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03 妹の精霊
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妹のアンの精霊が現れた日のことは、よく覚えているが思い出したくない。
あの鮮烈な光。羽ばたくだけで室内の燭台が揺れ、父と母が息をのんで立ち尽くした。次の瞬間には、歓声と笑顔であふれていた。
「やはり我が娘だ!」
「侯爵家にふさわしい炎の守護者ね」
そう褒めそやす声が、鋭い刃のように私の胸を切り刻んだ。
紫炎のハヤブサ。素晴らしい火の精霊だ。
私の精霊は、ただの小さなトカゲ。どの眷属かもわからない。
その日を境に、私は家の中で「いない者」として扱われるようになった。廊下ですれ違っても、母は目を逸らし、父も同じだった。
「お前は屋根裏に移れ。人目につくところにいると恥だ」
そう命じられた時はむしろ嬉しかった。だってわたしなんかがいては家族も使用人も不愉快だろうから。
あのトカゲが来るまではわたしは活発な子だった。歌うのが好きで、本を声を出して読むのが楽しかった。
だけど、ちっぽけなトカゲの精霊。そんな精霊としか契約できなかったわたし。そんなわたしに残された道はひとつ。誰かの役に立つこと。
だから、姉の課題を代わりに仕上げる。夜中まで机に向かい、羽ペンを握る手を震わせながら。私が書いた論文が高い評価を受けると、ほんの一瞬だけ安堵する。
「よかった、役に立てた。私がいても無駄じゃない」
褒められるのは姉であってわたしでない。だけどそれで充分だ。だって役に立ったのだから・・・
「さすが侯爵家の令嬢だ、文章にも格がある」
先生の言葉に姉が微笑む。その隣で私は机の端を握りしめ、心を小さく縮めるしかなかった。
姉が所属している生徒会の仕事でも同じだった。山積みの文書整理を押しつけられ、徹夜して清書する。だが会長は姉が仕事をしていると思っている。
「君は本当に頼りになる。妹さんのように凡庸でなくてよかったよ」と会長さんが姉を褒めたと父に話していた。
父は姉の言うことを信じている。
その場に私がいて話を聞いていることを姉は気にしない。誰も気づかない。私はただ黙って、陰に隠れて仕事を続ける。
私は凡庸。役に立つ以外に価値はない。
使用人からも侮られる。
「お嬢様って、便利で助かるわ」
「せめて掃除くらいは役立ってね、トカゲのお嬢様」
笑い声が背中に突き刺さる。だけど私は反論しない。むしろ、役に立てることにほっとしてしまうのだ。だって、そうでなければ私は本当に存在を否定されてしまうから。
そして、学園の入学式の日。
煌びやかな広間には、名家の子らが誇らしげに精霊を従えていた。羽ばたく天馬、吠える獅子、光をまとうタカ。
私の肩に乗るトカゲを見た瞬間、周囲から笑い声が起こった。
「なにあれ、冗談でしょう」
「侯爵家だって聞いたけどこんな精霊もいるんだな」
「ほんとに侯爵家?同じ家系? 信じられない」
「確か、ルーシー様の従妹よ。話してくれたことがあるもの」
刺すような視線が全身に突き刺さり、震える手で裾を握りしめる。今すぐ逃げ出したいのに、逃げられない。逃げたら本当に「無」になってしまう気がしたから。
壇上に立ったのは、生徒会長だった。朗々と声を響かせ、新入生に語りかける。
「未来は君たちの手にある・・・」
わたしは顔をあげられなかった。あの言葉を書いたのはわたしなのに。
毎晩、必死に推敲し、何度も書き直した原稿。失敗したら役立たずと笑われるのが怖くて、眠れぬ夜を過ごして作り上げた文章だった。
それを会長は堂々と読み上げ、生徒たちは拍手を送る。
誰も、それがわたしの言葉だとは知らない。
式典後、会長は姉に近づき、笑みを浮かべて言った。
「君の家はすごいね。精霊もさることながら、君自身も才女だ。ところで、あの凡庸な妹さんは何をしに来たんだろう?」
わたしはその場にいた。言葉は、刃より鋭く胸を突いた。
姉は笑って答える。
「ええ、家族の恥ですの。寮に入れましたの。卒業したら籍を抜きます。でも、多少は雑用くらいできますわ」
周囲が笑い声をあげる。
「なるほど、雑用係か。精霊まで小物では仕方ないな」
わたしは足元を見つめ、必死に涙をこらえた。
泣くことはない。役に立ったのだから、それでいい。
心に言い聞かせる。そうでなければ、崩れ落ちてしまう。
わたしは、何も持たない。
だから、役に立つことでしか存在を許されない。
肩のトカゲが、そっと私を見上げた。まるで「それは違う」と語りかけるように。
けれどわたしは首を振る。
違わない。私は価値のない人間。
そう繰り返しながら、私はまた机に向かう。震える手でペンを握り、文字を綴る。
「役に立てるなら、それでいい」
自分にそう言い聞かせながら。
あの鮮烈な光。羽ばたくだけで室内の燭台が揺れ、父と母が息をのんで立ち尽くした。次の瞬間には、歓声と笑顔であふれていた。
「やはり我が娘だ!」
「侯爵家にふさわしい炎の守護者ね」
そう褒めそやす声が、鋭い刃のように私の胸を切り刻んだ。
紫炎のハヤブサ。素晴らしい火の精霊だ。
私の精霊は、ただの小さなトカゲ。どの眷属かもわからない。
その日を境に、私は家の中で「いない者」として扱われるようになった。廊下ですれ違っても、母は目を逸らし、父も同じだった。
「お前は屋根裏に移れ。人目につくところにいると恥だ」
そう命じられた時はむしろ嬉しかった。だってわたしなんかがいては家族も使用人も不愉快だろうから。
あのトカゲが来るまではわたしは活発な子だった。歌うのが好きで、本を声を出して読むのが楽しかった。
だけど、ちっぽけなトカゲの精霊。そんな精霊としか契約できなかったわたし。そんなわたしに残された道はひとつ。誰かの役に立つこと。
だから、姉の課題を代わりに仕上げる。夜中まで机に向かい、羽ペンを握る手を震わせながら。私が書いた論文が高い評価を受けると、ほんの一瞬だけ安堵する。
「よかった、役に立てた。私がいても無駄じゃない」
褒められるのは姉であってわたしでない。だけどそれで充分だ。だって役に立ったのだから・・・
「さすが侯爵家の令嬢だ、文章にも格がある」
先生の言葉に姉が微笑む。その隣で私は机の端を握りしめ、心を小さく縮めるしかなかった。
姉が所属している生徒会の仕事でも同じだった。山積みの文書整理を押しつけられ、徹夜して清書する。だが会長は姉が仕事をしていると思っている。
「君は本当に頼りになる。妹さんのように凡庸でなくてよかったよ」と会長さんが姉を褒めたと父に話していた。
父は姉の言うことを信じている。
その場に私がいて話を聞いていることを姉は気にしない。誰も気づかない。私はただ黙って、陰に隠れて仕事を続ける。
私は凡庸。役に立つ以外に価値はない。
使用人からも侮られる。
「お嬢様って、便利で助かるわ」
「せめて掃除くらいは役立ってね、トカゲのお嬢様」
笑い声が背中に突き刺さる。だけど私は反論しない。むしろ、役に立てることにほっとしてしまうのだ。だって、そうでなければ私は本当に存在を否定されてしまうから。
そして、学園の入学式の日。
煌びやかな広間には、名家の子らが誇らしげに精霊を従えていた。羽ばたく天馬、吠える獅子、光をまとうタカ。
私の肩に乗るトカゲを見た瞬間、周囲から笑い声が起こった。
「なにあれ、冗談でしょう」
「侯爵家だって聞いたけどこんな精霊もいるんだな」
「ほんとに侯爵家?同じ家系? 信じられない」
「確か、ルーシー様の従妹よ。話してくれたことがあるもの」
刺すような視線が全身に突き刺さり、震える手で裾を握りしめる。今すぐ逃げ出したいのに、逃げられない。逃げたら本当に「無」になってしまう気がしたから。
壇上に立ったのは、生徒会長だった。朗々と声を響かせ、新入生に語りかける。
「未来は君たちの手にある・・・」
わたしは顔をあげられなかった。あの言葉を書いたのはわたしなのに。
毎晩、必死に推敲し、何度も書き直した原稿。失敗したら役立たずと笑われるのが怖くて、眠れぬ夜を過ごして作り上げた文章だった。
それを会長は堂々と読み上げ、生徒たちは拍手を送る。
誰も、それがわたしの言葉だとは知らない。
式典後、会長は姉に近づき、笑みを浮かべて言った。
「君の家はすごいね。精霊もさることながら、君自身も才女だ。ところで、あの凡庸な妹さんは何をしに来たんだろう?」
わたしはその場にいた。言葉は、刃より鋭く胸を突いた。
姉は笑って答える。
「ええ、家族の恥ですの。寮に入れましたの。卒業したら籍を抜きます。でも、多少は雑用くらいできますわ」
周囲が笑い声をあげる。
「なるほど、雑用係か。精霊まで小物では仕方ないな」
わたしは足元を見つめ、必死に涙をこらえた。
泣くことはない。役に立ったのだから、それでいい。
心に言い聞かせる。そうでなければ、崩れ落ちてしまう。
わたしは、何も持たない。
だから、役に立つことでしか存在を許されない。
肩のトカゲが、そっと私を見上げた。まるで「それは違う」と語りかけるように。
けれどわたしは首を振る。
違わない。私は価値のない人間。
そう繰り返しながら、私はまた机に向かう。震える手でペンを握り、文字を綴る。
「役に立てるなら、それでいい」
自分にそう言い聞かせながら。
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