されど誰(た)が為の恋は続く

DNDD(でぃーえぬでぃーでぃー)

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承章

承章 第三部 第二節

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「だからよぉー。ガキの時分じぶんにゃ風呂で背中の流しっこしたりとか、でかくなってからは酒をみ交わしたりとか。いくつになっても親子ってふたりだけで使い込む余暇よかるだろーし、それって義理のふたりでもそうじゃねえのって思っただけなんだってばよー。しかも愛弟子まなでし愛息子まなむすこがあとを守り、かつ待ってくれていた旅路を終えての、我が家でのことよ? 分かっだろー。お前は分かっかー? この気遣きづかい」

無駄遣むだづかいの間違いだろう。あの二人なら、自分たちだけで都合を付ければ、どれだけでも密会できる立場だ。部隊長第五席主席がどう振る舞おうが、浪費だよ」

「てやんでぇばっきゃろーオメー浪費に終わったことばっか重要視すんじゃねーの。無駄かもしれなくても使おうとする心意気が大事なのよ。そこチンケでどーすんだよ」

「て言うか、ちゃんとみ込んでから話せ。子どもか」

「子どもじゃねーよ」

「カスが飛ぶ」

「飛ばねーよ」

「舌をむ」

「噛ば―――ッ!」

「…………」

「……噛んだよ」

「素直か。そこ素直か」

「悪かねーだろ。よっしゃ」

「どうしてそこから勝ち誇れるんだお前。ハートの組成そせい小童こわっぱか」

 大食堂に入る前から、そんな口ごたえと毒舌は、しぶとく聞こえてきていたのだが。

 ひょこっと顔を見せた二人連れに、カウンターを挟んだ相手へくだをいていた旗司誓きしせい―――イコらの上役であるゾラージャが、勝気な笑みをわずかばかり残したまま振り向いてきた。もっさりしたげ物―――さすがにキルルは飽きが来ていたが、例にれずゲンコツげのようだ―――を片手の先っちょにつまんでその肘をカウンターの上に引っ掛け、行儀ぎょうぎ悪く立ち食いしている。手元に皿は無かった。カウンターは、元々は料理の受け渡しにしか使われない境界であるので、気が早く皿を片付けにきたついでに話していたのだろうが。

 見計らったかのように押し黙ってしまった、もうひとりの旗司誓へ。思わずキルルは声を上げていた。

給仕きゅうじのおじちゃん、しゃべれたんだ」

 ぽけっとしてしまう。カウンターの、厨房ちゅうぼう側―――と言うか、厨房に収まり切らなくなった道具類の整頓せいとん場と言うか―――に立つ旗司誓とも、キルルは顔見知りになっていたのだが、彼が話しているのを耳にしたのは初めてだった。

 そんなキルルに、イコはなにを言うでもない。ただ、つないだ手をリードのようにして、キルルを連れて中に入る。

 食堂にいる人影はまばらだった。昼餉ひるげの残り香がどころか、間食のそれさえ薄い。ちらほらとテーブルに点在する旗司誓たちも、やはり小腹を満たすよりは小休止することを目的にしている者が大半なようで、うたた寝どころかいぎたないいびきも丸出しに突っ伏して寝入っている者もいる。意識がある者の何人かは、談笑を失速させてキルルたちに一瞥いちべつをくれてきたが、多くはゾラージャに歩み寄るうちに散っていった。見たところ、エニイージーの姿も見当たらない……観察眼が素通すどおりできるがらんどうの手前、かくれんぼでもしていない限り、実際いないのだろうが。日中なので天井の灯火輪シャンデリアに火が入っていないため、夜間よりもかえって中は暗がりになってしまっている。

 ふたりして間際で立ち止まると、手振りだけでイコと旗司誓式の挨拶あいさつを済ませたゾラージャが、まずは疑問を投げてきた。打ち切った会話にいで笑みを引っ込ませ、ただただ困惑している。

「なんでお手手取り合いっこしてんだ? お前ら」

「なんでだっけ? イコさん」

「さあ。ノリ?」

「なににノった? いや答えんでいい。万が一、俺までノりたくなったらかなわんし」

「ゾラージャさんもつないでみる?」

「いや。いい」

「のりのりー。のりー?」

「そう誘わんでくれよ、じょうちゃん」

「よく意訳できたっすね隊長。こんなネオタイプの誘い文句。天啓てんけい?」

 ツッコむイコとくっつけた手をぶらんぶらん振ってみせるのだが、ゾラージャは人好きする困り顔に、困り笑いをり込めただけだった。

 キルルはそれを見て、ふたつ歯形が付いていた揚げ物をぽいと口内にほうり込む放り込む隊長その人に、小首をかしげる。胸中、もやもやしたものがあった。カウンター越しの旗司誓へと、邪気じゃき無くうらごとを向ける。

「ゾラージャさん。給仕のおじちゃんと仲良いの? あたしが話しかけても、ちっとも話してくれなかったのに。てっきり、口がけないのかしらって思ってたわ」

「ああ、まあ……」

「ねー、おじちゃん。あたし―――の名前は、もうさすがに知ってるわよね。キルルって言うの。おじちゃんは、なんて呼んだらいい?」

「やめといて、やめといて。やっこさんらも事情あっから」

 せんじて観念したかのように両手を仲立ちの型にしておたつくゾラージャに、厨房側に立つ旗司誓がだんまりを決め込んだまま、台拭だいふきを差し出す。なにはともあれ指先をぬぐえと促しているらしいが、手拭てぬぐいではないあたりに、先程までやり合っていたなりの微塵みじん遺恨いこんは感じられた。もっとも、穿うがった見方をしているのはキルルだけのようで、ゾラージャ自身はなんの抵抗も見せずにそれで清拭せいしきを終えると、ぺいっと投げ返していたが。

「にしても。なんだ? やぶから棒に。キティ・ボーイのエスコート、今日はイコか? エニイージーは……ナニまさか今になって腸ただもれた?」

「もれてなさそうっしたけど」

「えー?」

「じゃっかんそこだけ諦めてないのは何でなんすか? っつか、隊長こそ、当のエニイージー見かけませんでした? 俺は臨時で預かってるだけで。ねぐら行ってくるっつったきり、どこらへんの寄り道までほっつき歩いてんのか……」

 そうしてイコが手際よく、釘を刺し終えると。

 聞こえてきた声があった。

 笑う声だ。笑い声ではない―――こちらを陰険いんけんに狙い、毒を込めた、暗器あんきびょう

「……あン?」

 小慣れた風に安穏あんのんを捨てたイコが、ぎろりとめつけたテーブル。

 三メートルほど離れて、ひとり、そこにいた旗司誓―――旗司誓だと思えたけ顔の男が、あざけりを含んでうわついた笑いを、くつくつと噛み殺していた。

「―――いや、不可抗力ふかこうりょくってもんだろう。これは。なあ?」

 よこしまな皮肉をやんわりとにおわせる声色は、見た目に反してまだ若い。若いにしても、そこにみ込んだ殺伐さつばつさは、昨日今日のものではなさそうだ―――せぎすの猛犬の、慣れたえのような。

「ケダモノに似てくるのは、飼い主の面構つらがまえ―――とは聞いたことあっけどなぁ。身のこなしまで伝染うつっちまったたぁ笑えるぜ……こうまで見事に、っぽフリフリと。しっかも、キティ・ボーイ? ハッ、公衆の面前で、ここまで堂々と命令無視ときやがる。不可抗力じゃねえか? ミドリ連中が、いつだって笑わせてくれんだからよォ」

(みどりれんちゅう?)

 はたと男の服装を見ると、その色合いは青色―――こん色かあい色が色落ちしたような色合いを基調にしていた。席に陣取ったままだが、こちらへ本格的に身体からだの正面を向けてきたので、それが一段とはっきりする。

 その即座、

「行くよ」

 ぐいと、繋ぎっぱなしの手を引かれる。無論のこと、イコだ。剣幕けんまくすごめたままだが、もう食堂の出入り口へと半身はんみひるがえしている。

「あと頼んます」

野暮やぼ抜かせ」

 場に残るゾラージャと、イコの応酬おうしゅうが、戦士の交わす合図にすげ替わっている。

 突然の異変にでられた肌が粟立あわだつが、キルルにはどうしようもなかった。引っ張られるまま、イコに続く。なかば駆け足で、廊下に出ようとして―――

 直後だった。

 ばンっ! ―――と、本を机に思い切り叩きつけたような音が、イコの前方から炸裂さくれつする。

「きゃっ!」

 思わず悲鳴を上げてしまうが、歩を止めてしまったのは、そのせいではなかった。イコが立ち止まっている。それとて、驚愕きょうがくして硬直したのではない。手前の出入り口を、ふたりの男がふさいでいた。

 さっきの破裂音じみた物音は、出入り口のふちに立った男のひとりが、反対側のふちりやったせいだったらしい。元からドアなど開け放たれたままの出入り口だが……ハードルのように、真横へ蹴足けそくを食らわせたままとなると、ただドアが閉められているよりも通り抜けるのに難がある。その、やたら頑強がんきょうそうな短靴たんぐつのわきに立つもうひとりが、いたぶる口調へと胴間声どうまごえを落とした。

「おいおい、動物相手してっと、ヒト様への礼儀も忘れんのか? 失礼にしても度が過ぎるだろ。我らが隊長をシカトして、わき目も振らずにどこ行こうってんだ?」

厩舎きゅうしゃに決まってる。掃除してえさやりしたらウォーミングアップしてからの運動。そろそろ頃合いだ」

 素知そしらぬ顔で、言いますイコだが。

 キルルは彼の背中越しに、対峙たいじを固めつつある男たちをうかがった。ズボンもシャツも仕立てが違うし、特に左の男の上着は虫食い穴がひどかったが、色だけは見分けがつかないほどよく似た青色だ。そしてそれ以上に、顔つきを粗削あらけずりする恫喝どうかつの雰囲気が同じだった―――例の、テーブル席の男と。

(隊長……と、その部隊の人?)

 そのふたりがあごをしゃくって、わざとらしく声高こわだか哄笑こうしょうした。

「おい。手取り足取りのしずしずとしたお散歩の方は、これでお済みだとよ」

「だったら、これから俺らに付き合えよ? なあ。ウォーミングアップなら、こっちだって大事だろ?」

 イコから盗んだ言葉尻をもてあそびながら、男の片割れが己の腰間ようかんから剣を持ち上げた。室内であることだし、無論のこと、抜剣されていないが……それを、イコの腰元のナイフへ、かちんと当てる。ナイフそのものは、明らかに雑事向けの小物だ。うまや仕事に邪魔なので、それ以外ははずしていたらしい。

 分かっていて彼らは、これ見よがしに喧嘩けんかを売っている。面相めんそうをひねくれさせているのは、一方的な暴力を愛好する際の―――あるいは暴力に取りかれた者の、絶頂感だ。

(この人たちは……旗司誓なのにミドリのみんなじゃない)

 エニイージーは、彼らからも、自分を手厚く庇護ひごしてくれていたのだ。

 そのあたりで、きわどい波及を感じ取ったらしい外野が肩や背筋せすじいかつくさせて振り返ってくるが、そこからなお積極的に仲裁ちゅうさいを買って出てくる者はいなかった。日常的ないさかいが飛び火した範囲だと見くびられているだけであれば、まだこれから助太刀すけだちが望める可能性もありそうだったが……彼らがつらの皮から強張こわばりを抜く手際の良さを見れば、それが見込み違いだということは嫌でも知れた。

(一枚板じゃないことに、慣れてる顔だ―――)

 みどり……あお……だけでは済まされない、色々な、色。色。色。顔色。

 と。

「ちょいとちょいと、そこ勝手にオニーチャンの心配なんかしないの。キルルちゃんキッティ、ボーイは子どもボーイらしく身のたけのことだけ心配しときなさい。ちびんないよーに、とかね」

 わずかばかり横顔を振り返らせて、憎らしいほどの平常心から能天気のうてんきな子どもだましをくれてくるイコに、キルルは息を詰まらせた。彼と自分では踏んできた場数に雲泥うんでいの差があるのは当たり前だが、素人目しろうとめで見ても雲行きの悪さは尋常じんじょうでない。汗ばんだ肌をきしらせるように、彼とにぎり合わせたままだった手に力がこもる。

「だって、」

「だってもへってもウンチもなーい。こいつらときたら、俺たちが騎獣きじゅうを扱うエキスパート部隊だから、一目置かれるだけでなく優遇ゆうぐうまでされてんじゃないのってやっかんで、事あるごとに突っかかってくるだけよ。しっかも最近は、エニイージーが直々じきじき勅命ちょくめい受けちゃったからねー。やーねぇー、ただでさえねたみ・そねみ・ひがみが脳内でスクラム組んでるってのに、生身なまみまでつるんじゃう? どんだけ?」

「ざっけんなよ、飼育員の分際で!」

 激昂げっこうしたえ声を食らっても、あくまでイコは意にかいさない。鞘当さやあてしてきた切っ先からも、つま先をずらす程度の所作で身を退かす。あえてそれ以上は追ってこないと見て、ぶつくさと刃向はむかいはしたが。

「なんなら、お前も一回あいつらを世話してみたらどうだ? 心が通い合えば、空っぽさに気付くだろうさ……その心無さの、へっぽこ具合にね。まあ、女に腰振るっきゃ考えらんねぇオツムにゃ、あいつらから尻尾しっぽを振ってくれるありがたみも分からんさな」

「腰抜けなりに妥当だとうな言い返しだな。抜けてちゃ振れもせん」

 背面からやってきたのは、嫌な粘りけを感じさせる反論と……じゃらりと武装を鳴らして立ち上がった物音と。

 気だるそうに直立しただけで、詰め寄ってくるでもない。ただ、軽く片手で抱えた頭を振って見せる青の隊長は、その指の内側から、明確な侮蔑ぶべつを込めてこちらを睥睨へいげいしていた。牢番が、格子こうし向こうから獄卒ごくそつでも見やるつまらなさで。

「こっちも順序良く、腹でも立てればいいんだが、……やれやれ。こんなのが<彼に凝立する聖杯アブフ・ヒルビリ>の切り札とはねえ。不甲斐ふがいないと言うか、情けないと言うか―――いや、」

 そこにきて男が、初めてゾラージャを直視する。せせら笑いの静けさは同じだが、あざける切り口は多少変わった。失望を捨て、感嘆かんたんを含んでいたのだ……優越者が、下等な者を見下げ果てた時にらす吐息だ。

「そちらさんのお神輿みこしともども、たよりねえったらありゃしねえ……ってとこか。これだから、綺麗きれいなだけのおかざりは」

「あのなあ。こう長くなられちゃもーナニ言いてえのか、とんと目星めぼしがつかんよこのオッサンは。回りくどい言い回しからの根回しやめて、最短距離で腹の底までちょくに来いや。どー思うドーオモウ言ってさえいりゃ悪口雑言あっこうぞうごんを万倍に肩代わりしてくれる同類まみれの自称:女子ジョシどもかテメエは? イイとしこいて恥ずかしげもなく向上心に欠けた慣れ合いでぐずぐずと傷をめ合うのは、ちょいとまあ、いただけたもんじゃねえよ。絵にならん。っかー、だーもー、言わんこっちゃねえ」

 苦しまぎれの提案か、あけすけな白状はくじょうか。とにかく、無骨ぶこつな気配を嫌気いやけ煮溶にとかしながら、頭の傷跡をくついでのようにゾラージャが下出したでから―――まがりなりにも――――叱責しっせきを伸ばすのだが、相手は一切聞いていない。人数がいるだけ分があると考えているのか、わずらわしげながらもこの手の話を披露ひろうする機をのがしたくないだけか、ねっとりと不平をつらぬき通してくる。

「知らぬぞんぜぬとは言わせねぇ。そちらさんのお神輿みこし、またしても表向きはとっぷりふで仕事と決め込んで、裏じゃ日中夜ずーっと寝込みっぱなしって話じゃねえか? うたい名や功名こうみょうはいざしらず、ひ弱なポンコツにも程があるぜ。いっそくさり落ちてくれりゃあイイものを、毎度毎度、飽きもせず……いや、違うか」

「ああそうだ、違うのだきゃあ明々白々だ。頭領はその通り、月極つきぎめで山盛りのデスクワーク片付けてるだけだからな。悪ふざけにいちゃもんつけるにしたって、図に乗った言いがかりも大概たいがいにしやがれ」

「順番だよ。違うのは」

「ああ?」

 辛抱溜しんぼうたまらずといった風体ふうていれ、好かない様子をきわ立たせるゾラージャだが。

 それは相手こそだったようで、うんざりと口論のテンポを落とす。さも心外しんがいそうに。

「いやなに。飽き飽きしたのは、こっちが先だったはずでね……見切りをつける順番は、間違えるとおかしいことになる。だろ? 俺らだって恩義はあるんだ。対立するにしても、敵対したくはない。反目はんもくしあうのも……御免ごめんだ。だから病弱ちゃんにゃあ、ぽかぽかの陽だまりでぬくぬくと楽隠居らくいんきょさせてやる代わりに、表舞台から引っ込んでくれってだけさ―――前のようにな。かせぎと楽しみを伸び悩ませるような殺生せっしょうな平和なんざ、こちとらいい加減くそくらえなんだからよ」

「お前らのは、強い酒と同じだ。みつきになるほどたしなむもんじゃねえ……適量を使いこなせれば万能だし気分良くいられるが、体質的に合う合わんが分かれるし、長い目で見ると長持ちしない内臓から壊れる。まさかそれを、ないがしろにされていると思っちゃおるまい? ゼラ・イェスカザは、副頭領をしたんだぞ―――それが最適だと、彼が認めた!」

「ハっ! それこそ、そもそも見る目がねえ証拠だ。譲る跡目あとめがお門違かどちがいだろうがよ……あァア、俺たちゃとっくに、頭領って呼ぶ決心はついてんのになぁ? まあモチのロン、頭領じゃなく、ツァッシゾーギの旦那だんなでも歓迎だ―――」

(この青い人たちは、)

 キルルは、どうしようもなく、気取けどった。

(シゾーさんがザーニーイの副官に収まっているのが、気に入らない人たちなんだ。しかも、みんながそうじゃないことが、おかしいって信じて―――疑っていない。ただただ、それを思い描くうちに……知らず知らずのうちに、自分のいいように、思うがままに―――)

 ―――恋をしている。

(恋?)

 ぞわりと、総毛そうけ立つ。

 恋をしている……信じて、疑わず、……おろかしくも、賢くはない、……恋をしている。

(こんな―――ものが、どれだけ……あるの? どれだけでも―――存在しているというの?)

 刹那せつなだった。

きみむし、―――」

「え?」

 聞き返したのは、自分だけだった。

 答えてきたのは、……

だいなる虫、わめき絶えなく臓腑ぞうふむ」

 呪縛じゅばくを編み上げた呪文と、それがした魔術の発動だった。

 ごワっ! ―――と風が軋轢あつれきを巻き起こし、静か過ぎる発破はっぱが破滅を招き入れるひびを入れた直後。食堂の出入り口にいた男ふたりが足元から引っ繰り返って、そのままイコとキルルを飛び越える高さで吹き飛ばされた。すぐさま自分もそうなることを悟って身を縮ませるが、跳びのいたイコがキルルを抱きとめる勢いそのまま、後方のゾラージャにタックルする。

「へぶっ!?」

 どうやらイコから予期せぬ痛打を食らってしまったらしいゾラージャが悲鳴を上げたが、この場においては最もささやかな騒音と言えた―――ふたりに板挟いたばさみにされた隙間すきまから、それ以上の阿鼻叫喚あびきょうかんを見るしかない。どうやら、出入り口に近いところから同心円状に、あらかたが大気たいき津波つなみまれたらしい。室内にいただけの旗司誓たちも三分の一ほどは餌食えじきになったようで、椅子いすあしによるかかと落としが命中してあわれっぽく目を回している者から、寝ぼけまなこをこすって夢の続きを疑う者まで、壁際に行くほど窮屈きゅうくつにまぜこぜにされている。おおっぴらに亀裂きれつが入ったものは見当たらないが、それでもガタつく程度で済まされた家具はマシな範疇はんちゅうだろう。キルルたちも、三人分の質量がダンゴになっていなければ浮かされていたに違いない。

(空気の上下が、一瞬で、入れ替えられた……?)

 そして、一網打尽いちもうだじんにされた狂騒きょうそうがひとまず鎮火し、誰彼となく惑うように罵声ばせいがまろび出てきた頃。イコがキルルの前から身体からだをずらして、肩向こうを―――食堂の出入り口を返り見る。キルルも、しきりに鼻骨びこつまわりをさすって鼻血を気にしているゾラージャと一緒に、そちらへ顔を上げた。

 魔神を従僕じゅうぼくさせたゼラが、五指ごしを広げた右手をこちらへ突き出して、左半身はんしんを軽く引いた構えを取り、そこにいる。あおられた黒髪のたばだけが反動を殺せず、そこに結わえられた髪紐かみひもから、宝石をのぞかせていた。微弱びじゃくに発光するそれが、フラゾアインののっぺりとした顔皮がんぴに乱反射して、鬼気ききの浮き沈みを写し取ったかのような、熱を感じさせない不気味な斑紋はんもんを、よぎらせては消えていく。それに呼応こおうしたかのように……ゼラもまた、笑うでもなく、目を細め、ただ魔性を深めていた。

 服従と圧倒を済ませた声音こわねは成果に陶酔とうすいすることもなく、だからこそ……り上げられ、殺気さっきばんだ熱情がゆえに、告げられた。

わきまえたまえよ。小細工を要する小物ごときは、虚仮こけおどしすら見せびらかすか」

 散乱が収束すると、それも終わった。細められ―――獲物を呑み込む寸前のへびのように黒目しか見えなかったゼラが、医者らしいえた吟味ぎんみ眼差まなざしに取り戻して、ざっと室内を視診ししんする。真面まともに立っているのは自分らだけだが、総員あっても打ち身か打撲くらいで大した怪我人もいないらしい。まあ、真後ろからぶちのめされた例のふたりと、そのふたりに直撃されたらしい青の隊長とやらが最も深手と―――特に隊長は後ろ頭でも打ったのか完全に気絶しているように―――見えたが、多少長く見咎みとがめただけで、ゼラは直接的な動きはみせなかった。誰かを診ることも、……魔術での追撃も、無い。いつの間にか、魔神も消えている。

 場を好転させたのではない。暗転させたのでもない。場から転落させ、奈落ならくへと駆逐くちくした。人形を玩具おもちゃ箱へ投げ入れるように―――用済みとあらば、目障めざわりとあらば、あるいは気まぐれだけであっても、……人間相手であろうとも、ところかまわず、それが出来てしまう。凄惨せいさんく邪悪があるのではない。禍々まがまがしくも―――ない。ただ、無力を平伏ひれふさせひざまづかせる理不尽を、独善たる逸脱を許されている、偉容いようの支配者。

(これが……練成魔士れんせいまし

 キルルは、戦慄わななこうとする奥歯ごと、その事実を噛み締めた。

(練成魔士―――だけじゃないかもしれない人)

 ゼラ・イェスカザ。

 今はその名前にすら絶望的になるしかない存在であろうとも。ここにいる。

 キルルも―――ザーニーイも、シゾーも、あるいはそれ以外の誰も彼もが。いる。

 と。

「びっ……くりしたーあ。寿命縮みましたよ。ゼラ主席」

 惨憺さんたんたる有り様の中でも、カウンター向こうでのきなみ吹き散らかされた食器やら道具やらを、特に同情的に盗み見て。気忙きぜわしそうながらも、それでも真っ先に呼びかけたのは、ゾラージャだった。哀訴あいそして温情をおうにも、あとの祭りと思えたが。

 やはりそのようで、膠着こうちゃくを叩き割ったのと同等の手並みで、ゼラは迅速じんそくに断罪してくる。

喧嘩けんかと野次馬はぜん成敗。基本に忠実にこなしたまでのこと」

「慣用句よりも守備範囲はみ出てワイドっす。それ」

「縮んだ寿命については、つつしんで伸ばすよう個人的に養生なさい」

喧嘩けんか両成敗なら自業自得なのに、野次馬には自己責任。わーお。荷担かたん者ドミノ倒し」

「ゾラージャ部隊長第五席主席。あなたの流儀にも問題はあります。部下に命令を守らせなさい」

「俺が守ってないだけです。中間管理職として隊長も頭イタイとこなんだと思うんで、とやかく責めんといてください」

 すかさずイコが、名乗り出る。

 常ながら飄々ひょうひょうとして情動がつかみにくいのはゼラもイコも似たり寄ったりだが、前者の方はまず間違いなく、すこぶる虫の居所が悪いようだった―――と言うか、ひかえ目に言っても、堪忍袋かんにんぶくろを切っている。話相手が切り替わるや否や、腹いせが物足りなかっただけにしては冷淡すぎる口ぶりで、刃物のように一閃いっせんしてきた。いて、仕留める鋭さで。

「では、君を責めろと?」

「そうです」

おりの中で旗を待たせたいのですか?」

「いいえ」

「であれば、命令を守ればよろしい」

「ヤです」

「や?」

「嫌です。ひとりぼっちの女の子に見ず知らず決め込むことで守り通せるボロ雑巾なんざ、棒の先っちょにくくりつけてブン回したところでゴミしか降ってきやしねえ。ンなもんをよすがにしてなんぼのもんですか。お天道てんと様が見てますよ。だったら俺ァここ辞めます」

「おいイコ!」

 ばちともとれる即答に、ゾラージャが声をあららげたが。イコはそれにすら異存はないと言わんばかりに、揺らがない。生意気な口から出任せでもなさそうだった。びる色のない瞳に宿る眼光もまた、揺らめくようなものではない。

「すんません隊長。俺、ここ好きでした。それだけが……心残りです」

「オイオイ、お調子者が調子外れの冗談なんざ飛ばすもんじゃねぇよ。オメーのギャグは爆笑がモットーだったろ?」

「笑えない冗句じょうくだとコケにするだけでいいかどうかは、隊長が判断してください。それか……もっと上から、判断を下ろしてもらうか」

 ゼラがそれをどのように理解したのかは、分からなかった。

 イコ自身も、もう誰を見るでもなく、ひとりごちる。それは転嫁てんかでもなく、弁解でもなく、釈明でもなかった。

「俺は、これでいい。けれど、これでいいのは、俺だけか? <彼に凝立する聖杯アブフ・ヒルビリ>は―――本当に……このままいくのか? もうとっくに・・・・・・その日が来てるぞ・・・・・・・・

 傍目はためから、放言ほうげんにしても奇妙な強調符を、最後だけ残して。

 それを受けたゼラの眉尻まゆじりが引き攣ったのを、キルルは見た……ような気がしたが。それこそ、砂埃すなぼこりを噛んだ睫毛まつげいらっただけだったとしても分からない。

 その頃には、ざわめきが大食堂の範疇はんちゅうを越えつつあった。もしかしたら逆流した空気圧が廊下をめつくしていったのか、あちこちからいら立った雑踏の右往左往やら派手なくしゃみやらが聞こえてくる。にわかに色めき立ってきた騒々しさを、低俗ていぞくそうに横目でにらみやってから―――毛羽けば立った感情もそのまま、ゼラが物静かに一喝いっかつしてくる。

後継こうけい第二階梯かいていをお連れしなさい。エニイージーなら図書庫です」

「向かいます。背に二十重はたえある祝福を」

 とってつけたような追随ついずいを済ませてくイコに次いで、キルルもまた大食堂を出た。

 すると彼はきびすを返し、食堂のドアを閉める。

 そうして衆人環視しゅうじんかんしをざっくりとぶった斬ってから。イコが飛び込んでいったのは、廊下のはす向かいにはめ込まれた黒りのドアだった。言われるまでもなく、客間である。数日前、あそこでキルルは予期せぬ会食をしたのだ。わけも分からないが、とにかく彼を追う。

 客間に入ると、動揺をモロ出しにしたイコが大の字になってぴったりと壁に張り付いていた。

 なんで壁に……と思いはするが、要は自分より大きな存在に守られている安心感を欲してのことだろう―――信心深ければ神に向かって聖印でも切っているのだろうが、イコはその胸倉むなぐらをただただ吐き気を抑えるように撫で下ろしている。がっくんがっくんひざを揺らし切ってから、白目を剥きかけていた両目にやっとかっとの理性を取り戻して、どうにかこうにかあごの下を手首でこすってみせた……あぶら汗と安堵あんどが、ぶあっと毛穴を開かせたらしい。まだガタブルしているが、それは顎も手首も同様だったので、仕草として総合性は保たれていた。

「うーこわ。こっわぁ、ゼラの御大おんだい。マジ勝てっこねーわ……ご機嫌ナナメにしたって、スパルタに切り替えるんならヒントくらい前もってちょーだいよっつの。こちとら、神不知かみしらずがけみたく破られちゃ一巻の終わりだってのに。うっあキモい、見てこのサブイボ。ダイコンすれるぜ今なら」

 強がりを捨てた途端に歯の根も合わなくなった上、心因性の息切れもひどい。蒼白そうはく面貌めんぼうで、あえぎたがる口を横一文字に引き絞りつつ、まくった二の腕を見せつけてくるイコに―――

 キルルは、どうしても同調できなかった。ドアを閉めてから、聞いてしまう。

「イコさん。辞めちゃうの?」

「辞めちゃうかねえ? まあ、その前にまずおりン中かな」

 あくまで牧歌的なのどかさで、うそぶいてみせるイコだが。

「檻?」

「ゼラの御大おんだいが、檻の中でなんちゃらっつってたっしょ? それだよ。いわゆる、旗待ち……ひるがえる旗を待つ、ってやつがあってね。旗司誓が内輪揉うちわもめした時の、まどろっこしいなりに由緒正しい裁判とでも言おうか―――私刑的な闇討やみうちから保護する意味もあるんだけど」

「檻で?」

「そう。対象者を檻に閉じ込めて錠前をかけ、錠前の鍵をつけた短剣を、檻の中に入れちまうの。檻から出てくるのは、降参の白旗を上げて粛々しゅくしゅくと罰を受ける側に立つか、あくまで旗幟きしを汚していないと潔白を訴えて汚名をそそぐ側に立つか、腹を決めた時だ。疑われた時点でまかりならん、旗を折られたってなったら、気高く自刃しちゃえるってわけ……黙秘権ですら、自死をってしての矜持きょうじゆだねられてるんだぜ? はは。こうまで一貫してちゃ、笑うっきゃねーわな」

 長広舌ちょうこうぜつを遂げるうちに、口調は沈着していった。講釈こうしゃく好きは生まれつきだろうが、世間知らずにも理解される口上を探して整理するうちに、理知の火種がしっかりいたのだろう。戦慄せんりつは痛手のように残っているが、りつかれる濃さではない。

 その目を見上げながら、胡乱うろんにキルルはささやいた。

「あたしのせいで、そんな目に遭わされてから辞めちゃうの?」

「こらこら。身のたけの心配だけしときなさいってのに。それともちびっちゃった? だからさっき便所に行っときゃよかったのよ。おシモの替えある?」

「はぐらかさないで」

「だからねえ、そーんなジュンスーイなお目目で見られてもね。このオニーチャンたら下世話げせわなことばーっか達者なのよって言ったでしょ―――昔っからよ。これだけは」

「え?」

 聞き返したのが軽率だったと、悟った時には遅かった。イコは、特に感情をまじえず言葉をつむいだつもりのようだったが、その淡泊たんぱくさこそが、ひどく自制を強いなければ語るに億劫おっくうなのだと露悪ろあくさせていた。

「俺は、捨てられっ子でね。まあ、なかなか気のいい養い親だった。頭のキレに見どころあるって、寄宿舎がある都街とがいの学びに、羽振りよく入れてくれたのよ。そしたらお定まりのように、イイトコの坊ちゃんどもに目をつけられちゃって。かったるいことに、これがまた色々とややこしくしてくれちゃったんだわコレが……んで、都街どころか故郷にもいられなくなった。それでも、見どころがあるってめてくれたのを忘れられなくて、―――偶然、ここにありついたんだよ。働いてさえいれば、好きに勉強していいって言われたから。ここならエルンクーを語っても、血眼ちまなこになってくれるヘボどももいないし」

「だからイコさん、ジンジルデッデさんのこともあんなに分かって……図書室とか、色んなこと知ってたの……?」

字引じびきになりたかったんだ。孤児院じゃ、持ちネタに隠し玉があるだけモテたからね」

 軽口ついでにウインクをこちらへくれて、イコが無理にんできた。途方に暮れるのも、甘受し慣れた……そういった諦め顔で。

「ね? 下世話でしょ。俺にあるのは欲得だけよ」

「だけって、そんな」

「だけでいいのさ。だから―――頭領は特に熱心に教えてくれたし、なにより彼が伝えてくれたジンジルデッデ先翁せんおうの生き様は、俺に自信をくれた。ひらめきに頼らない知恵と、他人任せじゃない知識は、幸せになろうとして使う限り、順風に生きるコツになるってね。学ぶことを信じて良かったよ……少なくとも俺はそのおかげで、これからは流浪るろうの用心棒なり、在野ざいやの教師なりやって暮らしていけそうだ。どっかの辺境でなら―――」

「辞めないで」

 それだけは、言い切る。

 キルルはくちびるを噛んで、噛み切る前に前に吐き出した。

「これが、あたしの今の精一杯の身のたけ。お願い。辞めないで。―――だって、あたしなら、どうせ出ていくから」

 イコが、絶句ぜっくする。

 そのすきに、せめて言い終えなければならない気がしていた。なりふり構わず、懸命けんめいに口にする。

「誰からも望まれないまま、ここに来て。ここからも、誰にも望まれないまま、戻るしかないから―――ザーニーイだって、もう、首ったけな人がいるんなら……」

 発している自分でさえ、声が聞き取れなくなっていく。理由は分かっていた。簡単すぎることだった。聞きたくなかったから、閉め出して五感を切りたがっている。

(こうまで、あたしは卑怯だ)

 変われたと思えた思い上がりは、傲慢ごうまんに違いなく。

 忘れることで看過かんかされることに甘んじていた思い違いは、傲岸ごうがんに違いなく。

 信じることも疑うことも見失った己に、軸は無く。

 そうやってひとつふたつと今まで失ってきたのだとしたら、これから先も十重二十重とえはたえに失いゆくことを止めることなど出来はしない。

 こんな抜け殻が王になるなど、破滅を伝播でんぱさせるようなものだ。だとしたら、―――

 耳元でふと、そそのかされた気がした。

「―――お姉ちゃんが、あたしの代わりに戻ればいい」

 どうせ自分は、変われはしないのなら。

 いっそ、その人が入れ替わってくれたらいい。

「後継第一階梯なんだから、望まれるまま玉座に座ればいいじゃない……そこに座った分、あたしに居場所を譲ってくれたらいいだけじゃない!」

 か細い震え声だった筈のものが、大きく―――呼吸もまた荒くなっていく。見聞きしてきたすべてがんで、薄皮うすかわを食い破った。心がむしられる。

「それが、どうしていけないの!? あたしは……あたしは普通に、遊んだり、楽しく盛り上がったり、それをしていたかっただけなのに! どうしてよ、どうして……あたしだけ、こうなっちゃったの? お母様にいいように狂わされてた、あのイヅェンですら、こうじゃないのに!」

 言ってしまう。

 そして、叫びが過ぎ去れば、叫んでしまった重苦しさを際立たせる静けさが残る。

 それが氷解した時。イコから、ぽたりと落とされた言葉は、雨垂あまだれのように続く。

「自分語りってのは、これだからね」

 ぽたり……ぽたりと。ひとつ―――またひとつ。

「敵味方を増やすつもりもないのに、するもんじゃないんだ。取り返しのつかなくなるものを増やしてまで……するものじゃないよ」

 そしてイコのそれは、雨垂あまだれが水たまりに波紋はもんを広げるように、ゆっくりと語られた。

「そうか―――そうだね。だから、あの三人も話さないのかもしれない。話すまでの、間……過程の混沌こんとんに、理由が、価値があるから」

 敵。味方。増やす。

 胸中に再燃した思いがある。

(その人に違いなかった筈の確かなものを、味方や、敵と……―――信じても、疑っても。分けて、へだてても。賢くも、愚かしくも―――両極は、どちらだって同じだから?)

 そこに来て―――

 ふと、キルルは固唾かたずんだ。

(さっきからずっと、こんな話してる)

 正逆せいぎゃくに位置しながら。同質であり、同一の。

 今なら分かる。

 ならば、いずれ、これは恋と愛の話なのだ。
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