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愛について
5-2※(流血表現あり)
しおりを挟むあの日、行方を眩ましたのはセスだけではなかった。
「はぁ…、はぁ…は…」
暗い地下水路を脇腹を押さえながら走る姿があった。
その男、小風は口から垂れる鮮血を手で拭い走り続けていた。
数時間前、地下水路の冷たく湿った壁に鎖で繋がれた小風は、弱々しく呟く。
「…もう、時間がない…。」
側で項垂れ、苦しそうに息をするオーデッツ家の従者、リゲルを見て小風はもう時間がない事を察する。
度重なる暴力にその傷が癒えない環境下、瀕死になるのは当たり前の結果だった。
早くここを抜け出さないとリゲルはここで間違いなく命を落とすだろう。
自分を助けたこの男を、むざむざと横で死なせる訳にはいかない。
小風は鎖で繋がれたままゆらりと立ち上がる。
側で見張っていた元憲兵の男は、弱りきっていたはずの長身の小風が徐に立ち上がったことで、下憲兵の男の顔は一瞬強張る。
「お、おいおい。
反抗的な態度見せたらどうなるか分かってるんだろうなぁ?」
そう言って自分の腰に指してある剣を抜き小風に見せびらかした。
しかし小風は今まで見せていた懇願は一切口には出さず、まるで亡霊の様に暗く深い目でジェムを見下ろした。
「君こそ、どうなるか分かっているんだろうな…。」
それだけを置き土産の様に告げると、小風は目を見開き一気に間合いを詰めた。
「なっ…!?」
ジェムは慌てて剣を振りかざそうと腕を上げたが、小風は繋がれた鎖を大きく波打たせ、腕を上げて出来た男の胴体に鎖を打ち付けた。
「ぐはぁっ!」
思わぬ衝動に後ろに蹌踉めき剣を振り落とした男は恐怖の表情に変わった。
「な、なあおい…。
俺は仕方なく仕事してるだけだって。
何だよ…、本気になるなよ!」
冗談にしてしまおうと笑ってみせるものの、恐怖のせいで上手く笑う事は叶わず男は後ずさる。
小風はもうジェムに喋る気はないらしく無言で間合いを詰め続け、男の耳に口を寄せた。
何か大切な事を言われるのかと思った男は横を向き、小指一つ程しかない距離の綺麗な顔立ちを見た。
そして小風も男を見つめていた。
「キンバリー…?」
綺麗な顔立ちは怒りや殺気はなく、いつも見ていた飄々とした顔だった。
何だ、よかった。
驚かすなよ、そうだよな、俺たち同僚だもんな。
男がそう言いながら戯けようとした瞬間、その飄々とした顔のまま口を開いた。
「死ね。」
小風はそのままジェムの頚動脈を首の皮膚ごと噛み千切った。
「……ぇ、」
夥しい血が噴出した男は、状況が掴めないまま世界は真っ赤に染まり、驚愕な眼差しを小風に向けたまま倒れ、そして絶命した。
小風はその様を見下ろし、口に残る血を拭いながら無表情かつ無言で見つめ続けた。
やがて血の海になった死体の腰にぶら下がる鍵を抜き取り、自分の手枷を外す。
そして側で横たわるリゲルの手枷も外した。
「…キ…バリー…様…」
朦朧としつつも起き上がろうと顔を上げるリゲルの背中を支え、小風は少々無理やりに立ち上がらせた。
リゲルは立ち上がった事で身体の至る所が痛むのか苦しむ声を漏らすも小風は構わず話し始めた。
「リゲル、今すぐここから逃げろ。
奴らはいつも南の方からやって来る、北に逃げるんだ。
まだもう少しは気づかれないだろう。」
その言葉でリゲルは自分が嵌められていた手枷が無くなっている事に気づく。
「キンバリー…様、何を…っ
…あなたも、一緒に……」
リゲルは小風の腕を掴むも、小風はその腕を解く。
「僕は少し心配な事があるからそこを確かめに行く。
大丈夫だ、僕はそんなに弱くないから心配しないで。
さあ、行ってくれ。」
そうして背中を押した小風の手は、先程人間を一人殺したとは思えないほどとても優しい手だった。
リゲルは北へ、そして小風は南へ。
リゲルは地下水路をつたい歩きながら、視界の悪い状態でも小風の口元に大量の血が付いていた事が分かっていた。
そしてそれが自分の血ではなさそう事も。
リゲルは小風に助けられた事を思い涙が溢れて仕方がなかった。
絶対に死んではならない、助けてもらったこの命を大切にしなければならない。
朦朧な意識の中でも必死に涙を拭い、誰も聞いてくれている筈のない場所で、声になりきらない助けを紡ぎ続ける。
「助け…くれ…、……っ誰…か……」
声に出せば出す程身体のあちこちが失神しそうな程痛む。
死にたくない、しかしこの身体に限界が来ていることをひしひしと感じる。
リゲルは走馬灯の様に家族を思い出した。
ああ、子供達にもう一度会いたい。
その時、肩にとても暖かいぬくもりを感じた。
「しっかりっ…!もうすぐ、出口です!」
自分の声が届く人がいた事にひどく安堵したリゲルは、女神の存在を初めて感じた。
声が届いた、自分の声が
見えにくい視界に太陽の様な木漏れ日を感じる。
外の光だ。
リゲルは心の糸が切れた様に意識を手放した。
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