18 / 24
第三章
1 逃走前夜
しおりを挟む
涼し気な鳥のさえずりさえ聞こえない、照り付ける陽射しが差す頃。カーテンの隙間から覗いた陽光が顔に当たるようになって、フィオナはようやく目を醒ました。時計を見ると昼を過ぎている。ぼんやりとした頭に、寝すぎたなんて言葉が流れていく。
普段は朝自然に目が醒めるのだけれど、それは隣にいるセシルが起き出す気配に気が付いていただけだったようだ。仮に起きられなかったとしても彼が起こしてくれるから、フィオナは自分で時間を決めて、自力で起きたことはない。そんなことを、この歳になって初めて知った。
使用人の誰かが起こしてくれてもよかったのに。そう思わなくもないが、昨日が昨日だ。予定のない人をわざわざ起こすこともないと思われたのだろう。これは自分から人を呼ばないといけなさそうだ。
もぞもぞと起き上がり、侍女を呼ぶ。着替えさせられたりしている間に身体が怠くないどころか、異様なまでに軽いことに気が付いて、セシルに全く魔力を与えていないことを思い出す。
「セシルは?」
「もう早くから学園に行かれましたよ」
もうこの時間だ。彼の生活を考えると出かけていないはずがないのだが、使用人の言葉に目を見開いてしまう。
セシルがフィオナに何も言わずに出かけたことがあっただろうか。いつも彼は出掛ける前にどこで何をするのかを伝えて、何をフィオナにプレゼントにしてほしいかを聞きだして、それから最後に触れていく。いくら思い出しても、彼がフィオナに出掛ける挨拶をしなかった記憶に出会えない。
思えば、喧嘩をしたとしても数分としないうちに仲直りをしていた。喧嘩したまま口を聞かないのも初めてだ。
「お母様は、昨日のことを知ってるの」
「いいえ」
使用人が目を伏せる。「まだ知らないだけ」とその表情が伝えているようで、フィオナも返す言葉が分からなくなった。
セシルがフィオナに張り付かなくなったことに、気が付かない母ではない。セシルがフィオナを避けていることには数日としないうちに気が付くだろう。もし本当にセシルがメアリから魔力を得ているのなら彼が身体を壊すことはないが、そうなったら自分はいよいよ不要になる。母は愉しそうに笑いながら、フィオナを外界に放り出すのだろう。
外に放り出されたら、どうやって生きていけばいいのだろう。使用人を与えられるとも思えないから、生活の全てを自分でしなくてはならない。だけど使用人に世話を焼かれ、セシルに必要なもの全てを与えられていたのだ。その日の食事にありつくことすら叶わないに違いない。
今育てている薬草を売ることができれば、いくらか金になるだろうか。そんな思考がよぎるも、自分には薬草の価値など分からないし、商売のことも分からない。仮にあの薬草たちが金になるほどの出来であっても、悪人に騙されるのが落ちだ。
そこまで考えて、気が付く。どうして生きたまま外に出られると思ったのか。
乾いた笑いが零れそうになるのを、使用人の手前堪えた。視界が歪み閉ざされていくのを、もう一人の自分が眺めているような感覚があって、身体がばらばらになるような気がした。
この家の一番の秘密はセシルが欠けた存在であること。その秘密の半分はフィオナが握っているのだ。プライドの高い両親が家の体裁を保とうとしているだけと言ってしまえばそれまでだが、彼等はそのために娘をずっと屋敷に閉じ込めているのだ。それだけのことをする両親が、要らなくなったからと言ってフィオナを自由にしてくれるはずがない。
きっと、殺される。メアリがフィオナの代わりになるのなら、わざわざフィオナを家に置いておく必要もない。口封じのために自分は殺されるに違いない。母ならきっとそうする。
逃げなければ。命を奪われる前に逃げなければ。
ただ飼い殺されて生きている自分に、生への執着があるなんて思いもしなかった。これは生の執着というよりは死に対する恐れと表現する方が正しいのかもしれないけれど、死にたくないと感じたのは確かだった。
スカートを握りしめると、使用人がどうしたのかと尋ねてくる。心配してくれているのは分かるが、使用人が皆フィオナの味方をしてくれるわけではない。どこから母に伝わるか分からない以上、誰にも助けを乞うことはできなかった。
「セシル、いつ頃帰るって言ってた?」
「今日は夜になると」
「そう」
使用人にしばらく一人にさせてほしいと伝えて、部屋の鍵を閉めた。
家出をするのに何を準備すれば良いのかすら分からないけれど、出来ることをしなければ。急かされるようにクローゼットや引き出しを開けながら、フィオナは荷物をまとめはじめた。
本を捲ってみたり、一日で必要なものを思い出したりしてみたが、夕方になっても衣類と金目になりそうなものしか鞄に詰められなかった。自分の生活する力の無さを思い知らされたようで余計に不安が押し寄せるが、どうであれ多くの物は持っていけない。鞄一つに収まる程度の荷物にした方が楽ではあるだろう。
鞄は持っていなかったから、セシルが昔使っていたものを勝手に使わせてもらった。確かいつかの誕生日に父から贈られていたものだ。
そういえば、父からものを与えられたことはなかった。これからもないのだと思うと心が痛むようだが、その機会を完全に断ち切ろうとしているのはフィオナ自身だ。
出ていくのは、夜にしよう。使用人が皆寝静まった頃。セシルも寝ている時間に、ここから去ろう。
セシルが言っていた通り、彼がメアリと恋仲でないとしても。フィオナと「気持ち悪い関係」を続けるより、あの女と共にいる方がいくらかマシだろう。聖女として望まれるような性格ではないが、セシルと共に過ごすうちに変わっていくのであれば、きっと悪くはないはずだ。両親だって、そちらを望むに違いない。
ベッドの上に座り込み、膝を抱える。静かな空間に響く自分の呼吸の音を聴きながら、夜になるのを待ち続けた。
普段は朝自然に目が醒めるのだけれど、それは隣にいるセシルが起き出す気配に気が付いていただけだったようだ。仮に起きられなかったとしても彼が起こしてくれるから、フィオナは自分で時間を決めて、自力で起きたことはない。そんなことを、この歳になって初めて知った。
使用人の誰かが起こしてくれてもよかったのに。そう思わなくもないが、昨日が昨日だ。予定のない人をわざわざ起こすこともないと思われたのだろう。これは自分から人を呼ばないといけなさそうだ。
もぞもぞと起き上がり、侍女を呼ぶ。着替えさせられたりしている間に身体が怠くないどころか、異様なまでに軽いことに気が付いて、セシルに全く魔力を与えていないことを思い出す。
「セシルは?」
「もう早くから学園に行かれましたよ」
もうこの時間だ。彼の生活を考えると出かけていないはずがないのだが、使用人の言葉に目を見開いてしまう。
セシルがフィオナに何も言わずに出かけたことがあっただろうか。いつも彼は出掛ける前にどこで何をするのかを伝えて、何をフィオナにプレゼントにしてほしいかを聞きだして、それから最後に触れていく。いくら思い出しても、彼がフィオナに出掛ける挨拶をしなかった記憶に出会えない。
思えば、喧嘩をしたとしても数分としないうちに仲直りをしていた。喧嘩したまま口を聞かないのも初めてだ。
「お母様は、昨日のことを知ってるの」
「いいえ」
使用人が目を伏せる。「まだ知らないだけ」とその表情が伝えているようで、フィオナも返す言葉が分からなくなった。
セシルがフィオナに張り付かなくなったことに、気が付かない母ではない。セシルがフィオナを避けていることには数日としないうちに気が付くだろう。もし本当にセシルがメアリから魔力を得ているのなら彼が身体を壊すことはないが、そうなったら自分はいよいよ不要になる。母は愉しそうに笑いながら、フィオナを外界に放り出すのだろう。
外に放り出されたら、どうやって生きていけばいいのだろう。使用人を与えられるとも思えないから、生活の全てを自分でしなくてはならない。だけど使用人に世話を焼かれ、セシルに必要なもの全てを与えられていたのだ。その日の食事にありつくことすら叶わないに違いない。
今育てている薬草を売ることができれば、いくらか金になるだろうか。そんな思考がよぎるも、自分には薬草の価値など分からないし、商売のことも分からない。仮にあの薬草たちが金になるほどの出来であっても、悪人に騙されるのが落ちだ。
そこまで考えて、気が付く。どうして生きたまま外に出られると思ったのか。
乾いた笑いが零れそうになるのを、使用人の手前堪えた。視界が歪み閉ざされていくのを、もう一人の自分が眺めているような感覚があって、身体がばらばらになるような気がした。
この家の一番の秘密はセシルが欠けた存在であること。その秘密の半分はフィオナが握っているのだ。プライドの高い両親が家の体裁を保とうとしているだけと言ってしまえばそれまでだが、彼等はそのために娘をずっと屋敷に閉じ込めているのだ。それだけのことをする両親が、要らなくなったからと言ってフィオナを自由にしてくれるはずがない。
きっと、殺される。メアリがフィオナの代わりになるのなら、わざわざフィオナを家に置いておく必要もない。口封じのために自分は殺されるに違いない。母ならきっとそうする。
逃げなければ。命を奪われる前に逃げなければ。
ただ飼い殺されて生きている自分に、生への執着があるなんて思いもしなかった。これは生の執着というよりは死に対する恐れと表現する方が正しいのかもしれないけれど、死にたくないと感じたのは確かだった。
スカートを握りしめると、使用人がどうしたのかと尋ねてくる。心配してくれているのは分かるが、使用人が皆フィオナの味方をしてくれるわけではない。どこから母に伝わるか分からない以上、誰にも助けを乞うことはできなかった。
「セシル、いつ頃帰るって言ってた?」
「今日は夜になると」
「そう」
使用人にしばらく一人にさせてほしいと伝えて、部屋の鍵を閉めた。
家出をするのに何を準備すれば良いのかすら分からないけれど、出来ることをしなければ。急かされるようにクローゼットや引き出しを開けながら、フィオナは荷物をまとめはじめた。
本を捲ってみたり、一日で必要なものを思い出したりしてみたが、夕方になっても衣類と金目になりそうなものしか鞄に詰められなかった。自分の生活する力の無さを思い知らされたようで余計に不安が押し寄せるが、どうであれ多くの物は持っていけない。鞄一つに収まる程度の荷物にした方が楽ではあるだろう。
鞄は持っていなかったから、セシルが昔使っていたものを勝手に使わせてもらった。確かいつかの誕生日に父から贈られていたものだ。
そういえば、父からものを与えられたことはなかった。これからもないのだと思うと心が痛むようだが、その機会を完全に断ち切ろうとしているのはフィオナ自身だ。
出ていくのは、夜にしよう。使用人が皆寝静まった頃。セシルも寝ている時間に、ここから去ろう。
セシルが言っていた通り、彼がメアリと恋仲でないとしても。フィオナと「気持ち悪い関係」を続けるより、あの女と共にいる方がいくらかマシだろう。聖女として望まれるような性格ではないが、セシルと共に過ごすうちに変わっていくのであれば、きっと悪くはないはずだ。両親だって、そちらを望むに違いない。
ベッドの上に座り込み、膝を抱える。静かな空間に響く自分の呼吸の音を聴きながら、夜になるのを待ち続けた。
2
あなたにおすすめの小説
転生したら悪役令嬢になりかけてました!〜まだ5歳だからやり直せる!〜
具なっしー
恋愛
5歳のベアトリーチェは、苦いピーマンを食べて気絶した拍子に、
前世の記憶を取り戻す。
前世は日本の女子学生。
家でも学校でも「空気を読む」ことばかりで、誰にも本音を言えず、
息苦しい毎日を過ごしていた。
ただ、本を読んでいるときだけは心が自由になれた――。
転生したこの世界は、女性が希少で、男性しか魔法を使えない世界。
女性は「守られるだけの存在」とされ、社会の中で特別に甘やかされている。
だがそのせいで、女性たちはみな我儘で傲慢になり、
横暴さを誇るのが「普通」だった。
けれどベアトリーチェは違う。
前世で身につけた「空気を読む力」と、
本を愛する静かな心を持っていた。
そんな彼女には二人の婚約者がいる。
――父違いの、血を分けた兄たち。
彼らは溺愛どころではなく、
「彼女のためなら国を滅ぼしても構わない」とまで思っている危険な兄たちだった。
ベアトリーチェは戸惑いながらも、
この異世界で「ただ愛されるだけの人生」を歩んでいくことになる。
※表紙はAI画像です
溺愛最強 ~気づいたらゲームの世界に生息していましたが、悪役令嬢でもなければ断罪もされないので、とにかく楽しむことにしました~
夏笆(なつは)
恋愛
「おねえしゃま。こえ、すっごくおいしいでし!」
弟のその言葉は、晴天の霹靂。
アギルレ公爵家の長女であるレオカディアは、その瞬間、今自分が生きる世界が前世で楽しんだゲーム「エトワールの称号」であることを知った。
しかし、自分は王子エルミニオの婚約者ではあるものの、このゲームには悪役令嬢という役柄は存在せず、断罪も無いので、攻略対象とはなるべく接触せず、穏便に生きて行けば大丈夫と、生きることを楽しむことに決める。
醤油が欲しい、うにが食べたい。
レオカディアが何か「おねだり」するたびに、アギルレ領は、周りの領をも巻き込んで豊かになっていく。
既にゲームとは違う展開になっている人間関係、その学院で、ゲームのヒロインは前世の記憶通りに攻略を開始するのだが・・・・・?
小説家になろうにも掲載しています。
転生しましたが悪役令嬢な気がするんですけど⁉︎
水月華
恋愛
ヘンリエッタ・スタンホープは8歳の時に前世の記憶を思い出す。最初は混乱したが、じきに貴族生活に順応し始める。・・・が、ある時気づく。
もしかして‘’私‘’って悪役令嬢ポジションでは?整った容姿。申し分ない身分。・・・だけなら疑わなかったが、ある時ふと言われたのである。「昔のヘンリエッタは我儘だったのにこんなに立派になって」と。
振り返れば記憶が戻る前は嫌いな食べ物が出ると癇癪を起こし、着たいドレスがないと癇癪を起こし…。私めっちゃ性格悪かった!!
え?記憶戻らなかったらそのままだった=悪役令嬢!?いやいや確かに前世では転生して悪役令嬢とか流行ってたけどまさか自分が!?
でもヘンリエッタ・スタンホープなんて知らないし、私どうすればいいのー!?
と、とにかく攻略対象者候補たちには必要以上に近づかない様にしよう!
前世の記憶のせいで恋愛なんて面倒くさいし、政略結婚じゃないなら出来れば避けたい!
だからこっちに熱い眼差しを送らないで!
答えられないんです!
これは悪役令嬢(?)の侯爵令嬢があるかもしれない破滅フラグを手探りで回避しようとするお話。
または前世の記憶から臆病になっている彼女が再び大切な人を見つけるお話。
小説家になろうでも投稿してます。
こちらは全話投稿してますので、先を読みたいと思ってくださればそちらからもよろしくお願いします。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
そのご寵愛、理由が分かりません
秋月真鳥
恋愛
貧乏子爵家の長女、レイシーは刺繍で家計を支える庶民派令嬢。
幼いころから前世の夢を見ていて、その技術を活かして地道に慎ましく生きていくつもりだったのに——
「君との婚約はなかったことに」
卒業パーティーで、婚約者が突然の裏切り!
え? 政略結婚しなくていいの? ラッキー!
領地に帰ってスローライフしよう!
そう思っていたのに、皇帝陛下が現れて——
「婚約破棄されたのなら、わたしが求婚してもいいよね?」
……は???
お金持ちどころか、国ごと背負ってる人が、なんでわたくしに!?
刺繍を褒められ、皇宮に連れて行かれ、気づけば妃教育まで始まり——
気高く冷静な陛下が、なぜかわたくしにだけ甘い。
でもその瞳、どこか昔、夢で見た“あの少年”に似ていて……?
夢と現実が交差する、とんでもスピード婚約ラブストーリー!
理由は分からないけど——わたくし、寵愛されてます。
※毎朝6時、夕方18時更新!
※他のサイトにも掲載しています。
お腹の子と一緒に逃げたところ、結局お腹の子の父親に捕まりました。
下菊みこと
恋愛
逃げたけど逃げ切れなかったお話。
またはチャラ男だと思ってたらヤンデレだったお話。
あるいは今度こそ幸せ家族になるお話。
ご都合主義の多分ハッピーエンド?
小説家になろう様でも投稿しています。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる