手元には見事な拵えの刀が置かれている。
雰囲気は峻烈で、磨き抜かれた美術刀剣のような印象を受ける。
彼こそが天水峡の刀聖、暁月空焔であった。
「ヴァンノールか。汝がここへ来るとは珍しいな」
入ってきたノールに、空焔は本から目を離して応えた。
そして、軽く眉をひそめる。
「ほう・・・ 天使、か?」
「魔天使フォルネアです。騎士魔王様の侍従を仰せつかっています」
フォルネアは軽く頭を下げた。
「空焔。貴様に用があって来た」
「ほ・・・、ヴァンノール直々の用とは痛み入る」
「どうしてこのおかたが騎士魔王様だと?」
ヴンターガストやブーケファルスはともかく、空焔は見るからに隠居して数千年は庵を離れておらぬ風情だ。
当然、騎士魔王ヴァンノールの少年化のような最近の情報を手にするすべはあるまい。であるのにどうしてわかったのか。
「何を云っておる。こやつがヴァンノールでなければ何者なのだ」
当然のように言う空焔にフォルネアは呆気にとられた。
「えーと、お姿がかわいい、じゃなくて、おいしそう、じゃなくて・・・ そう! 幼くなっておいでなのに?」
空焔はころころ変わる表情に、楽しそうにフォルネアを見た。
「姿は変わる。だが、変わらぬものもある」
「まだフォルネアには無理な話だ」
ノールは空焔の方へ歩み寄った。空焔は座ったままノールを見上げた。
「そうか? この娘、わしには大器に見える」
「だからこそ、使っている。 が・・・」
ノールと空焔はフォルネアを見た。心まで見透かされそうな二人の上級魔族の視線に思わず居心地悪げにうつむいた。
空焔は小さく苦笑いして
「不躾であったな。すまなんだ。 用向きを聞こうか。ヴァンノール」
「騎士魔王の幕下に貴様の剣の力が欲しい」
ノールは空焔を見据え、言い切った。フォルネアはごくりと息をのむ。
「よかろう」
「ええっ⁉」
空焔があまりにあっさり受け入れたのでフォルネアは思わず声を上げていた。
「どうした」
「いえ、あんまりすんなりとお話が進んだもので・・・」
空焔はそんなフォルネアの素直さに微笑んだ。
「確かにわしは数千年前、ヴァンノールの誘いを断っておる。そなたの見立ては間違ってはおらんぞ。
だが、今のヴァンノールはわしを必要としておる。それで十分であろう」
かつて騎士魔王は神魔大戦の末期、刀聖と称された空焔を幕下に引き入れようとした。だが、空焔は決して首を縦に振らなかった。
理由は定かではないが、騎士魔王ひとりで大戦を終結させる力があったから、とも神魔大戦で敵を屠り続けるのに嫌気がさしたから、ともいわれる。
空焔は刀を手にゆっくりと立ち上がった。
「空焔殿。なぜあなたは騎士魔王様にそのような口を利かれるのか」
そこに、黙っていたラフアスが空焔の前に立った。
「よい。わしを王と思わぬものは王と遇する必要はないのだ。ラフアス、貴様にも好きに呼べと云ってあるはずだ」
ノールは協力者としてではなく幕下にと云った。なれば言葉は改めるべき、というのがラフアスの考え方なのだろう。
「若き戦士よ。確かにわしはかつてヴァンノールを我が主と認めなかった」
空焔はヴァンノールに向き直って、片膝をついた。
「だが、これからは違うぞ。 ・・・ヴァンノール、我が君よ」
そのまま空焔はノールに拝礼した。
「暁月空焔、今後は汝を我が君とお呼び奉る」
「重畳」
ノールは鷹揚にうなずいた。
「では、空焔」
「は・・・」
「貴様、今のわしにふさわしき業物を知りおらぬか」
空焔は少し考え、すぐに口を開いた。
「であれば、炎の剣は如何。これより北、永久氷壁の中に眠る魔剣と聞き及びまする。我が君の手にも馴染みましょう」
「炎の剣。 貴様が薦めるのであれば、良き剣なのであろう。案内せよ」
「は・・・」
空焔はもう一度頭を下げると立ち上がった。
その姿はいつの間にか甲冑を身に着けたものになっていた。黒漆の胴丸に、朱色の袖、小手、脛当をひと揃えにした大鎧で、よく使いこまれた歴戦の風情。これが、かつて空焔が戦場に赴く時の出で立ちであったのだろう。
「では、参りましょう」
空焔は刀を抜き、庵をするりと抜け出した。
ラフアスとフォルネアはいきなり空焔が刀を抜いたことに驚いたが、ノールも続いて外に出た。
一拍遅れてラフアスとフォルネアが外に出ると、空焔が刀を鞘に納めるところだった。
目の前には、黒い鎧の騎士。
ちん、という音を立てて空焔の愛刀が鞘に収まった。
次の瞬間鎧の騎士は細切れとなって大地に転がった。血は一滴も零れぬ。
「機械人形か。我が君の似姿とはふざけおって」
吐き捨てるように言う空焔に、ノールは賛辞を贈った。
「かつてと変わらぬ刀技、見事だ」
「は・・・」
空焔はノールに向き直り頭を下げた。
「鎧の騎士・・・ まさかアルフヘイムでヴンターガストを焚きつけたのは」
ラフアスがつぶやく。
「よい。用があればまた現れるだろう」
3
天水峡から遥か北、永久氷壁を目指してノール一行は歩を進めた。
空焔の住まう岩場からさらに北に向かうと大地が白く染まってきた。厳しい風雪が肌を切り裂き、動きを鈍らせる・・・、と云いたいところだったがノールと空焔には関係がなかった。影響を受けたのはラフアスとフォルネア。特にフォルネアは翼をもつだけあり、吹雪の影響をもろに受けた。翼を小さくたたんでも風に飛ばされそうになり、大柄なラフアスの背に隠れかろうじて進むことができる有様だった。
「ささささ・・・」
寒い、と声に出そうにも歯の根が合わず言葉にならないフォルネアと、それよりはましだが冷気に弱いラフアスは一歩一歩踏み締めるように雪原を進む。
「・・・よく平気ですな、空焔殿」
「なに、雪中行軍は昔よくやったものよ。今少しで雪洞が見える。そこまで辿り着けば少しは風雪も凌げよう」
空焔が云ったようにまもなく雪洞があったが、どうも行き止まりではなく奥に道が続いているようで外よりはましだが寒さは変わらなかった。
全員が雪洞に入ると空焔が刀を抜き放ちほどなく鞘に納めると切り裂かれた天井が落ちてきて入り口を塞いだ。
「これでいくらかましになったであろう」
云うと、手元の巾着から札を何枚か取り出し、口の中で呪文を唱えると、札から炎が熾り中空で静止した。
雪洞の中を暖気が満たした。
「はぁ~ あったまるぅ・・・」
生き返ったようにフォルネアが息を吐いた。
「雪の中で炎を焚いて大丈夫なのか・・・?」
雪洞の壁を見ながらラフアスが心配そうにつぶやいた。
「主らも体験したように外はあの有様じゃ。炎に炙られても溶けた端から凍るから問題はない。むしろ、隙間が埋まって暖かくなるのじゃ」
空焔がいつの間にか小手を外して掌をすり合わせていた。
「我が君、この雪洞の奥が永久氷壁でござりまする。永久氷壁は魔界が生まれた時から存在し、数万年を氷で閉ざしてきた不壊の魔境と云われておりまする」
「うむ・・・」
ノールは雪洞の奥を見ながら鷹揚にうなずき、荷物から火酒を取り出し一気に呷る。
腹の中から熱くなる感覚にノールの闘志が燃え上がった。
「貴様らは休んで居よ。行くぞ、空焔‼」
「は・・・」
ノールは寒さと疲れでつらそうな二人を置いて永久氷壁に向かった。
炎の剣がわしを呼んでおる! ノールは滾る気持ちのままに炎の剣に思いを馳せていた。
暫く歩くと、唐突に視界が開けた。雪洞を抜けたのだ。
そのすぐ目の前には天まで聳える巨大な氷の壁があった。
「空焔!」
「は・・・」
「貴様、永久氷壁に眠るは炎の剣と云ったな! そして、永久氷壁は不壊の魔境と」
「は・・・」
「炎の剣の威力は永久氷壁を破れぬというか⁉」
ノールの声が永久氷壁に木霊する。
「であれば、何故にそのようなものをわしが我が君に薦めましょう。炎の剣は、遣い手の魔力により熱を帯びるのです」
我が君のお力が永久氷壁に及ばぬのならば、持ち出すことすら叶いますまい」
空焔もまた永久氷壁を見上げながら云う。
ノールは空焔の言葉を聞いて大笑いした。
「空焔! 貴様、今のわしがどの程度のものかその剣で量るつもりだったな!」
にやりと笑って空焔は首肯した。
「慮外ですかな?」
「いや、面白い!」
ノールは全身に魔力を纏わせた。永久氷壁にこまかなヒビが入る。
「炎の剣よ‼ 貴様は主を得たぞ‼ さあ、出てくるがよい‼」
ノールの獅子吼に永久氷壁は奥から崩れ始める。ほどなく氷壁の奥から炎が噴き上がる。
ノールが永久氷壁に歩み寄り手を触れると氷壁は砕け散り、深い洞窟が口を開ける。
奥に進むとほどなく、噴き上がるマグマの中に一振りの剣が浮かんでいた。
素材は分からぬ。木剣にも金属の剣にも見える。儀礼用の剣杖にも見える。刃渡りはさほど長くはないが、剣先から鍔までが細めの球根のような形状をしており、鍔も剣先と一体化している。刃渡りの中ほどには赤い石が埋め込まれており、その石から炎が噴き出して居るように見えた。
「この剣の銘は?」
ノールは、炎の剣に見惚れながら空焔に尋ねた。
「ございませぬ。神代より誰も手にしたことのない魔剣でございます。我が君の手でふさわしき銘をお与えなされませ」
ノールはマグマの中に踏み込み、炎の剣を手に取った。
「なれば、創世の灯と」
ノールの言葉に応えるように炎の剣が渦巻く炎を上げた。
「偉大なる創造主の名の一部を貴様には与えた! メルブレイズよ! その力、解き放って見せよ‼」
ノールがメルブレイズを掲げると炎の竜巻がさらに勢いを増していく。
もはや氷壁などどこにもない。永久氷壁はすべてが蒸発し、岩肌すら灼熱に融解しマグマとなって流れている。
やがて渦巻く炎はメルブレイズの刀身に吸収され、白い光となった。刃に埋め込まれた赤い石は白い光に満たされ煌々と輝く。
ノールはメルブレイズを掲げ大声で叫んだ。
「ヴァンパレスに戻るぞ‼」
騎士魔王ヴァンノールがヴァンパレスから姿を消したのがおよそ一年前。
やがて、ヴァンを名乗る少年がヴァンパレスに戻って来た。初めは誰も彼がヴァンノールであることを信じなかった。
しかし、今となっては疑う者はおらぬ。
日々強大になる魔力、敵うもののない戦技、何より神代の武器である創世の灯<メルブレイズ>。
騎士魔王ヴァンノールの帰還。それは魔界を揺るがす出来事であった。
「ノール様。やっぱり玉座がお似合いですね」
ヴァンパレスに戻って数か月。何の心境の変化かフォルネアはノールを「ノール様」と呼ぶようになっていた。
「ヴァンパレスはノール様の都。やはりその中心にはノール様がいらっしゃらなければいけませんわ」
惚れ惚れとフォルネアが玉座のノールを見上げた。
玉座の背後にはヴァンの魔鎧、そして豪槍リヴァイトールがその威容を放っていた。
「フォルネアよ」
「はい」
「貴様に命じる。ヴァンソールを名乗る漢を探せ」
唐突な命令だった。だが、フォルネアは何も問い返さず頷いた。
「承知いたしました。どのような姿の男でしょう?」
「しかとはわからぬ。以前会った時は赤い鎧の騎士であったが、あるいは今はわしのような姿をしているやも知れぬ」
ノールの言葉にフォルネアは微笑んだ。
「それでは、私にとって大恩人ですね」
「なに?」
「私はこんなかわいいノール様にお仕え出来て、とても幸せなのですから」
「貴様というやつは・・・」
フォルネアのいつも通りの態度にあきれつつノールは苦笑いしてしまう。
「この騎士魔王をそこまでかわいいなどというのは貴様くらいだ」
「確かに騎士魔王様は恐ろしいおかたです。でも、ノール様はかわいくてお優しいかた」
「どちらも同じだ。わしは騎士魔王ヴァンノールだ」
「いいえ」
うっとりしたように云うフォルネアにノールは言い聞かせるように云ったが、何とフォルネアは明確に否定した。
「確かに騎士魔王様もノール様も、とてもお強いおかたです。私など、その細い指先で弄ばれてしまうでしょう。
でも、私は信じています。ノール様にお仕えしている限りノール様は私を守って下さる。
それが騎士魔王様とノール様の違いですわ」
フォルネアのまっすぐな瞳にノールは言葉を発せなかった。
「お慕いしております・・・。ノール様。ヴァンソールの事はお任せを」
フォルネアは一礼すると玉座の間を出ていった。
ノールもしばらくして玉座の間を出た。そこには空焔が控えていた。
「いよいよですかな」
得たりとノールは頷いた。
「うむ。グリムリーパーを結成する」
空焔は跪いて礼を取った。
「は・・・。 フォルネアめが云っておりましたが、我が君はちと変わられたようですな」
「貴様もそう思うか」
ノールとしては全く自覚がないので、こう変わったといわれると妙な感じがする。
「さて・・・」
だが、空焔ははぐらかしてしまう。
「まあよい。ユフラテに参る。供をせよ」
===
火神(フレイドル)
活力の炎を操る水神アクアードの妹ムスペラディアの称号。その魔力は五下僕に次ぐ最高位魔神。
泥神(アージュラ)
土と水を操る水神アクアードの弟ファーヴニルの称号。人間界のアクアマリンレイクに棲む巨竜で妖精王セィラの婚約者。
神魔大戦(じんまたいせん)
神と魔が一万二千年もの間争った最終闘争。結果、神は滅び魔が神となった。
炎の剣(ほのおのけん)
魔界が出来た時から存在する永久氷壁に封じられた魔剣。創造主が天地創造時、地形を変えるのに用いたという伝説が残る。
魔界の東側には天水峡と呼ばれる、魔界には似つかわしくはない清浄な地域が広がっている。
天水峡の最も高く最も清浄な場所、それは水神アクアードの居城である水神宮であった。
すべてが透明なクリスタルのごとく不純物のない鉱石で築かれたその宮は魔界随一の美しさを誇る。
天水峡は、アクアードの力である「聖」と「水」に護られており、かつて天界の神殿であったと云われる魔王神殿すら及ばぬ聖域である。
しかしそれは、天界の遺構ではなく、魔族が築いたものであった。
かつて神と魔は戦った。神は光、魔は闇、と人間界では伝えられる。だが、闇であるはずの魔族が天界に勝る聖域を創り出せるのだ。
その矛盾は、城主である水神アクアード一流の皮肉であると云えた。
そこに住まうものは水神アクアードとその弟妹であった。
活力の炎をつかさどる火神ムスペラード、大地の水をつかさどる泥神ファーヴニルである。
もっとも、ファーヴニルは清浄すぎる水神宮の居心地が悪いらしくアクアマリンレイクに居を移している。
したがって、今水神宮に住まうのはアクアードと、ムスペラード(兄を慕ってムスペラードとしているが、本名はムスペラディアという)だけであった。
「兄さま。強い力を持ったものが天水峡に入りました」
天水峡の絶景を見渡すバルコニーで、兄と向かい合って座りお茶を楽しんでいたムスペラードはわずかな違和感に声を上げた。
腰まで伸びた髪は兄と同じで水のようにさらさらだが、その色は緋色。兄と同じ細面だがその表情は穏やかで優しく、睫毛の長い赤い瞳は柔和で、乳白色の滑らかな肌は疵一つなく美しい。体は女性の理想を体現するような丸みのある曲線を描いていた。
その体を包むのは兄と同じ波が砕けるような真珠とレースで飾られた薄絹のようなローブだった。
兄が冷泉の清水であるならば、ムスペラードは暖かな湯水のような印象を与えた。
「ノールだろう」
鏡合わせのように座った兄、水神アクアードは視線を上げずにつぶやいた。
流れる水のようなさらさらの長髪に、妹と同じ赤い瞳。だが受ける印象はまるで違う。
酷薄とさえいえる瞳のその赤は血のようで、アクアードの雪白の肌を否が応でも引き立てる。ムスペラードと同じローブを纏ったその体は一切の無駄がなく均整がとれた美術品のようだった。細くとも、何条にも鋼をより合わせたようなその肉体は魔界最強の一角と云われるに何の不思議もない。
「騎士魔王様・・・? それにしては・・・」
ムスペラードは違和感の方へ目を向ける。
ムスペラードの魔眼には距離は問題にならぬ。凛とした少年とじゃれつく翼もつ少女、そして美しい青年が見えた。
「その少年が、ノールなのだ」
カップに口をつけアクアードは組んでいた足を組み替えた。
アクアードとムスペラードは本来コインの裏表の様なもので、魔力も身体能力も全く同じだけの能力を持つ。
しかしながら実戦で武技を鍛え、常に智謀を巡らせてきたアクアードと、アクアードの掌中の珠として宮の中で守られ大切にされてきたムスペラードでは現在の実力には天地の差があった。
やはり分からないのか、ムスペラードは可愛らしく小首をかしげた。
「ムスペル。お前ももう少し力の使い方を覚えねばならないな」
アクアードは手を伸ばしその細い指先で、ムスペラードの顎を少し上げた。
アクアードと視線があい、ムスペラードの頬がほのかに染まる。
「あの、兄さま。私、騎士魔王様をお迎えに・・・」
「無用だよ」
アクアードの指はムスペラードの顎から唇に移っていたが、かわいらしい舌先をなぞって、そっと放した。
「北の騎士魔王に手を貸すほど僭越ではないつもりだ」
ムスペラードは打たれた様に兄の眼を見た。いつも一緒にいるはずのムスペラードでさえあまり見たことのない顔。
騎士魔王に何があったのかムスペラードには分からないが、これだけは分かる。
兄は、騎士魔王の現状を苦境だとも思っていない。
「・・・信用してらっしゃるのですね」
ムスペラードの言葉にアクアードは笑った。そのまま、妹の頬に口づけた。
「さて、な。 お前にもそのうちわかるさ。手出し無用だぞ」
アクアードは初めてノールの方へ目を向けた。その眼は柔らかな笑みをたたえていた。
天水峡の半ば。どこまでも風光明媚な天水峡には何か所も石造りの橋がある。
その橋は川をせき止める堰でもあり、豊富な水量を誇る川を渡るために欠かせぬ路でもある。
一際大きな橋を渡るとき、水神宮が見えた。
ノールたちがいる橋からは遥か離れているが、岩壁が重なり塔となり、その隙間から清水が噴水のように噴き出し、陽光に反射した清水は虹を生じ幾重にも架かっている。その岩壁の頂上に光を浴びて燦燦と水神宮が輝いている。
「騎士魔王様。お城が見えますね」
あまりに美しい光景を見て弾んだ声でフォルネアが云った。
「あれは、水神アクアードの水神宮だ」
「あ・・・」
フォルネアは何かを思い出したように声を上げた。だが、ノールは興味なさそうに歩き出した。
「寄りはせんぞ」
「どうしてです?」
フォルネアは前屈みになってノールの眼をのぞき込んだ。自然、衣服からこぼれた二つのふくらみがノールの眼に入る。
「互いに話すことも無かろうよ」
フォルネアは前屈みのまま右に左に小首をかしげながらまじまじとノールの眼を見た。
先に目を外したのは、なんとノールだった。
「この先には、神魔大戦で刀聖と呼ばれた漢がいる。奴に会いに行く」
「ごまかさなくてもいいじゃないですかっ。 え~い! ましゅまろっ!」
フォルネアはにんまり笑いながらノールに抱き着いたが、いつもなら行き過ぎた態度には叱るラフアスも黙って見ていた。
アクアードとノールは反りこそ合わないが、言葉の要らぬ仲だ。それがわかるからだろう。
ノールはくっついたままのフォルネアを引きずりながら天水峡のさらに奥に進んだ。
その表情はどこか柔らかく見えた。
2
天水峡の奥地。風光明媚な天水峡もその奥地には荒れた土地もある。
水は豊富だが、むき出しの岩肌が広がる荒れ地にその庵はあった。
薄汚れた土壁に、枯れ草で編んだ屋根、窓には木の雨樋がかかっている。裏手には川が流れており、裏口付近からは火を焚いているのか細い煙が上がっている。
「ここが、目的地だ」
ノールはいうや庵に踏み込んだ。
「空焔。いるか」
庵の奥では、一人の老魔族が正座で本を読んでいた。
鋭い眼光に深く刻まれたしわ。髪は総髪で、後頭部で髷に結わえている。
稽古着のような胴衣と袴、手元には見事な拵えの刀が置かれている。
雰囲気は峻烈で、磨き抜かれた美術刀剣のような印象を受ける。
彼こそが天水峡の刀聖、暁月空焔であった。
「ヴァンノールか。汝がここへ来るとは珍しいな」
入ってきたノールに、空焔は本から目を離して応えた。
そして、軽く眉をひそめる。
「ほう・・・ 天使、か?」
「魔天使フォルネアです。騎士魔王様の侍従を仰せつかっています」
フォルネアは軽く頭を下げた。
「空焔。貴様に用があって来た」
「ほ・・・、ヴァンノール直々の用とは痛み入る」
「どうしてこのおかたが騎士魔王様だと?」
ヴンターガストやブーケファルスはともかく、空焔は見るからに隠居して数千年は庵を離れておらぬ風情だ。
当然、騎士魔王ヴァンノールの少年化のような最近の情報を手にするすべはあるまい。であるのにどうしてわかったのか。
「何を云っておる。こやつがヴァンノールでなければ何者なのだ」
当然のように言う空焔にフォルネアは呆気にとられた。
「えーと、お姿がかわいい、じゃなくて、おいしそう、じゃなくて・・・ そう! 幼くなっておいでなのに?」
空焔はころころ変わる表情に、楽しそうにフォルネアを見た。
「姿は変わる。だが、変わらぬものもある」
「まだフォルネアには無理な話だ」
ノールは空焔の方へ歩み寄った。空焔は座ったままノールを見上げた。
「そうか? この娘、わしには大器に見える」
「だからこそ、使っている。 が・・・」
ノールと空焔はフォルネアを見た。心まで見透かされそうな二人の上級魔族の視線に思わず居心地悪げにうつむいた。
空焔は小さく苦笑いして
「不躾であったな。すまなんだ。 用向きを聞こうか。ヴァンノール」
「騎士魔王の幕下に貴様の剣の力が欲しい」
ノールは空焔を見据え、言い切った。フォルネアはごくりと息をのむ。
「よかろう」
「ええっ⁉」
空焔があまりにあっさり受け入れたのでフォルネアは思わず声を上げていた。
「どうした」
「いえ、あんまりすんなりとお話が進んだもので・・・」
空焔はそんなフォルネアの素直さに微笑んだ。
「確かにわしは数千年前、ヴァンノールの誘いを断っておる。そなたの見立ては間違ってはおらんぞ。
だが、今のヴァンノールはわしを必要としておる。それで十分であろう」
かつて騎士魔王は神魔大戦の末期、刀聖と称された空焔を幕下に引き入れようとした。だが、空焔は決して首を縦に振らなかった。
理由は定かではないが、騎士魔王ひとりで大戦を終結させる力があったから、とも神魔大戦で敵を屠り続けるのに嫌気がさしたから、ともいわれる。
空焔は刀を手にゆっくりと立ち上がった。
「空焔殿。なぜあなたは騎士魔王様にそのような口を利かれるのか」
そこに、黙っていたラフアスが空焔の前に立った。
「よい。わしを王と思わぬものは王と遇する必要はないのだ。ラフアス、貴様にも好きに呼べと云ってあるはずだ」
ノールは協力者としてではなく幕下にと云った。なれば言葉は改めるべき、というのがラフアスの考え方なのだろう。
「若き戦士よ。確かにわしはかつてヴァンノールを我が主と認めなかった」
空焔はヴァンノールに向き直って、片膝をついた。
「だが、これからは違うぞ。 ・・・ヴァンノール、我が君よ」
そのまま空焔はノールに拝礼した。
「暁月空焔、今後は汝を我が君とお呼び奉る」
「重畳」
ノールは鷹揚にうなずいた。
「では、空焔」
「は・・・」
「貴様、今のわしにふさわしき業物を知りおらぬか」
空焔は少し考え、すぐに口を開いた。
「であれば、炎の剣は如何。これより北、永久氷壁の中に眠る魔剣と聞き及びまする。我が君の手にも馴染みましょう」
「炎の剣。 貴様が薦めるのであれば、良き剣なのであろう。案内せよ」
「は・・・」
空焔はもう一度頭を下げると立ち上がった。
その姿はいつの間にか甲冑を身に着けたものになっていた。黒漆の胴丸に、朱色の袖、小手、脛当をひと揃えにした大鎧で、よく使いこまれた歴戦の風情。これが、かつて空焔が戦場に赴く時の出で立ちであったのだろう。
「では、参りましょう」
空焔は刀を抜き、庵をするりと抜け出した。
ラフアスとフォルネアはいきなり空焔が刀を抜いたことに驚いたが、ノールも続いて外に出た。
一拍遅れてラフアスとフォルネアが外に出ると、空焔が刀を鞘に納めるところだった。
目の前には、黒い鎧の騎士。
ちん、という音を立てて空焔の愛刀が鞘に収まった。
次の瞬間鎧の騎士は細切れとなって大地に転がった。血は一滴も零れぬ。
「機械人形か。我が君の似姿とはふざけおって」
吐き捨てるように言う空焔に、ノールは賛辞を贈った。
「かつてと変わらぬ刀技、見事だ」
「は・・・」
空焔はノールに向き直り頭を下げた。
「鎧の騎士・・・ まさかアルフヘイムでヴンターガストを焚きつけたのは」
ラフアスがつぶやく。
「よい。用があればまた現れるだろう」
3
天水峡から遥か北、永久氷壁を目指してノール一行は歩を進めた。
空焔の住まう岩場からさらに北に向かうと大地が白く染まってきた。厳しい風雪が肌を切り裂き、動きを鈍らせる・・・、と云いたいところだったがノールと空焔には関係がなかった。影響を受けたのはラフアスとフォルネア。特にフォルネアは翼をもつだけあり、吹雪の影響をもろに受けた。翼を小さくたたんでも風に飛ばされそうになり、大柄なラフアスの背に隠れかろうじて進むことができる有様だった。
「ささささ・・・」
寒い、と声に出そうにも歯の根が合わず言葉にならないフォルネアと、それよりはましだが冷気に弱いラフアスは一歩一歩踏み締めるように雪原を進む。
「・・・よく平気ですな、空焔殿」
「なに、雪中行軍は昔よくやったものよ。今少しで雪洞が見える。そこまで辿り着けば少しは風雪も凌げよう」
空焔が云ったようにまもなく雪洞があったが、どうも行き止まりではなく奥に道が続いているようで外よりはましだが寒さは変わらなかった。
全員が雪洞に入ると空焔が刀を抜き放ちほどなく鞘に納めると切り裂かれた天井が落ちてきて入り口を塞いだ。
「これでいくらかましになったであろう」
云うと、手元の巾着から札を何枚か取り出し、口の中で呪文を唱えると、札から炎が熾り中空で静止した。
雪洞の中を暖気が満たした。
「はぁ~ あったまるぅ・・・」
生き返ったようにフォルネアが息を吐いた。
「雪の中で炎を焚いて大丈夫なのか・・・?」
雪洞の壁を見ながらラフアスが心配そうにつぶやいた。
「主らも体験したように外はあの有様じゃ。炎に炙られても溶けた端から凍るから問題はない。むしろ、隙間が埋まって暖かくなるのじゃ」
空焔がいつの間にか小手を外して掌をすり合わせていた。
「我が君、この雪洞の奥が永久氷壁でござりまする。永久氷壁は魔界が生まれた時から存在し、数万年を氷で閉ざしてきた不壊の魔境と云われておりまする」
「うむ・・・」
ノールは雪洞の奥を見ながら鷹揚にうなずき、荷物から火酒を取り出し一気に呷る。
腹の中から熱くなる感覚にノールの闘志が燃え上がった。
「貴様らは休んで居よ。行くぞ、空焔‼」
「は・・・」
ノールは寒さと疲れでつらそうな二人を置いて永久氷壁に向かった。
炎の剣がわしを呼んでおる! ノールは滾る気持ちのままに炎の剣に思いを馳せていた。
暫く歩くと、唐突に視界が開けた。雪洞を抜けたのだ。
そのすぐ目の前には天まで聳える巨大な氷の壁があった。
「空焔!」
「は・・・」
「貴様、永久氷壁に眠るは炎の剣と云ったな! そして、永久氷壁は不壊の魔境と」
「は・・・」
「炎の剣の威力は永久氷壁を破れぬというか⁉」
ノールの声が永久氷壁に木霊する。
「であれば、何故にそのようなものをわしが我が君に薦めましょう。炎の剣は、遣い手の魔力により熱を帯びるのです」
我が君のお力が永久氷壁に及ばぬのならば、持ち出すことすら叶いますまい」
空焔もまた永久氷壁を見上げながら云う。
ノールは空焔の言葉を聞いて大笑いした。
「空焔! 貴様、今のわしがどの程度のものかその剣で量るつもりだったな!」
にやりと笑って空焔は首肯した。
「慮外ですかな?」
「いや、面白い!」
ノールは全身に魔力を纏わせた。永久氷壁にこまかなヒビが入る。
「炎の剣よ‼ 貴様は主を得たぞ‼ さあ、出てくるがよい‼」
ノールの獅子吼に永久氷壁は奥から崩れ始める。ほどなく氷壁の奥から炎が噴き上がる。
ノールが永久氷壁に歩み寄り手を触れると氷壁は砕け散り、深い洞窟が口を開ける。
奥に進むとほどなく、噴き上がるマグマの中に一振りの剣が浮かんでいた。
素材は分からぬ。木剣にも金属の剣にも見える。儀礼用の剣杖にも見える。刃渡りはさほど長くはないが、剣先から鍔までが細めの球根のような形状をしており、鍔も剣先と一体化している。刃渡りの中ほどには赤い石が埋め込まれており、その石から炎が噴き出して居るように見えた。
「この剣の銘は?」
ノールは、炎の剣に見惚れながら空焔に尋ねた。
「ございませぬ。神代より誰も手にしたことのない魔剣でございます。我が君の手でふさわしき銘をお与えなされませ」
ノールはマグマの中に踏み込み、炎の剣を手に取った。
「なれば、創世の灯と」
ノールの言葉に応えるように炎の剣が渦巻く炎を上げた。
「偉大なる創造主の名の一部を貴様には与えた! メルブレイズよ! その力、解き放って見せよ‼」
ノールがメルブレイズを掲げると炎の竜巻がさらに勢いを増していく。
もはや氷壁などどこにもない。永久氷壁はすべてが蒸発し、岩肌すら灼熱に融解しマグマとなって流れている。
やがて渦巻く炎はメルブレイズの刀身に吸収され、白い光となった。刃に埋め込まれた赤い石は白い光に満たされ煌々と輝く。
ノールはメルブレイズを掲げ大声で叫んだ。
「ヴァンパレスに戻るぞ‼」
騎士魔王ヴァンノールがヴァンパレスから姿を消したのがおよそ一年前。
やがて、ヴァンを名乗る少年がヴァンパレスに戻って来た。初めは誰も彼がヴァンノールであることを信じなかった。
しかし、今となっては疑う者はおらぬ。
日々強大になる魔力、敵うもののない戦技、何より神代の武器である創世の灯<メルブレイズ>。
騎士魔王ヴァンノールの帰還。それは魔界を揺るがす出来事であった。
「ノール様。やっぱり玉座がお似合いですね」
ヴァンパレスに戻って数か月。何の心境の変化かフォルネアはノールを「ノール様」と呼ぶようになっていた。
「ヴァンパレスはノール様の都。やはりその中心にはノール様がいらっしゃらなければいけませんわ」
惚れ惚れとフォルネアが玉座のノールを見上げた。
玉座の背後にはヴァンの魔鎧、そして豪槍リヴァイトールがその威容を放っていた。
「フォルネアよ」
「はい」
「貴様に命じる。ヴァンソールを名乗る漢を探せ」
唐突な命令だった。だが、フォルネアは何も問い返さず頷いた。
「承知いたしました。どのような姿の男でしょう?」
「しかとはわからぬ。以前会った時は赤い鎧の騎士であったが、あるいは今はわしのような姿をしているやも知れぬ」
ノールの言葉にフォルネアは微笑んだ。
「それでは、私にとって大恩人ですね」
「なに?」
「私はこんなかわいいノール様にお仕え出来て、とても幸せなのですから」
「貴様というやつは・・・」
フォルネアのいつも通りの態度にあきれつつノールは苦笑いしてしまう。
「この騎士魔王をそこまでかわいいなどというのは貴様くらいだ」
「確かに騎士魔王様は恐ろしいおかたです。でも、ノール様はかわいくてお優しいかた」
「どちらも同じだ。わしは騎士魔王ヴァンノールだ」
「いいえ」
うっとりしたように云うフォルネアにノールは言い聞かせるように云ったが、何とフォルネアは明確に否定した。
「確かに騎士魔王様もノール様も、とてもお強いおかたです。私など、その細い指先で弄ばれてしまうでしょう。
でも、私は信じています。ノール様にお仕えしている限りノール様は私を守って下さる。
それが騎士魔王様とノール様の違いですわ」
フォルネアのまっすぐな瞳にノールは言葉を発せなかった。
「お慕いしております・・・。ノール様。ヴァンソールの事はお任せを」
フォルネアは一礼すると玉座の間を出ていった。
ノールもしばらくして玉座の間を出た。そこには空焔が控えていた。
「いよいよですかな」
得たりとノールは頷いた。
「うむ。グリムリーパーを結成する」
空焔は跪いて礼を取った。
「は・・・。 フォルネアめが云っておりましたが、我が君はちと変わられたようですな」
「貴様もそう思うか」
ノールとしては全く自覚がないので、こう変わったといわれると妙な感じがする。
「さて・・・」
だが、空焔ははぐらかしてしまう。
「まあよい。ユフラテに参る。供をせよ」
===
火神(フレイドル)
活力の炎を操る水神アクアードの妹ムスペラディアの称号。その魔力は五下僕に次ぐ最高位魔神。
泥神(アージュラ)
土と水を操る水神アクアードの弟ファーヴニルの称号。人間界のアクアマリンレイクに棲む巨竜で妖精王セィラの婚約者。
神魔大戦(じんまたいせん)
神と魔が一万二千年もの間争った最終闘争。結果、神は滅び魔が神となった。
炎の剣(ほのおのけん)
魔界が出来た時から存在する永久氷壁に封じられた魔剣。創造主が天地創造時、地形を変えるのに用いたという伝説が残る。
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2023.9.15 完結。
2023.9.23 後日談を投稿しました。
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