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学園編
28.冤――
しおりを挟む「待って下さい、クリストフ殿下! わたしが熱湯をかけてしまったんです!」
マリー・トーマンが間髪入れずに叫ぶ! ――しまった!
ここにいるのが、クリストフ殿下やパトリックだけならいい。けれど、ここには彼女に――いや、平民に嫌悪感を抱いている者たちが大勢いる。彼女にこれ以上、要らぬ敵を作らせるわけにはいかない。
「――なんでもありません!!!」
ああ、もう最悪だ!
クリストフ殿下と、治癒能力に繋がる話題について口にするのは具合が悪い。
明確な理由があるわけじゃない。今までの積み重ねで、私が勝手にそう感じているだけだけれど。だってそうじゃないか。今更、良好な関係を築いてどうする? この期に及んで自己保身? 反省が足りな過ぎるだろう、自分。
この場からとっととずらかろうと歩き出そうとして、足に力が入りにくくなっていることに気付く。あくまで、入りにくくなっているだけだ。入らないわけじゃない。
痛みとクリストフ殿下の出現と……諸々に、自覚している以上に動揺していたらしい。それを周囲に気取られないよう、荒々しくさえ見えるような足取りでこの場から立ち去りかけていると――。
――――いきなり体が持ち上がった!!! え、な、なにごとっ?!
「動くな」
……頭上でクリストフ殿下の声がして……目眩がする。
「ミーシャ、大丈夫か?!」
パトリックのこちらを心配する声が聞こえる。
慌ててその姿を探そうと不安定な体を動かすと、なおのこと抱え込むように腕が回される。私は殿下に抱き上げられている。
いや、意味が分からない。
◇
意味が分からないまま、私は衆人環視の中、クリストフ殿下に俗に言う『お姫様抱っこ』をされたまま、医療室へと運び込まれた。
王立学園の医療室があるのは、正門に一番近い教育棟の中にある。
医務室の内装は日本のそれのように、白で清潔感を装ったりはしていない。
相変わらず絢爛豪華な仕様で、金と赤で彩られた美しい壁紙や、木目の美しい凝った装飾が彫り込まれた什器が設置されている。
敷地が広いのだから、『全ての棟に設けておけばよいものを』と思ったが、場所は関係ないのだろう。普通の子息令嬢は、何かあった場合は医師を呼びつける。
――こんなことなら、呼びつけた方がよかったか?!
マリー・トーマンが巻き込まれていた状況が状況だったから、あの場に医師を呼ぶような真似はしたくなかった。医師なんか呼んだら、マリー・トーマンを糾弾する格好の餌を与えることになってしまう。
火傷なんかどうだってよかったのだ。罰の一つだと思えば、かえって気が楽になるくらいだ! 焼かれても刺されても、私は全然構わないのに!!
医務室へ入ると――。
「すまない、食堂で怪我人が出たかもしれないのだが――」
「分かりました、すぐに向かいます――――って、彼女は?」
「驚いてしまったらしい。少し休めばよくなるだろう」
「了解致しました」
中にいた医師へそれらしいことを告げ、クリストフ殿下は医師がそうと気づく隙も与えずに追い出してしまった。
殿下はそのまま、豪華な革張りの椅子に私を座らせ――。
「嫌だろうが我慢しろ。流水で癒やすには些か時間が経ちすぎている」
「…………」
そう言って、彼は治療を始めた。入学式でナナミにしていたように。
ナナミでいた頃は、驚きながらも普通に話をしていた。この超能力のような治癒能力を、クリストフ殿下は呪いのように捉えていたから彼を一生懸命元気づけていたが……。あの時、私は一体どんな気持ちで殿下に話しかけていただろうか。
今のこの居心地の悪さは、どうしたものか。
確かに、あの痛みから制服の下が水ぶくれ状態になっていた可能性は限りなく高かった。この国に、あの状態の水ぶくれを綺麗に治せる技術があるとは到底思えない。だから、殿下の申し出ははっきり言って、ありがたい。
ありがたいのだ。本当に…………。
「もういいぞ」
今まで殿下に拘束されていた腕が、解放された。――あ!
「あ、ありがとうございます!」
気まずさにばかり意識がいって、お礼を言うことすら忘れていた! ああもう! こんなだから断罪されるのよ!! いい加減、学習すべきよ私!
お礼を言いながら、クリストフ殿下を見上げて気付いた……彼はずっと、私を見ていた。視線を逸らしていたのは――私の方だ。
彼はずっと、無表情に近い冷たい瞳で、私を見ていた。
「……すまなかったな。気味の悪いことをして」
去り際にクリストフ殿下が放った言葉が、しばらく耳から離れなかった。
傷ついていた。冷たく、私の全てを拒絶するようにしか見えない瞳は、明らかに、傷ついていた。なぜ……? 『私』……?
彼の心の安定に、私が起因しているかもしれない? 私が――
いや、違う。私じゃない。私であるはずがない。
自分がどの程度の人間なのか、私はよく知っている。
また過ちを繰り返す気か? ミーシャ・デュ・シテリン――――。
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