幸福な檻 ―双子は幻想の愛に溺れる―

花籠しずく

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第一章

7 放課後

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 嫌な予感とは大抵当たるものらしい。
 メアリという転校生はセシルにつきまとってきた。クラスで上位の成績を修めているからと勉強のことを聞き実技のことを聞きと、理由を作っては話しかけてくる。
 今日は放課後にセシルを走って追いかけてきたかと思えば、「実技を教えて欲しい」とせがんできた。

「俺の魔法は水属性のものだ。あんたは精神の浄化に関わるものだろ。俺じゃなくて別のやつに聞いてくれないか」
「でもセシル様、教えるのが上手いと聞きますし」

 上目遣いでほんの少し首を傾げて。似合っていないわけではないのだが、彼女がそれを作戦でやっているのは見え透いていた。

「だから俺より適任がいるだろ。魔法が同系統のやつに聞けよ」
「だって、その方たちに尋ねてもセシル様に聞いてと言うんですもの」

 少し離れたところで「その方たち」がニヤニヤとした顔でこちらを見ていることに気が付く。大方、メアリがセシルに気があることを知って、「応援」しているのだろう。
 使える魔法の系統は血に依存する。セシルは水を操る魔法については高い能力を発揮できるが、他はからきしだ。精神の浄化の魔法なんて教えられるわけがない。

「お時間ある時でいいので」
「俺では教えられない。他を当たってくれ」

 メアリはまだ何か言いたそうだったが、無視して歩き出す。メアリに好意はないと、今後も好意を抱くことはないのだと示しておかないと、厄介なことになりそうだった。
 今日は早く帰りたい。フィオナが薬草を育てるのに苦戦しているから、手伝ってあげたいのだ。メアリに構っている暇などない。

 こちらを追いかけてくる声を再び無視し、廊下を急ぐ。彼女の声が聞こえなくなる頃に歩調を戻すと、ちょうどレイが廊下の反対側から歩いてくるところに出会った。

「モテる男は大変だね」
「見ていたんだ」
「いや。噂になっているからね、セシルの様子を見れば想像はつくかな」
「噂になっているのか、参ったな」

 思わずため息をつくと、レイはくすくすと笑った。面白がっているというよりはその場の調子をとるような笑いで、不思議と腹は立たなかった。

「女の子って噂好きだよねえ。僕のところにまで聞こえてきたよ」

 レイ曰く、噂の内容は「セシルもメアリのことが好きなのに、セシルが照れて冷たい態度になっている」というものらしい。随分尾ひれがついて回っているようだ。勘弁してほしい。

「レイだけに弁解しても仕方ないけど、俺、メアリのことは好きじゃないよ。苦手だ」

 そうだろうと思ったと、レイは呟いた。

「でもかわいいよね、あの子」
「顔はね。でも俺ああいう女嫌いなんだ、色目使ってくるだろ、あいつ」

 じゃあどういう子が好きなの、と茶化してくるレイに「うるさい」と返す。しかし彼は怒った様子もなく、「ごめんごめん」と呟いた。

「どうにかしてあげたいところだけど、僕が違うと言って回ったところでそれらしくなるだけだよね」
「王子様が手を出さなくたっていいですよ、もう」
「そう不貞腐れないの」

 愚痴くらい聞くから。彼はそれだけ言い残して去っていく。確か今日は帰った後は公務があると言っていたか。忙しいだろうに、こちらの様子を見かねて声をかけてくれたのは、素直にありがたいと思う。
 誰もいなくなった廊下で、ひとり「帰ろう」と呟く。この短時間ですっかり疲れ切ってしまった。だけど帰ればフィオナがいると思えば、短くはない帰り道を行くのも億劫ではなくなった。



 家に帰ってから真っ先に覗いたのは、硝子張りの小屋だった。小屋を覆うように生えた蔦の間に、彼女の金髪と白いシャツが見え隠れしている。

「ただいま」

 おかえり。フィオナが顔を上げて、ほっとしたように表情を崩した。やっと帰ってきてくれたとその目が語っているようで、セシルの心臓がとくりと音を立てる。学園での出来事で疲れ、ささくれ立っていた心が落ち着きを取り戻していく。

「まだ萎れたまま?」
「うん。お日様に当てているし、水もあげているんだけど」
「肥料が良くないのかな」

 フィオナがつけている手袋を見ると、土で汚れている。先ほどまで苗をいじっていたようだ。

 フィオナの手袋は、自分が与えた。手袋だけではなく、スカートのような柔らかなシルエットを残したズボンも、袖がすっきりしている代わりに襟に装飾がされたシャツも、セシルがプレゼントしたものだ。飾りが多い服装は園芸には向かないのだろうけれど、彼女には常にこういった上品なものを身に着けていてほしいと思う。

 自由に使えるお金も、両親におねだりできる立場も持っていない。そんな彼女を甘やかして、それを口実にセシルが好む衣服や装飾品を身に着けさせるのは、たまらなく楽しい。

「元気になってほしいのに」

 フィオナの指が、薬草の葉を撫でる。指の動きに合わせて浮き沈みするそれを、彼女の寂しそうな目が見つめている。
 今フィオナが育てようとしているのは、身体に溜まった熱を外に逃がす効果を持つ薬草だ。春の半ばから夏にかけて需要が高まるもので、恐らく彼女はこの夏に使ってもらいたくて必死なのだろう。
 彼女の自尊心が満たされるようにしてあげたい。その気持ちは本当だけれど、自分の暗い部分はそれを嫌がっていた。

「薬草の本、図書館で探してくるよ」
「でもセシル、試験もうすぐでしょ」
「気晴らしに丁度いいよ。それに俺、普段からコツコツ勉強してるから、試験前に詰めなくても平気なの」

 フィオナの眉が少しの間寄せられて、それからゆっくりと下げられた。

「ありがとう」

 彼女がほっとしたように息を吐く。淡い色の唇がゆっくりと弧を描く様子に、身体の内側から熱が湧き上がる。

「明日にでも司書さんに聞いてみるから」

 彼女の望みを叶えてやるとき、彼女はセシルに抱いていた嫉妬や憎しみをどこかに放り捨てる。そうして無垢なままの心でこちらを見つめ、縋りついてくるのだ。嫉妬を向けられるときに錯覚する愛情とは違う、もっと純粋で穏やかな波のような情はきっと、世間でいうところの「愛」に近いのかもしれなかった。

 暗い欲望は、まだ見せてはいけないと思う。本当は彼女が一人で立てる可能性を全てなくして、ずっとこの手の中で甘やかしていたい。だけどこの欲は、愛情らしい愛情を引き出せなくなったときのために、とっておくべきなのだろう。

「ひとまず夕食にしようよ」
「あ、うん」
「今日はもうやれることはやったんでしょ。無闇にいじるのも良くないと思うよ」
「そう、だね」

 渋々といった様子で彼女が立ち上がる。二人で片付けをし、小屋の鍵を閉めた。それでもまだ小屋の中を見つめているフィオナの腕をつつくと、彼女はハッとしたように首を振った。

「夕食何か聞いてる?」
「ううん。まだ何も」
「そっか」

 フィオナが手袋を外し、そこについていた土を払う。それで手が汚れるなら手袋の意味が薄れるのだが、気に入ってくれたからこその行為であれば嬉しいものだ。

「最近きた転校生がね」

 フィオナの視線がこちらに向けられたのを確認して、その手を握る。ついたままの土がうつるのを気にして逃げようとする手を追いかけ、離れないように指を絡ませた。

「その人との付き合い、大変なの?」
「よく分かったね」
「分かるわよ」

 彼女は一言呟いてから、ゆっくりと視線を下げた。
 屋敷の中に入るまでの間、学園での出来事や愚痴に彼女は耳を傾けてくれた。セシルの苦労も含めて学園生活が羨ましいはずなのに、文句を言わずに聞いてくれるところが好きだった。
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