鬼の花嫁は役行者に隷属契約されました~

藤森瑠璃香

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第三十一話:寂しげな狐耳(きつねみみ)、届かぬ思いと迫る危機

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 役小角(えんのおづぬ)様の「…気になるか、朱音。その『あいの子』とやらが」という静かな問いかけは、朱音の心の奥底を見透かしているかのようだった。彼の黒曜石のような瞳に見つめられ、朱音はこくりと小さく頷いた。
「はい…とても気になります。もし、私と同じように…人とは違うことで苦しんでいる子がいるのなら…放ってはおけません」
 その言葉には、自身の過去の痛みが滲んでいた。役小角様は、そんな朱音の瞳の奥にある強い意志と、隠しきれない優しさを読み取ると、ふっと息を吐き、いつものように少しだけ意地悪そうな、それでいてどこか温かい眼差しを向けた。
「…お前の心がそう言うのなら、行ってみるがいい。だが、決して一人では行くな。義王(ぎおう)を伴え。そして、深入りはするなよ。我らは長くこの霧隠(きりがくれ)の里に留まるわけではないのだからな」
 その言葉は、釘を刺すようでありながら、朱音の行動を許し、そして彼女の身を深く案じる響きを伴っていた。朱音は「ありがとうございます、役小角様!」と顔を輝かせ、彼のその不器用な優しさに胸を熱くした。

 翌朝、朱音が小夜という少女を探しに宿を出ようとすると、村の小さな広場に、猟師風の出で立ちの男たちが数人、何やら物騒な顔つきで集まっているのが目に入った。彼らの傍らには、研ぎ澄まされた槍や弓矢が置かれている。
「聞いたか?まただ。今度は庄屋様の蔵から、冬ごもりのための干し肉がごっそりやられたらしいぞ!」
「狐どもの仕業に違いねえ!あいつら、最近ますます図に乗りおって!」
「このままでは、わしらの冬が越せんくなる。こうなったら、いっそのこと山に入って、あの性悪狐どもを根こそぎ退治してやるしかねえべ!」
 猟師たちは口々に息巻いている。どうやら、村で最近頻発しているらしい食料の盗難を、全て妖狐の仕業と決めつけ、怒りと恐怖を募らせているようだった。その殺気立った雰囲気に、朱音は胸騒ぎを覚えた。
(そんな…昨日の狐さんたちが、本当にそんなことをするのだろうか…?)

 朱音は、義王と共に、昨日狐たちに導かれた山道へと急いだ。初冬の森は、凛とした空気に包まれ、枯葉を踏む音だけが静かに響いている。しかし、その静寂の中には、どこか張り詰めたような緊張感が漂っているように感じられた。
 狐たちと出会った辺りで、朱音は立ち止まり、森の奥に向かって声をかけた。
「狐さん、どうか出てきてください…! 昨日のお礼も言いたいですし、少しお話がしたいのです…!」
 しばらくの間、何の返事もなかった。諦めて帰ろうかと思った、その時。
 カサリ、と茂みが揺れ、そこからひょっこりと姿を現したのは、昨日見た愛らしい子狐――ではなく、小さな人間の女の子だった。年の頃は十か十一くらいだろうか。古びて所々擦り切れた小袖(こそで)をまとい、豊かな黒髪からは、隠しきれない、ぴょこんと尖った愛らしい狐の耳が覗いている。その大きな黒い瞳は、怯えと、そして強い警戒心で朱音たちを見つめていた。この子が、村人たちが噂していた「あいの子」――小夜なのだと、朱音は直感した。

 小夜は、朱音の姿、特に彼女の赤い瞳や、角を隠しているのであろう髪飾りの下の気配に、何か自分と通じるものを感じ取ったのかもしれない。ほんの少しだけ、その瞳の警戒心が和らいだように見えた。
「…あんたたち…もしかして、昨日うちのモンらと会うた人か…?」
 か細い、けれど芯のある声だった。その言葉には、どこかこの土地の古い訛(なま)りのようなものが混じっている。
 朱音は、小夜のその姿に、そして彼女の瞳の奥に宿る深い寂しさの色に、胸が締め付けられるような思いがした。
「はい、そうです。昨日は、あなたのお仲間さんたちに、道を教えていただきました。とても助かりましたの」
 朱音は、できるだけ優しい声で語りかける。そして、村の猟師たちが狐退治をしようと集まっていること、村の食料が盗まれたと狐たちが疑われていることを、言葉を選びながら伝えた。
 すると、小夜の顔からさっと血の気が引き、その大きな瞳が恐怖と怒りに見開かれた。
「そ、そんな! キツネたちは、絶対に村のモンを襲ったり、大事な食べ物を盗んだりなんか、しとらんのじゃ! 信じてほしいんじゃ! あいつらは、ただ…ただ、人間が怖くて、山の中で静かに暮らしとるだけなんじゃ…!」
 彼女は、小さな拳を握りしめ、必死の形相で訴えた。その声は震えていたが、そこには嘘偽りのない、魂からの叫びが込められているように朱音には感じられた。
 小夜が言うには、この山の狐たちは、元々この森に古くから棲む穏やかな性質の者たちで、人間を恐れてはいるものの、決して悪さを働くような存在ではないという。むしろ、時には道に迷った旅人を助けたり、困っている者に山の幸を分け与えたりすることさえあるのだと。
「じゃけど…村の衆は、何も分かってくれん…。ちょっとでも悪いことがあれば、みんなキツネのせいにされてしまうんじゃ…」
 そう言って俯いた小夜の肩は、小さく震えていた。

 朱音は、小夜の必死な訴えと、その瞳の奥にある純粋さを、心の底から信じたいと思った。そして、彼女の抱える孤独と、謂(いわ)れなき非難に苦しむその姿に、自身の辛かった過去を重ね合わせずにはいられない。
「分かります…信じてもらえないことの辛さ…誰にも理解してもらえないことの苦しみ…私にも、覚えがありますから…」
 朱音は、そっと小夜の冷たくなった手に触れた。小夜はびくりと体を震わせたが、朱音の赤い瞳をじっと見つめ返すと、その手に込められた温かい想いを感じ取ったのか、少しだけその強張りを解いた。
 狐の耳を持つ少女と、鬼の角を持つ少女。二人の「人ならざる者」の間に、言葉を超えた、魂の共鳴のようなものが、確かに通い合った瞬間だった。
 朱音は、このか弱くも健気な少女と、そして彼女が守ろうとしている狐たちを、どうにかして助けたいと、心の底から強く願っていた。しかし、村人たちの妖狐への憎しみは深く、猟師たちの殺気も本物だ。一体、どうすればいいのだろうか。
 朱音の心に、新たな決意と共に、重く苦しい問いかけがのしかかってきていた。

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