青眼の烏と帰り待つ羊

鉄永

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4部

第五話

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「かたつむり」
 隣を歩いていたちひろが呟き、その方向を見ると、葉の陰に隠れるようにしてカタツムリがいた。
「ほんとだ、かたつむり」
「え、どこ?」
「え?」
「え?いたんだよね?」
 てっきりちひろがカタツムリを見つけたから呟いたのだと思ったが、違っていたらしい。
 葉を少し持ち上げて「ほら、ここ」と示してやれば、「ほんとだ」とちひろが微笑む。
「かたつむり見てると、お腹すかない?なんだっけ、エスパニョーラみたいな名前の…」
「エスカルゴ?ふふ、ダメだよ、食べたら」
「食べないよ、このエスカルゴたちは野生だもん」
 野生のエスカルゴか…と、独特なちひろの感性に感心しながら、のんびりと歩く。
 礼と生が閉じ込められていた例の病院は取り壊され、今は道と土地だけが広がっている状態である。
 そして、ちひろには言っていないが、数年前からこの一帯は生が買い上げて管理していた。
 礼の墓を、壊されたくなかったからだった。
 草をかき分け、ゆっくりと進めば、小さな石積みと、風になびくボロボロのたすきがそこにあった。
 礼の墓は、昔のまま、そこにある。
 生が定期的に掃除にきているため、比較的綺麗だ。
 ちひろはほう、と感嘆を漏らして、墓に近付く。
「生、ここ、来たこと、ある?」
「うん、あるよ」
「そっか」
 ちひろは持ってきた花束を墓に供える。
 生も崩れた石を直しつつ、礼が好きだったお菓子を花束の隣に置いた。
 ちひろは墓の前にしゃがみ、地面を撫でて「久しぶり」と土の下にいる礼に語り掛ける。
「ゆき、あのね、いくがね、迎えに来てくれた。すごいねぇ」
 生はしばらくその様子を見下ろしてから、ちひろの隣に膝をつく。
「でも聞いて、酷いんだよ。内緒ばっかり」
 その言葉に生は苦笑いをする。
 確かにちひろに話せないことは多いが、これでもかなり譲歩しているのだ。
「お腹にも包帯して」
「…ちひろ」
「ちょっと怒るよね」
「ちひろ」
 ちひろはぽすぽすと地面を叩く。
「なに?」
「お腹にも包帯?」
「うん。…あ、」
 あからさまにしまったという顔をするちひろを責める気にもなれず、生は少し考えてから、目を細めた。
「…エッチ」
「ち、ちがうよ、」
 ぽぽぽ、と音が出そうに顔を赤らめて、ちひろはわたわたと手を振る。
 生はそんなちひろよそに、地面を撫でて礼に語り掛ける。
「ゆき…ちひろが俺の服…」
「ゆきに言わないで!」
「ええ…?理不尽だなぁ」
「恥ずかしいから!」
 できれば服を捲ろうとした時点で感じてほしかった感情である。
 まあそれだけ心配していたということだろう。
 逆に言えば、異性として認識されていないのではないかと不安になるが。
「ゆき、俺のことちゃんと見守ってて」
 生が手を合わせると、「私もゆきに見ててもらう!」とちひろも隣で柏手を打ち、何やら念じ始める。
 その様子に、生は笑いをこぼす。礼のことだから、「もちろんだよ!」と言ってくれるだろう。


***


「うーん、外出たのひさしぶりだから、体ぱきぱきしてる」
「…やっぱり、ずっと篭ってるのは、嫌?」
「…」
 ちひろは生の顔を覗き込む。
 どこか遠くを見て、考える様にぼんやりとした表情をする生は、ちひろの目線に気が付くと、いつものような微笑みをちひろに向けた。
 ちひろは生の前に立ち、手を握る。
「…あのね、いくといっしょにいたくない訳じゃないよ。確かに、ずっとお部屋の中は少し退屈だけど、前より、ううん…今までで一番、しあわせで贅沢な生活してる」
「…」
 生は笑みを消してちひろを見つめる。
「私が外に出るの、心配?」
 ぼんやりとする生にちひろは握った手を軽く振る。
「…ん」
 生は小さく頷いた。
 普段は自分の要望よりちひろの要望を最優先にしたがる生の、珍しく素直な様子に、ちひろは微笑む。
「そっか、うん。じゃあ、わたし、今のままでも全然平気。それに、私が外に出たくなったら、今日みたいに、いくが着いてきてくれるんでしょう?」
「…いいの?」
「いーよ。勝手にどっか行ったりしない、絶対。約束する」
「…約束」
「うん、指切りげんまん、する?」
「したい」
 生の前に出されたちひろの小指に、生は迷わず自身の小指を絡ませた。
「…ちひろが約束破っても、針千本は飲まなくていい」
「ん?」
「その代わり、嘘ついても、絶対帰ってきて」
「うん」
 じ、っと真剣な目でちひろを見つめる生に、ちひろはしっかりと頷いた。
 嘘ついたら、絶対帰ってくーる、とちひろは歌い、指を切る。
「ありがと、ちひろ」
「どういたしまして、生」
 ちひろは指切りをした手で、生の頭をよしよしと撫でる。
「さ、帰ろ。かえるがなくからー、かーえろー」
 まるで子どものように手をつないだ影が、地面に伸びていた。


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