エミリーと精霊

朝山みどり

文字の大きさ
5 / 18

05 エミリーのいない屋敷 

しおりを挟む
 わたしが侯爵家に仕えるようになったのは、つい最近のことだ。父が下働きをしていた縁で、若い手が必要だと呼ばれた。
 わたしにとって、大きな屋敷はまるで迷宮で、広間の天井を仰ぐたびに足がすくむ。
 わたしの精霊は水色の猫だ。毛並みは透きとおるようで、月明かりに浮かび上がると水面に映った幻のようだ。
 臆病だが嗅覚が鋭く、失せ物を見つけるのが得意で、わたしの心を支えてくれている。

 屋敷の先輩の下女たちは、わたしにまず廊下の拭き掃除を教えた。磨き残しがあると、扇を持った女主人に叱られるという。わたしは膝を擦りむきながらも必死に磨いた。
 そのうち気づいた。彼女たちは口々に「あれがいなくなって困った」と囁き合っているのだ。

 あれ、とはエミリー様のことだった。 

 侯爵家の次女。けれど屋敷の人々は、あの方を名で呼ばず、ただ「あれ」「トカゲのお嬢様」と陰で言う。  

 わたしが来たとき、もう彼女は学園の寮に移ってしまっていて姿を見たことはない。けれど、あの方がいなくなった後の混乱は、いやというほど見せつけられた。

 最初に問題になったのは、大広間のシャンデリアの掃除だった。
 天井近くに吊られたガラス細工は、何十もの燭台を支えている。高い脚立に上って磨こうとした古株の下女は、足がすくんで途中で降りてしまった。若い者が試しても、ほこりを払うだけで精いっぱい。ガラスを割ってしまう危険が大きい。
 そこで皆が口を揃えて言ったのだ。
 「前はエミリー様がやっていた」
 「簡単だと思ったのに」

 わたしは耳を疑った。あの方は笑いものにされていたと聞いたのに、実際はこんな繊細な仕事をこなしていたの?しかも、ご主人なのに。

 ある日、侯爵夫人が広間を通りかかり、煤けたシャンデリアを見て眉をひそめた。わたしたちは震えあがり、必死で脚立を持ち出したが、結局たいした成果も出せなかった。

 エミリー様にお願いする前はどうしていたのだろう?

 夜になって使用人部屋で溜息をついていると、先輩の下女が毒づいた。
 「トカゲのくせに魔法と魔力だけは無駄にあったのさ。だから便利に使えたのよ」
 別の者も続ける。
 「そうそう。上から笑われ、下からも使い潰されて。おかげで楽だったのに、今じゃ苦労するばかりだわ」

 わたしは言葉を失った。
 それは、感謝ではないのか?
 彼女がいなくなった今、残されたのは困惑と不満ばかり。だが少なくとも、その力を借りていたのは確かだろうに。
 
 そして前はどうしていたか、教えて貰った。
 シャンデリアの係りは、それだけをやっていたそうだ。毎日、脚立に上って緑風のハトの精霊が誇りを吹き飛ばし、蒼谷のキツネの精霊が磨きあげるのを手伝っていたそうだ。

 「毎日脚立に上がって、上向いてさぁ。たまんなかった」だそうだ。

 問題はシャンデリアだけでない。高窓の蜘蛛の巣払い、屋根裏の換気口の修繕、どれもエミリー様が魔法で片付けていたという。
 わたしが脚立に上ってほうきで払うが、上を向いてほうきを振り回すのは大変だ。
猫の精霊が心配しているのがわかる。
 「やっぱりあの娘がいれば・・・」
 誰かがぼそりと呟く。けれど、その口調は惜しむよりも恨めしそうだった。

 夜、わたしは自分の寝台で考え込んだ。
 どうして彼女は、あれほど魔法も魔力も技術もあるのに、馬鹿にされ続けたのだろう。精霊が小さなトカゲだから? 
 精霊は力を貸してくれると言うけれど、エミリー様がそんなに凄いなら精霊が凄いのでは?
 精霊がへんなトカゲなら、その力はエミリー様のもの? それって物凄く、凄いのでは? 

 わたしの水色の猫は弱っちい。わたしも弱い。たいしたことが出来ない。

 次第に、屋敷の空気がギスギスしていった。
 姉君や妹君の精霊は立派で、客人の前で誇らしげに羽ばたく。
 でもそれってなにかの役に立ってるの?魔法でなにかをやっているってこともないみたい。
 ただ、火の粉をまき散らすだけ‥‥‥

 ある晩、宴の準備で大広間を飾り立てたが、 シャンデリアの光が曇っていた。
埃を払えず残った筋が、炎を歪ませていたのだ。

 すると侍女長が手配したのか、専門家がやってきた。

 その人の精霊は黒壁のゴーレムの精霊だった。そんな精霊もあるんだ。ならおもちゃのトカゲの精霊がいたってねとちらっと思った。

 その人は精霊に手伝って貰ってシャンデリアを下におろした。

 わたしたちは総出でシャンデリアを磨いた。

 専門家の手を借りた上、使用人総出で、ようやくシャンデリアは磨かれ、広間に澄んだ光が戻った。
だが、誰も「よかった」とは言わなかった。
「もっと早く呼べばよかった」
「余計な手間ばかりかかった」
使用人たちの口から洩れるのは愚痴と恨み言ばかり。

 わたしは布巾を絞りながら、胸の奥がひやりとした。
困っている理由は、ただひとつ。
エミリー様が、ここにいないからだ。

 笑われ、蔑まれ、それでも黙って手を貸していた人。
その人の不在が、屋敷をこんなにも重くしている。

煌びやかなシャンデリアの光は、かえってその空虚さを映しているように見えた。

しおりを挟む
感想 4

あなたにおすすめの小説

心が折れた日に神の声を聞く

木嶋うめ香
ファンタジー
ある日目を覚ましたアンカーは、自分が何度も何度も自分に生まれ変わり、父と義母と義妹に虐げられ冤罪で処刑された人生を送っていたと気が付く。 どうして何度も生まれ変わっているの、もう繰り返したくない、生まれ変わりたくなんてない。 何度生まれ変わりを繰り返しても、苦しい人生を送った末に処刑される。 絶望のあまり、アンカーは自ら命を断とうとした瞬間、神の声を聞く。 没ネタ供養、第二弾の短編です。

予言姫は最後に微笑む

あんど もあ
ファンタジー
ラズロ伯爵家の娘リリアは、幼い頃に伯爵家の危機を次々と予言し『ラズロの予言姫』と呼ばれているが、実は一度殺されて死に戻りをしていた。 二度目の人生では無事に家の危機を避けて、リリアも16歳。今宵はデビュタントなのだが、そこには……。

【完結】徒花の王妃

つくも茄子
ファンタジー
その日、王妃は王都を去った。 何故か勝手についてきた宰相と共に。今は亡き、王国の最後の王女。そして今また滅びゆく国の最後の王妃となった彼女の胸の内は誰にも分からない。亡命した先で名前と身分を変えたテレジア王女。テレサとなった彼女を知る数少ない宰相。国のために生きた王妃の物語が今始まる。 「婚約者の義妹と恋に落ちたので婚約破棄した処、「妃教育の修了」を条件に結婚が許されたが結果が芳しくない。何故だ?同じ高位貴族だろう?」の王妃の物語。単体で読めます。

お姉様優先な我が家は、このままでは破産です

編端みどり
恋愛
我が家では、なんでも姉が優先。 経費を全て公開しないといけない国で良かったわ。なんとか体裁を保てる予算をわたくしにも回して貰える。 だけどお姉様、どうしてそんな地雷男を選ぶんですか?! 結婚前から愛人ですって?!  愛人の予算もうちが出すのよ?! わかってる?! このままでは更にわたくしの予算は減ってしまうわ。そもそも愛人5人いる男と同居なんて無理! 姉の結婚までにこの家から逃げたい! 相談した親友にセッティングされた辺境伯とのお見合いは、理想の殿方との出会いだった。

婚約破棄イベントが壊れた!

秋月一花
恋愛
 学園の卒業パーティー。たった一人で姿を現した私、カリスタ。会場内はざわつき、私へと一斉に視線が集まる。  ――卒業パーティーで、私は婚約破棄を宣言される。長かった。とっても長かった。ヒロイン、頑張って王子様と一緒に国を持ち上げてね!  ……って思ったら、これ私の知っている婚約破棄イベントじゃない! 「カリスタ、どうして先に行ってしまったんだい?」  おかしい、おかしい。絶対におかしい!  国外追放されて平民として生きるつもりだったのに! このままだと私が王妃になってしまう! どうしてそうなった、ヒロイン王太子狙いだったじゃん! 2021/07/04 カクヨム様にも投稿しました。

王太子妃が我慢しなさい ~姉妹差別を受けていた姉がもっとひどい兄弟差別を受けていた王太子に嫁ぎました~

玄未マオ
ファンタジー
メディア王家に伝わる古い呪いで第一王子は家族からも畏怖されていた。 その王子の元に姉妹差別を受けていたメルが嫁ぐことになるが、その事情とは? ヒロインは姉妹差別され育っていますが、言いたいことはきっちりいう子です。

私たちの離婚幸福論

桔梗
ファンタジー
ヴェルディア帝国の皇后として、順風満帆な人生を歩んでいたルシェル。 しかし、彼女の平穏な日々は、ノアの突然の記憶喪失によって崩れ去る。 彼はルシェルとの記憶だけを失い、代わりに”愛する女性”としてイザベルを迎え入れたのだった。 信じていた愛が消え、冷たく突き放されるルシェル。 だがそこに、隣国アンダルシア王国の皇太子ゼノンが現れ、驚くべき提案を持ちかける。 それは救済か、あるいは—— 真実を覆う闇の中、ルシェルの新たな運命が幕を開ける。

幼馴染と結婚したけれど幸せじゃありません。逃げてもいいですか?

恋愛
 私の夫オーウェンは勇者。  おとぎ話のような話だけれど、この世界にある日突然魔王が現れた。  予言者のお告げにより勇者として、パン屋の息子オーウェンが魔王討伐の旅に出た。  幾多の苦難を乗り越え、魔王討伐を果たした勇者オーウェンは生まれ育った国へ帰ってきて、幼馴染の私と結婚をした。  それは夢のようなハッピーエンド。  世間の人たちから見れば、私は幸せな花嫁だった。  けれど、私は幸せだと思えず、結婚生活の中で孤独を募らせていって……? ※ゆるゆる設定のご都合主義です。  

処理中です...