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コーバス先生の授業~魔界召集の始まり~
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翌日アルフレドは再びリーエンの見舞いに足を運んだ。だが、彼が執務をやりくりしてとれたその時間にリーエンは眠っていたため、残念ながら話をすることは出来なかった。
その翌日にはリーエンは回復してすっかり元気になった。今度は彼女が「アルフレド様に御礼とお詫びとご報告をしなければ……」と目覚めた瞬間から思っていたのだが、どうにもまた予定が噛み合わない。
今日は魔王城の特殊なエリアで長い会議が行われるらしく、以前「何かあったら執務室へ」と彼に言われていたものの、それすら今日は出来ないと女中から聞かされたリーエン。仕方がないので今日彼と会うことは諦める。念話や使用人の言伝で、彼女が元気になったことは間違いなく伝わるようなので、また明日にしようと思う。
久しぶりに授業にやってきたコーバスには、開口一番「あまり根を詰めないように」と言われてしまい、リーエンは何も言い返すことも出来ない。彼はリーエンの勉強の進捗が良いことを伝え、だからあまり無理をしないようにと助言をする。
(とはいえ、自分にとって未知の勉学はどうしてもやりすぎるか足りないかの二極になってしまうものだしな)
魔界の言語と人間界の公用語は話しことばは同じなのに、書き文字にすると表記ルールがまったく違う。特殊な順序で書かれる魔界独自の「書き文字の文法」はコツをつかむまではいささか難解だ。人間が最初に苦戦するその部分をリーエンもまた苦戦していて、かなり早くに根を詰めそうになっていたことも覚えている。だだ、今となっては「そんなこともありましたね」ぐらいに彼女はちょっとだけ時間がかかるパズルを解くように、早くはなくとも読めるようになった。
倒れて授業を休んだ焦りもあるだろうが、今はそれぐらいで彼女は困らないとコーバスは判断している。それを彼女自身にわからせるため、あえて今日は授業を止めて、魔界についてのあれこれを話そうと提案をした。実際、リーエンにとって歓談の時間は必要で、アルフレドや女中や護衛騎士からでは足りない、勉強とも違う知識をリーエンに与えられるのはコーバスだけと言っても過言ではないのだ。
コーバスは、先日彼女のもとに来たダリルという魔族の話を出して「あの者はアルフレド様の幼馴染なので……」等、アルフレドの人間関係や高位魔族の話、まだリーエンが知らない魔界の慣習など、広範囲でリーエンが興味をそそられる話をした。
「コーバス先生、教えていただきたいことがあるのですが」
「なんですか?」
「先日、アルフレド様から巡礼についてお伺いして……妖精界にお渡しするという魔石に魔力を入れる……込める……? ちょっとよくわからないんですが、それが相当前から出来なくなっていて、アルフレド様が代わりに魔力をお送りしているとお伺いして……」
「おや、そんな込み入った話もされたのですね。ええ、その通りです。アルフレド様が妖精界に魔力を貸し付けている話は知らない者も多いので、あまり口に出さない方が良いかと思いますが、あなたとここで接するような者達相手ならば問題ないでしょう」
「あっ、そうなのですね……気を付けます。それで……話がよくわからなくて。魔石を渡す理由などは、きっとわたしがお伺いしても理解出来ないのでしょうが……どうして、その、なんというか、儀式めいたことを……魔王妃候補がやらなければいけないんでしょうか」
「あー……」
コーバスは苦笑いを見せた。だが、眼鏡の奥の目は普通に笑っていたので、どう話したらいいかな、ぐらいの戸惑いの声なのだとリーエンは思う。
「もしかしたら、話を聞いたらリーエン様はお笑いになるかもしれませんよ」
「えっ?」
「……遠い昔、それはそれは強い力を持つ妖精界の女王がいらしたと言います。まるで、今のアルフレド様のように、唯一無二の力を持つ個体。その女王が、魔界の魔王に恋をしたのが全ての始まりです。その魔王は、あろうことか自分に恋心を抱いたその女王を政治的に利用をしたのです」
「まあ! なんて酷い! ……とわたしは思うのですが、魔族のみなさんの感覚としては、どうなんでしょう?」
「酷いと思いますよ。酷いからこそ、大問題に発展したわけです。彼に利用されたと気付いた女王が彼への恨みをつのらせて……これは、のちのちまたご説明しますが『冥界落ち』をしてしまい、妖精界は女王が不在になりました。のみならず、女王の強大な力を一瞬で失ったせいで妖精界という空間が歪み、ぼろぼろになってしまったそうです」
もう、この時点でリーエンには話がわからない。コーバスもリーエンが理解していないと彼女の表情で気付いていたが、彼女がわからないなりの補完をして話を一気に聞くことが出来るタイプだと既に知っているため、話を続けた。
「女王の恨みの矛先は当時の魔王妃に向けられ、呪いのようなものをかけられました。魔王妃が持っていた魔力をすべて抜き取って妖精界独自の魔石に注入し、自分の冥界落ちのせいでボロボロになった妖精界に還元をしたそうです。冥界落ちをした女王は今も冥界の奥深くで呪いと共に生き永らえ、魔王や魔王妃を恨み続けています。多分、アルフレド様が話していないのは、あなたが怖がると思ったからでしょうね」
「ずっと、生きていらっしゃる……?」
「はい。とはいえ、もう妖精でもなく、悪霊と化した状態ですし、冥界の奥は死者しか行くことが出来ないので、アルフレド様ほど力がある方でも倒しに行くことが不可能なのです」
「うーん……話が込み入っていますね」
リーエンは素直にそう言った。コーバスは「そうでしょうとも」と軽くうなずく。
「平たく言いますとね、嫉妬と怒りでとんでもないことをしたのは妖精界の女王ですが、やらかしの始まりは魔王なので、魔界が責任をとりやがれ、ということです」
「まあ! コーバス先生もそんな言葉遣いをなさるんですね」
「妖精界の代弁をしようとすれば、言葉も荒れるってなものですよ」
リーエンは「うふふ」と可愛らしく笑い声をあげた。コーバスは大層理知的な人物であったが、腕四本とそれを支える立派な体躯のせいか、案外とそういう言葉遣いも似合うと感じ、新たな一面発見をしたような気持ちになったからだ。
「ダメージを受けた妖精界を修復して存続し続けるには魔力が必要なのですが、女王が冥界落ちをして以来、妖精界には強い個体が生まれなくなりましてね……それは、冥界落ちした女王が『強い力をもってしまっては魔界に利用される』と信じて呪い続けているとも言われますが、本当かどうかは定かではありません。なんにせよ、魔界はずっとうちの王がやらかしてごめんなさい、と謝り続けるしかないんですよ」
「それと、魔王妃が儀式をしなければいけないのは……あっ、魔王妃の魔力を抜き取ったから……ですか?」
「はい。魔界が妖精界に魔力を渡す際に、それは魔王妃の魔力であることが重要になります。が、魔力を持って生まれた者の魔力を全て魔石に注入するなぞ、死ねと言っているようなものです」
そういうものなのか、とリーエンはぞっとする。
「それでは……その……最初に……呪い? を受けた魔王妃は……」
「その後に次期魔王を産みましたが、早くに死んだようですよ。魔力が枯渇した状態で生まれた子供が次期魔王になるほどの強さだったので、そこから、もしかしたら魔力がない女性に産ませた方が良いのではという推測が生まれ……」
リーエンは「あっ」と声をあげた。
「まさか……やがてそれが魔界召集に繋がって……?」
「ご明察。そういうことです」
「なんてこと……先生、わたし、とてもとても長い魔界の歴史のお話を今お伺いしているということなんですね?」
「そうですねぇ。こんな細かなことを聞いて来た魔王妃候補は、歴代でもあなたが初めてかもしれません」
「だ、だって……」
何かを失敗したら殺される可能性もあると思っていたので……なんてことを正直にコーバスに言って良いのかどうかリーエンは悩み、曖昧な笑みを返した。魔界の人々に良くしてもらっている反面、自分の立場を忘れてはいけないと常に考えているため、まだそこまで楽天的になれない。
「つつがなく隅々まで理解をしてことを行おうという姿勢は良いことですが、それが裏目になるとまた倒れますよ。きっと、そういう生真面目なところがあなたらしいところなのでしょうが」
「は、はい……気を付けます……」
「心配なさっているのでしょうが『魔王妃になるため』の儀式は確実に成功させていただければ、魔石については誰も特に気にはしないでしょう。ずっと失敗しているのですし」
そう言われれば気も楽になるが、可能ならば成功した方が良いのでは……とリーエンは微妙な表情を見せる。
「あなたが人間だから失敗するということではありません。『魔王妃となる人物が魔石に魔力を注ぐ』という行為を疑似的に発生させることで呪いを回避するのが目的なのでね。当人の魔力の有無は関係ないんです。儀式で石に注入されるのは、魔界の空気に含まれている魔力をかき集めたものだと言われていますし。魔王妃になる儀式と並行して行うことで『魔王妃が魔石に魔力を入れている』疑似行為に真実を付加している。ただそれだけです」
「疑似的……? 突然話が難しくなりました」
「そうですね。とにかく、魔石については失敗するのが当たり前だと思ってくだされば。リーエン様は変わらず石碑の文字を読めるようになってくださればいい。ただそれだけですよ」
「はい。わかりました」
それへは素直に頷く。コーバスの説明はこれでも相当にわかりやすいものなのだが、リーエンにとってはすべてがぼんやりとしていて捉えどころがない。ただ、魔界召集の始まりがどういうものだったのかを知れたのは彼女にとって収穫ではあった。だからといって、自分が魔界に転移させられたことに納得がいくわけではなかったけれど。
「コーバス先生、どうしてわたしが笑うと思われたんですか?」
「うん? 貴族のお嬢様達というのは、人の色恋沙汰は笑うものだと思っていましたので」
「まあ! そんなことありませんわ。女性の怒りがこんな大きな形で後世に影響を与えたと思えば笑う人もいるかもしれませんが、きっと、今でもその女王様は苦しんでいらっしゃるのでしょう……? 苦しんでいらっしゃらなければ、呪いのようなものはなくなるのでしょうし」
「なるほど。苦しんでいると。そんなことは考えたことはありませんでしたね。悪霊というものは、悪しき心だけがその霊体に宿ったまま生き続ける者と思われているので、そこには悪意しか残っていないと思っていましたし」
「本当のところはわかりませんが……わたしはどちらかというと、その魔王様の方が許せないので……いえ、どの世でも力がある者は独裁者になったり、利用される立場になったりと、何かしらを背負わされるものですが……」
コーバスはリーエンのその言葉を「おや」と内心驚きながら聞いていた。まただ。時折彼女は、いつもの少しぼんやりした様子に反して、はっきりとした貴族の矜持を語ったり、身にしみついた思想を口にする。それが、コーバスの目には「人の上に立つ者の妻」となるのに相応しい者として映り、アルフレドは良い魔王妃候補を見つけたな、と思わざるを得ないのだ。
「あっ、コーバス先生、わたし、思いつきました!」
「えっ、なんでしょう」
コーバスのそんな称賛なぞ知らないリーエンは、真剣に、しかし、少し明るい声で続けた。
「いっそのこと、魔石に集める儀式をやめたらどうでしょう!? だって、わたしは魔力を持っていないんですもの。呪いとやらが発動しても、抜き取る魔力がないんですから、それなら回避しようとする必要もないのでは……?」
これは名案では? とリーエンの表情が明るいので、コーバスはついに彼らしくなく声を出して笑ってしまう。
「リーエン様、それは、何の解決にもならないのでは?」
「あっ……!? た、確かに、言われてみればそうかもしれません……!」
リーエンはコーバスの指摘に、またまた頬を赤らめた。これではまるで「面倒くさいことや、どうせ失敗すると思われていることをただやりたくない」だけの発言ではないか。
「実際は、2つ同時に行われる儀式が分けられるものなのかどうかも誰も知らないので、儀式を止めるということが出来ないのが本当のところです。魔王妃候補しか入れない場所ですから、余程魔力があって術式解析能力がなければ、自分が何をして何を受けているのかも判断つかないでしょうし……はは、それにしても新しいですね。失敗するならやらなきゃいい、どうせ抜き取られる魔力はない……とは」
「き、聞かなかったことにしてください!」
あまりに安直な自分の発想を心底恥じてリーエンは懇願する。だが、当然コーバスはこの話をのちにアルフレドにしてしまうし、アルフレドはそれを聞いて「リーエンらしい」と朗らかに笑うことになるのだった。
その翌日にはリーエンは回復してすっかり元気になった。今度は彼女が「アルフレド様に御礼とお詫びとご報告をしなければ……」と目覚めた瞬間から思っていたのだが、どうにもまた予定が噛み合わない。
今日は魔王城の特殊なエリアで長い会議が行われるらしく、以前「何かあったら執務室へ」と彼に言われていたものの、それすら今日は出来ないと女中から聞かされたリーエン。仕方がないので今日彼と会うことは諦める。念話や使用人の言伝で、彼女が元気になったことは間違いなく伝わるようなので、また明日にしようと思う。
久しぶりに授業にやってきたコーバスには、開口一番「あまり根を詰めないように」と言われてしまい、リーエンは何も言い返すことも出来ない。彼はリーエンの勉強の進捗が良いことを伝え、だからあまり無理をしないようにと助言をする。
(とはいえ、自分にとって未知の勉学はどうしてもやりすぎるか足りないかの二極になってしまうものだしな)
魔界の言語と人間界の公用語は話しことばは同じなのに、書き文字にすると表記ルールがまったく違う。特殊な順序で書かれる魔界独自の「書き文字の文法」はコツをつかむまではいささか難解だ。人間が最初に苦戦するその部分をリーエンもまた苦戦していて、かなり早くに根を詰めそうになっていたことも覚えている。だだ、今となっては「そんなこともありましたね」ぐらいに彼女はちょっとだけ時間がかかるパズルを解くように、早くはなくとも読めるようになった。
倒れて授業を休んだ焦りもあるだろうが、今はそれぐらいで彼女は困らないとコーバスは判断している。それを彼女自身にわからせるため、あえて今日は授業を止めて、魔界についてのあれこれを話そうと提案をした。実際、リーエンにとって歓談の時間は必要で、アルフレドや女中や護衛騎士からでは足りない、勉強とも違う知識をリーエンに与えられるのはコーバスだけと言っても過言ではないのだ。
コーバスは、先日彼女のもとに来たダリルという魔族の話を出して「あの者はアルフレド様の幼馴染なので……」等、アルフレドの人間関係や高位魔族の話、まだリーエンが知らない魔界の慣習など、広範囲でリーエンが興味をそそられる話をした。
「コーバス先生、教えていただきたいことがあるのですが」
「なんですか?」
「先日、アルフレド様から巡礼についてお伺いして……妖精界にお渡しするという魔石に魔力を入れる……込める……? ちょっとよくわからないんですが、それが相当前から出来なくなっていて、アルフレド様が代わりに魔力をお送りしているとお伺いして……」
「おや、そんな込み入った話もされたのですね。ええ、その通りです。アルフレド様が妖精界に魔力を貸し付けている話は知らない者も多いので、あまり口に出さない方が良いかと思いますが、あなたとここで接するような者達相手ならば問題ないでしょう」
「あっ、そうなのですね……気を付けます。それで……話がよくわからなくて。魔石を渡す理由などは、きっとわたしがお伺いしても理解出来ないのでしょうが……どうして、その、なんというか、儀式めいたことを……魔王妃候補がやらなければいけないんでしょうか」
「あー……」
コーバスは苦笑いを見せた。だが、眼鏡の奥の目は普通に笑っていたので、どう話したらいいかな、ぐらいの戸惑いの声なのだとリーエンは思う。
「もしかしたら、話を聞いたらリーエン様はお笑いになるかもしれませんよ」
「えっ?」
「……遠い昔、それはそれは強い力を持つ妖精界の女王がいらしたと言います。まるで、今のアルフレド様のように、唯一無二の力を持つ個体。その女王が、魔界の魔王に恋をしたのが全ての始まりです。その魔王は、あろうことか自分に恋心を抱いたその女王を政治的に利用をしたのです」
「まあ! なんて酷い! ……とわたしは思うのですが、魔族のみなさんの感覚としては、どうなんでしょう?」
「酷いと思いますよ。酷いからこそ、大問題に発展したわけです。彼に利用されたと気付いた女王が彼への恨みをつのらせて……これは、のちのちまたご説明しますが『冥界落ち』をしてしまい、妖精界は女王が不在になりました。のみならず、女王の強大な力を一瞬で失ったせいで妖精界という空間が歪み、ぼろぼろになってしまったそうです」
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「女王の恨みの矛先は当時の魔王妃に向けられ、呪いのようなものをかけられました。魔王妃が持っていた魔力をすべて抜き取って妖精界独自の魔石に注入し、自分の冥界落ちのせいでボロボロになった妖精界に還元をしたそうです。冥界落ちをした女王は今も冥界の奥深くで呪いと共に生き永らえ、魔王や魔王妃を恨み続けています。多分、アルフレド様が話していないのは、あなたが怖がると思ったからでしょうね」
「ずっと、生きていらっしゃる……?」
「はい。とはいえ、もう妖精でもなく、悪霊と化した状態ですし、冥界の奥は死者しか行くことが出来ないので、アルフレド様ほど力がある方でも倒しに行くことが不可能なのです」
「うーん……話が込み入っていますね」
リーエンは素直にそう言った。コーバスは「そうでしょうとも」と軽くうなずく。
「平たく言いますとね、嫉妬と怒りでとんでもないことをしたのは妖精界の女王ですが、やらかしの始まりは魔王なので、魔界が責任をとりやがれ、ということです」
「まあ! コーバス先生もそんな言葉遣いをなさるんですね」
「妖精界の代弁をしようとすれば、言葉も荒れるってなものですよ」
リーエンは「うふふ」と可愛らしく笑い声をあげた。コーバスは大層理知的な人物であったが、腕四本とそれを支える立派な体躯のせいか、案外とそういう言葉遣いも似合うと感じ、新たな一面発見をしたような気持ちになったからだ。
「ダメージを受けた妖精界を修復して存続し続けるには魔力が必要なのですが、女王が冥界落ちをして以来、妖精界には強い個体が生まれなくなりましてね……それは、冥界落ちした女王が『強い力をもってしまっては魔界に利用される』と信じて呪い続けているとも言われますが、本当かどうかは定かではありません。なんにせよ、魔界はずっとうちの王がやらかしてごめんなさい、と謝り続けるしかないんですよ」
「それと、魔王妃が儀式をしなければいけないのは……あっ、魔王妃の魔力を抜き取ったから……ですか?」
「はい。魔界が妖精界に魔力を渡す際に、それは魔王妃の魔力であることが重要になります。が、魔力を持って生まれた者の魔力を全て魔石に注入するなぞ、死ねと言っているようなものです」
そういうものなのか、とリーエンはぞっとする。
「それでは……その……最初に……呪い? を受けた魔王妃は……」
「その後に次期魔王を産みましたが、早くに死んだようですよ。魔力が枯渇した状態で生まれた子供が次期魔王になるほどの強さだったので、そこから、もしかしたら魔力がない女性に産ませた方が良いのではという推測が生まれ……」
リーエンは「あっ」と声をあげた。
「まさか……やがてそれが魔界召集に繋がって……?」
「ご明察。そういうことです」
「なんてこと……先生、わたし、とてもとても長い魔界の歴史のお話を今お伺いしているということなんですね?」
「そうですねぇ。こんな細かなことを聞いて来た魔王妃候補は、歴代でもあなたが初めてかもしれません」
「だ、だって……」
何かを失敗したら殺される可能性もあると思っていたので……なんてことを正直にコーバスに言って良いのかどうかリーエンは悩み、曖昧な笑みを返した。魔界の人々に良くしてもらっている反面、自分の立場を忘れてはいけないと常に考えているため、まだそこまで楽天的になれない。
「つつがなく隅々まで理解をしてことを行おうという姿勢は良いことですが、それが裏目になるとまた倒れますよ。きっと、そういう生真面目なところがあなたらしいところなのでしょうが」
「は、はい……気を付けます……」
「心配なさっているのでしょうが『魔王妃になるため』の儀式は確実に成功させていただければ、魔石については誰も特に気にはしないでしょう。ずっと失敗しているのですし」
そう言われれば気も楽になるが、可能ならば成功した方が良いのでは……とリーエンは微妙な表情を見せる。
「あなたが人間だから失敗するということではありません。『魔王妃となる人物が魔石に魔力を注ぐ』という行為を疑似的に発生させることで呪いを回避するのが目的なのでね。当人の魔力の有無は関係ないんです。儀式で石に注入されるのは、魔界の空気に含まれている魔力をかき集めたものだと言われていますし。魔王妃になる儀式と並行して行うことで『魔王妃が魔石に魔力を入れている』疑似行為に真実を付加している。ただそれだけです」
「疑似的……? 突然話が難しくなりました」
「そうですね。とにかく、魔石については失敗するのが当たり前だと思ってくだされば。リーエン様は変わらず石碑の文字を読めるようになってくださればいい。ただそれだけですよ」
「はい。わかりました」
それへは素直に頷く。コーバスの説明はこれでも相当にわかりやすいものなのだが、リーエンにとってはすべてがぼんやりとしていて捉えどころがない。ただ、魔界召集の始まりがどういうものだったのかを知れたのは彼女にとって収穫ではあった。だからといって、自分が魔界に転移させられたことに納得がいくわけではなかったけれど。
「コーバス先生、どうしてわたしが笑うと思われたんですか?」
「うん? 貴族のお嬢様達というのは、人の色恋沙汰は笑うものだと思っていましたので」
「まあ! そんなことありませんわ。女性の怒りがこんな大きな形で後世に影響を与えたと思えば笑う人もいるかもしれませんが、きっと、今でもその女王様は苦しんでいらっしゃるのでしょう……? 苦しんでいらっしゃらなければ、呪いのようなものはなくなるのでしょうし」
「なるほど。苦しんでいると。そんなことは考えたことはありませんでしたね。悪霊というものは、悪しき心だけがその霊体に宿ったまま生き続ける者と思われているので、そこには悪意しか残っていないと思っていましたし」
「本当のところはわかりませんが……わたしはどちらかというと、その魔王様の方が許せないので……いえ、どの世でも力がある者は独裁者になったり、利用される立場になったりと、何かしらを背負わされるものですが……」
コーバスはリーエンのその言葉を「おや」と内心驚きながら聞いていた。まただ。時折彼女は、いつもの少しぼんやりした様子に反して、はっきりとした貴族の矜持を語ったり、身にしみついた思想を口にする。それが、コーバスの目には「人の上に立つ者の妻」となるのに相応しい者として映り、アルフレドは良い魔王妃候補を見つけたな、と思わざるを得ないのだ。
「あっ、コーバス先生、わたし、思いつきました!」
「えっ、なんでしょう」
コーバスのそんな称賛なぞ知らないリーエンは、真剣に、しかし、少し明るい声で続けた。
「いっそのこと、魔石に集める儀式をやめたらどうでしょう!? だって、わたしは魔力を持っていないんですもの。呪いとやらが発動しても、抜き取る魔力がないんですから、それなら回避しようとする必要もないのでは……?」
これは名案では? とリーエンの表情が明るいので、コーバスはついに彼らしくなく声を出して笑ってしまう。
「リーエン様、それは、何の解決にもならないのでは?」
「あっ……!? た、確かに、言われてみればそうかもしれません……!」
リーエンはコーバスの指摘に、またまた頬を赤らめた。これではまるで「面倒くさいことや、どうせ失敗すると思われていることをただやりたくない」だけの発言ではないか。
「実際は、2つ同時に行われる儀式が分けられるものなのかどうかも誰も知らないので、儀式を止めるということが出来ないのが本当のところです。魔王妃候補しか入れない場所ですから、余程魔力があって術式解析能力がなければ、自分が何をして何を受けているのかも判断つかないでしょうし……はは、それにしても新しいですね。失敗するならやらなきゃいい、どうせ抜き取られる魔力はない……とは」
「き、聞かなかったことにしてください!」
あまりに安直な自分の発想を心底恥じてリーエンは懇願する。だが、当然コーバスはこの話をのちにアルフレドにしてしまうし、アルフレドはそれを聞いて「リーエンらしい」と朗らかに笑うことになるのだった。
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