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15.婚約者からの贈り物

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「……ヨセフ……?」
「先日ぶりだね、アスタディア。元気にしてたかい?」


 ヨセフは笑顔で一歩アスタディアに近付き、それに反して彼女は一歩下がる。


(あんなに情けなく逃げて告げ口までしたのに、よくまた堂々と顔を見せられたわね!?)


 アスタディアは、ヨセフの貼り付いた笑みを見ながら神経の図太さに感心する。そこで彼女は、彼の顔を見ても吐き気が起こらないことに気が付いた。

(いつの間に平気になったんだろう……。これもシンのお蔭かしら……?)

 シンの方を見ると、酷く険しい顔でヨセフを睨んでいた。今すぐにでも殺さんとする凄まじい気迫で。
 慌ててアスタディアは彼の腕の裾を掴む。シンはハッとして彼女を見ると、軽く頭を振りスッと従者の表情を作った。


「……誰だい? その男は」


 ヨセフがシンに気付き、怪訝そうに訊いてきた。

「最近雇い入れた、私の従者よ」
「ふぅん……。顔がいいからって彼女を誘惑しないでくれよ。彼女は僕の婚約者だからね」
「は……? まだ言うのっ!? それに関して破棄する話はしたでしょう!? 私の意思は絶対に変わらないわ!!」

 声を荒げるアスタディアに、ヨセフは肩を竦めて言葉を続ける。

「父上と母上に話したら、二人も婚約破棄は許さないってさ。そして怒られたよ。もっと婚約者を大事にしろ、だからそんなこと言われるんだって。そういう訳だから、僕なりに君を大事にしようと決意したわけさ」
「そんなのいらないし、全く望んでいないわ! 貴方にはお姉様がいるでしょう!?」
「あぁ、リリールア様ね。さっき部屋に寄ったけど、元気がなかったから慰めてきたよ。今頃はまだお風呂に入ってるんじゃないかな。たっぷりと汗をかいたし、ね」
「…………っ!」


 その意味は、経験のまだないアスタディアでも分かった。身体を使って慰めた、ということだ。


「……仮にも婚約者の前で、よくそんなことが言えるわね……。本当に最低だわ、貴方……」
「僕が愛しているのはリリールア様で変わりないからね。勘違いしないように君にもちゃんと知って貰いたくて。でも勿論君のことも大事にするよ? リリールア様の二番目にね。君は仮ではなく、僕の大切な婚約者だもの」
「……貴方の家の為に必要な、ね」
「ははっ。お互いの家に利益が出るんだから、君は僕の婚約者という立場をもっと喜ぶべきだと思うな」


 ……話が噛み合わない苛立ちとヨセフへの怒りをアスタディアは必死に我慢する。
 気を紛らわす為にシンの方をチラリと窺うと、彼は一切感情のない表情でヨセフを見下ろしていた。その深蒼色の瞳に全く光が灯っていない。
 まるで下等の虫けらを見るような絶対零度の目つきに、アスタディアはヒュッと息を呑む。
 ヨセフはヘラヘラと笑っていて、運良く彼のその視線に気付いていないようだ。
 もしヨセフが彼の顔を一度でも見たのなら、すぐに腰を抜かしてその場に崩れ落ちているはずだ。

 恐らく、ヨセフがアスタディアにホンの少しでも触れれば、シンは容赦なく彼を攻撃するだろう。もしかしたら命を奪うほどの一撃を。
 人を殺さないと約束したとはいえ、今のシンの状態では保証が出来ない。
 最悪な事態を防ぐ為、アスタディアはヨセフからまた一歩離れた。


「先日、指輪をプレゼントしただろう? 君はそれがお気に召さなかったみたいだから、今度は装飾品じゃなくて部屋に飾る置物を持ってきたよ」


 そう言うと、ヨセフは後ろ手に持っていた、六角形で灰色の薄い板のような置物をデーブルの上に置いた。とてもシンプルなデザインだ。


「……これは?」
「君の髪と瞳の色と同じ灰色だし、気に入ると思って持ってきたよ。どうかな?」
「……まさかこれもお姉様の部屋から盗んできたんじゃないでしょうね?」
「ははっ、そんな人聞きの悪い。勿論盗んでないさ。彼女がお風呂に入っている間部屋を眺めていたら、美しく見事な置物の中に隠れるようにしてコレがあってね。彼女の部屋には全く合わないし、逆に君の部屋になら合うと思って持ってきたんだよ。謂わば置物の適材適所の手伝いをしたわけさ、僕は」


 ヨセフのとんでもない言い分に、アスタディアは目眩がし、頭がクラリと傾く。


 この男は全然分かっていない。彼と出会った頃はこんなに話の全く通じない人ではなかったのに。
 リリールアに見事に骨抜きにされて変わってしまったのか。それともこれが彼の本性なのか……。


 倒れそうになる彼女の身体を、シンがしっかりと支えた。


「目眩がするほど気に入ったのかい? それは良かった。ただその従者は今すぐ僕の婚約者から離れてくれないか。それ以上触れると浮気と見なすぞ」
「………………」


 自分のことを天井より高い棚に上げてのたまうヨセフに心底呆れ、掛ける言葉が見つからない。


(……アス、やっぱコイツ今すぐブッ殺していい?)
(ダメよ、抑えて! こんな男の為に殺人者にならないで、お願い)
(……アスがそう言うなら……)


 ――その時、シンの頭にソウの声が響いてきた。


『シンラン、聞こえますか? 伝えたいことがあるのですが』
『……ソウテンか。今、すっげー腸が煮えくり返って目の前のゲス野郎をブチ殺してぇ気持ちで一杯なんだ。用件ならサッサと言ってくれ』
『……例の婚約者と対峙しているのですか? アスタディア様を悲しませることは絶対にしないで下さいね。ユリアンヌが黙っていませんから』
『……あぁ、分かってるさ』
『先程里の長に連絡を取って、《幻惑の石》の形状が分かりましたのでお伝えしますね』
『分かった、アスにも聞こえるようにする』


 シンはヨセフに気付かれないようにアスタディアに耳打ちすると、彼女は小さく頷いた。


『《幻惑の石》の形は、六角形で灰色の薄い板のような形状とのことです。石というと丸いものを思い浮かべると思うのですが、板のような形ですので間違えないよう注意して下さい。ではよろしくお願いしますね』
「…………え?」
「…………は?」


 アスタディアとシンは同時に疑問の声を上げ、これまた同時にテーブルの上にあるそれを見た。


 ……六角形で、灰色の、薄い板の形だ。


「…………」
「…………」


 アスタディアとシンは互いに顔を見合わせる。


「どうしたんだい? 言葉を失くすほどその置物に感激したのかい?」
「……え、えぇ。とても……驚くほど感激したわ……。これ、お姉様のものじゃなくて、借り物だったのよ。お姉様がそのことを忘れてずっと置いていたんだわ。持ってきてくれてありがとう。その人に返しておくわ」
「やっぱりね。リリールア様の部屋に合わないはずだよ。彼女の部屋のいらないものを処分出来たし、君も喜んでくれたし、双方に良いことをして僕も嬉しいよ」


 鼻高々のヨセフに、アスタディアはズバッと言い返す。


「けれど、それと婚約破棄の話は別物だわ。こんな人となりを疑う人と愛のない結婚だなんて絶対にイヤです。周りが何て言おうと、必ず破棄させて貰うから。今日はこれでお引き取り願うわ」
「……はぁ。君はまたそういう――」
「うるさいッ!! いいからさっさと出て行けッッ!! このへっぴり腰振り貧弱野郎がッッ!!!」
「ひえぇっ!!」


 アスタディアが憤怒の形相でドンッと片足を踏み出し切り裂くように叫ぶと、ヨセフが情けない声を上げ、へっぴり腰で部屋を飛び出して行った。



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