テューリンゲンの庭師

牧ヤスキ

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無力の力

4-17

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宮廷から少し離れた訓練場、カスパルは一人包帯を巻いた上から軍服を羽織った状態で備品庫の前に佇んでいた。

そこはモールの遺体が発見された場所であった。
当時の状況が今も生々しく残る様に洗いきれていない黒い血痕と血の文字がくっきりと残されていた。

"イリスが犯人"

朝方の部下の話の通り、床には力の篭っていない奇妙なバランスでそう書かれていた。
息を引き取る寸前で書いたのだろう、文字からしてここに倒れてからも意識が幾分あったことを推測する。

イリスという人物はどの様な理由でモールを殺したのだろうかとカスパルは血痕を見つめながら考える。
護衛軍の何かが盗まれた形跡もなかったこの空間で、モールが死ななければならなかった理由が見つけられずにいた。

「モール、……」

一人、不可解な場所で不可解な死。
もしかしたら、モールは加担者側なのか?

カスパルはその疑念が頭を過ぎるが、死人に口なしで既に本人から聞くことはできない。
何より自分の部下を疑う事は苦しい。


しかし、モールが加担者であったならば、裏切りの末の始末。
若しくは失敗の末の始末。
可能性がぐっと広がる。

そんな事はあって欲しくないと何度も推測し続けるが、どう考えてもモールがあちら側の人間だったのではないかと言う線が消えない。



夥しい血痕から大分血を流した最期である事は分かるも。
ここまで血を流させる殺し方は動脈を勢い良く切り裂ける手練れか、爆発を広範囲に受けての裂傷か。

いずれにしてもカスパルは自分自身を鍛え直し、万事に備えておく必要があると静かに思った。

「……はぁ」

少し考え混み、カスパルは皺の寄った眉間に手を当てる。
外の空気を吸おう、そう考え備品庫を後にし訓練場の外まで出た。


外は肌寒くカスパルの引き締まった身体をぴりぴりと鋭く寒さが通り過ぎて行く。
しかしその寒さが今のカスパルにとっては丁度良い冷たさだった。



(お前がもしも俺達を裏切っていたとしても、それはお前を止められなかった俺のせいだな。モール)

隊長として、いずれにせよ部下を守れず医務室で眠っていた自分を酷く責める。

モールは一片の異変を誰にも見せず、イリスと言う名前を遺して逝った。
隊長である自分だけは何としても気付くべきだったのだと、最悪の結果となった今痛感する。

「これじゃあ……」

こんな力では大切なものを何一つ守れずぼろぼろと手のひらから次々に失われ消えて行ってしまう。

護衛軍の部下を、自分は一体どうしたいのだろう。
この国の為に最後まで働いて欲しいのか、犯人を見つけ容赦なく制裁するのか、国民と敵対して王族の為に反政府を死ぬまで鎮圧させるのか。
そんな事はどれも望んでいない。

カスパルはただ皆に幸せになって欲しいと願う。

強くなりたい目標を共有し、お互い切磋琢磨するこの軍をカスパルは愛している。
軍として集まる以上は国への忠誠を誓わなければならない。


彼等の中には勿論国の為に、命を落としてもいいと思っている者もいるだろう。
だがカスパルは、本当に賭けるべきところで命を賭けてほしいと願って皆を厳しく育ててきた気持ちもあった。


いざと言う時自分は先頭に立って皆を守らなければならない。
常にそれは念頭に隊長という肩書きを預かってきた。



(だが俺は…)

しかしカスパルの中には隊長として皆を守りたいと言う自分とは別に、もう一つの自分が確かに心に存在する事を自覚している。

"カスパルさん"

自身を見上げ穏やかに、そして少し恥ずかしそうに名前を呼ぶシムを思い浮かべる。

シムは常に真っ直ぐに生き、真っ直ぐに人を見て、不器用に道を進む。
その姿に芯の強さを感じ好感を持っていたが、それはいつしか目が離せないものになっていた。
手を貸したくなり、かまいたくなり、シムの笑顔を欲している。
それ以上の感情までシムに対して抱くまで至ってしまっている。



考えたくもないが、カスパルに関することでシムが万が一危機に晒される様な事があったら、カスパルは自分の理性を保てる自信が到底ない。

もしもシムに害成す者が部下だったとしても、容易く殺してしまえそうな程理性を手放す恐れがある。

シムが絡むとカスパルは本来の自分を抑え込めない。
本来の自分は、貪欲で、愛を欲し、我慢の効かない男であるとこの歳で自覚した。
カスパルは決して誰にでも優しい博愛主義者ではない。
人の好き嫌いもあるし、意思の弱い者や目上に対する無礼が目に余る者には直接厳しく注意する度胸も人よりある。

しかしカスパルは人一倍責任感も強く、それは多くの重荷を集める形となった。
隊長という肩書きやルージッドと言う国の名、様々な責任を背負わされる上で守らなければならないものが増えただけだった。





堪らなくシムに会いたい。

カスパルさん、と呼ぶその声が愛しい。
シムの前だけでは、ただのカスパルとして笑う事が出来るのだった。




「隊長、もう出歩いて大丈夫なんすか…!」

不意に少し遠い場所から声がかかる。カスパルは考えていた頭を上げ声の方へと目をやった。

そこには若干嬉しそうにしつつも、出歩くカスパルの身を案じる部下のダーキンがいた。
その後ろに青白い顔のセスが下を向いたままこちらに向かって来ていた。


ダーキンは、生前モールとよく二人で連んでいた部下だった。
カスパルは軽く手を上げながら声を掛けた。



「ああ、心配掛けてすまなかった。
モールの件は聞いた、…今その場所を見ていたところだ。」


モールと言う名前を聞き、ダーキンはまだ悲しみの癒えていない瞳を見せながらくしゃりと泣きそうに顔を歪める。
その後ろでセスもびくりと肩を震わせ下を向いたまま、小刻みに震えていた。
ダーキンは勿論のこと、セスもまだ17であり戦場の経験もない。
近しい先輩の死に直面する事は精神的にも堪えるだろうとカスパルは二人の肩に手を置いた。


「モールを死なせたのは、隊長である俺の責任だ。
…本当にすまない。」

肩に手を置いたまま謝るカスパルの表情は自分を責めている事が手に取るように分かった。

「隊長…っ」

ダーキンは頼もしく尊敬するカスパルのその様な表情を直視出来ず目を逸らし涙を堪えた。
しかしセスはその言葉を聞いて先程よりも明らかに震えが大きくなり、カスパルの手を振り払った。

カスパルは振り払われた事に驚き真剣にセスを見やる。
涙が溢れ出したセスの瞳からは、大変な混乱と動揺がありありと伝わった。

「隊長のせいな訳ないじゃないですか…!!
どう考えたって反政府のせいでしょ?!
それなのにそんな軽々と…自分のせいだなんて言わないでくださいよ!!」


突然怒鳴り出したセスに、カスパルもダーキンも目を見開いた。
「おいセス…!隊長に向かって何言ってんだ!」

ダーキンは慌ててセスを止めようとするも、その制止を振り払い言葉を続けた。

「この場所を守りたいのに!
死ぬなんて…!俺は許せない…!!
なのに隊長が自分のせいだなんて言ったら、俺は何を頼りに歩けばいいか分からないじゃないか…!!」



涙を流しながら怒鳴るセスは、何に対してなのか、誰に対してなのか判別出来ない様な言葉を放ち、終いには具合が悪そうに呻きながら口元に手をあてた。

突如ふらふらと足元も覚束なくなったセスを、カスパルは慌てて片手で軽々と支える。

カスパルはセスがここまで思い詰めていた事を知り、初めて自分に向かって怒鳴った部下を思いやった。


「不安にさせてしまったな、セス。
…ダーキン、セスは俺が看るからお前は巡回を続けててくれ。」


セスの度重なる無礼に顔を青くするダーキンだったが、カスパルの気にしていない様子に幾分か安堵し「はい…!」と返事をして、セスを心配そうに見ながらも巡回を続けるべく去って行った。


「セス、歩けるか?」

セスは支えられながらも、カスパルの腕を恐れるかの様に離れようとする。

「大丈夫です…、
少しここで休めば、大丈夫です…」


「俺にはそうは見えない。
吐きそうなら吐いた方がいい。
俺の部屋が近いからそこで少し休んで行け。」

カスパルはそう言ってセスを抱き上げた。
「ちょっ…!」

セスの身体を軽々と抱き上げ歩き始める。

突然抱き上げられたセスは降りようともがくも、そのもがく動きで嘔吐しそうになり手を口に当てたまま静かにしているしかなかった。







カスパルの部屋は従業員用の宿舎ではなく護衛軍本部が置かれている司令塔の最上階の一室にある。
本来ルージッドの貴族であり爵位持ちならば宮廷に住むのが通常だが堅苦しさからカスパルは拒否していた。

カスパルの部屋は様々な大きさの剣が無造作に立て掛けられている以外特段何もない。
カーテンやベッドのシーツが深い紺色に統一された、広く陽当たりの良い部屋だった。

セスを抱き上げたまま片足で扉を開け、そのまま室内の洗面室まで運ぶ。
セスは初めて入る上司の部屋を見渡す余力もなく、手洗いで降ろされた瞬間に胃の中の物を吐き出した。

セスが嘔吐している間、カスパルは水をグラスに入れ後ろで見守る。

「楽になったか?」

カスパルが問いかけるとセスは力無さげに頷く。
先程よりはましな顔色になり口元を拭う。

水の入ったグラスをセスに渡すと不快感の残る口を流す様に水を飲んだ。

「俺のベッドで少し横になれ、ほら立て。」

セスの片腕を掴み持ち上げ、大きなベッドに誘導させる。
セスも鍛えているため常人より筋肉もついているが、抵抗してみてもカスパルの前では何も意味を成さなかった。


誘導されるままにベッドに横たわらされたセスは、戸惑いながらカスパルを見やる。
カスパルのベッドはカスパルの匂いが濃く、まるで包まれている様で今のセスにとっては居心地が悪かった。

カスパルは一度セスに安心させる様に少しだけ笑いすぐ近くの椅子に腰掛ける。

「お前は責任感があるから人一倍思い詰めるんだよな。
…今は横になって、身体を休めろ。な」


それだけ言うとカスパルは壁に立て掛けてあった剣を手に持ち、自身のポケットから布切を取り出して簡易的な手入れを始めた。

見られながらでは休めないだろうと言うカスパルの配慮なのだろう。
セスはカスパルを眺めながら、涙が静かに溢れては流れ枕を濡らした。


イリスになった後、こうしてカスパルが近くにいる事は恐怖でしかない。
先程もつい昂ぶって怒鳴ってしまったが、バレるのではないかと自室まで運ばれる間死にそうな程に震えた。

しかしカスパルはやはりセスの尊敬する大好きなカスパルに変わらない。
強く優しくセスをしっかりと見てくれる。


そのしっかり見てくれる眼差しに射抜かれるのではないかとそれもまた恐怖なのだが、カスパルの部屋で休ませてくれる心遣いが嬉しい。
セスは自分の心が分離してしまいそうで訳が分からなくなり涙が止まらなかった。


優しくされれば優しくされる程辛い。嬉しい。
カスパルから遠ざかりたくなる。遠ざかりたくない。
自分がイリスの名前を引き継いだ意味をなくなしてしまう。


カスパルを守りたい為に反逆に手を染めたのだ。
それなのにどうしてもカスパルを直視出来ない。

「っ…ふ……っ」


セスの嗚咽を噛み殺すような苦しそうな音だけが部屋に響く。
カスパルはただセスの苦し漏れる声を受け止め、剣の手入れを続けた。














 
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