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無力の力
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しおりを挟む早朝、シムは寒い灰色の空の下、完成した教会の庭の側で腰を降ろしていた。
初めて任された思い入れのあるこの場所を眺めているとシムと堪らなく感慨深くなった。
この景色を神父ベイジルに見せたかった。
今はどこにいるのかもシムは分からない。
せめて元気でいてほしいを願うことしか出来ないシムの瞳は寂しげに揺れた。
シムが入廷した頃よりも、宮廷から随分と人が消えた気がする。
行方が分からないままの者もきっと大勢いるのだろう。
その中に友人である小風もいる。
そしてカスパルも、あの接吻をした夜以来顔を合わせていない。
シムは自分の周りからぼろぼろと大好きな者達がいなくなる様で時々泣き出してしまいそうな気持ちになった。
「ここで何をしているの?シム。」
振り向くと杖をついた庭師長ミシアが優しく微笑みながらシムの方へ来ていた。
シムは立ち上がり、すぐに微笑み返す。
「ミシアさん、おはようございます。」
ミシアはシムの横に立ち協会の庭を時間をかけて一望した。
決して煌びやかとは言えないが自然に満ち、控えめな美麗さを保ちとてもシムらしい庭だと感心した。
「庭師も長い休みに入るわねぇ。」
シムは頷きながら上を向く。
雪が降りそうな雲色だ。
庭師は春に芽吹かせる準備を終えれば、冬は休業だ。
しっかりと地中で冬眠してもらうことを願う以外に仕事はない。
「シム、あなたには最初に言っておこうと思ってここに来てみたの。
そうしたら本当にいてくれたから良かったわ。」
「最初に…?
どのような…」
シムは首を傾げながらミシアに目を向けるも、ミシアは庭から目を話さないまま続けた。
「もうこんな老婆でしょう?
ここも随分物騒になってきたから。
引退してお暇を頂こうと思っているの。」
「……っ」
ミシアの表情はとても寂しそうだった。
シムも酷く寂しそうに目を伏せた。
シムはいつかこんな時が来るのではないかと予感していた。
庭師の仕事は力仕事だ、老体に無理させる訳にはいかない。
自分で決めた引き際を他人がどうこう言えることではないのだ。
しかし今のシムは悲しみと寂しさで心は薄氷のようであり、ミシアの言葉は確実にパリパリとヒビを入れていく。
好きな人がどんどんと遠く去って行く。
自分一人きりになってしまう。
そう思うたびに胸が痛くて痛くて仕方がなくなる。
「…シム。
ごめんなさいね、寂しい思いをさせてしまって。
友人の方も早く見つかると…いいのだけどねぇ」
その優しい励ましと謝罪にシムは俯いた顔を上げ、痛ましくも微笑んでみせた。
「ミシアさんも、どうか…どうかお元気で。
春が開けたら、ミシアさんの場所は、まかせてください。」
「休暇、だと?
何故お前がわざわざ…」
カスパルはとても疑心に満ちた目でセスを見下ろした。
セスは慌てて頭を掻きながら目線を漂わせる。
「あ、朝一に!
私軍が自分の部屋にやってきまして、…それで隊長にも伝えておく様にと…!」
「そうか…」
何かおかしい。
カスパルは直感でそう思ったが、それをセスにぶつけたところで怯えさせる事にしかならないだろうと息を一つ吐いて扉をもう少し開けた。
「とりあえず入れ。」
招かれたセスは手持ち無沙汰にカスパルのベッドに腰掛ける。
介抱してもらった際に寝かせてもらった馴染み深いベッドも側にある。
カスパルは窓から外を見やるが特段、軍の者も変わった動きをしていない様だった。
「何か他には聞いてはいないんだな?」
セスはその問いに心臓が跳ねるも悟られない様必死に平常心を装う。
「は、はい…他は特に…」
「そうか、じゃあ俺は少し見回りだけして来よう。
お前はもう帰って部屋で休むか訓練場にでも行けばいい。」
カスパルはそう告げるとセスを安心させる様にほんの少し微笑んで見せ、部屋から退出しようと歩き出す。
(まずい!)
「ま、待ってください!」
セスは咄嗟に立ち上がりカスパルの背中に抱きついた。
カスパルは驚きながらもセスの体重で躓きそうになるのを右足を踏み出して耐えた。
「セスっ!」
思わず振り返るとセスは慌てて身体を引き離した。
「いきなりすみません…!
少し隊長と、隊長と話がしたいと思って!」
咄嗟に口からのでまかせにセスは内心頭を抱えるが、言ってしまったものは仕方がない。
セスはカスパルの手を引いて戻りましょうと促した。
カスパルは眉を潜めながらもセスの手に素直に従う事にした。
「一体どうした、様子が変だぞ?」
そう言いながらもカスパルはベッドに腰を掛けた。
セスも遠慮がちにカスパルの横へと腰を降ろす。
「あはは、そうですか?いつもの自分ですよ…!」
あまりに不自然に力の入った声色にカスパルは溜息を吐き、少し間を開けて口を開いた。
「…あまり俺の前では無理をするな。
きっと今は色々宮廷の中も騒がしいし、モールも亡くなって、お前も疲弊しているとは思うが…。
せめて隊長として、俺の前では肩の力を抜いてくれ、な。」
カスパルは下の絨毯に目を向けながら静かに告げる。
セスはその言葉を黙って聞きながら目を伏せた。
今日はエリザベスの裁判が行われる、エリザベスとカスパルがとても信頼し合っている事は宮廷中で認知の事だ。
だからこそ国王は、カスパルに余計な横槍を入れられて裁判が滞る事を回避しようとしたのだろうと察する。
恐らくカスパルにとってはとんでもない話だろうが、セスはその話を聞いた時正直嬉しかった。
隊長が災難に巻き込まれずに済む。
隊長を厄介毎から遠ざける事が出来る。
しかしモールが亡くなったその時からカスパルの前で嘘を重ね続けたセスにとても肩の力を抜くような資格は無いと思えた。
「…あ、あの、俺最近良い事があって!」
無理矢理話題を変えようと不自然な程に明るく振る舞う。
その痛々しさにカスパルは、やはり肩の力は抜かないか…と肩を落とすもセスを見やった。
「良い事か、何だ?」
「最近とても仲良くなりたいなって思う人が出来て、凄く優しい人なんです!」
セスはその言葉を発している時だけとても自然に笑い、本当に良い事だと感じている様な前向きな眼差しをしていた。
それを見たカスパルはほんの少し安心した様に微笑んだ。
「多分自分より年上…ですかね?
これと言った特徴はないんですが…。
その…普通というか…でも凄く優しくて!
俺がちょっと宮廷の外で吐いちゃった時に介抱してくれたんです!」
「ほう、そしたら宮廷の者なんだな?良かったな」
「はいそうなんです!庭師をしているシムさんって人で」
「…!」
カスパルは目を見開いた。
"っ何故、…、今っ…"
あの夜の、信じられないと言う目をしたシムを思い出し、胸が焼け焦げそうな程に熱くなった。
あの時奪った唇の感触は鮮明に思い出せる。
カスパルにとって一生の宝の記憶だ。
カスパルにとって、シムの唇は暖かく柔らかくもカサカサとしていて、実に甘美な感触だった。
「シム…か…。」
無意識に口から溢れた名前に相槌を返されたと思ったセスはそのまま話を続けた。
「本当に普通な人そうなんですけど、不思議と話を聞いて貰ってると安心するんですよね…本当に。
仲良くなれたら良いなぁ…。」
セスの話からシムは変わらずここで頑張っている事を察し、優しげに微笑んだ。
そう、本当に不思議な男なのだ。
それはカスパルがこの世界で痛い程分かっている事だった。
吃り症で心配性でとんでもなく頑固で、そして優しい。
「…良かったな。」
絞り出した声は思ったよりも小さくなってしまい、カスパルは心の中で自分の弱さに溜息を吐いた。
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