55 / 171
成長、彼の情
3-15
しおりを挟むカスパルさんだ。
本物の、カスパルさんだ。
頭の中はその感想以外真っ白になる。本物のカスパルに意図せず跳び上がってしまいそうで、シムはとても奇妙な表情をしながら蹌踉めくように後ずさってしまった。
そんなシムにカスパルは不思議そうに少しだけ笑い、室内へと足を踏み入れた。
カスパルも、今日こそはシムに会えるのではないかと賭けて来たので、会えたことにとても喜ぶように優しく微笑んでみせた。
そこに立つカスパルは、普段着ている軍服とは違い、装飾の少ない訓練着のような暗い色の簡易服を着ていた。
カスパルの優しげな微笑みを一身に注げられる特等席はシムだけだということを、シムもカスパルが意識しているかは定かではなかった。
「か、…か、カスパル、さん」
やっと捻り出した声は大変上擦り、こんな声を出したいわけではないのにとシムは後悔で顔を歪ませる。
しかしカスパルは全く気にしていないようでシムへの間合いを詰めて、おもむろに目の前まで来て首を傾げて見せた。
「土が付いてるぞ?」
そう言って大きな指でシムの頬を撫でる。
「!、」
カスパルの指は皮膚も硬く武骨で、そしてとても暖かかった。
そんな男らしい指を頬で直接感じ、シムは気が動転する。
この暗さで顔の赤さがカスパルに見えませんようにと心で願ってしまう程に。
「あ、あ、ありがとう、ございます、あの。すみ、すみ、ません」
明らかに動揺するシムに、何だかカスパルも恥ずかしい事をしたようで、伝染した様に妙な気持ちが湧き上がる。
シムの頬は、細やかで柔らかかった。
それこそ女性と比べてしまえば潤いなどは劣るだろうが、武人ではないその肌はカスパルにとっては柔らかく、暖かい肌であった。
そんなことをふと考えてしまい、人の肌の感触を確かめるなどという気恥ずかしさにカスパルも若干頬を染めた。
「いや…。
元気そうで良かった。」
気を紛らわす様に話を続ける。
カスパルはシムに対して妙な感情が溢れてしょうがない気持ちが、むず痒くて仕方がないことを顔に出さないよう、なるべく優しくシムを見下ろした。
シムもやはり緊張が漂うものの、その表情がカスパルを信頼していることも、奇異な目で見ていないことも物語っており、カスパルを安心させた。
「はい!今日は、薬草を植えて、ました。」
「大変だな、その後ろの本も全部薬草なのか?」
シムの後ろにあるテーブルに広がる様々な本に目を移す。
シムは、あぁ、と声を出すも心なしか肩を落としまった姿に、カスパルはどうしたと心配げに見つめる。
「はい、調べて、いたんですけど。
…俺は、文字が、分からないので、結局、しっかりとは、分からなくて、……」
「なるほど…。」
そう若干声を落として沈むシムに、カスパルは思わず可愛さがこみ上げてきてしまい、頬が緩みそうになる顔を片手でなんとか抑える。
本人にとっては文字が読めないことは確かに死活問題だろう、カスパルはシムの隣に立つように本に向き合った。
「よし、俺が読んで聴かせようか。
どこのページが知りたい?」
そうシムを覗き込みながら説いてみれば、予想通りにシムは混乱の色を見せる。
「いや!その、いや!そんな、ことは、!」
壊れた人形の様に挙動不審になるシムに、思わず声をあげて笑ってしまう。
シムの吃り癖も緊張癖もすっかり慣れ親しいものになっていた。
シムの気も知らず、どれどれ?どの草だ?等と本に手を出し軽くページを捲ってみせた。
殆ど図鑑の様だが、それでも図解だけでは解読出来ないだろう、あまり見たことのない草木の絵が並んでいる。
「この葉を調べてるのか?」
そう言って一つの図に指を指せば、いや、と一度首を振るも、まだカスパルを手伝わせることに戸惑うシムは、とても重たそうに口をそっと開いた。
「…う、ウサギ草、という草、です。」
随分可愛らしい名前だな、なんて笑いながら文字順に沿ってページをパラパラと捲ってゆく。
暗い図書室を照らす蝋燭だけの灯りが気持ち良く、本達とシムとカスパルを優しく包むように照らしていた。
「この白っぽい草だな。どれどれ…」
図鑑の中から見つけ出したウサギ草の図の横に記されている文字を読み解こうと顔を寄せる。
すっかり読んで聞かせてもらうことになってしまった申し訳なさで、シムは嫌な汗をかく。
しかしカスパルが聞かせてくれる一言一句声を聞き逃すまいと、自然と自分からカスパルへともう少し間合いを詰めるべく近付き、肩が付く距離まで近くに寄った。
「…この草は、バロニア国とマガド国の国境に位置する山脈で発見され、現在は薬として、東洋では古くから香辛料としても用いられている。」
「…香辛料…やっぱり。」
カスパルは一度横に立つシムをそっと見やる。
先程までドギマギと不思議な挙動をしていたが、カスパルが読み始めると真剣な横顔でその言葉に耳を傾けている。
相変わらず熱心な男だ、そこに好感を持つカスパルは微笑みながら再び本へと目を落とした。
「"古くから"か…、と言うことは毒ではないんだな…。
きっと香辛料というのだから、独特な匂いか、もしくは辛味なんかがあるんだろう。」
「そうですね…。」
シムは薬草について黙り込んで思案しながら、今日植えた株達がもう少し育って根付いたら、一つ抜いて自分で煎じて毒味してみようと考えた。
結果としてカスパルの助力のおかげで、シムはウサギ草の毒成分の疑惑を晴らすことが出来一安心だった。
シムは安心した様に胸に手を置き息をそっと吐いた。
「毒じゃないか、知りたかった、んで、…もう十分です。
本当に、ありがとう、ございます…」
図鑑を閉じながらカスパルはなんでもないように眉を片方上げながら笑う。
「お安い御用だ。
シム、お前の為なら。」
今の言葉は恥ずかしい言葉だっただろうか、とカスパルは咄嗟に苦虫を潰した様に顔を歪める。
久しぶりにシムと話せたことで、カスパルは疲労が飛ぶどころか、口元のネジが緩んだようにシムに甘やかした言葉がポンポンと出てきてしまっているようだ。
しかしその言葉を言われたシムは一瞬の間が空いた後はっとカスパルを見上げ、こちらも何かを堪えるように苦しそうに顔を歪ませた。
まるで今にも泣きそうな表情に、逆にカスパルは驚かされてしまった。
カスパルは慌てたようにシムを覗き込んで、その男らしい腕で自身の頭をガサツにかく。
「どうしたシム?
何か気に障ったか?」
シムは何かを言葉にしようと口を開くも再び閉じて下を向く。
シムの為なら。
カスパルの優しく温かい言葉に、自分の奥にある感情が暴走するように胸が苦しくなってしまった。
思えばカスパルはシムがテューリンゲンの屋敷にいた頃から優しく温かかった。
こうして、隣か或いは正面に立ち、シムの拙く聴き取りづらい言葉に苛立ちを抱かずゆっくりと聞いてくれる。
自分の太陽の様な存在の男が、今こうしてシムの為だけにここにいてシムを照らしてくれているのであれば、こんなに幸福な時間はないだろう。
会う度うんざりする程に身分格差や同性ということを考えても、やはり会えたら嬉しいし、また会いたくなってしまうのだ。
今のシムは嬉しい感情で喉を詰まらせていた。
「…ち、…ちが、うんです。
……あ…。」
「ん?」
カスパルはなるべく声を丸くするよう意識をして声をかける。
ああ、こうして今もシムの言葉をゆっくりと待ってくれている、その姿だけでシムは堪らない気持ちになった。
「会えて………、あ、会えて嬉しかった…から。
上手く、伝えたい、んです、感謝も。
でも上手く、出来、ません。嬉し、くて…あり、ありがたい、て思って、いるのに。」
もう殆ど後半からは戯言の様に有耶無耶と文章にならないシムの言葉を聞いて、思わずカスパルは唇を強く噛む。
「……。」
唇を強く噛んでいないと、衝動的にシムを強く強く抱き締めてしまいそうだった。
なんて素直で、無邪気で、それ故にカスパルの心を大きく乱す。
「……シム。」
ああ、俺は。
俺は君を。
カスパルは唇を噛むのを止め、真剣な表情に変える。
未だ動揺するように言葉なのか何かを発するシムを、落ち着かせるように視線を合わせるためさらに覗き込んだ。
「全部伝わっている。」
カスパルは今この時の、混乱する青年の表情も、声も、栗色のかさついた髪も、女らしくない背中も、自分がこの手で守りたいと確かに思っていた。
こんなことを考えてしまう理由も、その気持ちの名前もカスパルは自覚していた。
シムは話すことを止め、恐る恐るカスパルに視線を合わせる。
「伝わり、ましたか」と問う震える声はちっとも高くなんてない普通の男の声だ。
可憐な女子のものとは程遠いほんの少し掠れた声、そんな声さえカスパルには可愛いと思えた。
「本当だ。
伝わっているよシム。」
カスパルはそのままの口で話を続けた。
「シムはいつも、一生懸命言葉で伝えてくれるだろ。
俺みたいな軍人でも、とても分かりやすいくらいにな。」
少し戯けたように言って見せれば、シムは呆気に取られた様にカスパルを見上げる。
そしてそのままぽろりと一粒、シムの瞳からは涙が落ちて行った。
自分の拙い言葉はちゃんと伝わっている。
なんだ、ちゃんと伝わっているではないか。
そんな安堵の涙である。
カスパルはその綺麗な涙を見つめながら、少し照れたように眉を寄せて一度頭ごと上を向い後、再びシムへと視線を戻した。
「…頬に触れてもいいか?」
カスパルはその大きな掌を顔の横まで持って行き、そっとゆっくり栗色の髪に触れてから、掻き分けるように頬をそっと包んだ。
その頬は柔らかく少し湿っていて、カスパルの熱く武骨な掌は暖かい涙を優しく拭った。
16
あなたにおすすめの小説
伝説のS級おじさん、俺の「匂い」がないと発狂して国を滅ぼすらしいい
マンスーン
BL
ギルドの事務職員・三上薫は、ある日、ギルドロビーで発作を起こしかけていた英雄ガルド・ベルンシュタインから抱きしめられ、首筋を猛烈に吸引。「見つけた……俺の酸素……!」と叫び、離れなくなってしまう。
最強おじさん(変態)×ギルドの事務職員(平凡)
世界観が現代日本、異世界ごちゃ混ぜ設定になっております。
【本編完結】処刑台の元婚約者は無実でした~聖女に騙された元王太子が幸せになるまで~
TOY
BL
【本編完結・後日譚更新中】
公開処刑のその日、王太子メルドは元婚約者で“稀代の悪女”とされたレイチェルの最期を見届けようとしていた。
しかし「最後のお別れの挨拶」で現婚約者候補の“聖女”アリアの裏の顔を、偶然にも暴いてしまい……!?
王位継承権、婚約、信頼、すべてを失った王子のもとに残ったのは、幼馴染であり護衛騎士のケイ。
これは、聖女に騙され全てを失った王子と、その護衛騎士のちょっとズレた恋の物語。
※別で投稿している作品、
『物語によくいる「ざまぁされる王子」に転生したら』の全年齢版です。
設定と後半の展開が少し変わっています。
※後日譚を追加しました。
後日譚① レイチェル視点→メルド視点
後日譚② 王弟→王→ケイ視点
後日譚③ メルド視点
劣等アルファは最強王子から逃げられない
東
BL
リュシアン・ティレルはアルファだが、オメガのフェロモンに気持ち悪くなる欠陥品のアルファ。そのことを周囲に隠しながら生活しているため、異母弟のオメガであるライモントに手ひどい態度をとってしまい、世間からの評判は悪い。
ある日、気分の悪さに逃げ込んだ先で、ひとりの王子につかまる・・・という話です。
転生したようだけど?流れに身を任せていたら悪役令息?として断罪されていた――分からないまま生きる。
星乃シキ
BL
発作の後に目覚めたら、公爵家嫡男の身体だった。
前世の記憶だけを抱えたまま生きるレイは、ある夜、男の聖女への嫌がらせの罪で断罪される。
だが図書室の記録が冤罪を覆す。
そしてレイは知る。
聖女ディーンの本当の名はアキラ。
同じ日本から来た存在だった。
帰りたい聖女と、この身体で生きるレイ。
秘密を共有した二人は、友達になる。
人との関わりを避けてきたレイの人間関係が、少しずつ動き始める。
拝啓、目が覚めたらBLゲームの主人公だった件
碧月 晶
BL
さっきまでコンビニに向かっていたはずだったのに、何故か目が覚めたら病院にいた『俺』。
状況が分からず戸惑う『俺』は窓に映った自分の顔を見て驚いた。
「これ…俺、なのか?」
何故ならそこには、恐ろしく整った顔立ちの男が映っていたのだから。
《これは、現代魔法社会系BLゲームの主人公『石留 椿【いしどめ つばき】(16)』に転生しちゃった元平凡男子(享年18)が攻略対象たちと出会い、様々なイベントを経て『運命の相手』を見つけるまでの物語である──。》
────────────
~お知らせ~
※第3話を少し修正しました。
※第5話を少し修正しました。
※第6話を少し修正しました。
※第11話を少し修正しました。
※第19話を少し修正しました。
※第22話を少し修正しました。
※第24話を少し修正しました。
※第25話を少し修正しました。
※第26話を少し修正しました。
※第31話を少し修正しました。
※第32話を少し修正しました。
────────────
※感想(一言だけでも構いません!)、いいね、お気に入り、近況ボードへのコメント、大歓迎です!!
※表紙絵は作者が生成AIで試しに作ってみたものです。
結婚初夜に相手が舌打ちして寝室出て行こうとした
紫
BL
十数年間続いた王国と帝国の戦争の終結と和平の形として、元敵国の皇帝と結婚することになったカイル。
実家にはもう帰ってくるなと言われるし、結婚相手は心底嫌そうに舌打ちしてくるし、マジ最悪ってところから始まる話。
オメガバースでオメガの立場が低い世界
こんなあらすじとタイトルですが、主人公が可哀そうって感じは全然ないです
強くたくましくメンタルがオリハルコンな主人公です
主人公は耐える我慢する許す許容するということがあんまり出来ない人間です
倫理観もちょっと薄いです
というか、他人の事を自分と同じ人間だと思ってない部分があります
※この主人公は受けです
悪役令息を改めたら皆の様子がおかしいです?
* ゆるゆ
BL
王太子から伴侶(予定)契約を破棄された瞬間、前世の記憶がよみがえって、悪役令息だと気づいたよ! しかし気づいたのが終了した後な件について。
悪役令息で断罪なんて絶対だめだ! 泣いちゃう!
せっかく前世を思い出したんだから、これからは心を入れ替えて、真面目にがんばっていこう! と思ったんだけど……あれ? 皆やさしい? 主人公はあっちだよー?
ユィリと皆の動画をつくりました!
インスタ @yuruyu0 絵も動画もあがります。ほぼ毎日更新
Youtube @BL小説動画 アカウントがなくても、どなたでもご覧になれます。動画を作ったときに更新
プロフのWebサイトから、両方に飛べるので、もしよかったら!
名前が * ゆるゆ になりましたー!
中身はいっしょなので(笑)これからもどうぞよろしくお願い致しますー!
ご感想欄 、うれしくてすぐ承認を押してしまい(笑)ネタバレ 配慮できないので、ご覧になる時は、お気をつけください!
逃げた弟のかわりに溺愛アルファに差し出されました。初夜で抱かれたら身代わりがばれてしまいます💦
雪代鞠絵/15分で萌えるBL小説
BL
逃げた弟の身代わりとなり、
隣国の国王である溺愛アルファに嫁いだオメガ。
しかし実は、我儘で結婚から逃げ出した双子の弟の身代わりなのです…
オメガだからと王宮で冷遇されていたので、身代わり結婚にも拒否権が
なかたのでした。
本当の花嫁じゃない。
だから何としても初夜は回避しなければと思うのですが、
だんだん王様に惹かれてしまい、苦しくなる…という
お話です。よろしくお願いします<(_ _)>
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる