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成長、彼の情
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しおりを挟むシムはジェーンをおぶりながら自室の扉を開ける。
服もあまり持っておらず物欲もほとんど無いシムの自室は欲も悪くも簡素だった。
「お待たせ、しました…。」
シムはジェーンを自分がいつも使っている固い小さなベッドに座らせた。
ここまでの道程、ジェーンの異様な軽さのおかげか全く辛さはなく到着することが出来た。
ジェーンもジェーンで、本来の彼女であれば「何なのここは、…犬小屋よりも酷いわ。」など言ってのける筈だが、今は部屋を見渡す余裕もないほど青ざめていた。
「お怪我は、していま、せんか…?」
未だ微かに嗚咽を漏らすジェーンに、シムは気遣わしげに膝をついて問うも、ジェーンは首を縦に振るだけだった。
「喉は?乾いて、いませんか?
お腹は、空いていま、せんか?」
怪我がない事を口頭で確認すると、やつれた頬を見つめながら何か口に入れられるか促す。
しかしジェーンは先程と全く同じように首を縦に振るばかりで、本当に空いているのか、はたまた本当に怪我は無いのかさえ不安になってきてしまう。
しかし痩せ細ったジェーンを見るとやはり何か少しでも胃に入れてもらわなければと思いシムは立ち上がる。
ジェーンはただ何も無い場所に視線を彷徨わせながら呆然と泣き続けるばかりだった。
「あの何か、食べ物を、持ってきますね!
少しだけ、お待ち、ください」
シムは慌てて部屋を飛び出し、大きな食堂へ向かうべく走り出した。
走りながら、今まで女性を扱うことも子供を扱うこともなかったことを今更ながらに悔いる。
シムはそういった女子供に向ける為の気遣いを心得ておらず、ジェーンへの対応はこれであっているのかと大変不安になっていた。
しかし弱っている彼女をなんとかしてあげなくてはと、もはや本能的に体だけは愚直に動いていた。
大きな食堂に出ると早朝よりかだいぶ混雑しており、様々な制服の者たちがそれぞれに夕食をとっていた。
夕飯も早朝の時の仕組みと大体同じで皆一律に同じメニュー、それが足りない人の為に小皿とほとんど種類の無いアルコール類などが追加で頼むことが出来た。
夕食を取る者達を通り過ぎながら、今晩の夕食のメニューがマッシュポテトとビーフシチューであることを察する。
カウンターには早朝にも顔を出していた人懐こそうな女性が再びカウンターの番を担っていた。
「あら~お疲れ様!今日は捗った~?」
女性はシムを見るなり元々笑っている様に見えるふくよかな顔に、さらに笑顔を乗せて声をかけてきた。
そう言葉を発してからすっかり慣れた手つきでビーフシチュー用の平たい皿に手をかける。
そこでシムは咄嗟に右手を慌てて出して止める様に促した。
「あ、あの…!
今日、ちょっと体調が、変で…。
何か胃に、優しいものが欲しい、んです…」
一瞬で考えた嘘で消化のいい物を欲してみたが、今のシムはジェーンを介抱する緊張感で本当に体調が優れなさそうに見えたのだろう、女性は笑顔から若干真剣な顔つきになりシムを見つめた。
「あら、大丈夫?
早く言ってちょうだいよ。
勿論あるわ。」
女性はそれだけしっかりとした声色で伝えると一度カウンターから離れ厨房の奥の方へと姿を消した。
もしかしたら毎日体調不良の作業員の為に消化のいいものも作り置きをしているのかもしれない、と対応の早さに些かシムは驚いた。
少し待つと、奥からトレイを持った女性が再び戻ってきた。
そのトレイの上には古びた皿に湯気の立つ乳白色のものと、古びたカップに美味そうな香りを放つミルクティーが注がれていた。
「芋粥とミルクティーだから、トレイと皿は明日返してくれればいいから。
しっかり部屋で身体を温めなさい。」
湯気の立つトレイを渡されて身体を案じてもらい、シムは悪いことに嘘を着いたわけでは無いものの咄嗟に着いてしまった嘘に若干の罪悪感を感じた。
「あ、ありがとう、ございます。」
食器をガタガタ言わせながらトレイを慎重に持つと、女性はいつもの笑顔で「今日もお疲れさん!」労いの言葉を背中にかけてくれた。
冷めない様に大急ぎでトレイを運びながら自室へと戻ると、未だそこには先程と変わりない様子でジェーンが座っていた。
少しジェーンは涙が治まってきた様だったが、摩り続けた目元と鼻先の痛々しい赤みが存在感を増していた。
「お口に、合うか…分か、りませんが…きっと美味しいです。
芋粥と、お茶です。」
シムは柔らかく静かな物言いで言葉を発し、トレイをジェーンの座っているベッドの横へとそっと置く。
しかし最初からあまり食に反応を示していなかったせいかあまり料理の方を見ないため、シムは木のスプーンを手に取りジェーンの手のひらに優しく握らせた。
ジェーンはそこで初めてシムに手を握られていることに気が付き、そして自身の掌を負傷していることを思い出した。
触れられたことでチクリとした痛みを主張した傷は硝子で切った傷だった。
そして痛みを思い出すと同時にジェーンは身体を凍らせてシムの側にある手を見た。
「……、っ。」
シムの右手には、左手にはない黒い革の手袋がはめられている。
その手袋で隠された右手にジェーンは強い既視感があった。
間違いなく今目の前にあるこの手袋をはめた手は自身が理由もなく傷つけたことのある手だった。
自分の罪の重さを見せつけられているかのようでジェーンはカサつき潤いを失った唇を小刻みに震わせた。
自分はこんな硝子の破片ごときの傷にチクリと痛みを感じているが、目の前にいるシムはあの日、あの時一体どれほど痛いと感じたのかと思わずにはいられなかった。
急に動揺の色を見せるジェーンを少し不思議そうに覗き込むも、手に怪我をしていたのかと察しシムはジェーンの手をそっと掬った。
「大変だ…、早く消毒を!」
シムは、ジェーンの掌が切れて血の垂れた痕を見つけてギョッとする。
何故最初に自分に言ってくれないのだと焦った。
シムにとっては保護しなければならない弱い少女であり、この傷が一生ものになってしまったらと冷や汗をかく。
しかしシムの心配を他所に、ジェーンはシムの手を振り払った。
そのジェーンの目には涙がはっており、シムは思わず言葉を出しかけた唇が固まった。
「シム、シム、ご、ごめ…なさいっ…」
ジェーンが嗚咽で苦しそうに胸を上下させながら何とか絞り出した声はジムに向けた言葉は謝罪だった。
シムは唐突の謝罪に驚き目を見開く。
何に対しての謝罪なのかも検討がついていなかった。
そんなシムを涙一杯の目で見つめながらジェーンは尚も口を小さく開けて続ける。
「私は…分かってっ、なかったの。
自分は何も出来ないんだって、…ここに来て思い知ったの。
貴方を踏みつけて傷付けて、邪険にもして、でも…こんな事になるなら…っテューリンゲ…ンに、居ればよかったのに。本当にごめんなさいシム…っ」
その続いた謝罪の言葉にシムはハッとした。
テューリンゲンに居れば良かった、なんて今までの強気なジェーンからは絶対に聞かない言葉である。
理由は全く検討は付いていなかったが、何かジェーンが辛いことに巻き込まれているのではとシムは察した。
そしてそんな言葉を絞り出すジェーンは見た目以上に細く、そして小さく感じられた。
「…何か、あったんですか」
シムの慎重に選んだ言葉はジェーンには届いていなかったようで、相変わらず自身の暗い闇の内と向き合っているような深刻な顔つきのままだった。
ジェーンの痩せた肩にそっとシムは手を置く。
大柄とは言えない身体だが、病的に痩せた少女の肩に比べればシムは十分に男性らしい手の大きさだ。
その掌のあたたかい温度に気付いたのか漸くジェーンは顔を上げる。
「お聞かせ、下さい。
何が、あったんですか。」
ジェーンはシムに応える為に口を開きかけたが、そこで自分が傷付けた、自分を憎んでいるかもしれない者に自分の身に降り掛かった不幸を相談するような事をしていいものなのかと、悩んだ。
ジェーンにとって今身に起こっている出来事は人生で初めての不幸だ。
しかしシムにとっては大した事ではないかもしれない。
そんな事、と笑われたら今のジェーンは耐えられない。
不安に思う気持ちも一瞬芽生えたが、シムはその様な人間ではない事を無意識で感じ、ジェーンはゆっくり口を開いた。
シムはそんなジェーンの重い影を背負う表情をじっと見つめた。
「私、私のお腹に…今、お腹には…」
ジェーンは言葉を紡ぎながら自身の腹をそっと撫でた。
到底何かが入っている様には思えない薄い腹には確かに望まれてない命が入っている。
「私は今、恐らく妊娠をしていて…、けれど、…っ私もよく分かっていなくて…。
ぼ、暴力みたいに痛くて…怖くてっ。
目が覚めたら…赤ちゃんが…っうぅ」
ジェーンは凡そ文章とは言い難くなった言葉を何とか告げた後、耐えきれないと言った様子で、顔に両手をやり声を上げて泣いた。
こんな命、と何度も考え、中に居る者を憎み殺してやりたい思いで一杯だったジェーンは初めて腹の中の者が尊いひとつの命であると感じた。
現に打ち明けることでシムに助けを求めているのだ。
シムの前で永遠に出続ける涙も、自分が可哀想で出ている涙でも憎くて仕方がない涙でもなく、この世に宿されたのに母である自分に拒絶される命が不憫に思ってしまったからだ。
「……っ、…」
一方シムは視界が真っ白になる程の衝撃を受け、徐々に唇がわなわなと震え出した。
ジェーンは宮廷に馴染み、立派なテューリンゲン令嬢になっていると思っていたシムは、生まれて初めての強い怒りに白くなる程強く拳を握りしめた。
どうすれば妊娠するのかの知識くらいはシムにもある。
ジェーンの様子だとそれがお互いの承諾の元の行為でなかった事が伺える。
15も歳の行かない少女に手を出す変態がこの建物の中にいるという事実だけで、シムは感じた事の無い怒りが湧いて溢れた。
シムはじっと考えた。
「む、無理矢理…なのですね。」
ジェーンを刺激しない様に出来る限り静かな口調で問いかける。
その言葉に泣きながら肩を揺らす、その動作を是と読み話を続けた。
「誰か、この事は…?」
ジェーンは泣きじゃくりながら首を振って声を漏らした。
途切れ途切れに言う言葉から、起きた時には別の場所で寝かされ妊娠が誰にまで知られているのか分からないという事を汲み取れた。
「私も…わからないのっ、誰も信じられないっ…」
シムはそっと悲しさと怒りで瞼を伏せる。
立場は違えど同じ場所から来た者として、ジェーンを幼い頃から見守ってきた身として、目の前で泣く少女を守らなければならなかったと後悔し、そして今ジェーンが頼れるのは自分しかいないことを悟る。
貴族であっても強がっていても、所詮ジェーンの中身は唯の14年しか生を歩んでいない女の子なのだから。
「辛かったですね。
お一人で、ずっと怖かった、ですね…」
ジェーンは言葉を聞きながら、それを肯定出来もせず唯首を振るばかりだが、シムは尚も続ける。
「さっき、私に謝りましたね。
ですが、…私は、ジェーン様に、怒ったことは、一度もない。
もう、心配なさらないで、ください。」
何に対しての謝罪が皆目検討が付いていない訳ではなかったが、本当にシムは何とも思っていなければジェーンに対して悪い気持ちを抱いたこともなかった。
「話してくれて、有難う、ございます。
私は、貴方に辛い思い、させた者を、許せない。
けど、ジェーン様は、一人では、ありません。
…これからは私も、一緒に考えましょう。」
そうしましょう…と優しく微笑み語りかけるシムを、ジェーンは顔を上げてまじまじと見つめた。
過去の醜態と現在の自分に跳ね返ってきた不幸に見舞われている自業自得の自分を、受け止め優しく微笑んでくれる人間がまだ傍に居たことを思い知った。
倒れそうな程の安堵とシムへの信頼にまた新しい涙がどっと溢れかえって来る。
「どっして…っ私なんかに…っわたし、なんかにっ…」
もう殆ど何を言っているか分からず泣きじゃくるジェーンの背中を、赤子を安心させる仕草で抱きしめるようにそっと撫でる。
「手、手当てさせて、もらいますね」
シムの問いかけに応答こそしなかったものの、今度は負傷した手をゆっくりと前に出して来た。
シムは傷口をそっとガーゼで洗いながら、いつか自分の手を手当てしてくれたアベルはこんな心配と怒りと愛情の思いで手当てしてくれていたのかもしれない、とアベルを懐かしく想った。
アベルにもシムの手の甲の傷は誰からの傷か告げていない、言わば目の前の少女と自分だけの秘密の傷だった。
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