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第一章 宴のあと
01.嫉妬
しおりを挟む「六花殿、起きていらして?」
御簾越しに、邸の女房(侍女)に声を掛けられて、真雪は飛び起きた。六花とは雪の異名で、邸の女房達は真雪のことを、こうして呼んでいた。まだ、東の山の端が白み始めてもいない。
「はい、起きております」
つい今しがた横になったばかりだったが、真雪もこの邸の主に仕える身であれば、寝入っている場合ではなかった。
あちこち、体中がきしきしと痛むが、それを隠して、「如何なさいました」と問う。
「それが……、明殿が、今日は午まで寝たいなどと我が儘を仰って」
「明殿が……?」
昨夜は、関白と過ごしていたのだろう。それで、午まで休みたいなどと、甘えたことを言っているのだ。そして、関白は、それを許したのだ。
「そうなのですよ、これでは、殿に装束を着せる者がおりません……」
普通は、女房達が主の着替えを手伝うだろう。だが、この関白は、女性に着替えをさせるのが苦手なようだった。
「わかりました。では、私が参ります」
「ああ、助かります。さすがは、六花殿です……早くから済みませんね」
済まなさそうな声ではあったが、「お早く」と強めに念を押して、どこぞへ去って行く。
今の、関白の恋人である明には困ったが、関白の側近くに仕えることは喜ばしいことだ。急いで駆けつけるのが常のことだったが、今日は、少しだけ違った。
急いで主の元へ向かうのは当たり前のことだとしても―――これまでのように、関白の側に行くことが出来るというのに、胸が踊らない。
―――後ろめたい、のだろうか。
真雪は、昨晩のことを思い出した。釣殿で思いがけず出会った方と、一晩、戯れてしまった。そのことが、引っかかっている。
関白のほうは、明と共に過ごしていたはずだ。だから、お互い様と言えば、そうなのだ。気にする必要はないし、関白のほうが先に、真雪を裏切ったのだ。そう考えて、真雪は、きゅっと唇を噛みしめた。
確かに、関白は真雪を裏切った。理由も告げずに、ある日突然、明を召し出した。そして側に仕えさせるようになったのだった。真雪は、妹が関白の妾となっている。兄妹で関白の寵を得ていたわけだったが、その真雪にも、妹にも、何も言わずに唐突に、明がやってきた。その時の、絶望感は筆舌にしがたい。
ともあれ昨日の宴に続き、多くの公達が邸に宿泊しているはずであった。本日は、この邸から内裏へ出仕するのだ。邸内は、なんとなく気ぜわしい。女房達があちこちに呼ばれて着替えを手伝ったり、口をゆすいだりするのを手伝っているのだろう。
関白の私室は、邸の北の対《つい》と呼ばれる場所にある。関白が、正室と起き伏しをする場所だが、真雪もここへ召されて関白と戯れたことが何度もある。
「殿下、お召しでしょうか」
御簾の外から声を掛けると、「ああ、真雪か。よかった。手伝っておくれ」と中へ招かれる。御簾の中へ立ち入った時、風雅な香の薫りに混じって生々しい匂いがした。関白が、つい先ほどまで恋人と戯れていたのだろう。胸が、早鐘を打つ。もしも、昨日、朧月夜の方と一夜を過ごしていなければ、卒倒していたかも知れない。
褥は寝乱れていて、ぐしゃぐしゃだった。そこも、体液で汚れている。それを見ないようにして、肌小袖に単衣だけを着た下着姿で立ち尽くす、主の側へ寄った。
「今朝は出仕されるはずでしょうに」
「すまぬな。昨日は、宴のせいか、興が乗って……今しがたまで明と過ごしてしまった。無理をさせた上に、着替えまでさせるのは可哀想なことだろう」
「左様でございますか。……彼の方にあまりご無体なことをなさいませぬよう」
あけすけと夜のことを語る関白の真意をはかりかねながら、着替えの支度をする。その身体から、真雪の知らない香が漂っている。明のものなのだろう。甘い薫りは、関白には似合わないような気がした。
「どうした?」
「いえ……いつもより、香が、甘いような気がして……。殿下には、もっと違った薫りのほうがお似合いになるかと」
ふ、と関白が笑ったのが解った。ぞくり、と背筋が震えた。
関白、藤原倫時。年齢は二十八。真雪より六つ年上のこの方は、主上の覚えめでたく、家の力もあって、瞬く間に位人臣を極めたが、冷ややかな人物だというのが関白殿下の世間での評判だった。
関白は上機嫌の様子だった。可愛い恋人と今しがたまで戯れていたのだから、当然だろう。真雪は胸の底が重くなるのを感じつつ、関白の着替えを手伝う。単衣の上に、衵、下襲、そして袍を着る。袍は位に応じて色が変わる。黒が最も位が高く、雲上人たちはみなこの彩になる。
―――そういえば。
昨夜の朧月夜の方の袍も、闇夜に紛れる色であった。であれば、やはり雲上人であったのだろう。二度と会うことがないとはしりつつ、なぜか、引っかかるものがある。
あの朧月夜の方が残していったものといえば、戯れ……後朝代わりに交換した単衣と、彼が忘れていった笛。あまく低い声と、変わった香を忍ばせた黒方の薫だけだ。
「真雪、どうした」
関白に問いかけられ、はた、と真雪は我に返った。手が止まっていたらしい。
「私も、こういうあけすけなことは嫌いなのだけれどね」
と言いながら、関白はちらりと視線を乱れた褥にうつした。夜の雰囲気を色濃く残している。
「そのように、そなたが物妬みするとは思わなんだ。存外、可愛いところがあるではないか」
関白は、今、手を止めて物思いにふけっていたのを、別な理由だと勘違いしたようだった。
「あ、それは」
違うと、言いかけて口ごもる。明を妬む気持ちは、いままで確かに存在していたはずだ。それに――。
「このような、臥所を見れば、私も悲しくなります」
見せつけるような真似をして―――となじろうとしたとき、真雪は、はっとした。
―――まさか。
明をそばに置いて可愛がったのも、真雪の嫉妬心をあおる為だったのではないだろうか。
見上げた関白の薄い唇に、酷薄な笑みが乗っているのを見て、真雪は背中がうす寒くなった。
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