幸福な檻 ―双子は幻想の愛に溺れる―

花籠しずく

文字の大きさ
15 / 24
第二章

6 耽溺①

しおりを挟む
 文字を覚え始めた頃の話だ。家庭教師たちに厳しく勉強をさせられ、魔法を使う訓練をさせられ続ける日々だったが、空いた時間にフィオナと遊ぶのが好きだった。

「フィオナはなにをしていたの?」
「わたしはお絵かきしていたの」

 フィオナに厳しい勉強が課されていなかったのは両親に期待されていなかったからだと、今なら分かる。だけどその時はそんなことも分からなくて、「お絵かきできていいなあ」なんてセシルはぼやいていた。

「じゃあ今からいっしょにお絵かきしようよ」

 フィオナが取り出したクレヨンは、セシルが誕生日に母からプレゼントされたものだ。その日に一緒に画用紙に落書きをしてから、ほとんどフィオナのものになっている。

「先生がさっきおしえてくれたんだけど」

 窓にお絵描きしたものが動き出す魔法があるらしい。そうフィオナに伝えると、彼女は顔を輝かせた。

「このクレヨンでお絵かきしたら、うごいてくれるのかしら」
「どうぶつをかこうよ。きっといっしょにあそべるよ」

 セシルの休み時間に、二人で廊下に抜け出した。陽射しを真っすぐに透き通らせる硝子の前に立って、クレヨンを押し付ける。

「セシル、なにかいてるの?」
「ぞうさん」
「わたしはうさぎさん」

 歪んだ線が生き物の形を作っていく。フィオナはその頃お絵描きに夢中で、同じ年ごろの子どもの中では随分上手かったと記憶している。だけどお絵描きに親しみがないセシルの描く象は何か違う生き物の形になっていて、ちょっとだけ悔しかった。

「フィオナはじょうずだね。いいなぁ」
「でもわたし、お外にいけないから」

 そうだった。フィオナはお絵描きが許されている代わりに、外には出られない。逃げ出そうとすれば門番に連れ戻されて、部屋に押し込められる。セシルが一緒であればいいかと思い一緒に門番を説得したこともあったが、結果は同じだった。

「ぼく、フィオナといっしょにぞうさんの上にのりたい」

 フィオナが教えてくれた物語の主人公に、象に乗って旅をする人がいた。この頃はどうして彼女が外に出られないのかは理解していなくて、いつか二人で象の背に揺られて、どこか遠くに行くのが夢だった。

「セシルといっしょにとおくにいけたらな」

 フィオナの目に暗い影が落ちるのに気が付いて、セシルはその身体をぎゅっと抱きしめた。

「今からまほうをかけるね」

 自分もまた父と同じように、水属性の魔法しか使えないと教えられたばかりだったが、実感はわいていなかった。物語の主人公のように、願えば様々な属性の魔法を使えるようになると、無邪気に信じていた。だから「どうぶつさん、うごけー」なんて言って、力を込めた手を絵に向けた。

 フィオナは魔法を使えないから、ここでいいところを見せたい。そんな思いが膨らんで、側で彼女に応援もされて、なんとなく後に引けなくなった。悪戯は父や母に見つかる前にその痕をなくすと侍女と約束していたが、その日はずっと粘ってしまった。

「お前、何をしているの」

 母の声だった。普段セシルに向ける柔らかい声とは違う、怒りに震えたような高い声だった。怒られるのかと思って目をぎゅっと瞑るも、母はセシルの脇を通り抜けた。

「お前がやったのね」

 乾いた音がして、フィオナが床に崩れ落ちた。彼女が頬を押さえて泣いているのに気が付いて、セシルはフィオナに抱き着いた。

「おかあさま、ぼくがわるいの。ぼくがわるいから、フィオナをたたかないで」

 母がフィオナを叩いたのは初めて見た。普段は言葉すら掛けないのに、こんなにも声を荒げている。その変りように震えていると、母の後ろから父が姿を現した。

「どうしたんだ」

 思い返すと、その日の父は面倒くさがっていたように思う。確かその後来客が控えていたとかで、子どもが残した悪戯を、しかも明らかに女の子がいるであると分かるそれを、厄介に思ったようだった。

 母がフィオナがこの落書きをしたのだと父に言うと、父は傍に控えさせていた使用人を呼び出した。

「カール、あれを物置に閉じ込めておけ」
「畏まりました」

 カールという使用人は、この時からずっとセシルの敵となる。

 彼はセシルからあっさりとフィオナを取り上げ、すたすたと物置のある方まで歩いていく。脇に抱えられているフィオナはぼろぼろと泣いている。取り返さなくちゃ、という意識ばかりが先に立って追いかけようとするも、母に捕まった。

「あんなのに惑わされて、お前は可哀そうね」

 惑わされる。その意味は分からなかった。だけど母がフィオナを大切に思っていないことはよく分かったから、母を憎らしく思った。
 フィオナは悪くない、物置から出してあげてほしい。そう父と母に懇願するも、憐れまれるか鬱陶しそうにされるだけで、このやり方ではフィオナを助けてやれそうにはないと悟るしかなかった。

「フィオナ、のどかわいてない? おなかすいたよね?」

 扉越しにフィオナの反応を聞き、まだ無事であると確かめることで、セシルはどうにか気持ちを落ち着かせた。会うたびにフィオナは泣いていて、早く助けてあげたいという気持ちが募った。
 やがて夕食の時間も過ぎたとき、やっとカールに話しかける機会を見つけた。

「ものおきのかぎ、ちょうだい」
「坊ちゃんが何でもしてくれるんならいいですよ」

 これは随分時が経ってから知ったのだが、夕食の時にはすでに、カールはフィオナを物置から出して良いと言われていたらしかった。彼はその上でフィオナを閉じ込め続け、セシルで遊ぶような真似をした。

「なんでもする。するから、フィオナをたすけて」
「そうだな。じゃあ私にも、大人になったフィオナを可愛がらせてくださいよ」

 彼の言う「可愛がる」の意味は、その時は分かっていなかった。意味が分かる歳になって言われていたら確実に彼の命を奪っていただろうが、当時は「いじめない」という意味にうけとって、喜んだ。フィオナを閉じ込めたことを許したわけではなかったが、解放してくれるのであれば良かった。

「うん。みんなでなかよくしよう」

 渡された鍵を持って、物置まで走る。重たい扉を開けると、フィオナがはっと顔をあげて、泣きはらした目でこちらを見た。光のある場所を求めて、月の光が差す場所で膝を抱えている様子は、セシルの胸をぎゅうと締め付けた。

「たすけるのがおそくなってごめんね」

 もうだいじょうぶだよ。そう言って抱きしめると、フィオナはセシルを抱きしめ返した。縋るような、安心したような抱きしめられ方だったのを、まだ覚えている。

「フィオナのことはぼくがまもるよ。ずっとまもる」

 母に叩かせるようなことはさせない。物置に閉じ込められるようなことにはさせない。子どもの約束なんて、守れるかどうかも分からない戯言でしかない。だけどフィオナはその戯言にようやく笑顔を見せて、涙を拭いた。

「わたしを外に出してくれる?」
「うん。いますぐ出してはあげられないけれど、きっと、大人になったら」

 月明りが差し込む物置で、交わした約束。絡めた小指。この契りは、今後セシルが生きる上での道しるべとなる。
しおりを挟む
感想 6

あなたにおすすめの小説

転生したら悪役令嬢になりかけてました!〜まだ5歳だからやり直せる!〜

具なっしー
恋愛
5歳のベアトリーチェは、苦いピーマンを食べて気絶した拍子に、 前世の記憶を取り戻す。 前世は日本の女子学生。 家でも学校でも「空気を読む」ことばかりで、誰にも本音を言えず、 息苦しい毎日を過ごしていた。 ただ、本を読んでいるときだけは心が自由になれた――。 転生したこの世界は、女性が希少で、男性しか魔法を使えない世界。 女性は「守られるだけの存在」とされ、社会の中で特別に甘やかされている。 だがそのせいで、女性たちはみな我儘で傲慢になり、 横暴さを誇るのが「普通」だった。 けれどベアトリーチェは違う。 前世で身につけた「空気を読む力」と、 本を愛する静かな心を持っていた。 そんな彼女には二人の婚約者がいる。 ――父違いの、血を分けた兄たち。 彼らは溺愛どころではなく、 「彼女のためなら国を滅ぼしても構わない」とまで思っている危険な兄たちだった。 ベアトリーチェは戸惑いながらも、 この異世界で「ただ愛されるだけの人生」を歩んでいくことになる。 ※表紙はAI画像です

ヤンデレにデレてみた

果桃しろくろ
恋愛
母が、ヤンデレな義父と再婚した。 もれなく、ヤンデレな義弟がついてきた。

溺愛最強 ~気づいたらゲームの世界に生息していましたが、悪役令嬢でもなければ断罪もされないので、とにかく楽しむことにしました~

夏笆(なつは)
恋愛
「おねえしゃま。こえ、すっごくおいしいでし!」  弟のその言葉は、晴天の霹靂。  アギルレ公爵家の長女であるレオカディアは、その瞬間、今自分が生きる世界が前世で楽しんだゲーム「エトワールの称号」であることを知った。  しかし、自分は王子エルミニオの婚約者ではあるものの、このゲームには悪役令嬢という役柄は存在せず、断罪も無いので、攻略対象とはなるべく接触せず、穏便に生きて行けば大丈夫と、生きることを楽しむことに決める。  醤油が欲しい、うにが食べたい。  レオカディアが何か「おねだり」するたびに、アギルレ領は、周りの領をも巻き込んで豊かになっていく。  既にゲームとは違う展開になっている人間関係、その学院で、ゲームのヒロインは前世の記憶通りに攻略を開始するのだが・・・・・? 小説家になろうにも掲載しています。

転生しましたが悪役令嬢な気がするんですけど⁉︎

水月華
恋愛
ヘンリエッタ・スタンホープは8歳の時に前世の記憶を思い出す。最初は混乱したが、じきに貴族生活に順応し始める。・・・が、ある時気づく。 もしかして‘’私‘’って悪役令嬢ポジションでは?整った容姿。申し分ない身分。・・・だけなら疑わなかったが、ある時ふと言われたのである。「昔のヘンリエッタは我儘だったのにこんなに立派になって」と。 振り返れば記憶が戻る前は嫌いな食べ物が出ると癇癪を起こし、着たいドレスがないと癇癪を起こし…。私めっちゃ性格悪かった!! え?記憶戻らなかったらそのままだった=悪役令嬢!?いやいや確かに前世では転生して悪役令嬢とか流行ってたけどまさか自分が!? でもヘンリエッタ・スタンホープなんて知らないし、私どうすればいいのー!? と、とにかく攻略対象者候補たちには必要以上に近づかない様にしよう! 前世の記憶のせいで恋愛なんて面倒くさいし、政略結婚じゃないなら出来れば避けたい! だからこっちに熱い眼差しを送らないで! 答えられないんです! これは悪役令嬢(?)の侯爵令嬢があるかもしれない破滅フラグを手探りで回避しようとするお話。 または前世の記憶から臆病になっている彼女が再び大切な人を見つけるお話。 小説家になろうでも投稿してます。 こちらは全話投稿してますので、先を読みたいと思ってくださればそちらからもよろしくお願いします。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

そのご寵愛、理由が分かりません

秋月真鳥
恋愛
貧乏子爵家の長女、レイシーは刺繍で家計を支える庶民派令嬢。 幼いころから前世の夢を見ていて、その技術を活かして地道に慎ましく生きていくつもりだったのに—— 「君との婚約はなかったことに」 卒業パーティーで、婚約者が突然の裏切り! え? 政略結婚しなくていいの? ラッキー! 領地に帰ってスローライフしよう! そう思っていたのに、皇帝陛下が現れて—— 「婚約破棄されたのなら、わたしが求婚してもいいよね?」 ……は??? お金持ちどころか、国ごと背負ってる人が、なんでわたくしに!? 刺繍を褒められ、皇宮に連れて行かれ、気づけば妃教育まで始まり—— 気高く冷静な陛下が、なぜかわたくしにだけ甘い。 でもその瞳、どこか昔、夢で見た“あの少年”に似ていて……? 夢と現実が交差する、とんでもスピード婚約ラブストーリー! 理由は分からないけど——わたくし、寵愛されてます。 ※毎朝6時、夕方18時更新! ※他のサイトにも掲載しています。

冗談のつもりでいたら本気だったらしい

下菊みこと
恋愛
やばいタイプのヤンデレに捕まってしまったお話。 めちゃくちゃご都合主義のSS。 小説家になろう様でも投稿しています。

お腹の子と一緒に逃げたところ、結局お腹の子の父親に捕まりました。

下菊みこと
恋愛
逃げたけど逃げ切れなかったお話。 またはチャラ男だと思ってたらヤンデレだったお話。 あるいは今度こそ幸せ家族になるお話。 ご都合主義の多分ハッピーエンド? 小説家になろう様でも投稿しています。

処理中です...