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エリザベスの訪問
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しおりを挟むシムはカスパルと庭で過ごした後、急遽決まった今晩の出発に備えて、馬小屋で馬達の餌やりや手入れを手伝っていた。
馬引きの者達は予期せぬ早すぎる帰還に、誰もが大慌てで作業にあたる。
地方の屋敷は肩書きは形だけで皆が役割関係なく助け合う風習があるのだった。
シムは馬小屋に来てから、初めて王妃達が今晩に急遽ご帰還されるこのとを知ったのであった。
シムはカスパルのこともあって、余計物悲しさと寂しさで気分は沈んでいった。
シムはもう一度カスパルと少しで良いから話したかった。
もっともっと、と今までのシムでは考えられない程に誰かと触れ合うことに興味を抱いていた。
何を話したいかは明確に思いつかないものの、到底話し足りていない歯痒い気持ちでいっぱいなのだ。
もう会うことは恐らくない、無事に帰還してほしい、感謝したい。
自分のことを、知ってほしい。
どうしてこんなに何かに追い詰められるような気持ちになってしまうのかシムには分からなかった。
そのためシムはアベルを訪ね、目上の方にもう一度こちらから時間を作ってもらう事は可能かどうかを聞きたかったのだ。
しかし何故自分は今、馬たちと共にいるのだろうか。
零れそうなため息を抑えて、与えられた仕事をこなそうと尽くした。
「馬車用の馬4頭はもう洗ってやったぞー」
「こっちは今貨物用の馬洗ってるとこ!」
馬引き同士の確認の為の掛け声に、シムはハッと持っていた餌カゴを置く。
そうか、この小屋には当然カスパルの馬もいるではないか。
小屋内部を見やれば馬が一頭一頭入るスペースの柱にきちんと名前が紙で記されていた。
今まで気にしたこともなかったため見落としていたが、これは馬引き達が誰が馬を引いても目上の相手に違った馬をよこして無礼になってしまう事を防ぐ配慮の一つである。
この印のお陰で管理もしやすく、今誰が外出しているのかもすぐに見て取れる良い仕組みに、シムもたった今助けられたのだった。
シムは自分の持っていた餌カゴを持ち直し、藁の敷き詰められた小屋の中を歩く。
カスパル・ラザフォード様と殴ったように書かれた紙の貼られた奥には、美しい毛並みの黒馬が静かにこちらを見やっていた。
簡素な棒2本程で作られた扉を開け、シムはゆっくり歩み寄る。
黒馬はカスパルに似た聡明そうな目つきでシムを見ながら動じない。
シムは黒馬にゆっくり触れ、頬を撫でてやる。気持ちの良い毛並みを感じながら、秘密ごとのように黒馬に顔を寄せた。
「あなたは、ずっと、カスパル様と、一緒だったんですね」
小さい声で話す。
黒馬も擦り寄るように顔を寄せシムの匂いを嗅いだ。
黒馬はその強い足でカスパルをこれからも守り、送り、旅を共にするのだろう。
もう話すこともないシムは、黒馬が羨ましかった。
「話せない…。
もう……
…そうだ!」
最後に伝える手段はまだ残っている。今日の朝カスパルに花言葉を説明したのは自分だというのに、すっかり忘れていた。
花を渡せば良いのだ。
必ず会うこの馬に花を渡してもらえばいい。
男から花が渡されるのは気持ち悪いのではないかなどの不安は、その時のシムに考える余裕はなかった。
シムは急いで顔を上げたので黒馬はギョッと驚いてしまい、シムは急いで馬相手に謝る。
「驚かせちゃって、すみません…!すぐ、戻ります」
そう言って駆け出すシムの後ろ姿を黒馬は不思議そうに見つめる。
可笑しな人間だ、と言う様に。
シムは自分の育んだ庭に座り込み小さなロニーの花を8本摘み、丁寧に輪になるように編み上げていった。
この知識はシムがこの地にやってきた時に居た修道女の老婆に教わったものだ。
既にもうかなりの長寿だったらしくシムが拾われてすぐにこの世を去ったが、シムの胸の中には彼女の残した知識が少なからず存在している。
やたらシムを煙たがるジェーンに、この花冠を渡そうと試みたこともかつてある。結果は言わずもがなであった。
どうかご無事で、私はここで貴方の健闘を心から祈っております。
その思いをカスパルへ込めて丁寧に編んで行く。
元々小さなロニーは編み上げ終えると、手首がギリギリ入る程の小さなものとなった。
シムは完成した手のひらの小さな黄色いロニーの冠を大地へ置いた。
一つ息を吐いてもう一度あの黒馬のところに戻ろうと振り向いた先には小さな少女がシムを見下ろしていた。
シムも側に人がいた事に気がつく事が出来ず狼狽える。
「ジェーン様…」
ジェーンはシムの育てた花達の上に足を下ろしていた。
踏み折れた花達はもう二度と再生しない。シムはジェーンがいながらも思わず悲痛そうに下を見やってしまう。
「あんたよりも私は幸せになるのよ。」
ジェーンはそう言い放つと未だ呆けた顔で座り込んでいるシムの足元まで、花を踏み潰しながら歩み寄る。
花に囲まれた自分よりもおよそ一回りも年齢の上の男の、見窄らしく力強さを感じないくすんだ見た目のシムを心の底から軽蔑する眼差しをシムに突き刺す。
こんな男がいていい世界ではない、こんな能天気で人として無価値な男はこんなところでお花と遊んでいる方がおかしいのだ。
ジェーンは憎々しげに自身の足を上げると、そのハイヒールを履いた片足で思い切りシムの降ろされた手の甲を踏みつける。
「…っつ!」
シムは刹那に襲いかかる激痛に体を強張らせ反射的に手を引こうと身動きするが、ジェーンの足はまだ手の甲から離れずに踵を中心につま先を左右に振ってにじる。
「…気持ち悪い、気持ち悪い…!」
「お、おやめ、くださ…っ!」
大嫌いな虫を見る目で、痛そうに目をきつく瞑るシムを見やるところで心の何処かで満足したのかジェーンは理性を取り戻す。
足を外してふぅと運動をした時のように軽く一息つき、シムを背にまた来た道を花を踏み倒しながら歩いていく。
シムには嫌味を言いに来たつもりが、呆けた面を見て思わず手を出してしまった。
シムの事は気にしていないと自分自身思っていたが、以外と意識し嫌悪していたのかもしれない。
まあいいか、シムだし。
ジェーンは軽い足取りで屋敷へと戻って行った。
「くっ……」
シムはどくどくと流れる血を必死で片手で塞ぎながら、嫌な脂汗を流してどんどん遠くなるジェーンを見つめる。
何故急にこんな事を…。
ジェーンからここまでの攻撃的な雰囲気を未だかつて感じたことなどなかった。
唯ならぬ雰囲気と行動に恐怖を感じつつも、同時にとても心配になる。
一体何があったんだろう。
ふと地面を見やる。
そこには先程シムが心を込めて編んだ黄色いロニーの小さな冠が綺麗なままで置かれていた。
壊れないでよかった、自分の手でよかった、痛みを堪えながらシムは体を丸めて安堵した。
「よかった……っ」
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