幸福な檻 ―双子は幻想の愛に溺れる―

花籠しずく

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第三章

2 転落

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 いつの間にか夜になっていた。誰かが夕食に呼んでくれたような記憶はあるけれど、要らないと言って断った気がする。だけどそれ以外のことは覚えていないから、夕方からずっと寝ていたのだと思う。

 隣でセシルは寝ていない。ソファでも寝ていない。彼の荷物も見当たらないから、恐らくまだ帰ってきていないのだろう。
 窓を開け、庭を見る。門は静かにそこに構えていて、そこに近づく明かりも見当たらなかった。

 セシルがまだ帰って来ないのなら、今出て行ってしまおうか。もう両親も使用人も寝静まった頃だろう。部屋で寝ているセシルを起こさないように出ていくのが、この家出で一番難しいのだ。ならば今、彼に知られないうちに出て行きたい。

 クローゼットに隠していた鞄を引っ張り出し、最後に部屋を見回すと、彼に与えられたものばかりが目に入った。
 一番多かったのは本。次に服、装飾品。それから手芸の道具、それから、名前もつかぬようなもの。それらを全て残していくのは彼に申し訳なくて、もう少し持っていきたいと、髪飾りと時計を手に取る。

 残していくしかないものを、せめて最後にと手で触れながら、扉へと足を向けた。ドアノブに手を伸ばしたのと、反対側から扉を開けられたのは、ほとんど同時だった。

「あ」

 心臓が飛び跳ねるのと同時に、足がすくんだ。

「セシル」

 真っ青な顔をしたセシルが、出口を塞ぐようにして立っていた。彼はどこか虚ろな目でフィオナを見ていたが、こちらが抱えている鞄や装飾品をその目で見た時、目の中に光を戻した。

「帰ってきていたの」

 彼の様子がおかしい。気だるげに扉に寄り掛かっているのに、瞳だけが妙に輝いているのだ。力の入っていない口元がゆっくりと動き、次第に強張っていく。

「出ていくつもりだったの」
「ち、ちがう」
「じゃあその荷物は」
「これは、その」

 荷物を後ろに隠そうとしたところで、遅い。鞄は彼にあっさり取り上げられ、中身を開けられてしまう。

「出ていくつもりだったんだ」

 本能が、逃げろと告げた。しかし足はその場に縫い留められたように動かない。
 必死に言い訳を考えるが、彼がフィオナの顎を掴むほうが早かった。顎に食い込む指の力は強く、言い訳など許されていないのだと伝えてくる。

 フィオナの身体から力が抜けていく。魔力が急速に流れていっている証だ。

「俺、魔力足りなくて死にそうだったのに。俺を置いていくつもりだったの」

 魔力を与えなくとも、大人しくしていれば数日は尽きることはない。昨日も与えていないとはいえ、どれほど魔法を使えばこれほどまで空っぽになるのだろう。

「また自棄で魔法使ったでしょう」
「違うよ。今日は本当に必要だったの」
「もう少し考えなさい」

 ああ、でも。セシルも苦しかったのね。

 そう分かれば腹が立つようで、ほっとするようで、彼にまた何か小言を言ってやりたくなる。しかし次の言葉を紡ぐ間もなく意識が遠のいていく。
 彼に抱き留められたような心地がしたのが、その日の記憶に残る最後だった。


 起きて。甘い声にゆすられて、ゆっくりと瞼を開ける。身体を起こす気力もなく、顔だけをぐるりと動かすと、陽が高く昇っている頃なのだと察しがついた。あれから随分眠っていたらしい。

 フィオナの家出を阻止した彼は、もう一度起きてと囁いて、フィオナの頬に触れた。
 一体何が彼の機嫌をそんなに良くさせているのだろう。魔力をようやく与えられたばかりでまだ身体は苦しいだろうに、彼は唇にゆるく弧を描かせて、フィオナを見下ろしているのだった。

 彼に必要とされているのはメアリではなくてフィオナだった。選ばれたのは自分だった。これでもう、死を恐れることも、生活の心配も要らない。それだけで昨日の彼を許してしまいそうになるけれど、不安なことが消えたわけではない。

「メアリとはどうなったのよ」

 上機嫌だったセシルの顔が歪む。あんなやつ、なんて彼は吐き捨てて、昨日の出来事を語り始めた。

「決闘したんだよ」
「どうしてわざわざそんな古い方法を」
「決闘は賭けができるだろ。しかも命令遵守の魔法付きの。あれを使いたかったんだ」

 決闘の際には、負けた方が勝った方の命令を遵守する契約を結ぶことができるという。多くの場合財産を賭けた争いのために使われているようだが、セシルは昨日それを「二度と自分たち双子に近づくな」という契約で行ったとのことだった。

「よくもまあメアリも乗ったわね。セシルに勝てるはずないのに」
「俺に勝ったら付き合ってあげるって言ったんだ」
「悪い子ね、あんた」

 フィオナが笑うと、セシルは一度驚いたような顔をして、それからくすくすと声を零した。

「俺が昨日魔力切らして帰ってきたのはそういうわけ」
「昨日のセシル、少し怖かった」

 彼は項垂れて、それから夜中強く掴んだフィオナの顎に、今度は癒すように優しく触れた。

「疲れていたんだ。許してよ」
「許すよ」

 彼を飢えさせたのはフィオナだ。これ以上責めることはできない。

「私こそ、許してほしい」

 誰からも必要とされなくなるのが、恐ろしかったのだ。不安で揺れる心を剥き出しにして、彼を傷つけた。

「私は何をすればいい?」

 起き上がって、彼と正面から向き合う。彼の青い目に自分の金髪が映っているのがよく見えた。

「俺はフィオナと一緒に生きられれば十分だよ。でも」

 言葉の続きに耳を傾けているうちに、彼の頬が赤く染められていく。その様子を珍しいと思いつつも待っていると、彼は照れくさそうに表情を崩した。

「俺、いつかフィオナを連れてこの家から出て行きたい」

 できるの、なんていう問いに、彼は曖昧に頷いた。

「俺がもっと強くなれば、できるかも。そうしたら、今よりフィオナを自由にしてあげられると思うんだ」

 セシルは語る。フィオナを連れて国中を歩きたいと。一緒に幸せになりたいと。語られる想像の一つひとつはフィオナにはむず痒くて、でも嬉しくて、胸の内が穏やかになってくる。心を蝕む棘が一本一本引き抜かれて、痛みがなくなっていく。

 私、ずっとセシルのこと誤解していたんだわ。こんな風に想ってくれていたのね。

「ありがとう、セシル」

 今までごめんね。大好きよ。呟いた一言に、彼は花を咲かせたように笑った。
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