31 / 59
10
3
しおりを挟む
新撰組には、門限がある。幹部達は、私邸を持つことを許されていたので、外泊も許されていたが、基本的には、朝までには戻らなければならない。この門限について、一切、咎められなかったのは、監察部だけである。調査などを行う必要のある監察部は、様々な特権を土方から与えられていたのである。
従って、外泊をすることになっても、島田は別に何者からも咎められることはなかったのだが、島田自身は、(帰った方が良いのではないだろうか)と考え始めた。
つい先刻、島田は土方と共に、君菊に夕餉を出された。君菊が普段夕餉を出す時には、酒を勧めないのだが、今日は勧めた。土方が、呑みたいような気分であると思ったのだろう。実際に、土方は、君菊から酒を注いで貰い、何杯か、呑んだ。めっぽう酒には弱い土方が、何杯か空けたというのが、まずおかしな事だった。かくて、土方は、したたかに酒に酔い、君菊の膝の上で、上機嫌に微睡んでいる。
土方の頬を触れながら、君菊は笑う。「このお人は、酔わはると、眠ってしまう」
君菊の方も、膝枕で眠ってしまった土方の甘え方が、気に入っている様子で幸せそうな微笑を浮かべている。こんな二人の様子を見ていた島田が、自分がこんな所にいてはいけないのではないかと思い始めるのも仕方がないところだろう。
「……でもな、最近は、魘されることが多いみたいどす。土方はん、上手く眠れてないんと違います? ……少し、痩せはったし、お顔の色も、幾らか悪い気がしますえ?」
君菊の指摘に、島田は即答することは出来なかった。毎日毎日顔を合わせている土方が痩せたかどうかなど、よく解らない。島田から見れば、土方は実にいつも通り、変わらない。島田が入隊したのは四月だ。それから半年にもなるが、土方は変わらない。変わらないように見える。
「島田はん、新撰組に入らはったんは、春先の募集のときですやろ? そうやな……土方はんは、変わらはったわ。よう、見てれば解ります」
君菊は、優しく土方の頬を撫でる。細くて白い指だった。
「土方はんは……」と君菊は一度言を切ってから、躊躇いがちに言う。「土方はんは、ここに居るのに……時々、えらい遠くに居るような気がします。優しゅうしてくだはりますえ? 抱いてもくだはります。……でも、時折、この方は……えらい遠くに行ってしまわれる。ここに居るのに、どこにも居ない。だから、女たちは、この方に夢中になってしまうんですわ」
君菊の言葉に、島田は思い当たるところがあった。ふと、土方はどこか遠くを見つめる。島田には解らない、どこか、どこか遠くだ。世の中のすべてから、一切の関わりを失ってしまったかのように、孤りになって、どこかを見て、また、一瞬の後に戻って来る。そのクセを、おそらく土方は自覚していない。そして、それに気がついたもの達も、おいそれと、それに触れられない。触れたくない。突き放されたような気分になるからだ。
「……解ります」と島田は言った。君菊は一瞬驚いたような顔になったが、「島田はんが、土方はんの念者でしたのね」と微苦笑した。
念者、と言う言葉に島田は思い当たることはなかった。念者・念弟とは、男色関係にある男同士の話だ。島田は、脇差しは受け取ったが、肉体関係はない。
「私は、土方さんとは、なにも……」と、島田はしどろもどろに言うと、君菊はさらに驚いたように、目をまん丸くした。
「あら……そうやったんどすか? ここには、島田はんもお連れになるし……、こうして、眠ってしまうんやから、よほどの信頼があるんやと……」
「いや、信頼はあります。ただ……そういうことではないのです。私は、ただ、土方さんに、終生、義を誓っただけで……それは、この、脇差しに掛けて、確かに。武士が、刀を預けられれば、義をもって、答えるほかないのです」
君菊は不思議そうな顔をした。畳の上に投げ出されていた土方の手に目をやった。毎日毎日、朝稽古を務めるのは、土方だ。何十人の隊士達と共に竹刀を振るう。おかげで、太い腕だった。君菊の視線の意味が、島田には解らなかった。
「……なぁ、島田はん」と君菊は囁くように言った。「このお人から、離れないで下さい。うちは、男はんと違いますから、側に居ることは出来まへん。そのうち、この方は、雁みたいに北へ北へと帰ってしまわれるんでしょうなぁ。そうなったら、見捨てんで、側に居てやって下さい」
君菊は、不思議なことを言う、と島田は思った。「なぜ……北へ?」と聞くと、君菊は笑った。
「だって、このお人は、雁みたいなものやもの……。冬の短い間だけ、京に来ただけ。また、帰ってしまう。京が、春になって、夢から覚めたら、復、帰ってしまわれるんやわ。なぁ、島田はんは、江戸を見たことはありますの?」
「はい。元々、江戸におりました」と島田は応えた。「私は、江戸の心形刀流の道場で剣術修行をしておりました。その時に、新撰組の二番組の永倉新八隊長と出会い、試衛館道場の方々と、幾らかの面識が出来ました。実を言うと、江戸牛込の試衛館道場で、土方さんには確かにお会いしているはずですが、不思議と土方さんの記憶が無いのです。………これまで、剣術修行ばかりしていました。一度、まだ、大垣藩に居た頃に、名古屋城で尾張様の御前試合を務めたことが御座います」
「まぁ……お相撲さんみたいな格好で、剣もお強いの」
巨漢の島田が、意外に敏捷に剣を繰り出す姿を見て驚く者は多い。君菊の反応も、当然のことだと言えた。
「……お江戸には、花はあるんやろか……」
従って、外泊をすることになっても、島田は別に何者からも咎められることはなかったのだが、島田自身は、(帰った方が良いのではないだろうか)と考え始めた。
つい先刻、島田は土方と共に、君菊に夕餉を出された。君菊が普段夕餉を出す時には、酒を勧めないのだが、今日は勧めた。土方が、呑みたいような気分であると思ったのだろう。実際に、土方は、君菊から酒を注いで貰い、何杯か、呑んだ。めっぽう酒には弱い土方が、何杯か空けたというのが、まずおかしな事だった。かくて、土方は、したたかに酒に酔い、君菊の膝の上で、上機嫌に微睡んでいる。
土方の頬を触れながら、君菊は笑う。「このお人は、酔わはると、眠ってしまう」
君菊の方も、膝枕で眠ってしまった土方の甘え方が、気に入っている様子で幸せそうな微笑を浮かべている。こんな二人の様子を見ていた島田が、自分がこんな所にいてはいけないのではないかと思い始めるのも仕方がないところだろう。
「……でもな、最近は、魘されることが多いみたいどす。土方はん、上手く眠れてないんと違います? ……少し、痩せはったし、お顔の色も、幾らか悪い気がしますえ?」
君菊の指摘に、島田は即答することは出来なかった。毎日毎日顔を合わせている土方が痩せたかどうかなど、よく解らない。島田から見れば、土方は実にいつも通り、変わらない。島田が入隊したのは四月だ。それから半年にもなるが、土方は変わらない。変わらないように見える。
「島田はん、新撰組に入らはったんは、春先の募集のときですやろ? そうやな……土方はんは、変わらはったわ。よう、見てれば解ります」
君菊は、優しく土方の頬を撫でる。細くて白い指だった。
「土方はんは……」と君菊は一度言を切ってから、躊躇いがちに言う。「土方はんは、ここに居るのに……時々、えらい遠くに居るような気がします。優しゅうしてくだはりますえ? 抱いてもくだはります。……でも、時折、この方は……えらい遠くに行ってしまわれる。ここに居るのに、どこにも居ない。だから、女たちは、この方に夢中になってしまうんですわ」
君菊の言葉に、島田は思い当たるところがあった。ふと、土方はどこか遠くを見つめる。島田には解らない、どこか、どこか遠くだ。世の中のすべてから、一切の関わりを失ってしまったかのように、孤りになって、どこかを見て、また、一瞬の後に戻って来る。そのクセを、おそらく土方は自覚していない。そして、それに気がついたもの達も、おいそれと、それに触れられない。触れたくない。突き放されたような気分になるからだ。
「……解ります」と島田は言った。君菊は一瞬驚いたような顔になったが、「島田はんが、土方はんの念者でしたのね」と微苦笑した。
念者、と言う言葉に島田は思い当たることはなかった。念者・念弟とは、男色関係にある男同士の話だ。島田は、脇差しは受け取ったが、肉体関係はない。
「私は、土方さんとは、なにも……」と、島田はしどろもどろに言うと、君菊はさらに驚いたように、目をまん丸くした。
「あら……そうやったんどすか? ここには、島田はんもお連れになるし……、こうして、眠ってしまうんやから、よほどの信頼があるんやと……」
「いや、信頼はあります。ただ……そういうことではないのです。私は、ただ、土方さんに、終生、義を誓っただけで……それは、この、脇差しに掛けて、確かに。武士が、刀を預けられれば、義をもって、答えるほかないのです」
君菊は不思議そうな顔をした。畳の上に投げ出されていた土方の手に目をやった。毎日毎日、朝稽古を務めるのは、土方だ。何十人の隊士達と共に竹刀を振るう。おかげで、太い腕だった。君菊の視線の意味が、島田には解らなかった。
「……なぁ、島田はん」と君菊は囁くように言った。「このお人から、離れないで下さい。うちは、男はんと違いますから、側に居ることは出来まへん。そのうち、この方は、雁みたいに北へ北へと帰ってしまわれるんでしょうなぁ。そうなったら、見捨てんで、側に居てやって下さい」
君菊は、不思議なことを言う、と島田は思った。「なぜ……北へ?」と聞くと、君菊は笑った。
「だって、このお人は、雁みたいなものやもの……。冬の短い間だけ、京に来ただけ。また、帰ってしまう。京が、春になって、夢から覚めたら、復、帰ってしまわれるんやわ。なぁ、島田はんは、江戸を見たことはありますの?」
「はい。元々、江戸におりました」と島田は応えた。「私は、江戸の心形刀流の道場で剣術修行をしておりました。その時に、新撰組の二番組の永倉新八隊長と出会い、試衛館道場の方々と、幾らかの面識が出来ました。実を言うと、江戸牛込の試衛館道場で、土方さんには確かにお会いしているはずですが、不思議と土方さんの記憶が無いのです。………これまで、剣術修行ばかりしていました。一度、まだ、大垣藩に居た頃に、名古屋城で尾張様の御前試合を務めたことが御座います」
「まぁ……お相撲さんみたいな格好で、剣もお強いの」
巨漢の島田が、意外に敏捷に剣を繰り出す姿を見て驚く者は多い。君菊の反応も、当然のことだと言えた。
「……お江戸には、花はあるんやろか……」
0
あなたにおすすめの小説
わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...
MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。
ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。
さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか?
そのほかに外伝も綴りました。
輿乗(よじょう)の敵 ~ 新史 桶狭間 ~
四谷軒
歴史・時代
【あらすじ】
美濃の戦国大名、斎藤道三の娘・帰蝶(きちょう)は、隣国尾張の織田信長に嫁ぐことになった。信長の父・信秀、信長の傅役(もりやく)・平手政秀など、さまざまな人々と出会い、別れ……やがて信長と帰蝶は尾張の国盗りに成功する。しかし、道三は嫡男の義龍に殺され、義龍は「一色」と称して、織田の敵に回る。一方、三河の方からは、駿河の国主・今川義元が、大軍を率いて尾張へと向かって来ていた……。
【登場人物】
帰蝶(きちょう):美濃の戦国大名、斎藤道三の娘。通称、濃姫(のうひめ)。
織田信長:尾張の戦国大名。父・信秀の跡を継いで、尾張を制した。通称、三郎(さぶろう)。
斎藤道三:下剋上(げこくじょう)により美濃の国主にのし上がった男。俗名、利政。
一色義龍:道三の息子。帰蝶の兄。道三を倒して、美濃の国主になる。幕府から、名門「一色家」を名乗る許しを得る。
今川義元:駿河の戦国大名。名門「今川家」の当主であるが、国盗りによって駿河の国主となり、「海道一の弓取り」の異名を持つ。
斯波義銀(しばよしかね):尾張の国主の家系、名門「斯波家」の当主。ただし、実力はなく、形だけの国主として、信長が「臣従」している。
【参考資料】
「国盗り物語」 司馬遼太郎 新潮社
「地図と読む 現代語訳 信長公記」 太田 牛一 (著) 中川太古 (翻訳) KADOKAWA
東浦町観光協会ホームページ
Wikipedia
【表紙画像】
歌川豊宣, Public domain, ウィキメディア・コモンズ経由で
【架空戦記】狂気の空母「浅間丸」逆境戦記
糸冬
歴史・時代
開戦劈頭の真珠湾攻撃にて、日本海軍は第三次攻撃によって港湾施設と燃料タンクを破壊し、さらには米空母「エンタープライズ」を撃沈する上々の滑り出しを見せた。
それから半年が経った昭和十七年(一九四二年)六月。三菱長崎造船所第三ドックに、一隻のフネが傷ついた船体を横たえていた。
かつて、「太平洋の女王」と称された、海軍輸送船「浅間丸」である。
ドーリットル空襲によってディーゼル機関を損傷した「浅間丸」は、史実においては船体が旧式化したため凍結された計画を復活させ、特設航空母艦として蘇ろうとしていたのだった。
※過去作「炎立つ真珠湾」と世界観を共有した内容となります。
与兵衛長屋つれあい帖 お江戸ふたり暮らし
かずえ
歴史・時代
旧題:ふたり暮らし
長屋シリーズ一作目。
第八回歴史・時代小説大賞で優秀短編賞を頂きました。応援してくださった皆様、ありがとうございます。
十歳のみつは、十日前に一人親の母を亡くしたばかり。幸い、母の蓄えがあり、自分の裁縫の腕の良さもあって、何とか今まで通り長屋で暮らしていけそうだ。
頼まれた繕い物を届けた帰り、くすんだ着物で座り込んでいる男の子を拾う。
一人で寂しかったみつは、拾った男の子と二人で暮らし始めた。
滝川家の人びと
卯花月影
歴史・時代
勝利のために走るのではない。
生きるために走る者は、
傷を負いながらも、歩みを止めない。
戦国という時代の只中で、
彼らは何を失い、
走り続けたのか。
滝川一益と、その郎党。
これは、勝者の物語ではない。
生き延びた者たちの記録である。
裏長屋の若殿、限られた自由を満喫する
克全
歴史・時代
貧乏人が肩を寄せ合って暮らす聖天長屋に徳田新之丞と名乗る人品卑しからぬ若侍がいた。月のうち数日しか長屋にいないのだが、いる時には自ら竈で米を炊き七輪で魚を焼く小まめな男だった。
大東亜戦争を有利に
ゆみすけ
歴史・時代
日本は大東亜戦争に負けた、完敗であった。 そこから架空戦記なるものが増殖する。 しかしおもしろくない、つまらない。 であるから自分なりに無双日本軍を架空戦記に参戦させました。 主観満載のラノベ戦記ですから、ご感弁を
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる