溺愛魔王は優しく抱けない

今泉 香耶

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図書室にて

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 リーエンが利用している図書室は、彼女以外の利用者がほぼいない。壁にぐるりと書架が並んでおり、部屋の中央にはおよそ15名ほどが使えそうな机を椅子が置いてある。2か所の階段から上がれる2階と3階のフロアは書架がぎっしりと並んでいる。リーエンは1階の隅の席をなんとなく気に入り、自分の定位置にしていた。

 勉強を始めて半刻過ぎた頃。熱中しているリーエンの視界にちらちらと陰が映り込む。いつもは少し離れた場所に待機しているだけのアイボールが、リーエンの周りをぐるぐると回っていたのだ。

「どうなさったんですか、アイボールさん……」

 今日まで出会ったアイボールは全員日替わりで4体目。やはり名前が覚えきれなくて、最初に護衛騎士に言われたように「アイボールさん」と呼ぶことにしてしまった。リーエンが顔をあげると、誰も来ないと言われていたはずの図書室に人影が。

「あっ……アルフレド様……?」

 紛れもなくアルフレドが1人でリーエンに近付いて来る。今まで、予定外の時に会ったことがなかったので心の準備が出来ていなかったのだが、こうやって出会うとまず最初に思うのは「ああ、今日も素敵だ」なんて俗っぽいことだ。勿論それを口に出すことは出来ないが、見るたびに本当に自分が彼の妻になって良いのかと疑心暗鬼になるぐらい彼の顔は整っている。

「ああ、勉強をしていたのか。邪魔をして申し訳ないな。欲しい資料がここにあって」

 慌ててリーエンが立ち上がると「いい、座れ」と彼は柔らかい声音で言いながら彼女の肩を軽く叩いた。

「では失礼いたします……」

 すとん、と椅子に座り直すリーエン。アルフレドは紙の切れ端をアイボールに差し出して「これを探して来い」と依頼をして、体よく追っ払った。

「自習の時間か」

「そうです」

 アルフレドはちらりとリーエンの手元の資料に目を落とす。

「だいぶ文字を覚えたようだな」

「文字そのものは覚えましたが、表記のルールや文法はまだまだで……」

「それでも、進みが早いとコーバスが褒めていた。無理のない程度にほどほどに、だが、巡礼に間に合うようには頑張ってくれ。こちらの勝手で申し訳ないが」

「いいえ。わたしの務めですから」

 リーエンがそう言って微笑むと、アルフレドは軽くぽんぽんとリーエンの頭を軽く叩いた。一体何をされているのか、ときょとんと彼を見上げると

「いや、違うな? 褒める時はこうではないか……こうか? 髪が乱れぬようにするのは難しいものだな」

 叩いたアルフレド自身怪訝そうな顔をして、やり直すようにリーエンの頭を撫でる。なるほど、褒めようとしていたのか……そう思いながらなされるがままにしていたリーエンは、なんとなく子ども扱いされているように思え、気恥ずかしさに頬を赤らめた。

「地図も見ているのか」

「はい。各一族の領地の位置を知った方が良いとお伺いして。でも、まだ高位魔族の名前は覚えきれなくて……土地の形を覚える方が楽なぐらいです」

「ああ、地図は得意だったな」

「……はい……?」

 そんな話をしたことがあったかとリーエンは不思議そうな表情でアルフレドを見る。しまった、迂闊に口走ってしまった、とアルフレドは「コーバスにそう聞いた」と取り繕った。どうやらそれが吉と出たようで

「あっ、そうですよね。コーバス先生には、地図が得意な令嬢は人間界にもそういないだろうと言われて褒めていただきました」

と、なんとかやり過ごすことが出来た。

「結婚式前にわたしが回る場所は、結構バラバラで遠いのだとお伺いしました」

 手元の地図に既に5か所の印がついている。魔界のあちこちに散らばっていて、すべての場所を回るにはとんでもなく時間がかかるように見える。だが、アルフレドは笑って

「大丈夫だ。それぞれの近くに転移するためのゲートがあるからな」

「あっ、それはお伺いしていませんでした」

「そうか。我々にとっては当たり前のことすぎて、話す必要をコーバスが感じていなかったのかもしれないな。それぞれの場所で何が行われているのかは、歴代の魔王妃しかわからないが、人間だろうが魔族だろうがとりたててトラブルが起きたことはない。ただ、魔王妃候補としてそれぞれの場所に置いてある石碑を読んで「王妃になる宣誓」をするため、文字は読めるようになってもらわないといけない」

 そのことはコーバスからも聞いていたが、何が行われているのかを歴代の王妃以外は知らないとは聞いていなかった。アルフレドならばきっと知っていると思っていたのに……とリーエンは少しばかり不安になる。

「魔王妃候補しか入れない決まりになっているので詳しくはわからないのだが……石碑の文字を音読することで、お前の声帯を最初に登録するのだと思う。そして、その先で何かしらの身体走査をされて、眷属としての登録がなされるのだろう。推測なのだが。王妃となる者は当然俺の眷属ではないし、特に人間は魔力がないため、何かしらのはっきりとした身分の保証が必要だ。転移ゲートの利用を短期間に何度も許可され、各地で登録が出来るのは魔王妃候補だけだからな。誰かが真似をしようとしても出来ない」

「そうなんですか」

 転移ゲートとやらも、それに関すること全てがまったくリーエンには予想もつかないので、曖昧な相槌をうつだけだ。

「魔王城だけで簡単にすまそうとすれば、何かの横やりで他の魔族が『それ』をするためにあれこれ策を講じるかもしれないしな。とはいえ、そう不安になることもない。行って、石碑の文言を読んで、そこで何かが起きるので起きるがままのものを見て、帰って来るだけだ」

「コーバス先生からは、昔は魔石に魔力を集める儀式を兼ねていたとお伺いしました」

「ああ、そうだな」

 それは、先日アルフレドとヴィンスが話していた、妖精界との契約を履行するためのものだ。遠い昔は魔王妃候補の巡礼と同時に、魔王妃候補がその時に持っていく指輪に魔界の特殊な魔力が宿り、それを妖精界にのちのち渡すことで魔王妃として認められたのだとリーエンは聞いていた。

「何代も前からその指輪に魔力を注入することが出来なくなったので、今回もそうなるだろう。それでも、しきたりなのでお前にその指輪は持って行ってもらうし、魔王妃としての資格を得るのはそれとはまた別のことだから問題ない」

「それは、出来なくても大丈夫なことなのですか? その、そもそも、人間であるわたしにはもとから出来ないことなのでは?」

 実際は大丈夫ではないが、ここで説明をしても仕方がない、とアルフレドは「俺の魔力で肩代わりしているから大丈夫だ」と雑な返事をした。

「妖精界に魔石を渡すのは魔界召集が始まる前からあった契約で、もともとは確かに魔族の女性の役目だった。いや、本当に、魔王妃という存在が課されることで……魔王妃候補がやる、ということが重要視されるものでな。魔界召集が発生することになってから、人間の女性でもそれが可能になるように仕組みを作り替えたはずなんだ。集められなくなったのはそれより更に後のことなので、人間の女性だから、という理由ではないと思う」

「そうなのですか……」

「魔石は妖精界独自のものなので、俺達が魔力量を確認することが出来ないから、儀式が終わったら俺が妖精界に魔石を渡して、まあ……がっかりされて帰って来るだけだ。それにお前は付き合うことはないし、安心しろ」

 持っていくのは魔王なのに、儀式をするのは魔王妃候補というのも不思議なものだ、とリーエンは思う。

 どうして魔王妃候補がやらなければいけないんだろう? という当然の疑問がリーエンに残ったが、聞こうと口を開く前にアルフレドの目線が遠くなったことに気付き、それを追いかけてしまう。

「ああ、戻って来たな。リーエン、初めてだろう? 見ろ」

「あっ」

 アルフレドの視線の先には、アイボールがふよふよと戻って来る姿があった。が、普段の形状と違うため、リーエンは驚いて目を見開いた。いつもはただの球体が浮いているだけに見えていたが、資料を運ぶため内側に収納している触手を外に出したのだろう。

「小さい一族は後ろの下側から触手を出して、こんな形になる」

「まあ。物をきちんと運べるんですね」

 アイボールはアルフレドに資料を渡すと、ぐるりと回転をして瞬く間に触手を収納して普段の姿に戻る。

「大丈夫か。気持ち悪い、などと思わないか?」

「いいえ! わたし、あの、見たことあります。図鑑で……こういう、足が沢山、長く生えて……わたしの国にはありませんが、海? 海にいる生き物で、こういう……」

「……ああ、海月か」

「海月と言うのですね。そう。アイボールさんはそれみたいですね」

「そうか……? いや、お前がそう思うならそれでいいか」

 アルフレドは何故か「はは」と小さく笑う。彼からすれば、アイボールと海月はまったく似ているとは思えない。が、人間や愛玩動物以外をほとんど見たことがないリーエンが恐れず、知らないものを精一杯の知識で受け止める様子は悪くない。

「邪魔をしたな。あまり無理をし過ぎないように。今日は忙しいが、明日は時間が取れると思う。俺は夕方よりも昼に近い時間がありがたいので、お前が大丈夫なら普段の昼食の一刻後ぐらいに会えたら助かるんだが」

「まあ! わかりました。明日はコーバス先生はお休みですから、朝と昼のお食事を合わせて時間をずらせていただくようにしておきますね」

「そうしてくれるとありがたい」

「楽しみにしています」

「うん。では、また明日」

 アルフレドはそう言ってすぐにリーエンに背を向け、図書室から去っていく。さすがに見送りぐらいは、と立ったリーエンは、扉が閉まると共にすとんと椅子に座り直し、背もたれに体重をかけた。

「あれだけ素敵な方に突然会うと緊張してしまうわ……もう少し会えたらと思っていたから嬉しいは嬉しかったけれど……」

 リーエンは別段面食いというわけではないが、アルフレドの顔が整っていることは事実だし、素直に「かっこいい」と思ってしまう。社交界でよく噂になっていた美男子達の顔を思い出しても、アルフレドほど整っている人間はそう多くない。

「どうしましょう。勉強もしなければいけないけれど、その、もしかしたら他にやるべきことが……今までそんなことを自分で思ったことはなかったけれど……もっと、美人に……なろうとしてなれたら苦労はないのだけれど……なった方が良いのかしら? ねえ、アイボールさん、どう思う?」

 何の話をしているのかよくわからない、とばかりにアイボールは返答不能を表す8の字を宙で描く。

「どうしましょう」

 リーエンはもう一度そう呟いたが、どうしようもない。どうしようもないので、とりあえず明日の予習をしなければ、と軽く背伸びをして再び資料に目を落とす。だが、明日のティータイムが少し不安だけれど楽しみだ、とそわそわしてしまい、あまりそこから集中することが出来なくなってしまった。
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