幸福な檻 ―双子は幻想の愛に溺れる―

花籠しずく

文字の大きさ
16 / 24
第二章

7 耽溺②

しおりを挟む
 強くならなければフィオナを守ることも、外に連れ出すこともできない。そう気がつくまで、さほど時間はかからなかった。読み書きがある程度できるようになると、この国の歴史をはじめとする教養や算術の授業も難しくなっていったのだが、それと同じくらい魔法の鍛錬も厳しくなった。
 十の歳になるまでに手のひらほどの水を自在に操れるようになれば上出来だと言われたが、その目標は八歳になるかならないかの頃に達成した。教師を驚かせる勢いで強い魔法を手に入れつつあると、少しずつ、フィオナの周りの空気が変わってきた。

「何かあったらおれが守るからね」

 使用人たちがいる前でそう囁けば、影でフィオナの悪口を言っていた人間がばつの悪そうな顔をした。いずれ家の中の権力を把握したら追い出してやるつもりではいたが、その時はまだフィオナの周りの空気を明るくさせるだけで精一杯だった。

 自在に扱える水の量を増やし、その精度もあげた。氷を水に変化させたり、塊の水を水蒸気に変化させたりするのにはまだ時間がかかりそうだったが、水差しをひっくり返すことくらいは容易い。

 カールは他の使用人に比べてフィオナへの嫌がらせは執拗で、時に幼稚で、楽しんで虐めている様子が見られた。それまではフィオナが嫌がらせをされているところに割り込んで、彼女を連れ出すのがやっとだったが、花瓶の水を頭の上にひっくり返してやると、執拗な嫌がらせはぴたりと止んだ。

 自分なら、フィオナを守ってあげられる。もっと強くなれば、両親からも解放してあげられる。自分だけが、彼女を守ってあげられる。そんな事実のような理想に酔い始めたのはいつ頃だったか。
 まだ成長期には差し掛かっていなかった気がする。子どもの思い描く理想は現実に即してない部分が多くて、外の世界を知らない。だけど、フィオナは外の世界から離されたところにいるから、曖昧な理想でも現実の形を持った。

 ただ一つ苦しかったのは、強い魔法が使えるようになって、それが周囲から認められるほどに、フィオナの心が離れていくことだった。

 彼女には、何のためにセシルが強さを手に入れようとしているのかは教えていない。フィオナのためだと言ってしまうのは恥ずかしいのもあったけれど、いつか二人きりで外に出られたときに、「この日のために強くなっていたんだ」と言って驚かせたい気持ちもあった。だから「父さんに望まれているから」という理由を添えて、本当の気持ちは隠していた。

 フィオナは成長するたびに内側の繊細さを増していって、外に出られない退屈さや苦しさを、心の中でかき混ぜるようになっていた。きっと家での居心地が良くなっていった理由に気がついてはいるのだろうけれど、それ以上に、セシルが認められていくことを妬ましく思っているらしかった。

 多分この時にはすでに、自分の心は彼女のものだったのだと思う。昼間は彼女からの嫉妬や憎しみの視線を虚しく思い、夜は彼女の寂しそうで、縋るような色を浮かべている瞳に吸い込まれるようにして、その温もりに手を伸ばした。

「フィオナ、大好きだよ」

 耳元で呟けば、彼女は腕の中から逃げようとする。彼女が思い浮かべる「好き」にはセシルが与えた言葉が重すぎるからだとは思ったけれど、このままセシルが向ける愛情に溺れてほしいとすら思った。

 成長期の半ばを迎える頃には、いくらか家の権力を把握できるようになっていた。侍女の入れ替えもあっけなくできて、フィオナの周りには穏やかな人のみを置くことが叶った。

 この時期にセシルを一番戸惑わせたのは、フィオナの肉体の変化だった。痩せている彼女には、他の女ほど分かりやすい見た目の変化は訪れなかった。だけどほっそりとした腰にくびれができて、胸も徐々に膨らんできていると、抱きしめるたびに気が付かされたのだ。

 身が持たないと思った。

 男女が愛し合う行為がどのようなものなのか、知らぬ歳ではなかった。そしてその欲を彼女に向けているのが分からない程、愚かでもなかった。
 せめて唇だけでも奪えないだろうか。あの柔らかな赤を食んで、その味を知ることができたらどれほど良いだろう。何度もそう思ったが、一度唇に触れてしまえば自分を止められなくなるのは分かった。

 欲と闘い続けている間に己に歪みが生じているのに気が付かされたのは、セシルにとっても想定外だった。本来近親間での行為は禁忌であるのに、それに対する罪悪感だとか、忌避する気持ちが存在しなかったのだ。むしろ、その行為ができるときを心から待ち望んでいる。

 近親間での交配を繰り返し続けると、気の狂った子どもや形の歪な子どもが生まれるらしい。ならば子を宿させしなければいいのではないか。孕ませさえしなければ、肌を重ねるくらいは、許されるのではないか。抑え込んだ欲がさらに歪に変わっていくことには気が付いていたが、それを罪と思うことはなかった。ただ、肌を重ねるためには彼女の心が遠すぎることだけが、悩みの種だった。

 彼女の横で己の欲と闘い続けていると、フィオナがこちらのことをただの双子の弟としか見ていないことが虚しくなる。自分と同じように激しい恋をしてほしいと願えども、溺れているのはこちらだ。彼女を溺れさせることは叶わないだろう。だけど彼女の周りも同じ水で満たしてしまえば。溺れさせることは叶わなくとも、同じ水の中で、同じ息を吸うことはできる。

 フィオナが家から出られないのも、両親からの愛を受けたことがないのも、好都合だった。彼女に優しくできるのが自分だけという状況は、セシルが仕組まなくとも出来上がっていた。生きるための環境を与えられるのも、所謂「愛情」を与えることができるのも、彼女を心から必要としているのも自分だけ。必要とされたいという彼女の願いに応えてあげられるのは、自分だけ。条件は揃っている。あとは彼女の苦しみが塗り替えられて、この手に落ちてくる時を待てばいい。その時がやってきたとき、自分たちは元々そうであったように一つになれる。

 こんなことを考えているのを、どうやら母は薄っすら気が付いたらしい。セシルが抱えている仄暗い情欲にはまだ気がついてはいないだろうが、母は女として、フィオナを敵と認識した。元々母はフィオナには無関心で、関りを持つことがあるとすれば、機嫌を損ねていたときに叩いたり罵ったりするくらいのものだった。それなのに成長期に差し掛かったあたりから、理由をつけてはフィオナを罵倒し痛めつけるようになった。どうやら母は、フィオナがセシルを誘惑していると思い込んでいるらしかった。

 セシルがフィオナに溺れているのが気に食わないのなら、セシルを攻撃すればいい。フィオナに誘惑なんてされたことはないし、彼女が誘惑が何かを知るはずもない。しかし母の思い込みは激しくて、セシルが母に孝行をすれども、「外に気になる人がいる」とほのめかすような嘘をつけども、母はフィオナに向ける憎悪を隠そうとはしなかった。

 フィオナが母に痛めつけられる原因を作っているのは、セシルだ。セシルが上手に立ち回れていないから、フィオナに火の粉がふりかかる。それが後ろめたくて、何かあるたびに赦しを乞うように彼女を甘やかした。
 彼女に欲を抱いているのが、自分だけならまだ良かった。しかしこの家にはもう一人、彼女を食い荒らそうとしている人間がいたのである。
しおりを挟む
感想 6

あなたにおすすめの小説

転生したら悪役令嬢になりかけてました!〜まだ5歳だからやり直せる!〜

具なっしー
恋愛
5歳のベアトリーチェは、苦いピーマンを食べて気絶した拍子に、 前世の記憶を取り戻す。 前世は日本の女子学生。 家でも学校でも「空気を読む」ことばかりで、誰にも本音を言えず、 息苦しい毎日を過ごしていた。 ただ、本を読んでいるときだけは心が自由になれた――。 転生したこの世界は、女性が希少で、男性しか魔法を使えない世界。 女性は「守られるだけの存在」とされ、社会の中で特別に甘やかされている。 だがそのせいで、女性たちはみな我儘で傲慢になり、 横暴さを誇るのが「普通」だった。 けれどベアトリーチェは違う。 前世で身につけた「空気を読む力」と、 本を愛する静かな心を持っていた。 そんな彼女には二人の婚約者がいる。 ――父違いの、血を分けた兄たち。 彼らは溺愛どころではなく、 「彼女のためなら国を滅ぼしても構わない」とまで思っている危険な兄たちだった。 ベアトリーチェは戸惑いながらも、 この異世界で「ただ愛されるだけの人生」を歩んでいくことになる。 ※表紙はAI画像です

ヤンデレにデレてみた

果桃しろくろ
恋愛
母が、ヤンデレな義父と再婚した。 もれなく、ヤンデレな義弟がついてきた。

溺愛最強 ~気づいたらゲームの世界に生息していましたが、悪役令嬢でもなければ断罪もされないので、とにかく楽しむことにしました~

夏笆(なつは)
恋愛
「おねえしゃま。こえ、すっごくおいしいでし!」  弟のその言葉は、晴天の霹靂。  アギルレ公爵家の長女であるレオカディアは、その瞬間、今自分が生きる世界が前世で楽しんだゲーム「エトワールの称号」であることを知った。  しかし、自分は王子エルミニオの婚約者ではあるものの、このゲームには悪役令嬢という役柄は存在せず、断罪も無いので、攻略対象とはなるべく接触せず、穏便に生きて行けば大丈夫と、生きることを楽しむことに決める。  醤油が欲しい、うにが食べたい。  レオカディアが何か「おねだり」するたびに、アギルレ領は、周りの領をも巻き込んで豊かになっていく。  既にゲームとは違う展開になっている人間関係、その学院で、ゲームのヒロインは前世の記憶通りに攻略を開始するのだが・・・・・? 小説家になろうにも掲載しています。

転生しましたが悪役令嬢な気がするんですけど⁉︎

水月華
恋愛
ヘンリエッタ・スタンホープは8歳の時に前世の記憶を思い出す。最初は混乱したが、じきに貴族生活に順応し始める。・・・が、ある時気づく。 もしかして‘’私‘’って悪役令嬢ポジションでは?整った容姿。申し分ない身分。・・・だけなら疑わなかったが、ある時ふと言われたのである。「昔のヘンリエッタは我儘だったのにこんなに立派になって」と。 振り返れば記憶が戻る前は嫌いな食べ物が出ると癇癪を起こし、着たいドレスがないと癇癪を起こし…。私めっちゃ性格悪かった!! え?記憶戻らなかったらそのままだった=悪役令嬢!?いやいや確かに前世では転生して悪役令嬢とか流行ってたけどまさか自分が!? でもヘンリエッタ・スタンホープなんて知らないし、私どうすればいいのー!? と、とにかく攻略対象者候補たちには必要以上に近づかない様にしよう! 前世の記憶のせいで恋愛なんて面倒くさいし、政略結婚じゃないなら出来れば避けたい! だからこっちに熱い眼差しを送らないで! 答えられないんです! これは悪役令嬢(?)の侯爵令嬢があるかもしれない破滅フラグを手探りで回避しようとするお話。 または前世の記憶から臆病になっている彼女が再び大切な人を見つけるお話。 小説家になろうでも投稿してます。 こちらは全話投稿してますので、先を読みたいと思ってくださればそちらからもよろしくお願いします。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

そのご寵愛、理由が分かりません

秋月真鳥
恋愛
貧乏子爵家の長女、レイシーは刺繍で家計を支える庶民派令嬢。 幼いころから前世の夢を見ていて、その技術を活かして地道に慎ましく生きていくつもりだったのに—— 「君との婚約はなかったことに」 卒業パーティーで、婚約者が突然の裏切り! え? 政略結婚しなくていいの? ラッキー! 領地に帰ってスローライフしよう! そう思っていたのに、皇帝陛下が現れて—— 「婚約破棄されたのなら、わたしが求婚してもいいよね?」 ……は??? お金持ちどころか、国ごと背負ってる人が、なんでわたくしに!? 刺繍を褒められ、皇宮に連れて行かれ、気づけば妃教育まで始まり—— 気高く冷静な陛下が、なぜかわたくしにだけ甘い。 でもその瞳、どこか昔、夢で見た“あの少年”に似ていて……? 夢と現実が交差する、とんでもスピード婚約ラブストーリー! 理由は分からないけど——わたくし、寵愛されてます。 ※毎朝6時、夕方18時更新! ※他のサイトにも掲載しています。

冗談のつもりでいたら本気だったらしい

下菊みこと
恋愛
やばいタイプのヤンデレに捕まってしまったお話。 めちゃくちゃご都合主義のSS。 小説家になろう様でも投稿しています。

お腹の子と一緒に逃げたところ、結局お腹の子の父親に捕まりました。

下菊みこと
恋愛
逃げたけど逃げ切れなかったお話。 またはチャラ男だと思ってたらヤンデレだったお話。 あるいは今度こそ幸せ家族になるお話。 ご都合主義の多分ハッピーエンド? 小説家になろう様でも投稿しています。

処理中です...