幸福な檻 ―双子は幻想の愛に溺れる―

花籠しずく

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第三章

3 共犯

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 時は遡る。

 手紙で指定した時刻にセシルが学園に行くと、レイはすでに待っていた。

「屋上に呼び出すあたり、大事な用事なんでしょ」
「うん。頼みがある」
「フィオナさんのこと?」

 知ってたんだ。そう呟けば、彼は「ごめんね」と寂しそうに笑った。

「セシルのお父さんのこと調べているうちに分かっちゃって」
「俺も今日言おうと思っていたから。手間が省けて助かる」

 フィオナのことを知っている人がいると思うと、ぞわりと背筋に冷たいものが這った。だけどこの友人の口ぶりからして、知ったのは最近の話でもないのだろう。彼がフィオナについて知ったのは他の調べものの際に出てきたおまけでしかなくて、それ自体が目的ではない。今まで彼のためにフィオナが危険に晒されたことはないのだ。きっと、安心していい。

「俺の家の事情はどれくらい知ってる?」
「多分ほとんど。君のお父さんとお母さんの悪事も、君とフィオナさんが二人で一つなのも」

 セシルがフィオナさんを好きなのもね。彼は最後に茶化すようにウィンクした。

「そこまで知ってたら全部だよ。じゃあ俺が人殺しなのも知ってるわけだ」
「うん」

 焦ればいいのか怒ればいいのか分からなくなり、ひとまずため息をつく。セシルの隠している部分を知ってもなお彼が平然としている理由が分からず、じっと彼の方を見ると、彼は困ったような顔をした。

「友達だからね」
「そんなこと言ってると騙されるよ?」
「セシルは僕を騙さないよ」
「俺じゃなくて他の人だよ」

 思っていたよりも、この友人はセシルに気を許しているらしかった。かといってセシルの暗い部分を許容する理由にはならないだろうが、権力闘争に常に揉まれている彼には些細な問題なのかもしれなかった。

「父さんのこと調べてるって言ってたけど、あいつ何したの」
「何した、というか、何かしそう、なんだよね。やたら兄さんにごまをするようになったから」
「それは警戒すべきだ」

 セシルがあっさりと頷くと、レイはからからと笑った。彼にしては珍しい笑い方だった。

「実の父親なのに容赦ないね」
「育ててもらった恩はあるけど、フィオナを大事にしないやつはどうなっても知らない」
「辛辣」

 レイはもう一度笑った後、ゆっくりと空を見上げた。何かを覚悟をするように静かに息を吸い、それから視線をこちらに戻した。

「僕はいずれ王になるよ」

 レイは王族の末息子だ。末息子と言っても三男ではあるが、従兄弟にも有力者がいるらしい。誰もが王になりがたる中で、彼は弱い。味方もほとんどいないと聞く。今までは「敵にならないから」とばかりに放って置かれていた彼だったが、次第に強い魔法を手に入れていき、少しずつ政治に関わるうちにその手腕が発揮されるようになり、敵が増え始めたとのことだった。

「ただこのままだと僕は淘汰されるだけ。良くて追放か軟禁。順当に考えて殺害。だから何か切り札が欲しくて」

 そこで目をつけたのがメアリだったらしい。あの女が聖女だというのは、彼は転校初日から見抜いていたらしい。

「メアリさん、予知と治癒の魔法も使えるよ。精神の浄化だけじゃない」

 レイの魔法は対象の魔法の起動と効果、範囲を読むものだ。相手が使える魔法が複数あったとしても、一つ使えば他にどんな能力が眠っているのかは分かるという。

「予知の魔法は自分の未来は読めないのが普通だけれど、セシルの未来が見えればフィオナさんがいることは分かるよね」
「でもあいつ、それにしては俺たちの過去を知りすぎている気がする」
「ん、なるほど。じゃあまた魔法の効果が違うのかも」

 レイは首を捻っているが、セシルとしてはフィオナに「フィオナの存在をばらしたのはセシルではない」と伝えられる材料がでてきたのであれば十分だ。

「で、あんたはあの女をどうするつもりだったの」
「聖女を研究するつもりだった」

 言葉に似合わないほど爽やかな笑みに、セシルはどう反応するべきか迷った。

「人体実験ってこと?」
「そうなるね」

 すでに誰かやってそうなものだけど。セシルの呟きに、レイは首を振る。

 魔力の性質と使える魔法の関係は深い。例えば自分の魔力と相性の悪い魔法を使うとして。古くから使われている術式を持ちだしても、体内の魔力が術式に反応しないのだ。しかもこの魔力が持つ性質は血と共に受け継がれるものだ。つまり本来魔力とは、他人が簡単に与えられるものではない。しかしそれを覆すのが聖女や聖人という特殊な存在なのだ。

「どういう理屈で聖女の魔力の譲渡がされているのか分かったら、学問としての魔法が進歩するでしょ」
「そうすると俺みたいなのが死ななくて済むわけだ」
「セシルほど好条件で魔力の譲渡ができることの方が少ないからね。赤ん坊のうちに死ななくて済むようになるかもしれない」

 セシルは彼を囲う環境がはっきりとは分からない。ただ少なくとも、聖女の能力を知ることが彼の有用さを示すことに繋がるのは分かった。

 この国では人体実験はご法度だ。魔法の研究については己の肉体で試行錯誤を繰り返すのが基本ではあるのだが、古い昔には他者の肉体を使った研究もされていたという。ただ、彼は今まで聖女たちを研究した例はないと言った。彼らの存在自体が希少な上に、彼等を崇め奉る人々も多い。大方、やりたくても手を出せなかったのだろう。

「泊まりのときに言ってた、メアリを貰いたいってそういうことか」
「そういうこと」

 聖女の肉体を研究したと知られれば、民衆はどのような反応をするのだろう。首謀者が王族だと知られれば王家への信頼は落ちる。しかしそれを悟られずに、聖女が自らその性質を解き明かしたという体にすれば、ただ救われる国民が増えるだけの感動話に収まる。民を救うことのできる切り札で王座を勝ち取るか、それまでに破滅するか。そんな賭けにレイは出ようとしているのだ。

「しばらくメアリさんを魔法道具で尾行していたけれど、能力以外はただの学生だ。聖女であることも皆知らない」

 狙うのなら、彼女が姿をくらませたとしても騒ぎ立てる人間が少ない今の内が良い。聖女として活動を始めてしまえば、それどころでは済まない。レイがぽつぽつと言葉を零す。その指が何度も組まれては解かれていくのを、セシルはじっと見つめていた。

「たった一人食い散らかすことで、大勢が救われるんだろ。あんたは王になるんだ、選ぶべきは一つだろ」

 セシルがはっきりと告げると、レイはそうではないのだと首を振った。その目が一度伏せられて、それからゆっくりとこちらを見据えた。

「ごめん、前置きが長くなったね。僕からも頼みがある」

 レイの柔らかな声が固くなる。いつもどこか掴みどころのない様子の友人が、王家の人間の一面を見せる。

「学園を卒業したら、僕の臣下になってくれないか。僕の手足になってほしい」
「いいけど」

 セシルがあっさりと答えると、彼は拍子抜けたような声を出した。

「いいんだ」
「いいよ」

 俺にもメリットあるんだろ。茶化すように言うと、彼は表情を硬く戻した。

「セシルがフィオナさんと落ち着いて暮らせるように支援するよ。お金も地位もいるでしょ」
「要る。爵位上げてよ」
「約束する」
「で、俺は何をしたらいいの。汚れ仕事かな」

 それはやってほしいんだけど。その続きを言おうとして、彼は口ごもった。言いたいことがあるなら早く言えと急かすと、彼は大きく息を吐いた。

「正直、地位を上げたいなら僕より兄さんについた方が楽だと思う。だから、これは命令じゃなくてお願いだ」

 これからずっと、僕の味方でいてほしい。小さな声だったが、彼は確かにそう言った。
 今度はセシルが拍子抜ける番だった。私利私欲のために人を殺め続けてはいるが、親しい友人の味方でいたいという気持ちは残っている。「お願い」までされてしまえば、断る理由なんてなくなってしまう。

 そもそも自分が権力や金、それから強さを欲しているのはフィオナと二人で生きるためだ。ただそれらを手に入れたとしても、フィオナを守り切るのは難しい。一人で守りたいという気持ちはあるのだが、協力してくれる者がいてくれる方が良いのが現状だ。その協力者がレイならば信用できる。

「なんだ、そんなことか」
「そんなことって」

 僕は結構真面目だったんだけど。そういうレイを肘で小突くと、彼はようやく笑った。

「一緒に死んでくれとまでは言わないから安心して。僕の立場がいよいよ悪くなったらセシルたちは逃がしてあげるから」
「それは寝覚めが悪いな。そうならないように努力するよ」
「ありがとう」

 彼の前に跪くと、そんな堅苦しいのはいいよと返された。立ち上がるときに差し出された手を、強く握る。これが契約の証だった。

「お礼にまず、セシルの頼みは聞くよ」
「頼む。まずあの女をフィオナに近づけたくない。あと俺からも引きはがしたい」
「復讐したら僕にちょうだいね」
「ぼろ雑巾にした後でいい?」
「人間の姿は残しておいてね」

 彼はからからと笑う。

「そうだな、今後の僕の計画のことも考えると、ただ近づけないだけではなくて、言うこと聞かせられる方が良いよね」

 人を罠に陥れる作戦を考えている彼は、セシルの想像以上に生き生きとしている。メアリを散々に痛めつけてやろうと考えている自分が言えたことではないが、この王子も大概人の心をなくしていると思う。

「決闘なんてどう? 王家の人間のサインがあれば、命令遵守の契約も、強い命令ができるようになるよ」

 人の心を失った者同士の結託は、主従というよりも「共犯」と呼ぶ方が近いだろうか。

 将来について深く考えていたわけではなかったが、元々彼の敵になるつもりはなかった。かといって主従の契約を結ぶほどの関係になるつもりもなかった。メアリが現れさえしなければ、自分には他にも選択肢があったのだと思う。しかしその選択肢にさしたる未練はない。フィオナを守って、この腕の中に収められるのなら、それで良い。

 決闘を行えば、恐らく魔力はかなり減る。その「無茶」がフィオナのためだと分かれば、彼女は閉ざした心をまた開いて、もう一度セシルに寄り添ってくれるはずなのだ。嫉妬も苦しみも捨てた目で、こちらを見つめてくれるはずなのだ。

「じゃ、早速だけどメアリを騙してくるね」
「ん。いってらっしゃい」

 自分はこれから今まで以上に、人の道から外れていく。もう戻れはしない。深い沼に落ちて溺れて、浮かび上がることも叶わなくなる。深い水底で藻掻いていくうちに、自身を囲う水さえ愛おしくなるのだろう。

 フィオナの眩い光を取り込んで、同じ水で満たす時まであと少し。あと少しなのだ。そう思ったら全身の血が弾けるように熱くなって、慌てて口元を抑えた。そうでもしなければ、大声で笑い出してしまいそうな気がした。
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