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悩むリーエン
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自分の夫――と思っていたが結婚式があるので実はまだ夫ではない――が大袈裟に言えば生死をさまようほど自分とのセックスを渇望していると知らないリーエンは、翌日も一所懸命勉学に励み、午後も予習復習に余念がない。
昨晩はどうしようもなくボロボロ泣き続け、寝る寸前まで悲しくて悲しくて、人間界に帰りたくなって苦しい夜を過ごしたが、泣いていても仕方ない、と今朝はもう前向きになっていた。
うじうじしていたって、自分が魔王の妻として認められなければ、もしかしたら殺されてしまうかもしれない。まだその懸念はリーエンにはあったし、彼女はまっとうで「こんな目にあうなら死んだ方がまし」と渦中の悲劇のヒロインのようになる才能はあまりない。
むしろ、正しく貴族令嬢として育てられた彼女は「わたしが励まなければ人間界のお父様達にご迷惑をおかけするかもしれない。遠い異国の地に嫁いだと思えば会えなくても便りのやりとりが出来なくとも、自分は励むしかないのだ」と自分を鼓舞して朝食もぺろりと平らげた。
だが、プレッシャーはとんでもない。まっとうに考えれば考えるほど、彼女の両肩には家族だけでなく国だけでなく人間界が乗っているのだと理解出来てしまったからだ。彼女の父親は、国でも人気がある古くからの家門の長だし、国王からの信頼も厚い。彼は自分の娘たちに魔界召集のことを正しく教え、当然「ないに越したことがないし、それを祈るが」と何度も言いつつも、万が一その時が来たら生きるために精一杯のことをしなさいと言い含めていた。良くも悪くもそれが、リーエンにプレッシャーを与えることになると、彼自身思ってもいなかっただろうが。
「でも、なんだか、文字はどうにかなりそう……」
リーエンにとって、それは相当ありがたい。昨日コーバスから教えてもらった自分の名前もアルフレドの名前も、今日の授業で完璧に書けるようになったし、何よりも彼女にとって「覚えやすい」形をしている。ただ、形を覚えてもそれぞれの発音や意味を覚えるのはまだまだだが。
何より、38文字中22文字の形を1日で覚えたリーエンを、コーバスは「こんなに早く覚える者はあまりいない」と心から賞賛をした。この先リーエンは地図にあれこれと「絵で書き込む」ことで独特な覚え方をして更にコーバスを驚かせつつ、計算が不得意であることも逆の意味で驚かせることになるのだが、それはまだまだ先の話だ。
要するに、彼女は得意不得意がはっきりしていて、その得意分野が令嬢としてどう役に立っていたのかというと、各家の家紋を覚え、人の顔を覚え、ドレス等服飾の形をすぐに覚える……などと社交界でかなり有効な力のはずだった。だが、悲しいことに彼女は名前を覚えるのはあまり得意ではなかったので、家族にも「あと一歩」といつも言われていたのだ。
そして、これは魔界でも思いもよらない部分に活かされて更に人々を驚かせる。
「あら。今日は昨日と違うアイボールさんなのね。今日はよろしくお願いします」
気分転換に少し居住エリアを散歩しようとアイボールを呼んだリーエンがそう言うと、護衛騎士は驚きの声をあげた。
「リーエン様、アイボール族の見分けがつくのですか……?」
「え?」
「昨日のカルベンタと今日のマールテンの差がわかるのですか」
「みなさんもお分かりだから、お名前を今おっしゃっているのでは?」
「いえ、いえ、我らは魔力で見分けたり、アイボールからの念話で名乗りをもらっているので……」
「まあ……だって、昨日の、なんでしたっけ? その、カル……なんとかさんは、この辺りの色がもう少し赤っぽいベージュでしたけど、今日のマールさんはどちらかというとグレイがかった、青みが強い感じがしますし、まんまるの球体かと最初は思っていましたが、まんまるではないんですね」
「「……??」」
護衛騎士の2人はじっとアイボールを見るが、どうにも違いがわからない。アイボールがキュルキュルと回転をすれば「ほら。回転すると余計色が違うのが気になりません?」と言われて、更にわからない。
どうやら、リーエンは形と色、いわゆる目で見た映像記憶が強い人間らしかった。おかげで、魔族でも見分けがつきにくい魔族もきちんと見分けがつき、これがのちのち「魔王様の奥方にはいい加減なことをするとすぐバレる」と噂になり、人間を馬鹿にする魔族にも「あの方はどうも違うようだ」と思わせることになり、アルフレドの目が確かだとかなんだとか言われるようになる。
残念なのは、前述のとおり見分けはつくが名前を覚えるのが不得意なので「わかっているのに呼べません!」と困ることも多く、それがまた人々の笑いを誘うようになるのだが、これは、あくまでも余談である。
「……あ、そうです。そうでした。わたし、思いついたのです!」
「?」
「わたし、魔界の文字を今勉強しているところで……みなさんのお名前を書いていただけると嬉しいです。それを見て勉強をしますから。あの、可能でしたら一族のお名前もご一緒にお願いしてもよろしいでしょうか?」
リーエンはバタバタとペンと紙を取り出した。話を聞けば、アイボール族は念話が優れていることと、アイボールの中でも多くの種族がいてペンを持つための触手がないものもいるため識字率が相当に低いらしい。なので、カルベンタとマールテンの名前は代わりに護衛騎士に書いてもらうことになった。
「ありがとうございます!」
思い付きだったが、リーエンは文字を見て、本人たちを見て、また文字を見て本人達を見る。
「これなら、覚えられそうな気がします……!」
耳から入った名前を覚えることが苦手なリーエンにとって、人と文字を組み合わせる作戦はかなり相性が良いようだった。
顔を見れば、書いてもらって文字を思い出す。文字を思い出せば名前がわかる。社交界ではこんな方法はさすがに使えなかったが、少なくとも今はそれが出来る。
(社交界でもパーティー参加者名簿があればお役に立てていたものね)
そんなこんなでリーエンは自分なりの解決法を見つけだし、それは彼女にとって僅かであったがこの生活を快適に変えるきっかけにもなった。何よりも、何一つわからない世界のことを知って、今から40日弱でその世界のトップに立つ魔王の妻になるなんて途方もない。その途方もないことに立ち向かうには、僅かなことでも「少しは通用する」ことを手に入れなければ。悲しんでいる暇なんてないのだ……リーエンは彼らから書いてもらった文字を見て、自分を奮い立たそうとした。
アルフレドは引き続き多忙で、最初に約束をしたティータイムすら共に過ごせず3日が経過した。一昨日の夜、リーエンが1人で夕食を食べている時にやってきてほんの少し会話をしたものの、そこからすぐにまた彼は執務に戻ると言っていた。リーエンはしみじみと「魔王様ってお忙しいのね」と思うばかりだ。
思いのほかアルフレドと会えないため、コーバスに「アルフレド様はいつもこんなにお忙しいのですか」と聞いてみた。どうやら、魔界と親密な関係にある妖精界が現在存続の危機に晒されていて、その援助をしたり、共存してきた冥界がここ最近何度か魔界に侵攻してきてそれの後処理だとかなんだとかで忙しいのだと言う。その上、そんな状況で魔界召集が発生したせいで高位魔族当主が子作りに精をだしているため、彼らに頼みたい仕事があっても、出来る限り全部自分でなんでもやろうとしているのだろう、ということだ。
それらの話はやっぱりリーエンには理解が出来ない。理解が出来ないが、とにかくアルフレドは魔界の王でありつつも、妖精界だとか他の世界の事情にも首を突っ込まざるを得ない立場で、なんだかわからないが忙しい……ということはわかった。
ここまで会えないと「もしかして自分のことを嫌いなのでは」やら「夜伽に前向きではないから愛想を尽かされたのだろうか」等とも考えてしまうが、もしそうだとしても、自分はきっと彼の後継者を後々産んで、愛されなくても王妃にならなければいけないのだとわかっている。とにかく、自分はもっと勉強をして、40日後の結婚式前の巡礼をつつがなく終えなければいけないし、悩んでも無意味だと思う。
(そもそも愛想が尽きるも何も……アルフレド様がわたしをどう思っていらっしゃるのかはなんだかよくわからないし……)
それでも、嫌われたくはない。それは「誰にでも嫌われたくない」という気持ちではない。自分の伴侶となる彼のことは少なくもリーエンは嫌いではないし――そもそも好き嫌いを明確に判断出来るほど彼をまだ知らないのだ――どうせならお互い好意的に過ごしたいではないか。
(とは言っても、わたしが夜伽を一方的に拒んでしまっていることは事実だし……)
せめて、もう少しアルフレド様とお会い出来れば。いや、薄々リーエンは気付いていた。覚悟が決まらないのは自分の責任なのに、アルフレドに責任転嫁をするようなことを口にした自分は愚かだ。政略結婚のような形であっても、選ばれてこれほどの地位の人物に嫁ぐとなれば、後継者を作るのは貴族の子女としての責務の一つでもあるのだし、それを彼が急いでないからといって簡単に拒んで良いものではないはずだ……と。
(ほんのちょっと、恥ずかしくて、怖くて、驚いただけよ……は、初めてじゃないと思えば、次は、少しはもう少し……きっと、大丈夫……)
何度もそう言い聞かせているのに、どうしてもまだ怖い。また彼に蔑まれるように嘲笑われながら、いやらしい女だと言われながら翻弄されるのかと思うと、どうしても受け入れられない。
(アルフレド様のことを良く知ったからといって、夜伽で態度が変わるかどうかなんてわからないもの。ただ、わたしの覚悟が出来ていないだけだわ)
どうにもならないことを悩んでいても、時間はどんどん過ぎていく。今、自分に必要なのことはここで生きていくための力をつけることだし、アルフレドを失望させないことだ。夜伽を拒んでいる時点で自分の努力は足りていないのだから、せめて他のことは期待に応えられるようにならなければ、と思う。だが、考えれば考えるほど、自分は彼を失望させてしまうのでは、と不安が大きくなっていく。
――俺は、自らお前を選んで、ティータイムはお前とだけ過ごそうとして、お前に怒りを向けないことを約束して、まだセックスをしたくないというお前の要望を尊重して、お前にタルトを渡すような男だ。お前が今日知った俺のことで大事なことはそれだけだ――
「あ……」
――他のことは大した意味がない。お前は俺を恐れることはない。この魔界で俺を恐れなくて良いのはお前だけだ。それを覚えておけ――
今考えると、あまりにも過分な言葉だ。
コーバスから、どうして今アルフレドが忙しいのかを聞いて、余計そう思う。よくわからないが彼は圧倒的な力を持っている。権力という意味でも、リーエンがよくわからない魔力という意味でも。そんな人物が「俺を恐れなくて良いのはお前だけだ」と自分に言ってくれた。とんでもないことだと、理解が後から追いついてきた。そして、それは喜びではなくリーエンに息苦しさをもたらす。
どうしてわたしなんだろう。一目惚れと言っていたけれど、どうしてもそうとは思えない。誰でも良かったのではなかろうか。自分でなくたって選んだ女性誰に対しても同じことを言ったのではなかろうか。いや、そうとしか思えない。だって、自分はそんな風に優遇されるような何かがある人間ではない。
「……むう……」
(駄目駄目。だって、知らなすぎるんだもの。知らなすぎるのに、自分のものさしだけで計っても、絶対正しく考えられない。もともと、そんなにわたしって賢いわけじゃないし)
リーエンはぎゅっと拳を握りしめて立ち上がった。1人でぼうっとする時間を作ってしまうから、悩んでしまうのだ。どっちにしてもやるべきことは山ほどあるのだし、くたくたになるまで毎日頑張っていれば、少しずついろんなことが見えて来るだろう。そう自分を励まして、部屋の扉を開け、通路に立っている護衛騎士に声をかけた。
「図書室で自習をしたいので、アイボールさんを呼んでいただけますか」
「かしこまりました」
護衛騎士がアイボールを呼ぶ術式を起動している間に、リーエンは軽く髪を後ろに束ねて「よしっ」と気合を入れた。
昨晩はどうしようもなくボロボロ泣き続け、寝る寸前まで悲しくて悲しくて、人間界に帰りたくなって苦しい夜を過ごしたが、泣いていても仕方ない、と今朝はもう前向きになっていた。
うじうじしていたって、自分が魔王の妻として認められなければ、もしかしたら殺されてしまうかもしれない。まだその懸念はリーエンにはあったし、彼女はまっとうで「こんな目にあうなら死んだ方がまし」と渦中の悲劇のヒロインのようになる才能はあまりない。
むしろ、正しく貴族令嬢として育てられた彼女は「わたしが励まなければ人間界のお父様達にご迷惑をおかけするかもしれない。遠い異国の地に嫁いだと思えば会えなくても便りのやりとりが出来なくとも、自分は励むしかないのだ」と自分を鼓舞して朝食もぺろりと平らげた。
だが、プレッシャーはとんでもない。まっとうに考えれば考えるほど、彼女の両肩には家族だけでなく国だけでなく人間界が乗っているのだと理解出来てしまったからだ。彼女の父親は、国でも人気がある古くからの家門の長だし、国王からの信頼も厚い。彼は自分の娘たちに魔界召集のことを正しく教え、当然「ないに越したことがないし、それを祈るが」と何度も言いつつも、万が一その時が来たら生きるために精一杯のことをしなさいと言い含めていた。良くも悪くもそれが、リーエンにプレッシャーを与えることになると、彼自身思ってもいなかっただろうが。
「でも、なんだか、文字はどうにかなりそう……」
リーエンにとって、それは相当ありがたい。昨日コーバスから教えてもらった自分の名前もアルフレドの名前も、今日の授業で完璧に書けるようになったし、何よりも彼女にとって「覚えやすい」形をしている。ただ、形を覚えてもそれぞれの発音や意味を覚えるのはまだまだだが。
何より、38文字中22文字の形を1日で覚えたリーエンを、コーバスは「こんなに早く覚える者はあまりいない」と心から賞賛をした。この先リーエンは地図にあれこれと「絵で書き込む」ことで独特な覚え方をして更にコーバスを驚かせつつ、計算が不得意であることも逆の意味で驚かせることになるのだが、それはまだまだ先の話だ。
要するに、彼女は得意不得意がはっきりしていて、その得意分野が令嬢としてどう役に立っていたのかというと、各家の家紋を覚え、人の顔を覚え、ドレス等服飾の形をすぐに覚える……などと社交界でかなり有効な力のはずだった。だが、悲しいことに彼女は名前を覚えるのはあまり得意ではなかったので、家族にも「あと一歩」といつも言われていたのだ。
そして、これは魔界でも思いもよらない部分に活かされて更に人々を驚かせる。
「あら。今日は昨日と違うアイボールさんなのね。今日はよろしくお願いします」
気分転換に少し居住エリアを散歩しようとアイボールを呼んだリーエンがそう言うと、護衛騎士は驚きの声をあげた。
「リーエン様、アイボール族の見分けがつくのですか……?」
「え?」
「昨日のカルベンタと今日のマールテンの差がわかるのですか」
「みなさんもお分かりだから、お名前を今おっしゃっているのでは?」
「いえ、いえ、我らは魔力で見分けたり、アイボールからの念話で名乗りをもらっているので……」
「まあ……だって、昨日の、なんでしたっけ? その、カル……なんとかさんは、この辺りの色がもう少し赤っぽいベージュでしたけど、今日のマールさんはどちらかというとグレイがかった、青みが強い感じがしますし、まんまるの球体かと最初は思っていましたが、まんまるではないんですね」
「「……??」」
護衛騎士の2人はじっとアイボールを見るが、どうにも違いがわからない。アイボールがキュルキュルと回転をすれば「ほら。回転すると余計色が違うのが気になりません?」と言われて、更にわからない。
どうやら、リーエンは形と色、いわゆる目で見た映像記憶が強い人間らしかった。おかげで、魔族でも見分けがつきにくい魔族もきちんと見分けがつき、これがのちのち「魔王様の奥方にはいい加減なことをするとすぐバレる」と噂になり、人間を馬鹿にする魔族にも「あの方はどうも違うようだ」と思わせることになり、アルフレドの目が確かだとかなんだとか言われるようになる。
残念なのは、前述のとおり見分けはつくが名前を覚えるのが不得意なので「わかっているのに呼べません!」と困ることも多く、それがまた人々の笑いを誘うようになるのだが、これは、あくまでも余談である。
「……あ、そうです。そうでした。わたし、思いついたのです!」
「?」
「わたし、魔界の文字を今勉強しているところで……みなさんのお名前を書いていただけると嬉しいです。それを見て勉強をしますから。あの、可能でしたら一族のお名前もご一緒にお願いしてもよろしいでしょうか?」
リーエンはバタバタとペンと紙を取り出した。話を聞けば、アイボール族は念話が優れていることと、アイボールの中でも多くの種族がいてペンを持つための触手がないものもいるため識字率が相当に低いらしい。なので、カルベンタとマールテンの名前は代わりに護衛騎士に書いてもらうことになった。
「ありがとうございます!」
思い付きだったが、リーエンは文字を見て、本人たちを見て、また文字を見て本人達を見る。
「これなら、覚えられそうな気がします……!」
耳から入った名前を覚えることが苦手なリーエンにとって、人と文字を組み合わせる作戦はかなり相性が良いようだった。
顔を見れば、書いてもらって文字を思い出す。文字を思い出せば名前がわかる。社交界ではこんな方法はさすがに使えなかったが、少なくとも今はそれが出来る。
(社交界でもパーティー参加者名簿があればお役に立てていたものね)
そんなこんなでリーエンは自分なりの解決法を見つけだし、それは彼女にとって僅かであったがこの生活を快適に変えるきっかけにもなった。何よりも、何一つわからない世界のことを知って、今から40日弱でその世界のトップに立つ魔王の妻になるなんて途方もない。その途方もないことに立ち向かうには、僅かなことでも「少しは通用する」ことを手に入れなければ。悲しんでいる暇なんてないのだ……リーエンは彼らから書いてもらった文字を見て、自分を奮い立たそうとした。
アルフレドは引き続き多忙で、最初に約束をしたティータイムすら共に過ごせず3日が経過した。一昨日の夜、リーエンが1人で夕食を食べている時にやってきてほんの少し会話をしたものの、そこからすぐにまた彼は執務に戻ると言っていた。リーエンはしみじみと「魔王様ってお忙しいのね」と思うばかりだ。
思いのほかアルフレドと会えないため、コーバスに「アルフレド様はいつもこんなにお忙しいのですか」と聞いてみた。どうやら、魔界と親密な関係にある妖精界が現在存続の危機に晒されていて、その援助をしたり、共存してきた冥界がここ最近何度か魔界に侵攻してきてそれの後処理だとかなんだとかで忙しいのだと言う。その上、そんな状況で魔界召集が発生したせいで高位魔族当主が子作りに精をだしているため、彼らに頼みたい仕事があっても、出来る限り全部自分でなんでもやろうとしているのだろう、ということだ。
それらの話はやっぱりリーエンには理解が出来ない。理解が出来ないが、とにかくアルフレドは魔界の王でありつつも、妖精界だとか他の世界の事情にも首を突っ込まざるを得ない立場で、なんだかわからないが忙しい……ということはわかった。
ここまで会えないと「もしかして自分のことを嫌いなのでは」やら「夜伽に前向きではないから愛想を尽かされたのだろうか」等とも考えてしまうが、もしそうだとしても、自分はきっと彼の後継者を後々産んで、愛されなくても王妃にならなければいけないのだとわかっている。とにかく、自分はもっと勉強をして、40日後の結婚式前の巡礼をつつがなく終えなければいけないし、悩んでも無意味だと思う。
(そもそも愛想が尽きるも何も……アルフレド様がわたしをどう思っていらっしゃるのかはなんだかよくわからないし……)
それでも、嫌われたくはない。それは「誰にでも嫌われたくない」という気持ちではない。自分の伴侶となる彼のことは少なくもリーエンは嫌いではないし――そもそも好き嫌いを明確に判断出来るほど彼をまだ知らないのだ――どうせならお互い好意的に過ごしたいではないか。
(とは言っても、わたしが夜伽を一方的に拒んでしまっていることは事実だし……)
せめて、もう少しアルフレド様とお会い出来れば。いや、薄々リーエンは気付いていた。覚悟が決まらないのは自分の責任なのに、アルフレドに責任転嫁をするようなことを口にした自分は愚かだ。政略結婚のような形であっても、選ばれてこれほどの地位の人物に嫁ぐとなれば、後継者を作るのは貴族の子女としての責務の一つでもあるのだし、それを彼が急いでないからといって簡単に拒んで良いものではないはずだ……と。
(ほんのちょっと、恥ずかしくて、怖くて、驚いただけよ……は、初めてじゃないと思えば、次は、少しはもう少し……きっと、大丈夫……)
何度もそう言い聞かせているのに、どうしてもまだ怖い。また彼に蔑まれるように嘲笑われながら、いやらしい女だと言われながら翻弄されるのかと思うと、どうしても受け入れられない。
(アルフレド様のことを良く知ったからといって、夜伽で態度が変わるかどうかなんてわからないもの。ただ、わたしの覚悟が出来ていないだけだわ)
どうにもならないことを悩んでいても、時間はどんどん過ぎていく。今、自分に必要なのことはここで生きていくための力をつけることだし、アルフレドを失望させないことだ。夜伽を拒んでいる時点で自分の努力は足りていないのだから、せめて他のことは期待に応えられるようにならなければ、と思う。だが、考えれば考えるほど、自分は彼を失望させてしまうのでは、と不安が大きくなっていく。
――俺は、自らお前を選んで、ティータイムはお前とだけ過ごそうとして、お前に怒りを向けないことを約束して、まだセックスをしたくないというお前の要望を尊重して、お前にタルトを渡すような男だ。お前が今日知った俺のことで大事なことはそれだけだ――
「あ……」
――他のことは大した意味がない。お前は俺を恐れることはない。この魔界で俺を恐れなくて良いのはお前だけだ。それを覚えておけ――
今考えると、あまりにも過分な言葉だ。
コーバスから、どうして今アルフレドが忙しいのかを聞いて、余計そう思う。よくわからないが彼は圧倒的な力を持っている。権力という意味でも、リーエンがよくわからない魔力という意味でも。そんな人物が「俺を恐れなくて良いのはお前だけだ」と自分に言ってくれた。とんでもないことだと、理解が後から追いついてきた。そして、それは喜びではなくリーエンに息苦しさをもたらす。
どうしてわたしなんだろう。一目惚れと言っていたけれど、どうしてもそうとは思えない。誰でも良かったのではなかろうか。自分でなくたって選んだ女性誰に対しても同じことを言ったのではなかろうか。いや、そうとしか思えない。だって、自分はそんな風に優遇されるような何かがある人間ではない。
「……むう……」
(駄目駄目。だって、知らなすぎるんだもの。知らなすぎるのに、自分のものさしだけで計っても、絶対正しく考えられない。もともと、そんなにわたしって賢いわけじゃないし)
リーエンはぎゅっと拳を握りしめて立ち上がった。1人でぼうっとする時間を作ってしまうから、悩んでしまうのだ。どっちにしてもやるべきことは山ほどあるのだし、くたくたになるまで毎日頑張っていれば、少しずついろんなことが見えて来るだろう。そう自分を励まして、部屋の扉を開け、通路に立っている護衛騎士に声をかけた。
「図書室で自習をしたいので、アイボールさんを呼んでいただけますか」
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