青眼の烏と帰り待つ羊

鉄永

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第五話

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「…いく?」
 自分に向けられたものはテレビの中でしか見たことがない、黒い武器だった。
 緊張感のあるその中で、しかしちひろは、自分にそれが向けられていることよりも大事なことがあった。
「ゆきは…ゆきはどこ?」
「ゆき…?」
 震える唇から擦れたように漏れた声は、次の瞬間大きな叫び声になった。
 武器を捨てて「礼、礼が」と言いながら転がるように火に向かって走っていくその姿にちひろは呆然ぼうぜんとしてから追いかける。
 そこにはぱちぱちと火を上げる黒い塊があった。先ほどから気になっていた異臭はここからだったようだ。
 火傷もかまわずに飛びつき、必死に火を払い始める彼に、行動の意図が読めないまま、ちひろも消火に加わる。
 しかしさすがに彼のように火に直接触れるのは躊躇ためらわれ、パーカーを脱ごうとして、自分をここまで守ってきた、れそぼった毛布に気付く。
 毛布を脱ぐと、周囲の熱気を一層感じた。
 ぱちぱちと音を上げる目の前の火に、「うわぁー‼」と声を浴びせながら毛布をかぶせる。
 少し火に触れた指先がじくりと痛む。
 離れると、突然降った毛布を前に、唖然あぜんとする彼がいた。
 数秒、二人は毛布を前に固まるが、彼は震える手で毛布をめくりあげる。
 それは、人の形をしていた。生まれる時のように体を小さくさせたその黒い人型の凹凸おうとつを理解しきる前に、ちひろは顔を背け、喉にこみ上げた胃液を吐き出す。
 頭の中がぐちゃぐちゃで、何も考えられなかった。何も見たくなかった。
 けれど、視界の端で動く彼に目を向けると、その醜い塊を「熱かったな」「痛かったな」「ごめんな」と声をかけながら、酷く大切そうに毛布で包んで抱き上げる姿が目に入り、急速に頭が冷える。
 そのまま立ち上がって周りを見渡す彼が、出口を探していることに気付いて、ちひろはそうっと彼の服の端を引く。
 まるで初めてこちらに気が付いたかのような無表情に少しひるむが、そんなことで足を止めている時間は無かった。
 「こっち」と自分の通ってきた方向へ誘導すると、意外と素直についてくる彼に安堵あんどして、足を速める。
 本来の脱出計画にあった喫煙所の扉を通り、裏口を抜けると、外はすっかり暗くなっていた。
 そのまま鬱蒼うっそうと茂る木々をかき分け、雨でぬかるむ地面に足を取られながら、森の奥へ進む。
 とにかく、誰も来ない落ち着いた場所で腰を下ろしたかった。
 遠くで響くサイレンから逃げるように進み、どうにか腰を下ろせる程度に開けた木々の隙間を見つけ、足を止めた。彼の服の端にひっかけていた指先を下ろして、始終無言で付いてきた彼の表情をのぞき込む。
 あいかわらず焦点の合わない目線の彼に、どう声をかけたらいいか分からない。
 ただ、口からこぼれた言葉は、半ば無意識だった。
「がんばったね」
 それは自身に対しての言葉だったのかもしれないけれど、それまで動かなかった彼の口は、何かをこらえるように引き締められた。
 

***


 彼の瞳はその後もちひろをとらえようとはしてくれなかったが、「休憩しよう」と大きな木の根に座って促すと、隣に腰を据えてくれた。
 ただ、腕の中のものを地面に下ろす様子はない。
「ゆき、おはかいれる?」
 試しにそう聞いてみると、彼はかすかに頷いた。
 まだお葬式にも参列したことが無いちひろは、死んだ人は焼かれて、お墓に入れられるということしか知らなかった。
 じゃあお墓作らないとなあ、とぬかるんだ地面を指でつつく。
 けれど、ちひろの知っているお墓は、色んな人のものが集まっている、墓地のイメージだった。
「ここだと、一人で、かわいそうだね」
 そうちひろが呟くと、彼はおもむろ立ち上がり、数歩先の草むらの上に彼女を下ろした。
 その前に両ひざをつき、ごそごそと自分の襟元を引っ張り、確かめるように顔に手をやる様子に、何をするのだろうとちひろも立ち上がり、かたわらに寄る。
「いく?」
 しゃがんで彼の顔を覗き込んだちひろは次の瞬間、後悔した。
 彼はあろうことか、指を瞳とまぶたの間に差し入れ、自分の眼球を取り出そうとしていた。
 最初ちひろは彼が何をしているのか理解できなかったが、あふれ出る血液と苦悶くもんの声に、脳より先に体が反応し、その恐ろしい光景から背を向けて、せりあがる胃液を吐き戻す。
 感じたことの無い恐怖に目を閉じ、耳をふさぎ、それでもかすかに聞こえる彼の苦痛な声が早く終わるようにと、そればかり願いながら、体をちぢこませる。
 永遠にも思えた時間。泣きつかれた頃にそっと耳にあてていた手を離し、おそるおそる彼に目を向けると、彼はぼそぼそと何かを呟きながら肩を震わせていた。
 先ほど手をかけていた彼の左目を直視しないように、表情をうかがう。
 泣いているのかと思ったその顔は、笑っていた。
 閉じた片方の目から流れる血をそのままに「ごめん」と繰り返し、笑い声を漏らす彼は明らかに異常だった。
 最初に感じた感情は、やはり恐怖だったが、彼の自虐的な行為が、ゆきのために行ったことだとゆっくり理解し始めたちひろは、だんだん腹に煮えたぎる何かを感じ始めた。
「ひどい」
 これまで口にしたことのないその一言は、今のちひろの感情にぴったりだった。
 近寄ってもこちらへ全く目を向けない彼を、ちひろは思い切り叩いた。
 普段から人に暴力を振ることのないちひろは、ビンタのつもりが頭の側面をぺちりとかすめるしかできなかったが、それでも彼は叩かれた頭をかくりと落とし、笑い声を止める。
 ただただ腹立たしく、悲しかった。
「ゆきは」
 勝手に震える声にちひろはぐっと唇を噛みしめて、声を張り上げる。
「ゆきはそんなことしてほしくない!」
 一度声に出すと止まらなくて、また流れ出す涙にしゃくりあげながら続ける。
「うれしくないっ、い、いくのこと、好きだって…あんなに、心配して」
 甘く優しい声で、あんなに大切そうに彼のことを話していた彼女を、ないがしろにされた気がしたのだ。
 もう話すことさえできない彼女を、これ以上傷つけてほしくなかった。
 なんで、ひどい、ばか、いやだ、と自分が知るつたない悪口をとにかく相手にぶつける。
 最後はただ言葉にならず泣きじゃくりはじめたちひろを、生はぼんやりと眺めた。
 
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