化け物の棺

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化け物の棺

あの日の残酷な選択

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「王蟲《おうむ》…、メイルールが王蟲って本当ですか…?そんなバカな…きっと何かの間違いです!」

王の居城では父王に呼ばれたアトモルがその残酷な運命の前で冷静さを失っていた。

「あの子が幼い頃からオレはよく知っている!誰よりも美しい娘で…」
「美しいのは女だけか?」
「そう言うわけではありません!ですが、」

アトモルは知っている。メイルールの華奢な肩や柔らかな頬の感触。繊細な指先や紅い唇はまさに少女のそれだったはず。
幼い頃からその成長を見守ってきたメイルールは誰よりも己の妃に相応しい娘だったのだ。
堅牢な石の玉座に座ったヤールカナンの王ユルが、広間の真ん中で狼狽しながら立ち尽くす息子に更に残酷な運命を王は告げた。メイルールとの婚儀は無くなったのだと。
アトモルはすぐに納得出来ずに父王に噛み付いた。

「今更破談などあり得ません!メイルールは気心もしれ、誰よりも優しく誰よりも良い子です!父上も母上も知っているではありませんか!」
「ああ知っている!知っているとも!それは私も妃も知っておる。私も妃もいずれはお前の嫁になる事を疑わなかったのだ!だがこうなった以上お前と娶《めあわ》せる訳には行かぬ!」
「王蟲と言う事が問題なのですか?!だとしても子が出来ぬと決まった訳では…!」
「だまれ!アトモル見苦しいぞ!」

食い下がるアトモルに王は立ち上がりにべもなく一喝した。

「ダメなものはダメだ!お前は普通の男ではない!未来の国王なのだ!長きに渡る混乱が漸く纏まり始めた今、我がユル家の玉座を盤石なものとせねばならん!そんな時に嫡子であるお前が不確かな王蟲を妃にする訳にはいなぬのだ!王子として聞き分けよアトモル!」

父の声には有無を言わせぬものがある。
だがそれは王としての権威を振り翳す叱咤ではない事をアトモルは良く知っている。
時に戦場に同行し、王としての父の苦労を間近で見て来たアトモルにはその重責に苦しみ悩む父の姿を目の当たりにして来たのだ。
冷たく言い放った父王の言葉の中に王として父親としての葛藤が滲んでいた。
だからこそ、この場を立ち去っていく父に、アトモルはそれ以上食い下がることが出来なかった。

時に権力を持つ者は持たざる者よりも不自由だ。

幼い頃から父がそう苦しそうに漏らしていたその言葉を、いまアトモルは身をもって体現していた。

だが己の部屋へと引き上げてからもアトモルの頭はメイルールの事で一杯だった。
心細く泣いているメイルールの顔ばかりが脳裏に浮かぶ。
今頃、己が王蟲と知ったメイルールはどうしているのか。
すぐにでも駆けつけて大丈夫だよと抱きしめてやりたい衝動に駆られた。なによりも会って話をしたかった。
今この瞬間も、メイルールの側にいてやりたかった。

王蟲と聞いた時の戸惑いは否めなかったアトモルだが、それを知ったからと言ってアトモルの中の恋情は消えるどころか返って激しく燃えていた。

王蟲だから何だと言うのだ。この気持ちはそんな事では揺るが無い!
会って君が何者であっても変わらず愛していると告げなければ!

そう思い立つと居ても立っても居られずに若いアトモルは部屋を飛び出していた。
ところが、部屋の前に立っていたのは二人の兵士を伴った女王、母のイルだった。

「アトモル。メイルールに会ってどうするのですか」

母は冷静な声でアトモルの前に立ちはだかった。

「母上、そこを退いてください!オレは今心細い思いをしているあの子の側にいてやりたいのです!」

母を押し退け、制止する兵士を振り払い、今にも走り出して行きそうな息子の頬に母の平手が飛んだ。

初めて母に打たれた驚きにアトモルは目を見張って母を見た。
母は今まで見た事もないほど鎮痛な面持ちで唇を震わせて立っていた。

「お願いよ!冷静になってアトモル!お前が変わらず愛していると告げたところで、この先何が変わるのですか。お前はこの国の王の息子でメイルールは王蟲。一生二人の関係は変わりませんよ!お前の思いを告げたとしてお前が彼女に何をしてやれますか。結ばれないお前に心を残したまま一人で生きていけと告げるのですか?それとも二人で逃げますか?何も持たない二人が逃げたとしてそれでメイルールを幸せに出来ますか?若いお前にはまだ分からない。愛さえあれば生きられるなど絵空事でしか無いのですよ。ましてやお前は一国を背負う身。アトモル、貴方にもメイルールにも残酷なことは分かっています。可哀想なアトモル、私の可愛い息子。どうか耐えて…!」

そう言うと、母はアトモルを強く抱きしめた。
メイルールを攫って逃げても幸せにはなれない。その言葉がアトモルの胸を鋭く貫いた。
だが、アトモルを失った王蟲のメイルールに、この先どんな幸せな未来が残されているのだろう。
いずれにしてもメイルールの行く道に明るい未来など無いのだ。
そう思うとアトモルの心臓は潰れるほど苦しく痛んだ。

「母上…、オレは王になどなりたく無い、メイルールがいればそれだけで…っ」

言葉を途切らせ涙を流すアトモルを、母も抱き締めることでしか慰める術を持たなかった。
イルとて息子とメイルールを添わせてやりたいとどんなに強く思っているだろうか。
だが夫の兄弟は皆戦で死んだ。その隙間を突いて台頭する者らを退け、夫は必死で王座を死守して来たのだ。
イルはそんな危うい立場で苦労して玉座を守った夫をずっと支えてきたのだ。
そんな母の気苦労もアトモルは分かっている。
だからこそ自分に縋るように抱きしめる母をどうしても振り切る事が出来なかった。
ユル家にとって一人息子のアトモルを失うという事はユル家の治世が終わる事を意味する。
例え養子を迎えた者が王となってユル家を継いでも血が絶える事に変わりはない。
どうあっても自分はユルの血を継ぐ子供をもうけなければならない運命なのだ。
自分の人生は自分一人のものではない。
幼い頃からそんな空気の中でアトモルは育った。
権力を持つ者は持たざる者よりも不自由だ。
その通りだ。
だが愛する心は誰にも止める事ができない事も事実なのだ。
気持ちと現実が全く噛み合わぬまま、過酷な運命の前に飛べるはずのアトモルの愛の翼は生きながらにしてもがれた。
仕方なかったとは言え、自ら千切って捨てたのだ。


そうだ…あの日あの時、オレはメイルールを諦めたんだ。
最後に一目会う事も、言葉を交わすことさえ叶わずに…。




『……あの時、王蟲となった私に会いたいと……貴方も思ってくれていたのですね………』


ヴィクトーの頭の中にメイルールの声が流れ込み、その身体や心が何か暖かいものに包まれた気がした。
それと同時に強い疑念もまたヴィクトーの頭を過ぎった。

だが僧侶になった君は何故あのような道を選んだのか。それを決意させた気持ちとはどんなものだったのか。
ずっとオレは知りたかった。
僧侶になるだけではなく、お前がなぜ霊薬となる道を選んだのかを。

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