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02.氷の魔女から呪いを掛けられた皇帝

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 ノックをしてから部屋の中へ呼びかける。入室の許可が程なく出て、扉が開いた。

 扉の中は、豪華な廊下とはうって違って、シンプルなものだった。

 ロイヤルブルーの色味で統一された室内は、執務用の机に、応接用の長椅子と低いテーブルが一揃えがある程度。本棚があって、そこには沢山の本が詰まっていたが、その他は、特に何もない。

 部屋も、小さなものだった。

 そして、執務机に座っていたのは、美しく長い銀髪を首の後ろで一つに束ね、冷たげなアイスブルーの瞳を持つ男性だった。

 皇帝その人である。

 色素が薄いのかアイスブルーの瞳と、銀色の瞳も相まって『氷の』という異名を持つほどだった。

 そしてその皇帝の冷酷なことは、姿形のみに及ばず……。

(戦になると、あまりに苛烈な戦いぶりで周りには紅蓮地獄ができあがるとか……)

 その他、不正を行った領主などは容赦なく処分してきたという話で、だいぶ、国内は清らかな状態になったとは言うものの。

(本当は気に入らない人間に罪を着せて殺したという噂もあるくらいだし……)

 威圧するような雰囲気はなかった。

 リリアが入ってきたことを知って立ち上がり、ゆっくりと近付いてきた。上背が高い。見蕩れてしまったが、慌てて、礼をとった。

「リリア、というのだな」

 確認の響きがあった。低くて涼しげな声だった。答えて良いものか迷っていると、ガルシア卿が「リリア、答えなさい」と言うのでおとなしく返事をする。

「はい。リリアと申します」

「まずは、君に謝りたい」

「えっ?」

 何のことか解らずに戸惑っていると、皇帝陛下が、リリアに向かって頭を下げているではないか!

「ちょ、ひ、人違いですっ!」

「いや、人違いではない。その……私の立場では、平素、自分の望みを告げることはないのだが……、つい、私が、望みを口にしてしまったから、そなたがここへ呼ばれることになった」

「望み、ですか?」

 皇帝は、すぐには返答しなかった。どうにも、歯切れが悪い。

「その……、私は、どうも血の巡りが悪いようで、手を見て貰えるだろうか」

 差し出された大きくて綺麗な手は、異常に肌の色が悪くて、指先など紫色に見える。死人の手のようだった。

「この通り、指先まで血が巡らず、冬などは冷えて仕方がなかったのだ。手袋なども付けては居るが、そもそもが冷えているからか、まるで温まらない」

 それは、大変難儀しただろう。同情し掛けたが、リリアはそれでも、なぜ自分がここに居るのか、理解は出来なかった。

「あの、それで……」

「そんな折、洗濯場でいつも、薄着のそなたを見かけた。最初は、同僚から虐められでもしているのかと思って観察していたが、どうやら、そうではないというのも解った。そして、そなたが体温が高くて、いつでも身体がぽかぽかしていて、同僚に抱きつかれていることも、知った」

 皇帝の美しい顔は、次第に、苦虫を噛みつぶしたような顔になっていく。そして、言葉も歯切れが悪い。

「……あ、あの……?」

「そうなのだ。私は、そなたの同僚たちが、そなたで暖をとっているのを見て、私もアレが欲しいなどと口走ってしまったのだ……それで、そなたに迷惑が掛かることになった」

 突っ伏す勢いで、皇帝が頭を下げる。

「あ、ああああ、頭をお上げくださいっ……っ!」

 皇帝は、リリアに対して心から済まないと思っているようだったが、リリアの方は半ばパニックだ。高貴な方に頭を下げさせているという状況が、耐えられない。

「……私は、温石でも握っていることにするよ。ただ、他のものたちの手前、一度は、そなたを呼ばなければならなかった。何事かと思ったことだろう。本当に申し訳なかった」

 このあたりで、リリアはおやっ? と思った。

 ガルシア卿の話では、「出世」「貴族の後見付き」ということだったが、とうの皇帝にそのような意思はないように見られる。

 ちらり、とガルシア卿を見やると、一瞬目をそらして天井の方をみやったが、すぐ、気を取り直したのか、にこりと微笑みを浮かべてリリアと皇帝に向き直る。

「陛下。せっかく、リリア嬢においでいただいたのですから、手を温めていただいたら如何ですか?」

「えっ?」

 パッと一瞬、皇帝の目に喜色が浮かんだが、すぐにうち消えた。

「い、いや……」

 と言いつつ、残念そうにリリアの手を一瞬見たのを、リリアは見逃さなかった。

「あの、陛下」

 身分的に声を掛けることが出来ないはずなのは解っていたが、つい、呼びかけてしまった。

「なんだろう」

「私のような庶民では、陛下に直接お目に掛かるのは、これが最初で最後の機会かも知れません。もし、陛下がよろしければ、御手に触れる栄誉を賜ることは出来ましょうか」

 隣でガルシア卿が、『我が意を得たり』というドヤ顔をしているのがいささか気になったが、目の前の冷え性を放っておけない気持ちの方が強かった。

 皇帝は、リリアの気持ちを汲んだようで、一度、驚いてから「済まない」と告げて、リリアの手を取った。

「ひゃっ……」

 皇帝の手は、氷のように冷たかった。大きい手だった。貴人の手は、滑らかで傷一つないのだろうと思っていたが、皇帝の手は、そうではなかった。冷えのために荒れているのもあったかもしれないが、掌と指に皮膚の硬くなったところがある。おそらく、剣のタコと、ペンのタコだろう。これは勤勉なものだけが持つ手だ。

「……暖かいな……。想像以上だ……」

 氷のような美貌の、青白い頬に、うっすらと赤みが差したように、リリアには思えた。

「陛下の……! 顔色が良いっ!!」

 ガルシア卿が思わず素っ頓狂な声をあげて、ひっくり返る。

「へ、陛下のお顔に、赤みが差すなんて……っ! この方、戦場で返り血を浴びる意外で赤くなったことなんかないんですよ!」

 酷い言われように、思わずリリアは同情してしまう。

「いや、マシューは悪くないのだ。本当に、私は酷い冷え性で……。皇太后殿下からは、氷の魔女から呪いを掛けられたとまで言われたくらいで……」

 皇太后と言えば皇帝の生母だ。実の母親の言葉としては、かなり酷いだろう。

「それにしても、そなたの手は温かいな……」

 気持ちが良さそうに、皇帝は目を細める。

 その時だった。

「あー、せっかく、陛下が暖かいと仰せなのに……、残念だなあ……」

 などと隣でガルシア卿がぶつくさと言い始めたのだ。

「マシューっ!」

 皇帝はたしなめるが、手は放さない。

「いや、誰かさんが、犠牲になってくれれば……ほら、冷えは万病に良くないと言うし、女性だったら血の道が悪いと、子供も出来ないと言うでしょー? そうしたら、これ、国家の一大事だなーとか思ってさー」

 あ、これは俺の独り言なんだけど。

 悪びれなく笑うガルシア卿の言葉を聞いて、ドキッとした。

 現皇帝には、兄妹はいない。つまり、ここで子供が出来なければ、国が滅亡などという恐ろしいことにもなりかねないだろう。

「リリア、あのもの言うことは、あまり気にしないように……」

 気遣って言う皇帝の、子犬のような眼差しに、なんとなく、リリアは問いかけていた。

「……具体的に、私は、何を望まれているんですかね」

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